第14話 土中都市アリスネスト 3 

 迷宮のごとく広がる洞窟を闇雲に動き回るのは、いかにも無謀だった。


 地下の暗闇の中に点々とともる光を頼りに歩く。前にも後にも多数の枝分かれが伸びていて、既に牢まで戻ることもままならない。


 通路を歩いていると、低い天井から時折セミの幼虫が落ちて来た。地面を掘り進むうちに突然通路に出くわすものだから、そのまま落っこちてしまうらしい。こうした幼虫を拾い集めて食用にしているのだろう。


 天井に空いたたくさんの小さな穴を見て、エルバは不安になった。このトンネルは崩れないのだろうか。ただでさえ土に穴を掘っただけのものだ。しかもセミの幼虫が好き勝手掘り回っているのだとすれば、地盤が緩んでいるのではないか。


 住人に出くわさないのがせめてもの救いだった。声だけはどこからともなく聞こえてくるが、反響に反響を重ねていて出どころも内容も定かではない。こちらの声も同様だろうから、エルバたちは安心して会話をすることができた。


「すっかり迷子になっているような気がするのですが。」


 エルバは抑えた声でティエラに話しかけた。


「出るだけならば簡単だよ。風の流れを辿たどればいいからね。」


 ティエラは足を止めずに答えた。


「問題は荷物だ。臭いを追っているのだけれど、どうにも一纏ひとまとめにはなっていないようだ。全て回収するのは難しいかもしれないな。食料のたぐいすでに住人の胃袋に収まっている可能性すらある。私のコゥジもどうなっていることか……。」


 ティエラの発言をどこまで冗談と捉えてよいものか、エルバには判断しかねた。


「臭いを追っているって、犬かよ。」


 ゴートがからかうように言った。エルバは苛々してゴートをにらんだ。いきなり仲間面なかまづらをして、やたらに馴染んで。その厚顔さが腹立たしい。


「え?臭わないのか? 君の鼻は飾りか?」


 これもまた冗談なのか否か判断が難しかった。ゴートはエルバを振り返って、戸惑ったように肩を竦めて見せた。いかにも親しげな態度を示そうとするゴートに、エルバはまた苛ついた。


「杖だけはなんとしても取り返さなければ……。あれは、カテドラルの至宝です。例え私が死んでも杖だけはカテドラルに返さなければ。」


 自分に言い聞かせるように呟くフューレンプレアにティエラは一瞥いちべつを投げた。


「別に問題なかろう。本当にかけがえのないものなら、君に持たせたりはしないさ。」


「法王さまが私を信頼しておられないと?」


 フューレンプレアはムッとしたように言った。


「アレが誰かを信頼するものか。」


 ティエラは何か含むところのある様子で答えた。


 まるで空気が帯電しているかのようで、不用意に動く度に神経にチクチクとさわる。それぞれが募らせた苛立ちが空気を悪くしているのだ。エルバは危機感を覚えた。今にもパーティーが分裂してしまいそうに思われたのだ。


「止まれ。」


 ティエラが声を低くした。帯電した空気が一気に緊張を強める。ティエラの視線の先、薄灯りの中にわずかに人影が見え隠れしていた。


「そこにいろ。」


 ティエラはそう残して駆け出した。這っているのかと錯覚するほどの低姿勢で、洞穴の中を疾走する。


 相手の視線がティエラに向けられようとしたその時、ゴートが石を投げた。石は人影の足元で跳ねて、奥の闇の中へ転がっていく。視線が反射的にその行方を追った瞬間、ティエラは住人を組み伏せた。


「援護なんぞ要らなかったな。」


 ゴートは口笛を吹いてティエラをたたえる。


「いや、助かったよ。」


 ティエラは気を失った住人を転がして、彼が立っていた横穴の奥を見やった。


「ああ、あった。」


 どうやらそこは倉庫のようだった。無秩序に散らばった土器に交じって、エルバたちから没収した武器が転がされている。エルバは素早く白枝しらえの剣を確保した。ゴートが不満げな声を上げるが、知ったことではない。


