第19話 湖上都市ヘリオ 1 

 ゴートが緑色の石を投げると、ヒトハミが一斉にその石に群がった。その瞬間を狙いすまして、フューレンプレアが嘆願術たんがんじゅつを放つ。


 息絶えたヒトハミたちが消えゆく光を、エルバは袋に集めて守印しゅいんで封じる。


「すごい! ねえ、その石って純粋な源素げんその塊だよね? ヒトハミを集めるわけだよ! どうして固化するのかな? 不思議! 守印はどの等級を使っているの? ねえ、ねえ、ねえ?」


 いつも通りの作業の間、キャンキャンうるさい声が響く。


 道中、マッドパピーは実に楽しそうによく喋った。


 エルバには右目を調べさせろと迫り、ゴートからはヒトハミの生態を聞き出そうとし、フューレンプレアには嘆願術の発動を乞い願い、ティエラには源素の講釈こうしゃくを求めた。


 マッドパピーに対する反発がそうさせるのか、あるいは共に危難を乗り越えた結果か、マッドパピーを除いた四人の結束は強まっていた。


「いやあ、それにしてもヒトハミって単純だね! 源素まっしぐらだもん。行動が単純なのは見ての通り。物を考えることはないし、刺激に対して反応することもまずない。体の構造も単純なんだよ。死ぬと消えちゃうから完全には解剖できていないけど、今のところ内臓らしきものを見つけたことはないんだ。人間を食べているにも関わらず、ね。内臓がないぞう! なんちゃって。」


 誰かと話すことが楽しくてたまらない様子のマッドパピーを見ると、話をしたくないと誰もが思う。だから別の誰かと会話を始める。


 嫌われ者は周囲の交流を円滑化するのにこれ以上ない触媒しょくばいだ。


 長い長い上り坂を超え、丘の上へと至る。


「ヘリオが見えました!」


 フューレンプレアが明るい声を上げた。


 巨大な窪地くぼちの中心に、大きな湖がある。その湖の中に、湖上都市こじょうとしヘリオがあった。


 風車を備える白い塔が湖の底から無数に立ち上り、それを大小様々な純白の橋で繋ぎ合わせている。


 橋の上に、あるいは塔の側面に張り付いた足場の上に建築された家々の屋根が、白い街にいろどりを添えている。


「まだあんなところまで歩かなきゃいけないんですね……。」


 目で見える範囲というのは意外と遠い。エルバはうんざりと呟いた。


「何を言うのです、エルバ。もうすぐそこですよ。」


 フューレンプレアは前向きである。


「到着するまで油断するな。」


 ティエラはフューレンプレアに釘を刺した。ヘリオは繁栄しているが故にヒトハミを多く集める都市だ。増してエルバたちは共栄帯きょうえいたいの街道とは外れた道程を進んでいる。


 未だ安全とは程遠い状況にあるのだ。


 しかし同時に、安全地帯が目に届く範囲まで来ているのには違いなかった。


 ゴートは眼下に街をのぞんで思案する。アリスネストではその場しのぎにフューレンプレアに同行するようなことを言ったが、実際にはそんなつもりはなかった。物資を補給し体勢を立て直すことができれば、彼らと一緒にいる必要はない。だが驚くべきことに、ゴートは彼らとの別れを惜しんでいる。


 ティエラもまた、己の今後について思案していた。必要な道具を手に入れたなら、また一人で旅に出るべきだ。ヒトハミを寄せる自分が彼らと共に旅をするのは好ましくない。だが、一人で彷徨った百年の後、人と触れ合った旅路はあまりにも温かく、離れがたい。


