第15話 ヘリオのマッドパピー 1 

 部屋の壁いっぱいに広がるモニターの画面は、無数に分かれて別々の場面を再生している。


 登場人物は違えど内容は同じ。ヒトハミが人を食う場面である。


 眼鏡を通してその画面上にくるくる視線を彷徨さまよわせていた眼球は、やがて疲れたように閉ざされた。


 煮詰まっている。もう少しで真理に手が届くのに、あと一歩だけ足りない。その一歩のために必要なものが、どうしても見えてこない。ああ、苦しい。何かきっかけが欲しい。刺激が欲しい。


 警報音が意識に引っかかった。何者かの訪れを告げる音だった。おやおや、珍しいこともあるものだ。


 画面を切り替えて、来訪者の姿を確認する。四人だ。これはいい。被験者をさらってくる手間が省けた。一人は女性、二人は男性。もう一人は少年にも少女にも見える。性別の確認は重要だ。マテリアル・アンド・メソッドは結果と考察に大きな影響を及ぼす。


 マッドパピーは眼鏡をくいと押し上げて、制御盤せいぎょばんの操作を始めた。まずは彼らのデータを集めなければ。


 新しい研究が、今始まった。



               *



 川をさかのぼって歩いていると、エルバの耳は過去の足音を敏感に察知する。


 あの日も川を遡っていた。せせらぎと共に幼馴染の声を聴き、まぶしい緑に閉ざされた山を越えて禁域へと足を踏み入れた…。


 過去から伸びる腕は幾度となくエルバの後ろ髪をかすめたが、悪夢のような現実はエルバを夢想の中に留めておかなかった。ヒトハミの四肢が奏でる軽やかな律動が響くたび、エルバは現実へと引き戻された。


「二十三体だ。獣が六頭。」


 ティエラは短く言って槍を構え、ヒトハミと獣の群れに向けて駆ける。ゴートはアリスネストでどさくさ紛れにエルバから奪った白枝しらえの剣を手にティエラと肩を並べる。二人から散歩離れてフューレンプレアが嘆願術たんがんじゅつを発動待機状態にして万一の事態に備え、その二歩後方、邪魔にならず、いざという時にはすぐに助けてもらえる位置にエルバがぽつんと立つ。


 これが一行の隊列の基本となっていた。


 この隊列でエルバが果たす役割は、純然たる足手纏あしでまといである。


 戦闘が終了すると、周囲はヒトハミの屍から立ち上る緑光りょっこうに満たされた。エルバはゴートに教えられた通り、獣の皮で作った袋を取り出して、その光を集めにかかる。


 光を集めた袋の口を閉じ、守印しゅいんで封じると、半時ほどで光は寄せ集まって小さな緑の石になる。これがヒトハミを強烈に引き寄せるのだ。守印で封じた皮袋から出すや否や、石はヒトハミの攻撃対象になる。