「仕方ねえや。じゃあ、オレはこのしょぼい短剣でも持っとくか。」


 ゴートは短剣を手の中で回して調子を確かめると、ベルトの中に挟み込んだ。フューレンプレアは杖をしっかりと抱きしめて、深すぎる安堵の息を吐いた。


守印しゅいんも落ちているな。あと、貨幣。」


 ティエラは地面に散らばっている守印を拾い集める。ただの石から宝石まで、守印の格に応じて材質は様々だ。貨幣も同様に散らばっていた。


「さて、どうしたものか。守印と武器さえあればヘリオまで行くことは可能だろうか?」


「さあな? オレ一人なら余裕だけどよ。」


 ティエラとゴートが話し合うかたわら、フューレンプレアは控えめに視線を動かして、地面に散らばった雑多な物の中に何かを探していた。頬に垂れる金の髪をき上げた指が、いつも造花の髪飾りがある場所を虚しく彷徨さまよった。


「他の荷物を探すのは難しいのでしょうか?」


 エルバはティエラに尋ねた。


「難しいだろうね。さっきも言ったけれど、食糧はもうないと思うよ。私のコゥジも……。」


 ティエラは切なげな溜息を挟んで言葉を続ける。


「道具類は探せば見つかるかもしれないけれど、探すのがとにかく大変だ。多分、住人に分け与えられてしまったのだと思う。居住空間を一つ一つ確認して取り返すのは手間と危険が大きすぎる。」


 ここにない物は諦めるよりないらしい。エルバは落ちていた貨幣の数をきっちり数えて、自分たちの持っていた分を懐に入れ、残りをティエラに渡した。


「おい、オレの分は?」


 ゴートが詰め寄って来たが、エルバは無視を決め込んだ。


「水と食料はなんとか調達できるが、燃石ねんせきがないのは苦しいな。生食は避けたいところだ。」


 ティエラもまたゴートを無視して貨幣の詰まった袋をベルトに挟み込んだ。


嘆願術師たんがんじゅつしがいれば火くらい何とかなるんじゃねえの?」


「……まあ、そうだな。では脱出しよう。構わないな?」


 水を向けられたフューレンプレアは、小さな声ではいと答えた。


「ヘリオまで行ったらここのことを報告しましょう。そうしたら対処してくれますよ。」


 エルバはそっとフューレンプレアに耳打ちをした。フューレンプレアは弱々しく笑って頷いた。仲間を心配させまいとする笑顔のように、エルバには映った。




 異変が生じたのは、それから少し経ってからだった。どこかで生じたざわめきが、土の壁を反響してエルバたちの鼓膜へと届いた。露骨なまでの怒りの感情を乗せた音が広がり、また別のところでざわめきを生ずる。


「バレたな。」


 ティエラは冷静に呟いた。エルバは冷静ではいられなかった。あちらこちらで湧き上がる怒りのざわめきは、進行方向からも聞こえてくるではないか。


「走る。ついて来い!」


 ティエラが彼女としては控えめな速度で駆け出した。エルバたちは必死でそれに追いすがる。やがて前方に、人の群れが現れた。手に手にびた金属棒を持って、こちらに迫って来る。


「ち、皆殺しにして切り抜けるか!」


 ゴートは短剣を抜く。ティエラは黙って槍を構えた。


「だ、駄目です! 一人たりとも、殺してはなりません!」


 フューレンプレアが叫ぶと、ティエラは溜息をいて槍を投げ捨てた。この狭い場所では槍の使い方は限定される。およそ手心を加えるには邪魔でしかなかった。


 床を蹴り、天井を蹴り、壁を蹴り、あるいは住人の体を足場にし、ティエラは見事住人を翻弄ほんろうして意識を刈り取ってゆく。しかし分かれ道から次々と現れる敵を前に、やがて処理が追いつかなくなる。ティエラ自身は良いのだが、エルバとフューレンプレアに迫る危険の排除までは手が回らない。あっという間にエルバとフューレンプレアはティエラから離されてしまった。


