私の原液。(高校一年時、そのに)

(高校一年生編、そのに。高校一年の冬です。12月から3月まで。)

(ちなみに前回のは、高校一年の秋くらいまで。)

(なぜ中途半端なところで記事を分けたかというと、ここからすこし、雰囲気が変わってくるからです。これまでの文章は完全に自分のために書いていたのですが、ここらへんからちょっと、ほんとうにちょっとだけではありますが、読まれる、ということを意識するようになってきます。ちなみにここで、ブログ自体もお引越ししています。)

(今回から、記事名を載せてゆきます。すこし長めの記事が増えてきます。したがって量もだいぶ増えています。)

(しかし、無題、がけっこうあったりもします。)

(何せブログの名前が『あえての無題。』なので!)

(なるべくそのままのかたちで、載せることにします。)

(句読点が、増えてくる。)

(ついでに敬語も、増えてくる。)

(つまりは今の、私の文章に近くなってきている。)




『無題』


 満月こそ、ものぐるほしけれ。



『無題』


 一般論しか言えないよう。こうして結局はここでひとりごとを呟くんだ。わけのわからない脳内再生。


またわけわかんないこと言ってる。結局変に私らしくなる、どこで何を書いても。



『無題』


……何が言いたかったのやら。


ピアノの音が好きです。ひとによって色が違う。

もし、人間が機械だとしたら、あの音はどこから出てくるのだろう、それとも機械にあの音が出せるのだろうか、だとしたら、機械は人間になりえるのだろうか。あれ。またこんなんになってるよ。

教育しだいで機械だって命を持つんだ。教育の力はすごい。


テスト前です。

どうしても勉強する科目が偏ってしまう。



『帽子の女』


ルノワールに惚れた。



語弊があった。

ルノワールの「帽子の女」に惚れた。


彼女は微笑んでいる気もする、微笑みながら、憂いている。今にも世をはかなみそうな、そんな気が、しないでもない。

勝手な解釈かもしれない、けれど。


その瞳はどこを見ているのでしょうか。


勉強のあいまひとり複製画を眺めると幸せになれる。美術館行きたいよう。



『反省と後悔の違いみたいな』


今年も終わりですね。


私は、この一年を振り返る、とかが基本的に苦手です。

記憶力が悪いのかもしれません(゜.゜)


でも無意識のうちに振り返ってしまうという。


私の好きな小説に、ノートにリストを書く場面があります。今までに失ったもの、犠牲にしたもの、裏切ったものをつらつら書いてゆく。

一年を振り返るって、そんな感じかもしれない。



なんにせよよいお年を。



『理性と本能についての散文』


人間は、本能や痛みによって支配されるべきではない。


人間の中には、理性と本能が同居している。

本能は悪いわけではない。本能が満たされることによって快楽が得られるのは事実。


でも、理性のない人間とはただの動物だ。


理性があるから本能の営みに理由をつける。本能を抑制する。


「人間だって動物だ」という発言をたまにきく。

そのとおり。人間は動物でもある。しかし人間は理性によって人間である。


本能を制御できるひとは人間的だ。本能のままに生きるひとは動物的だ。

人間は生きるために食べるべきで、快楽のために食べるべきではない、とはガンジーだっけ。



せっかく我々には動物でない力があるのに、何故、動物に退化したがるひとがいるのだろう。



「幸福な猿になるんだ」っていう一節、小説で読んだ。

幸福な猿と、不幸な人間と、私たちはどちらであるべきだ。



『抱負』


泣きたくなるほど目眩がするほど、呼吸困難になったって、成し遂げてやるよ。



私の抱負。



『つまりは』


所謂変わり者。



やらなきゃいけないこといっぱい。



『どくしょ』


読書が止まらない。


以前はまったく読まなかった恋愛小説率が高くなってるよ。

女性の作家さんのいっぱい読んでるよ。


積み本がありすぎだから冬休みはありがたい^^



『無題』


やっぱり、人間はせいあくせつかも、


と理由もなく思った。



『無題』


人間は動物かなそうじゃないのかなあうう。

本能があったり理性があったり干渉しあったりさあ


読書量圧倒的に少ない。



『無題』


生物課題終わった^^


一週間勉強しないとだめだな、脳がとろとろのバターのようだ(゜.゜)



『無題』


なにがどうして今ここにいるのだか……

とか思いません?


