第17話 ヘリオのマッドパピー 3 

 予想だにしていなかった展開を前に、マッドパピーの心は浮き立っている。


 今回の被験者たちは異常だった。迫りくるヒトハミの群れをものともしない。発見は異常個体と通常個体の比較から始まる。これはとても楽しみだ。


 巨大なモニターには複数の映像が映し出されている。


 いずれも同じ被験体を遠視えんししているが、映しているものが違う。それぞれの映像から読み取ることのできるデータは膨大だ。


 この被験体たちは実にバリエーションが豊かで、面白いデータが採れそうだった。


 一人は、どの映像パターンで確認しても凡庸ぼんような少年である。何の特徴もないと言ってもいい。先ほどヒトハミを斬殺したように見えたが、それは少年ではなく彼が手にしていた武器の特性である可能性が高い。詳しくは後述する。


 一人は、どの映像パターンで確認しても凡庸な青年である。こちらは戦闘に慣れている風であり、その点で少年ほどは平凡でない。マッドパピーは戦闘については素人なので、彼の立ち回りが良いのかどうかはよく解らない。


 重要なのは、映像から読み解くことのできるデータ上では彼にヒトハミを殺せるはずがない、と言う事実である。


 彼はそれほど多くの源素げんそを保持していないし、また源素の制御をしている様子もない。ヒトハミを斬るための前提も持たず手順も踏まず、それでもヒトハミを軽々と斬り殺している。


 ここでマッドパピーが興味をそそられたのが、先述の剣である。あの剣を持つまで青年は無力に見えた。マッドパピーの勘が、あの剣に何かあるとしきりに叫んでいる。


 マッドパピーは視線を画面上で滑らせた。女性が参加していることが、このパーティーの特異性の一つだ。


 共栄帯きょうえいたいと言えども旅をする女性は多くない。男性にはない危険も多いし、およそ女性は体力面において男性に譲る。体力がものを言う場面が多々ある旅にえて女性を同行させたい旅人は少ないのだ。なのにこのパーティーは四人のうち二人が女性だった。


 一人は杖を持った少女である。保持する源素の量が非常に多く、また活発にパターンを変化させている。正真正銘、訓練を受けた祓魔師ふつまし。それも非常に珍しい嘆願術師たんがんじゅつしである。


 一人はどの映像においても非凡そのものの、少年とも少女とも見える人物だった。マッドパピーはしばらく悩んでから、とりあえず女性と仮定した。普段なら体温や源素の様子で男女が判明するところだが、その人物はいずれも人間とは異なるパターンを示しているのである。


 彼女の体内に保持する源素の量は気味が悪いほどだった。このパーティーがやって来てからヒトハミたちの様子がおかしかったのは、彼女の源素を感知していたためなのだろう。マッドパピーの勘がそう言っている。


 狭い通路で槍の少女がヒトハミを押し留めて一塊ひとかたまりにし、一気に仲間の元まで引いたところに嘆願術たんがんじゅつで一網打尽。漏れたヒトハミは青年が始末する。その繰り返しで、ヒトハミは大変な勢いで数を減らされていた。なお、平凡な少年はぽかんとそれを見守っている。


「さあ、頑張れ! そこだ、いけ! あ、道間違えてるよ! そっちじゃなくてこっち!」


 マッドパピーはモニターに向けて身勝手なエールを送る。彼らにはできるだけ長く頑張って欲しい。データの量は研究の正確さに直結する。


「うふふ。第六層に到達したね。」


 この球状遺構きゅうじょういこうの中層。フロアの半径が最長になり、従って最も広い面積を誇る層である。


 その層は何の構造物もない、ひたすら広いだけの空間となっていた。古代の人たちがこの空間をどう使っていたのかは不明だが、現在そこには巨大なヒトハミが一体鎮座している。


「さあ、頑張れキメラ二号!」


 マッドパピーは滑稽なステップを踏んで自分の作品にエールを送る。失意のどん底から再び作り上げた怪物。突如ヒトハミが大量死するという不可思議な現象に見舞われてキメラ初号を失ったことを、マッドパピーは涙ながらに思い出す。


「彼らの闘いを、もっとカメラに見せておくれ!」


 映像の中で展開される熱い闘いに、マッドパピーは歓声を上げる。


 嘆願術師が杖をかかげる度に、源素を可視化した映像は杖を中心とした大きな渦を映し出す。周辺環境における源素の輝きは徐々に薄くなり、渦は規模を縮小してゆく。


「あれ?」


 キメラ二号が突如として消し炭となっていた。明らかに嘆願術による現象だったが、嘆願術が発動する前触れはなかった。


「うわあああ、せっかく作ったのに、せっかく作ったのに!」


 マッドパピーは画面に顔を寄せて、恨み言を吐き散らした。


 一体何だろう、このパーティーは。彼らは不思議なことばかりを起こす。これはもう、映像を分析するだけではなく、直接本人たちにインタビューをしなければなるまい!