「ほら、早く行きましょう。」


 都市を視界に入れて気を良くしたフューレンプレアは足取り軽く走り出した。


 別れの足音が聞こえる者と聞こえない者。


 彼らは不揃いな足取りで、ヘリオへの残りの歩数を消費してゆく。



               *



 ヘリオを囲う湖には流れ込む川は幾筋もあるが、流れ出す川はない。


 海抜の低い土地故に周囲の無機塩類が流れ込むこの湖は、濃度の高い塩湖である。


 ヘリオでは風車を回して湖水を汲み上げ、水のみを通す特殊な布を巡らせた塔内の水路を滑らせて塩水を濃縮し、それを日干しにすることで質の良い塩を大量に生産している。


 塩は保存食を作るのに欠かせない。ヘリオがカテドラルと並んで共栄帯の大都市となる所以ゆえんである。


 ヘリオと岸とを繋ぐ二本の橋のたもとには堅牢けんろうな門がそびえている。逆に言えば、それ以外に防壁は存在しない。湖がヒトハミの侵入を阻むため、必要がないのである。


 手入れする部分が少ない分、門は一層堅牢堅固な造りである。門に対する信頼はすこぶるあつい。人々はヒトハミの跳梁ちょうりょうする世界と隣接することに抵抗がないらしく、二重の門を潜ればすぐさま市場が広がっている。


 不毛の荒野を抜けた後に現れる好き勝手に飾られた街並と人々の活気は、旅人の心に安心感をもたらす。強い潮風に乗って流れる香辛料の匂いが、長らく美食と無縁だった胃袋を直撃した。


 空腹を訴えかける胃袋を懸命に無視して、エルバたちは街の奥へと進んだ。


 この場所は人が多く、しかもマッドパピーの故郷である。うっかりすれば逃げられるかもしれない。早々に聖教会に引き渡したかった。


 当のマッドパピーは誰かれ構わずつつき回して露店の料理をねだっていたが、フューレンプレアは強い意思を持って無視を貫いた。


「本当にたくさん風車がありますね。」


 エルバが感嘆したように呟いた。


「……僕が初めて知的好奇心をそそられたのって、風車だったなあ。そう言えば。」


 不意にマッドパピーが昔を懐かしむように口を開いた。


「羽の回転で歯車を回しているんだ。その歯車にたくさんの歯車が連動している。複雑な機構なのに、やっていることは割と単純。水汲みだけ。どうしてそうなってるんだろうって、そう思ってね。」


 知的好奇心の赴くままに調べ回るうち、マッドパピーは風車を一つ壊してしまった。それが原因で勘当されてしまったのだという。仕方なくマッドパピーは街を出て、球状遺構きゅうじょういこうに辿り着いた。


「風車を見ると好奇心がうずくなあ。」


 マッドパピーは危険に笑った。


「その後、親御さんとは?」


 無視を決め込むつもりだったのに、フューレンプレアはつい尋ねた。


「うん? 全然会ってないよ。だって勘当されたもの。」


 マッドパピーの声に悲壮感は欠片もない。そういうものだと思っているようだった。


 存命の親との不仲は、フューレンプレアには理解しがたい。彼女の家族はヒトハミに殺されている。一緒にいたくともいられなかったのだ。自分が手に入れられないものを平然と放り捨てるマッドパピーを見て、良い気分はしなかった。


 大橋を渡ると、ヘリオの中心、最も巨大な塔である。フューレンプレアは塔には入らず、塔の外周を上に向けて伸びる階段へと足を向けた。


 階段を上ると閑静な住宅街をようする広場が現れる。フューレンプレアはこれも無視してさらに階段を上がった。


 細く小さな階段は密やかに、塔の側面に食い込んで建つ教会の裏口へと続いている。


「本当は、塔の内側にある表門から入るものなのですよ。」


 フューレンプレアはそう言い置いてから、裏門を守る祓魔師ふつましにカテドラルの聖杖せいじょうを示した。祓魔師はハッとしたように一礼すると、フューレンプレア達を招き入れた。


