私が、「私」を、手に入れた三年間。

 三年続いた高校生活も、ついに終わりということで。



 私が自分のことを「私」と言い始めたのは、高校に入ってからです。それまでは、「うち」と呼んでいた。突っ込み覚悟で言わせてもらうと、いやあ若いねえ若かったねえやっぱり!中学のとき、一人称についてはけっこう思うところあって、それでまあ高校には知り合いひとりもいないわけだし、変えちゃうかあ思い切って「私」デビューしちゃうかあ!とか思って、つかい始めたわけです。って言うか高校に知り合いがひとりもいない、というあの状況を思い返して驚愕の今。まあ群馬から来たんで、天空都市から降りてきたんで。ほんとのほんとに、ひとりだったんだなーあのときは。

 最初はなんとなく気恥ずかしかった「私」という呼びかたも、もう一年生の五月くらいには慣れてきて。私は堂々と、「私」と言うようになりました。「私」っていいなあと思った、なんだかはっきりきっぱりしてる感じがする、自分と世界のあいだに明確な線を引いている感じがする。「私」って言うたび、ちょっとぞくぞくしていたなんていうのは今だからこそ言えること。

 まあしかしそのおかげか、私はずいぶんと強くなりました。あるいは強くなったから、「私」という呼称が馴染んだのか。どちらが先かは、わからないけど。


 「私」を手に入れる前は、世界に呑み込まれてしまう気がしていた。

 でも、今はそんなことない。「私」という防波堤が、確かに存在する。言うならば、私は世界と渡り合えるようになった。これは実際的現実的な話ではない、あくまでも気持ちとしての話。

 アイデンティティの確立、とでも言ったらわかりやすいのだろうか。保健の教科書に載ってたあれね。でも私の戦いは、教科書に載せられるほど爽やかでも健康的でもない。あくまでも、生々しいそれなのだ。世界と渡り合う。それは理屈ではない、実感の話なのだ。

 

 そして不思議と、世界と渡り合えるようになると、今度は余裕が生まれてきた。

 世界を許容する気に、なってきた。

 世界から許容されるのかなと、思い始めた。

 それもこれも、すべて最初は私が「私」を手に入れたからだ。私が「私」になったから。だから、世界は鮮やかになった。


 私が、「私」を、手に入れた三年間。

 あえて言うのならば、私の高校生活はそこに集約される。

 とても大事で、とても大切で、とても素敵な三年間でした。まあね、なんだかんだね、結局のところは、ね。



 ええと、ちょっとは具体的かつ現実的なことも書こうかと思ったんだけど……やっぱきりないしなにより個人的なのでやめときます、でも頭をぺこりと下げるように、これだけは書いておきます。

 私と関わってくださったすべてのかたに。

 ありがとうございました。

 そして、今後ともよろしくお願いします。



 そういうわけで、明日からは大学生だー。楽しみ楽しみ!

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