「色々な使い方ができるんだぜ。」


 光の採集をエルバに任せて獣の肉を処理するかたわら、ゴートはそう言ってニヤリと笑った。頬に散った血が生々しく臭い立つ。


「例えば山賊の砦を襲わせるとか?」


 エルバは嫌味に問いかけた。


「そういうこと。」


 ゴートは軽い調子でそう答え、血濡れの手を川に浸して洗った。



 一行の歩みと共にあった川はいつしか細くすぼまり、何処かへと消える。


 前評判通りの険しい道を上り切ってしばらく進むと、道はやがて下りに転じた。


「せっかくここまで登って来たのに……」


 不平を言いつつ、エルバは山を下る。


 下りは上りよりも強く恐怖を感じた。急激な下り坂で一歩を踏み出すと、その都度体重移動に任せて転がり落ちそうになる。


「大丈夫ですよ、エルバ。しっかりね。」


 フューレンプレアに励まされて、エルバは酷く情けない気分になりながら、一歩一歩ゆっくりと山を下りた。


 やがて斜面がなだらかになり、何も意識せず足を前に出しても命の危険を感じずに済むようになったころ、エルバたちは再び川と合流した。


 この川はエルバたちが辿って来た川と水源を同じくするもので、ヘリオの街を囲う大きな湖に流れ込んでいるのだという。


「さてさて。ヘリオまであと数日ってところだな。」


 ゴートが気怠そうに溜息をついた。


「いい加減、炭化たんか獣肉にも飽きたしなあ。早く着いて、魚でも食いたいもんだ。」


 アリスネストを脱出して数日、エルバたちは獣を狩って糊口ここうしのいでいたのだが、これには大いに問題があった。


 肉が手に入っても、燃料がない。調達するのも難しい。何しろ植物がないのだ。可燃物はおいそれと手に入らない。


 仕方なくフューレンプレアの嘆願術で調理していたが、これが思いのほか難しい。ここ数日、彼らは炭しか口に入れていなかった。


「も、申し訳ありません……」


 フューレンプレアは項垂うなだれた。


「いや、設備が揃っていないのが悪い。君の料理の腕が一級に属することはセミの揚げ物で証明済みだ。嘆願術の火加減がつたないから何だというのか。」


 淡々と紡がれたティエラの言葉にフューレンプレアは頬を染め、視線を忙しく走り回らせた。


「あれ?」


 ふと、フューレンプレアは視線を止めて目をすがめた。エルバは怪訝けげんに思って彼女の視線を目で追った。


 なだらかな下り坂を描く山の斜面の中途に、奇妙なものを見つけた。


 恐ろしく巨大な球体である。


 正体不明な純白の物質でできていて、継ぎ目の一つも見当たらない。本当に全くの球体であって、同じ物質でできた巨大な白い輪にはまりこんでいなければどこぞに転がって行ってしまうこと間違いなかった。


「なんですか、これ。」


 足場の悪い斜面を苦労して下り、前に立って見ると、エルバはその巨大さと丸さとに改めて驚いた。


 これだけ綺麗な球体が自然にできるとは考え難い。明らかに人工物だ。


球状遺構きゅうじょういこうですね。世界の何ヶ所かで見られる遺構です。分断の時代以前に作られたもののようですが、残念ながら詳しいことは解っていません。」


 フューレンプレアは切なげに溜息を吐いた。


「分断の時代に多くの資料が焼き払われてしまっているのです。分断の時代は世界の横の繋がりだけでなく縦の繋がり……歴史すらも分断したのです。」


 フューレンプレアは沈鬱ちんうつな表情で球状遺構を見上げる。


「何か補給できませんかね。」


 高度な文明の気配を前に、エルバの心は浮き立った。アリスネストでほとんどの荷物を失った危機的状況から抜け出せるかもしれない。


「いや。こういう白系の遺構にはほとんど何にもねえよ。たまに武器が転がっているが、重すぎて使えねえ。」


 球状遺構を構成する物体と同様の、純白の建材でできている遺構はしばしば見られるが、そこから発見されるのは利用方法の解らないものばかりなのだという。資源として加工しようにも、傷一つ付けられないことがほとんどで、白系遺構はハズレという認識が一般的だ、とゴートは語った。


「いや、そんなこともない。」


 ティエラが口を開いた。


「もしかしたら、食糧が補給できるかもしれないぞ。」


「食料っ?」


 ティエラの言葉に、エルバは思わず叫び声を上げた。


「でも、これは少なくとも二百年以上前の遺構ですよ。食料など残っているのでしょうか?」


「食料生産装置が生きていればね。」


「食料生産装置?」


 エルバはティエラの言葉をそのまま繰り返した。食料生産装置という言葉は、何かざらりとあらい違和感をエルバに与えた。


「ああ。これは古代の兵器、移動要塞いどうようさいだ。兵士の生活拠点として水や食料の生産をも担っていたのさ。」


 ティエラの声には昔を懐かしむような響きが含まれていた。彼女が歳を取ることなく数百年を生きているというのが事実だとしたら、この遺構が稼働かどうしている時代を知っていてもおかしくはない。


 彼女の協力があれば、利用できない遺構の利用方法も解るのかもしれない。食料生産施設なんて、夢のような話ではないか。世界の食糧危機を一気に解決できる。


 同じ存在である法王は、この遺構に言及しなかったのか?