 住人の頭を飛び石にしてティエラが遠ざかっていくのが、人の体の隙間から辛うじて見えた。


               *



 狂乱した住人たちに引き立てられて行った先は、異様なまでに広々としたドーム状の空間だった。中央には天井にまで続く柱が建っている。明らかな人工物で、緑色の細かな模様が彫り込まれている。


 柱の根元には祭壇のようなものがある。それは柱にぽっかりと空いた穴へ続く階段のようでもあった。穴の直上には宝玉がめ込まれていた。透明な球の中で、緑の光が不気味に明滅している。


 エルバとフューレンプレアは、周囲を囲む住人たちにつつき回されて、その祭壇に登った。柱の穴は何故だか猛烈にエルバの危機感に訴えかけた。エルバは懸命に周囲を見回すが、助けとなるものは見当たらない。


 ティエラとゴートが助けに来ることを、エルバは期待していなかった。普通に考えればあのまま逃げ出してしまうだろう。


 白枝の剣もカテドラルの聖杖せいじょうも、エルバたちから離れた場所に立つ者が持っていた。そこに辿たどり着くまでに一体何人の住人をい潜らなければならないのだろう。想像するだに絶望的だった。


 ついに祭壇の上にまで追い立てられたとき、周囲は唐突に静かになった。エルバは慎重に振り返って祭壇の下をながめやった。


 空間を埋め尽くす、人、人、人……。アリスネストの住人全てが集まっているのだろうか。皆一様に色素が薄く、不潔でみすぼらしい格好をしている。隅の方にはセミの幼虫を持ってきた子供たちもいた。行儀よく座って、無邪気な目をエルバたちに向けている。


「今年もまた、砂の蜥蜴とかげは我々に使徒をつかわしてくださった。彼らがミハシラより砂の蜥蜴の元に戻り、我らに恵みをもたらさんことを……」


 祭壇の足元に立つ老人が、おごそかと言うにはか細い声で言い放った。


「待ちなさい! 私たちは砂の蜥蜴なんて知りません! 使徒として遣わされたわけでもないし、ミハシラの生贄なんて……」


「使徒をご案内せよ。」


 老人の声に応えて群衆から現れた男は、この都市の中では群を抜いた屈強な肉体をしていた。エルバとフューレンプレアが全力で抗っても、ずるずるとミハシラの穴へと引きずられる。


「やめて! こんなこと、何の意味もない! 嫌、ヤダ!」


 フューレンプレアの必死の訴えに耳を貸す者などいなかった。エルバは震え上がって近付いてくる穴を見つめていた。


 柱の穴はひたすら縦に深く続いている。底の方で、液体とも気体ともつかない緑色の輝きが揺れる。


 自分を穴に押し込もうとする力に全力で抗いながら、エルバは必死で頭を回転させた。


 どうやったら助かる? どうやって逃げる? 問いかけばかりで答えは出ない。必死の抵抗は無駄でしかない。


 徒労に疲れて力を抜こうとした、その時だった。


 静寂が割れた。


 戸惑いと怒りと恐怖が声となって渦を巻き、にわかに空間は恐慌状態に突入した。


 エルバが振り返ったまさにその時、ティエラが助走を終えて足を踏ん張り、走力を上体へと押し流して大きく腕を振り被り、白く輝く槍を投擲とうてきした。槍はほとんど一直線の軌道を描いてエルバたちの真上、柱の穴の上の宝玉に突き刺さった。


 ティエラは投擲で崩れた体制を戻す努力をせず、そのまま前に倒れて体を回転させ、戸惑う住人の間をすり抜けて祭壇までの道のりを走破する。エルバとフューレンプレアを掴んでいた手が緩んだ。