 マッドパピーはパネルを操作して、コントロールルームに至る道を自ら開いた。



               *



 九層から七層までの悪辣あくらつな迷路を突破するまでに、ヒトハミの勢いは衰えていた。要塞内部に無限のヒトハミが存在するはずもなし、残存数はかなり減っていると見ていいだろう。


 小休止を挟んで上った第六層はただひたすらに広い円形空間だった。異形の巨体が、その層の中心に座り込んでいた。


「なんですか、あれ。」


 エルバの呟きは、皆の共有する感想だっただろう。これまで見てきたヒトハミは、およそ既存の生物として違和感のない外観をしていた。


 だがそこにいるモノは違う。


 数えるのも面倒なほど多くの頭を持っていて、しかもそれぞれが全く異なる形をしている。時には頭から頭が生えている。あるいは口の中からおぞましい爪が突き出しており、あるいは目があるべき場所から手足が生え、さもなくば鼻から視神経に繋がった眼球がぶら下がっているものもある。好き勝手な場所から無数に生える足や尾はまるで不揃ふぞろいだ。


「援護を。」


 ティエラは一言残してその不気味なヒトハミに向かって駆ける。その後方にゴートが構え、さらに後方にフューレンプレアがエルバを庇うようにして立つ。いつもの隊列だ。


 エルバはできるだけ邪魔にならないように、自分の身の安全を確保する。歯がゆいことだが、自分が全くの役立たずであることは理解していた。


 巨大ヒトハミは無数の目をティエラに向ける。首の長い頭が彼女に向けて伸びた。無数にある足がそれぞれ勝手にティエラを追おうとしてもつれ合い、巨体が倒れ込む。


「見掛け倒しかよ。」


 全ての目がティエラを追っていることを見て取ったゴートが怪物に忍び寄り、頭を一つ切り取った。


 直後、怪物の全身が小刻みに震えた。怪物は一度縮み上がり、口と言う口から咆哮を発して一気に膨れ上がった。複数の尾が棘のごとく立ち上がり、あわやゴートを串刺しにしかけた。


 ゴートは紙一重で串刺しを免れた。フューレンプレアが準備していた嘆願術でヒトハミの尾の根元に小規模な爆発を起こしたためである。


「な、何だこいつ? まさか、怒ってんのか?」


 片手でフューレンプレアに謝意を示しつつ、半信半疑にゴートは呟く。


「斬り付けられたのだから怒るのも無理ないと思いますが。」


 エルバは冷ややかに言った。


「バカ言うな。ヒトハミだぞ?」


 ゴートは叫んだ。ヒトハミはあらゆる刺激に対して、およそ動物らしい反応を返すことがない。感覚さえ有るのかどうか怪しい。斬ろうが焼こうが、命尽きるまで平常通りに行動するのがヒトハミだ。だが、このヒトハミは――。


「……痛みを感じてやがるのか?」


 このヒトハミの異様は外見のみではないらしい。ゴートは額に滲んだ冷や汗が目に落ちる前に手袋の甲で拭った。


 怪物が再び苦悶と怒りの声を発する。ティエラが頭を一つね飛ばしたのである。しなる無数の尾を皮一枚で躱し、鋭い爪を持つ足をいなしてまた一つ、また一つと頭を刈り取ってゆく。熊のような巨大な手が大振りで迫って来た時、ティエラはタイミングを合わせて跳躍した。


「プレア!」


「はい!」


 高らかな音を鳴らしてフューレンプレアがかざした杖の先から、炎の奔流ほんりゅうほとばしる。体を焼かれた怪物は悲鳴を上げて転げまわった。巨体と床との間で炎はついえ、怪物の損傷は軽微に終わる。


 怒りに燃える尾がフューレンプレアへと向けられた。


「く!」


 フューレンプレアが展開した守護嘆願術に怪物の尾が深々と突き刺さる。エルバは咄嗟とっさにフューレンプレアを突き飛ばして尾の軌道から体を逸らした。直後、ガラスの割れるような音と共に守護は砕け散り、尾の束が壁に叩きつけられた。