 ふとそのことに引っかかって、エルバは眉をひそめた。


 カテドラルの上に立って人々を導き、人類共栄帯を作り出したという彼が、この遺構の使い方を知っていて利用しないということがあるだろうか? あるとしたら、それはどんな……?


 残り少ないエネルギーを取り立てる脳に対して、胃袋が反乱のきざしを示した。エルバは盛大にときの声を上げた腹をそっと抑えて顔を赤らめる。


「行きましょう!」


 誤魔化すように、エルバは大きな声で叫んだ。


 有能な仲間たちに囲まれたことによる警戒心の弛緩と空腹による焦燥に駆られたエルバは、ふとした疑問を軽快に放り投げて、食の誘惑に準ずることにしたのである。



               *



 球体を囲う巨大な輪の部分に、球状遺構への入り口があった。外観と同じ白い素材で作られた内部は薄く埃が積もっている。だが、そこに数百年の時の流れを感じ取ることはできなかった。


「守印、外しておけよ。勿体ないからな。」


「でも、もしもヒトハミが中に入ってきたら……」


「連中、壁をけるとかの知恵はねえのよ。まっすぐ目標物に向かうだけでな。だから意外と建物に侵入するのに時間がかかるんだ。……そのうち入って来るが、球状遺構は造りが複雑だから、まず奥までは入って来ねえさ。」


 ゴートに言われて、エルバはもたもたとチョーカーから守印の核を外しにかかる。見かねたフューレンプレアが代わりに核を外すと、エルバに手渡した。軽く触れた指先は思いのほか温かい。


 エルバはフューレンプレアに礼を言って核を袋にしまい込んだ。


 気分が浮つくのは守印の効力を切ったせいだろう。エルバはすっかり過酷な旅に順応してしまっている。


「誰かが入った形跡があるな。」


 ティエラの言葉に、エルバは周りを観察する。入り口から差し込む光が届く範囲はわずかで、遺構の大半は見通せない闇の中にある。そこに踏み込むのは躊躇ためらわれた。松明たいまつがないのだ。


 突然、白々しい光が闇を照らし出した。見慣れた、そして白炎はくえんの日以降目にしていなかった、白灯はくとうによる文明的な光だった。


「遺構ではよく見られる光源なのですよ。」


 エルバの戸惑いをどう感じたのか、フューレンプレアが丁寧に説明してくれた。


「ああ。熱くもねえのにやたらと明るい。不思議なもんだ。しかも、ここから外すと何故か光らなくなるから売れもしねえ。」


 ゴートが白灯をつついて補足した。


「先ほどの解説といい、よくご存じですね。」


 フューレンプレアが柔らかく笑った。


「経験則だよ、経験則。」


「ところで、入った遺構の場所と持ち出したものは全て聖教会せいきょうかいに届け出たのでしょうね? でなければ盗掘という扱いになりますが。」


「聖教会の規則なんて知るもんかい。」


 言い争いを始める二人をよそに、エルバは白灯に手を触れてみた。


 エルバの住んでいた街の夜を照らしていた白灯と、大きな違いはないように思われる。


 古代の遺構に備わっている光源で、フューレンプレア達には仕組みが解っていない。その事実に、エルバは一瞬目の前が暗くなった。


 もしや自分ははるか未来へタイムスリップしたのではないか。相対論的には未来に行くことは可能でも過去に飛ぶことは不可能であると、どこかで聞いたことがある。そう考えると、イヤな汗がどっと噴き出してきた。


 仮説を裏切るものを探して、エルバは周囲を見回した。


 白灯が照らし出した空間は恐ろしく広い円形の空間だった。


 中央には床と天井を貫いて伸びる巨大な柱があった。緻密な模様を構成する溝の中で、緑色の光が怪しく脈打っている。血管のように無数に走る緑の光の筋の収束点には、収縮する光を抱く宝玉が輝いていた。