 対処しようとした処刑人は振り返るための微妙な体重移動を見事にティエラに突かれ、祭壇から広間へと投げ落とされた。


 慌ててティエラを包囲しにかかった者たちは、恐慌状態に陥って広間から逃げ出す住人たちのために思うように動けない。その間にティエラに先手を取られていた。


「おぅい、お二人さん!」


 声と共に、杖と短剣が投げられた。足元に転がったそれらを、エルバとフューレンプレアはそれぞれに拾い上げた。白枝の剣を肩にかつぎ、闇雲に走る人々の間を悠々と歩いて、ゴートはティエラと並び立つ。


 この広さなら槍にも十分に制圧力を期待できるのではないか。エルバは穴の上の宝石に突き刺さったままの槍を肩越しに確認した。引き抜くには少々高い場所にある。


 宝石を中心として、柱にひびが広がっていく。やがて柱の表面がぼろぼろと崩れ、柱そのものが揺れ始めた。ドーム状の空間が痙攣けいれんする。固い土の破片が頭上から降り注ぐ。セミの幼虫も紛れていた。


「く、崩れる!」


 危機感の命ずるままにエルバは叫んだ。街の住人は既に全員が広間の外へと逃げ出していた。


「行くぞ!」


 ティエラに言われるまでもなく、エルバは広間の入り口に向けて走り始め、数歩で足を止めた。


「プレアさん、何してるんですか!」


「ティエラの、槍が!」


 宝石に突き立ったままのティエラの槍を、フューレンプレアは回収しようとしていた。カテドラルの聖杖の先端部分を槍の石突に引っ掛けて、必死に引っ張っている。そうこうするうちに、落ちて来る土の塊はどんどん大きくなる。


「プレアさん、駄目だ! こっちに――」


 エルバが踏み出すより早くティエラがフューレンプレアの元まで戻り、彼女を担ぎ上げるようにして槍から引き離した。


「行け!」


 ティエラに言われてエルバは再び走ろうとして、またも足を止めた。巨大な石が広間の入り口に落ちて、逃げ道を塞いでしまった。


「おおう、こりゃあ……」


 ゴートが苦い笑みを浮かべて処置なしと両手を上げる。ティエラはフューレンプレアを地面に下ろして崩れて来る天井を見上げ、深い息を一つ吐いて目を閉じた。


 フューレンプレアは杖をかかげた。涙がにじむ目を決然と天に向け、祈りを捧げる。すると、落ちて来る土がエルバたちを避け始めた。目をらせば、エルバたちをおおうように透明の壁が傘を広げていた。


守護しゅご嘆願術たんがんじゅつか。最後の最後まで、だらだらと長引くものだ。」


 ティエラは薄目を開いて透明の傘を見つめた。彼女の声は諦念ていねんに満ちていた。エルバは恐怖に震えて守護の傘にぶつかる大きな石を見つめた。フューレンプレアの表情に混じり始めた苦悶を見て取ると、恐怖に焦慮しょうりょが乗算された。


 天井が一気に崩れ落ち、瞬間、雨に洗われた青い空が見えた。多すぎる土砂を前にして、守護の壁が不安定に明滅し、小石がぱらぱらとエルバの頬を叩いた。


「ダメ……です……」


 フューレンプレアが膝を折ると同時に守護の光はついえ、土砂がエルバたちに降り注ぐ。


 彼女が用いた透明な傘が必要だ。僕たちを守る、あの傘が。エルバは強くそれを求めた。


 その瞬間、どこだか解らないどこかで白い人がひどく億劫おっくうそうに片手を振るのを、エルバは確かに視認した。崩れたミハシラの奥で緑色の光が渦を巻き突沸する。エルバたちの頭上に強固な守護の光が再展開され、降り注ぐ全てのものを弾き飛ばした。