私の文章はなんかこう私っぽい。メールしてて思った。



『無題』


偽善って、いけないのかな。

そもそも本当の善ってどのくらいあるのかな。


とかね。

今日はカラオケだ。変なこと考えてないでモードチェンジだっ



『無題』


感情の重みになど耐えられない。どこまでも軽く薄い世界の中に真理などを求めても無駄だろう。

真っ直ぐ世界を捉えているつもりの私の視線は虚ろなのかもしれない。



硝子が割れた音が響くんだ。



『無題』


「書く側」として小説をみると、なんだか時々つまらない。

私は批評家じゃないと知っているけど。



『日記じゃないよ、散文だよ』


アイデンティティがその度揺らぐ私は、比較的社会不適合者。目線が違う。世界が違う。言葉の意味さえ知らない人々の中で、感情の意味さえ知らない私は生きる。



暗いのなんて当たり前でしょう?深い憂鬱は特権ではない。

きれいごと、と他人を見下し続けるのだろうか、ああ、でもこうしている私だって。



『無題』


………あ、言葉を武器に世界と対峙できるって、こういうことなんだ。



『無題』


万能な想像力って、すなわち予知能力だ。



『でもきんにくつうにはなる』


私の学校では体育毎時間30ぷんかんそうです。

完全文化系な私\^o^/


しかし意外と楽しい。

すっきりするね、思考とかも。

案外につらくないし。



『無題』


想像力を極めるたび、人は預言者に近づく。


のかもしれない。



『無題』


何を言ってもゆるされる

何を言わなくてもゆるされる



そういうのが、親密な時間なのだと思う



『無題』


くやしいです。なんだかとても幸福に、くやしいです。



『無題』


言いようのない不安がある

自分には何も無いんじゃないかと



しかし泣き言ばかり言っていられない。不安に負けないくらいあがくよ。



『無題』


「自分」というものに、連続性を認めていいのでしょうか。



『無題』


またもや喫茶店で勉強してます。



こういうところに来ると、語りたくなるなあ。



『無題』


「人間」の定義って、なんだろう。



『無題』


つめたい事実に触れると、若干気持ち悪くなる



甘ったるい空想をしているからかな

事実を直視するのが難しい



『無題』


とことんマイペースなブログだとおもう。




アヴェ・マリアがよいです……

きれいで敬謙だ。



『無題』


再び喫茶店。

ぱんがおいしい。


単語ちょう忘れた\^o^/



『電車から景色を見下ろして』


電車に乗ってます。


ここから落ちたら、助からないのになあ。

実感も恐怖もない。私は現代人だ。



『無題』


こういった自己陶酔が、いけないのだろうなあ。



最近調子のってる、自分。



『無題』


ちかてつこみすぎだろ……


憂鬱と満員電車のにおいがいっしょくたになるよ。



『なんだか、今も物狂おしい。』


多分、私は優しくない。


現実をどこまでも直視する私の姿勢は、ある意味冷たいのだろう。

だって他人に夢なんか見られない。集団に幻想なんかいだけない。


その中で出会えた大事な人はやはり大事で、必然で、だからこそ、とても大切。

わかっているよ、これは差別だと。

誰かが誰かを差別する、それこそが愛であり好意だ。

だから美化はできないよ。



ああ、こんだけひねくれてるから親しい人少ないんだなきっと。

私はみんなのこと好きだけどね、なんて、言っても信じてもらえないだろうか。



『無題』


自惚れるつもりはないよ



『無題』


明確な理由なく、他人を嫌う人ってなんなんだろう。



『無題』


私は、比較的、ことだま思想です。


だから、不用意なことは言えない。

生死に関することも、言えない。



『無題』


どんな夢も、人間が考えたもので、人間らしい。



『無題』


はるいちばんだから、ひとえきぶん歩いてもいいかな、とか。



『無題』


言語には限界がある。



『ちなみに私は「あひるの子」が好き。』


なんでさあ画家がえがく女性ってこんなにもうつくしいんだ。

絵に恋をした男の話聞いたことある、ああ、わからなくもないな。



『無題』


京都で座禅くみたいー(゜.゜)



『衛星(゜.゜)』


クラスのお弁当仲間で、互いの友人の位置を空間座標にあらわすというおもしろいことをしました。

じぶんが中心にいるとして、高さ、方向を。


なんか、私は少し方向せいが違うらしい。

あと衛星にたとえられたりとかな!