 教会奥の小部屋に通された一行は、輝く線で床に描かれた精密な紋章を目にした。それを見るなり、ティエラは身を翻した。


「私は外で待とう。」


「おやおや。」


 ティエラは足を止めた。紋章の中心に、陽炎かげろうのように揺らめく人影があった。聖教会の頂点に座す人物。法王である。


随分ずいぶんと珍しいかたに出会ったものだね、フューレンプレア。」


 まるで実際にそこに立っているかのように、法王の幻影はティエラからフューレンプレアに視線を移した。


「フューレンプレア、ただいまヘリオに到着いたしました。」


 フューレンプレアは儀礼に則って挨拶をすると、首を傾げる。


「法王さまはティエラのことをご存知なのですか?」


「古い知り合いさ。」


 法王はほのかに笑ってそう答えた。ティエラは剣呑けんのんな目を法王に向ける。


「さて、途中の街を通過したという報告がないので気をんでいたが、彼女と出会ったのならさもありなんと言うところか。フューレンプレア、報告を聞かせておくれ。」


「はい。」


 フューレンプレアはカテドラルを出てからのことを法王に語って聞かせる。


 プエルートを出たところでヒトハミの群れに遭遇し、ティエラに助けられたこと。


 彼女と共にヘリオまで辿り着くために道を外れ、盗賊の砦を目指した判断。


 首尾よく砦で補給をしたこと。


 そこからヘリオに向かう途中で土中都市アリスネストを発見したこと。そこの人々の暮らしぶり。


 捕らえられた牢屋でゴートと出会ったという段で、フューレンプレアは一度語りを止めた。ゴートについてどう報告すべきか、決めかねたのである。


 人々が共に手を取り合い助け合うべき時代にあって、悪意と暴力によって私欲を満たす盗賊たち。聖教会は彼らを決して許さず、捕えれば厳罰を以て報いてきた。そしてゴートは盗賊の一味だ。


 いくら共に苦難を乗り越えたからと言って、ゴートを例外に据えるわけにはいかない。彼がたくさんの罪を犯した事実は変えられないのだから。しかしこの場でゴートの罪を告発するのもはばかられた。それではまるでだまし討ちではないか。


「それで……彼の協力でアリスネストを脱出しました。」


 フューレンプレアは結局、ゴートの罪を隠してしまった。罪悪感が胸の中で膨らんでゆく。


「その際、我々はミハシラと呼ばれるものを破壊してしまったのですが……」


 どうやらミハシラはアリスネストの住人に食料を供給するライフラインであったらしい。それを失ったことで、彼らの食糧事情は間違いなく致命的な域にまで悪化するだろう。フューレンプレアは苦い気持ちで語った。


「確かに生贄いけにえを捧げていた彼らの罪は重い。ですが、それは過酷な生活環境と知識の不足によるものです。どうか、彼らをお救い下さい。」


「うん、わかった。」


 フューレンプレアの懇願に、法王はあっさりと頷いた。


「それで、そちらの人は?」


 法王が示したのはマッドパピーである。


「アリスネストとヘリオの間で発見した球状遺構に住んでいた者です。」


 フューレンプレアは少し考えてから、できる限り簡潔に話をした。


 知的好奇心に任せて好き勝手な研究をしていたこと。それには少なからぬ犠牲者が伴っていること。


 許し難い所業だが、その果てにマッドパピーが得た知識は有用である。どうか聖教会でそれを有効活用できるように手配して欲しい。


「君は私が思っていた以上に多くを体験し、知ったようだ。カテドラルで過ごしていた頃と比べると別人のようだよ。」


 法王はフューレンプレアに優しい声をかけた後、思案げに目を閉じた。


「よろしい。土中都市アリスネストの住人の保護と、ヘリオのマッドパピーが拠点とした球状遺構の確保はこちらで請け負おう。それから、マッドパピー君。」


 床に這いつくばって輝く紋章をなぞっていたマッドパピーは、間の抜けた声を上げて法王に目をやった。


「君はフューレンプレア達と共ににえの都に行ってくれたまえ。彼女とエルバ君をカテドラルに送り届けた時点をもって、君の罪を不問とする。しかる後に君の知識と蓄えたデータを存分に使って我々を助けていただくとしよう。」


 宣告を受けた本人以外がこぞって不満を表明した。法王はどこ吹く風でゴートに目を向けた。


「ゴート君と言ったかな? 君にも同様にお願いしたい。彼女らをカテドラルに帰還させたあかつきには、どこへなりと行ってもらって構わない。」


 法王はフューレンプレアの嘘をすっかり見抜いていた。フューレンプレアは青ざめる。


「褒美はいただけないんですかい?」


 ゴートは挑発的な態度で尋ねた。


「欲を出すと損をするよ。」


 法王は優しげな表情に不似合いな冷たい声で答えた。


「さて、フューレンプレア。君たちが共栄帯の外側に向かうための装備は既にヘリオに到着し保管されているが、想定外に人数が増えている。ヘリオの備蓄を以てすれば対応は可能だが、少し時間がかかるはずだ。準備が整うまでヘリオで羽を休めなさい。」