 二つ目の願いだ。空気を揺らさぬその声が、どこからか確かにエルバの耳に届いた。




 静寂の中に、青い空と土砂の山とが広がっている。真新しい土の匂いがした。自分の体の中で脈打つ心臓の音を、皆息をひそめて聞いていた。


「……君。」


 初めに我に返ったのはティエラだった。じろりとエルバをにらえ、見透かすように目を細める。


「今の嘆願術は一体――」


「ごめんなさい!」


 ティエラの詰問きつもんを、フューレンプレアの泣き声がさえぎった。


「ごめんなさい、私……足を引張ってしまいました。皆さんを危ない目に遭わせてしまいました。それに、私、私……」


 ひどく混乱している様子のフューレンプレアを見て、残りの三人は微妙な空気の中で視線を投げ合った。


「まあ、結果オーライだ。」


「そもそもティエラさんが柱に槍を撃ち込まなければ崩れなかったかもしれませんし。」


 ゴートとエルバがそれぞれにフォローを入れる。


「君ね、助けてもらっておいてその言い草はどうなのだ?」


 ティエラは憮然とエルバを見やった。


「いや、でもまあ、柱を攻撃する必要は、無かったかもしれないな、と。」


「あったろう。悪しき生贄いけにえの儀式とやらを根本から潰してやったのだ。祓魔師ふつましどのの希望に最大限沿ったつもりだが?」


 ティエラは悪役めかしてそう言った。


「アリスネストの人たちは?」


 フューレンプレアはおずおずと広間の入り口があった位置に横たわる巨岩を見やる。


「幸い、崩れたのは広間だけのようだよ。悪運が強いものだ。」


 ティエラの答えに、フューレンプレアは安堵の息を吐いた。


「ティエラ、槍を回収できなくて、ごめんなさい。」


 聖教会の作った量産品ではない対魔たいま武器。とても貴重なものだっただろう。頭を下げるフューレンプレアを見て、ティエラは億劫おっくうそうに溜息を吐いた。


「君は馬鹿だね。」


 フューレンプレアの肩がびくりと跳ねた。ティエラは彼女の前に膝を追って、淡々と声をかける。


「どんな貴重品であろうと、所詮はモノでしかない。それが人の命よりも優先されることなんてあるはずがないだろう。それなのに君と言う奴は、あんなものの回収を命よりも優先して。救いがたい愚か者だ。」


「……ティエラ……」


 フューレンプレアは声を詰まらせた。ティエラは照れたように視線をらして立ち上がる。


「それに、回収できないことはないはずだ。」


 ティエラは土の山の中に手を入れて、柱の破片を引っ張り出した。持ち上げられるはずのない大きさの破片を次々と掘り出しては投げ捨てて、最終的に瓦礫がれきの中から槍を引っ張り出した。エルバたちは唖然としてその様子を見守っていた。


「ほら。」


 ティエラはさわやかな笑顔で振り返った。エルバは顔が引きるのを抑えられなかった。彼女が人間離れしているということには気が付いていたが、それを懸命けんめいに意識の外に追いやって来た。事ここに至って、それも難しくなった。