「ありがとう、エルバ!」


 フューレンプレアはエルバに押し倒された姿勢のままそう言って、杖を振るった。杖の先にいたのはゴートである。対魔武器のように淡い輝きがゴートの全身を覆う。


 ゴートは不敵に笑うと、人間離れした膂力りょりょくもってヒトハミの尾の束を両断した。身体強化の嘆願術である。


 エルバの背後で空気が柔らかく動いた。振り返ると、ティエラが立っている。


「やってられんな。なんだこいつは。」


 ティエラがぼやく。見れば、ティエラが刈り取った頭から別の頭がむくむくと生えて来るではないか。


「どうする?」


 ゴートはちらりと下りの階段に目をやった。退路を考えているのだろう。


「プレア、先ほどの炎が最大火力か?」


「いえ、周りを気にしなければあの三倍は行けます。」


「それ、まだ撃てるかな?」


「ええ。辛うじて。」


 フューレンプレアの答えを受けて、ティエラは槍を握る手に力をめる。


「では、私があれの注意を引くので、準備が出来たら最大火力を撃ち込んでくれ。私は私で何とかしよう。一応、事前に声をかけてくれると嬉しい。」


 言うが早いか、ティエラは再び怪物との戦闘に身を投じる。フューレンプレアもすぐに準備に取り掛かった。


「しかし、何なんだありゃあ。」


 ゴートはティエラを執拗に追う巨体を見てうんざりしたように呟いた。


 エルバは聞き流した。何もできない身ながら集中していたのである。ティエラの指示した手順を何度も何度も頭の中でイメージする。そこにエルバの出番はないというのに。


「ダメ……」


 ぽつりと、フューレンプレアがこぼした。


「え、何が駄目なんです?」


 エルバはぎょっとして問いかけた。


「繋がらないの。こ、こんなことは初めてで……。神が、十分な力を降ろしてくださらない……。あれを燃やし尽くすだけの火力は出せません!」


 青ざめたフューレンプレアの顔を見て、エルバは頭が真っ白になった。


「ティエラさん! 駄目です、戻って下さい! 失敗です!」


 ピクリ、と。無数の耳が一斉に動いた。ティエラに引きつけられていたヒトハミの意識がエルバに向けられる。


「音に反応したッ?」


 暴虐な尾の群れがエルバをし潰さんと迫って来る。エルバを守るように間に立ったのは、あまりにも小さな背中だった。


 高速回転する槍が無数の尾を切り飛ばす。さばき切れなかった一本がティエラの肩に食い込んだ。小さな体は軽々と持ち上がり、エルバの頭をかすめて壁に叩きつけられ、その場にい留められる。


「ティエラさ――」


 純白の壁を伝い落ちる赤い色が、エルバの目に叩きつけられる。白炎はくえんの日以降、何度か目にした色だ。その色はエルバの記憶から強烈な臭いと音の記憶を呼び覚ました。


 ティエラと出会ったあの時、自分はひどく無力だった。多くの人が死ぬのを、ただ見ていた。


 今あの時と同じ立場に甘んじるわけにはいかない。火だ。化け物を焼き尽くす炎が必要なのだ。炎を。炎を!


 三つ目の願い、聞き届けた。どこかで誰かがそう言った。直後、怪物は火炎の渦の中に閉じ込められた。名状しがたい苦悶くもんの声が轟々ごうごうたる炎にかき消される。


 やがて炎が収まると、部屋には巨大な消し炭が一塊残るばかりだった。


「おっと!」


 エルバとフューレンプレアが唖然とする中、落ちて来たティエラをゴートが受け止めた。


「おい、大丈夫か?」


 ゴートの声にエルバとフューレンプレアは我に返ってティエラの姿を覗き込んだ。


「大丈夫なものか。一瞬、意識が飛んだぞ。」


 ティエラは存外にしっかりした声で答えた。三人は安堵の息を吐いた。


「やればできるじゃないか。流石だ。」


 ティエラは緑色の瞳をエルバに向けて言った。


「全くだぜ。すげえ威力だったな。」


 ゴートは賞賛の言葉をフューレンプレアに向けた。フューレンプレアはエルバとゴートとの間で素早く視線を彷徨わせた挙句、汗を噴き出しながら頷いた。嘘の吐けない人なのである。そんな彼女の様子を見て、ゴートの目が怪訝けげんそうにエルバに向けられる。


「不気味な体験だったな。」


 血を流し続ける肩を押さえて、ティエラは呟いた。


「まあな。ヒトハミの進化を見ているようだったぜ。」


 ゴートはエルバから視線を逸らすと、ティエラの出血を止めにかかった。


「さて、問題はここからだな……。コントロールルームにいる何者かに籠城ろうじょうされたら、我々にはどうしようもない……」


 ティエラがそうぼやいた時だった。次の層へと進む階段を隠していた隔壁かくへきが、音もなく開いた。



               *



 そこから先はヒトハミに遭遇することもなかった。嘘のように静かな白い廊下に疲れた体を引きずって、エルバたちは第二層へと到達した。


 コントロールルームの扉が開くと、そこに待ち構えていた人物は満面の笑みを浮かべ、この上なく友好的にエルバたちを迎え入れた。


「やあやあ、君たち待ちかねたよ! 君たちの闘いが僕の研究をさらなる高みに押し上げてくれたことは間違いない! 君たちは己の功績を誇っていいと思うよ。ところで、色々と聞きたいことがあるのだけど!」


 ゴートは無言でその人物の顔面に拳を叩きつけた。咎める者はいなかった。

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