 フューレンプレアに優しく言ってから、法王はエルバ、ゴート、マッドパピーに毒を含んだ視線を向ける。


「エルバ君、同行の者たちも、のんびりしなさい。何か不自由があれば、必ず近くに聖教会の者がいるはずだから、遠慮なく声をかけると良い。」


 監視しているので逃げても無駄だ、と言う裏の意図をエルバとゴートは正確に把握した。マッドパピーは行き届いたサービスに感動した。


「さて、これで話はお終いだ、フューレンプレア。次は見事使命を果たした君と話すことになるだろう。」


「はい、必ず!」


 フューレンプレアは決意を込めて頷いた。


「それでは、失礼いたします。」


 フューレンプレアは丁寧に頭を下げてから踵を返す。真先に部屋を出ようとしたティエラを、法王は慇懃いんぎんに呼び止めた。


「ティエラ、あなたとは少し二人きりで話したい。残っていただけませんか?」


「お前と話すことなど私にはない。」


 ティエラは憎しみさえ感じさせる強い口調で答える。


「子供っぽい嘘を。本当は私に問い質したいことが山のようにおありだろうに。」


 からかうような口調で法王が言った。ティエラの緑色の瞳が爛々らんらんと輝く。火花を散らす二人の間に挟まれて、フューレンプレアは目を回していた。


「……解った。話をしよう。」


 ティエラが答えると、張り詰めた空気が若干和らいだ。法王は笑みを深くした。


 フューレンプレアは少し迷ってから、ティエラの手を握った。


「ティエラ、そのままいなくなったりしないでくださいね。絶対にもう一度会いに来てください。約束ですよ。」


 ティエラは困ったように視線を泳がせてから、小さく頷いた。フューレンプレアは約束ですよと念を押すと、法王にもう一度頭を下げてから部屋を出た。


 皆が出ていくと、ティエラは敵意に燃える目で法王をにらみつけた。


「さて、こうしてお話しするのは何年ぶりになるでしょうね?」


 彼女の敵意などどこ吹く風と言わんばかりに、法王は涼しい声で問いを投げた。


「何が起こっている?」


 ティエラは法王の問いを無視して一息に斬り込んだ。


「あなたの目には全て見えているのでは?」


 馬鹿にするような口調で法王は言った。


 ティエラは怪しく輝く緑の目を片方の手で押さえた。


 ティエラに見える世界は普通の人の見ているものとは異なる。彼女の目に見えるのは万物に宿る根源ノ力、ただそれだけ。


 だがそれは全てが見えているということでもあった。物の形や大きさ、色までも、ティエラの目は読み解くことができる。他者の見えているものと己の見えているものを一致させるのに若干のすり合わせが必要なこともあるが、長く生きるうちにその不便もめっぽう減った。


 ティエラの目には他者の気付かぬ異常がハッキリと見える。その異常が始まったのはヒトハミの大量死が起こる数日前のこと。


 百年来枯れかけていた根源ノ力こんげんのちからの流れが、突如、濁流となって押し寄せて来た。渦を巻いて荒れ狂い、そして収まった時には全体のかさが増えていた。


 その状態は、今もなお続いている。


「お前の仕業か?」


「さあ、どうでしょう?」


 法王は答えをはぐらかした。ティエラは軽く舌打ちする。こんな時、この目はひたすら不便だった。表情というものがティエラには見えない。


 生身の他者とのコミュニケーションであれば不自由はない。根源ノ力の流れは何よりも雄弁に相手の感情を物語る。いかに表面を取り繕おうとも、ティエラには全て見えている。


 だが、今ティエラが前にしているのは法王の虚像でしかない。立体映像は普通の人の目に見やすいように調整されているが、ティエラの目にはその機構を実現する流れが見えるだけで、像は見えない。もしも法王がティエラを侮辱するジェスチャーをしていたとしても、視覚で察知することはできないのである。


 最悪なのは、法王がそれを知っていることだ。


「あなたが探している人の仕業だ、と言ったら信じますか?」


 ティエラは己の反応を精一杯抑制した。だが、法王を誤魔化せたとは思えない。


「馬鹿を言え。あいつは……」


「彼が何をして、今どうなっているのか、全部教えて差し上げますよ。その代わり、僕のお願いを一つ聞いていただきたい。」


 法王は笑みを含んだ声で言う。


「フューレンプレアとエルバ君を贄の都まで連れて行っていただきたいのです。」

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