「ティエラ。」


 フューレンプレアは彼女の名を呼んでから、言葉を探すように視線を彷徨わせた。やがて咳払いをひとつすると、口を開く。


「あなたは、普通の人間ではありませんよね。」


 フューレンプレアはゆっくりと立ち上がると、服に着いた汚れを払ってティエラと向き直った。


「あなたは、ヒルドヴィズルです。」


 ヒルドヴィズルという単語を、エルバは以前にも一度耳にしている。にえの王国を支配した分断の王がそれだったと、フューレンプレアが言っていた。


 多くは人間を凌駕りょうがする膂力りょりょくを持ち、傷にも病にもめっぽう強く、また歳を取らない。そのため不枯ふこの者とも呼ばれていた、ということだったか。


 フューレンプレアの指摘に、ティエラは慌てるでもなく誤魔化ごまかすでもなく、不思議そうに首を傾げた。


「言ってなかったっけ?」


 意図的に言及を避けていたのだろうに、ティエラは悪びれる様子もない。


「ヒルドヴィズルの製造法は贄の王国の崩壊と共に失われています。つまり、あなたは――」


「百歳超えのババア?」


 フューレンプレアの言葉をさえぎって声を上げたゴートは、直後にティエラからの鉄拳を受けた。


「贄の王国はヒルドヴィズルが建国したもの。もしやあなたは、贄の王国と何か関係があるのですか?」


 フューレンプレアの不審を正面から受け止めて、ティエラは一瞬悲し気な表情を浮かべた。


「ああ。私は贄の王国の構成員だった。」


 答えは素気そっけないものだった。フューレンプレアは困ったように視線を泳がせた。


「信用できないというのなら、私はここで別れても構わんが?」


 それは困る、とエルバは反射的にそう思った。どうしてそう思ったのか、咄嗟とっさには理解できなかった。


 未だヘリオまでの道は遠い。ここで彼女が去ると身の危険に直結する。そんな理屈を思い付いたのはそのすぐ後のことだった。フューレンプレアは贄の王国という言葉に異常なまでの拒否反応を示すが、ここはなんとか押さえて欲しいとエルバは切に願った。


「ティエラ、あなたは邪悪な存在ではありません。」


 フューレンプレアはきっぱりと断定する。


「贄の王国と関わっていたのは、あなただけではありません。私は他にもそういう方を知っています。あなたも、何か事情があったのでしょう?」


「違う。」


 ティエラはきっぱりと答えた。


「仮に百年前は贄の王国に忠実だったとしても、今は違うのでしょう? 悔やんでいるのですよね?」


 ティエラは苛立たしげに口を閉ざした。フューレンプレアの中ではすでにストーリーが出来上がってしまっている。ティエラは不本意に贄の王国と関わり、その贖罪しょくざいを果たすために漂泊ひょうはくの身に甘んじているのだと。一度思い込むと、彼女はしつこい。


「なあ、そろそろ移動しようぜ。派手に嘆願術を使ったからな。ヒトハミが集まって来るぜ。」


 ゴートが焦れたように口を開いた。


「え、ヒトハミが集まる? 嘆願術で、ですか?」


「ヒトハミと暮らしてきたオレの経験則、だよ。」


 ゴートは肩を竦めた。


「死にたくないなら、まずは移動するこった。」



               *



「いつか世界が輝きを取り戻すその時まで、お前たちはここで生きなさい。」


 偉大なる王国と王が暴徒どもに討たれ、その臣下たる砂の蜥蜴に導かれて土の下にこもって五百年。


 その間命を繋いでこられたのは、ミハシラの生み出す神秘の食糧、アムブあってのことだった。一年に一人の犠牲が、数百人の民の命を繋ぎ留めて来たのである。


 そのミハシラは破壊され、土砂の向こうに埋もれてしまった。アリスネストの住人たちの嘆きはすさまじかった。これからどう生きて行けばよいのか。誰にも解らなくなってしまった。


 長老たちは柱のない狭い部屋で額を突き合わせ、延々と問いかけ合っている。結論は定まっておらず、道程も覚束ない。問いかけだけが虚しく響く。


 大人たちがただ嘆く中で、子供たちは穴から零れ落ちて地面をうミィミィをじっと見つめていた。


 この哀れな生き物がいつか空を飛ぶのだと使徒は言っていた。空を飛び、ミィミィと大きな声で鳴くのだと。


 この洞穴は外の世界に通じているのだという。近付いてはいけないと、大人たちに固く禁じられていた。しかし子供たちの気持ちは既に外へと向けて止められない歩みを始めていた。


 なめらかな鉄製のドアの隙間から、地上の光が地下へと漏れ入っていた。子供たちは互いに頷き合って、外の世界への扉に手をかけた。

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