 エルバはそれに見覚えがあった。


「これ、ミハシラ?」


 フューレンプレアが呟いた。


「言われてみりゃあ、そうだな。球状遺構には絶対にある構造だが。」


「まあ、同じ用途に使うものだ。」


 ティエラは迷いない歩調でミハシラのようなものに近付くと、入念に観察を始めた。


「アリスネストの連中がアムブと呼んでいた不味そうなブロックがあっただろう。あれの生成装置だよ。エネルギーがある限り永遠にアムブを生み出すことのできる食料生産装置だ。」


 ティエラの説明を聞くほどに、フューレンプレアは顔色をなくしていく。恐らく、エルバと同じことに気が付いたのだろう。


「貯蔵エネルギーは十分にありそうだ。私たちがヘリオに行くまでの食糧を得ることができると思う。ただ、ここからでは操作ができないからコントロールルームに行かなくてはならない。……どうかしたか?」


 フューレンプレアが今にも倒れそうなほど青ざめているのに気が付いたのか、ティエラは首を傾げて彼女に発言を促した。


「私たち、ミハシラを破壊してしまいました……」


 懺悔ざんげするようにフューレンプレアは言った。


「うん。それが?」


 ティエラは平然と頷いた。


「あの都市の主要な栄養源は、アムブだったのではありませんか? その生産装置を、私たちは壊してしまった……」


「そうだね。」


 ティエラは頷いた。顔色一つ変えずに。彼女は知っていたのである。あの都市におけるミハシラの役割を。知っていて破壊したのだ。アリスネストの住人の命綱を、躊躇いもなく切り落としたのだ。


「だ、だって、それじゃあ、あの人たちは!」


「当然、餓えるだろう。」


 突き放すようにティエラは言った。


「他人事みたいに! 私たちのしでかしたことですよ!」


 詰め寄るフューレンプレアを、ティエラは冷たく見上げた。


「もしかして気付いていないのかもしれないが、ミハシラがエネルギー源としていたのは生贄いけにえだぞ。君も危うく向こう一年分の食糧に供されそうになっていたのだ。」


 フューレンプレアはひるんだように言葉を切った。エルバはティエラの言葉を反芻はんすうする。生贄がエネルギー源? それは一体、どういうことだ?


 追求しようとしたエルバの機先を制する形でフューレンプレアが再度口を開いた。


「だからと言って放っておくわけには……。今すぐ戻って、彼らの避難誘導を!」


「八つ裂きにされるぞ。それに、もしも説得して連れ出すことができたとして、彼らを受け入れてくれる街があると思うのか?」


 フューレンプレアは言葉に詰まった。旅人一人を受け入れられない街も多いと、法王は言っていた。街一つ分の難民など、どこが受け入れられるだろう。


「私たちは降りかかる火の粉を払った。それ以上のことはできない。思い上がるな。」


 追い打ちをかけるようにティエラは言った。


「そもそも、彼らの生活がこれ以上長続きしたとも思えんよ。砂の蜥蜴とかげは彼らに随分といびつな生き方を与えたものだ。」


 ティエラは鼻でわらう。


「ミハシラを壊しさえしなければ……」


 フューレンプレアは弱々しい声で呟いた。


「生贄を捧げるのは罪だから戦わねばならない、と君は言ったな?」


「それはそうですけど……でも、そうしないと生きられないなんて……」


 フューレンプレアの声が震えた。見ていられなくなって、エルバは二人の間に割り入った。


「それよりも、僕らの食糧問題です。コントロールルームに行かなければ食料が手に入らないんですよね? どこにあるんですか、コントロールルームは?」


 エルバの背後でうつむいて肩を震わせているフューレンプレアを一瞥いちべつして、ティエラは肩をすくめた。


「第二層。球状遺構は全十三層で、外部と繋がるここは第十二層だ。」


 そう言ってティエラは空間の隅にある階段を槍で示した。


 先の長そうな上り階段へ足をかけ、エルバはそっと後ろを振り返った。フューレンプレアは足元に視線を落として、静かに肩を震わせていた。

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