(゜.゜)



なんかこう……見ている次元が違うのか知らん。まあ確かに私の思考はぶっ飛んでるさ。

しかし楽しかったからすべてよい(゜.゜)



『無題』


50年代から60年代のあたりの洋楽が、すき。底抜けに明るいくせに、なぜか退廃的なものを感じさせる。なぜだ。

或いはそれらがもう過ぎ去った時代のものだからかもしれない。



『無題』


欲しいもののために努力するのは、ちっともみっともなくない。



『無題』


性善説とか、無意識下で信じてるからかなあ…



『無題(長い)』


「家族のような友達」って言葉、好きじゃない。



家族ほのぼの神話を信じてる人には悪いけど、実際は、そうではない。

家族を選ぶことはできない。家族と相性があう人はいいけれど、そういう人が大多数らしいけど、相性があわない人だっている。

でもいずれにせよ、生まれたときからずっと一緒にいればそれなりの情が生まれるのは当然でしょう?そのかたちはどうであれ。

家族とは、言ってしまえば選んだ相手ではない。


それに比べて友達っていうのは選ぶもの。自我がある程度形成されてから出会う相手。

気に入らなければつきあわなくたって生きてゆける。

それでもつきあううのは、やっぱり何かしらひきつけあうものがあるからじゃない?



家族と友達って、そういう意味じゃまったく別物。

友達という存在は、家族という存在とは意味合いが大きく違う。



「家族のような友達」。何故、いっしょくたにできるのかしら?

友達は、家族ではないからこそ尊いのに。



『「あい」』


I。愛。哀。


あい って、曖昧な言葉ばっかり。



『無題』


結局、人はその人の範疇でしか世界を捉えられない。


あーあ。



『ここ最近の学校の図書室の貸し出しカードより』


「人のセックスを笑うな」

「嫉妬の香り」

「堕落論」


(゜.゜)……

これはまた関連性があるようなないような。


図書室は常連。というかうちの学校の図書室、常連さんしかいないです。

学校のなかの、よい場所。



『無題』


自分を救えるのは、自分しかいないだろう。


自分をおとしめるのも、自分しかいないだろう。



難しいのだろうけれどな。



『無題』


テスト前だというのに……この活字中毒をどうにかしてくれ!



テスト勉強に集中できないです。ああうう。



『無題』


文章を書くことは、私のアイデンティティです。



書けないと、書かないと、精神的に生きていかれない。



『無題』


創作活動のほうが、不完全燃焼。


書きたいー…



ところで生物どうしようかなりまずいよ^^取り敢えず免疫グロブリンやらなんかそんなん。あああー…



『無題』


最近くだんないことばっかし書いてることに気がついた。



閑話。



いつから人間は、「自然を守る」ほどに偉くなったのでしょう?

人間だって自然の中にあるのに。


エコの理屈はわかるよ。だって人間が困ってしまうものね。

でも、おこがましい気が、なんだかする。



『無題(ひとりごと)』


今日でテストがおわる………



本につかるぞ!あそぶぞ!



『無題』


「いじめをやめなさい」

「はーい」


………これ、もはや笑い話の域だろ。こうやって解決したいじめがいくつあったか…


本質的には、何も変わらないというのに。

子供は純粋じゃないし馬鹿でもない。


おとなは、どこまでなら手を出していいんだろうな…



『そして私はひとりっこ』


アメリカだかどっかの心理学者が、



「ひとりっこであること自体がもう病気だ」



と言っていたけれど、



「人間であること自体がもう病気」



なんじゃなかろーか。


と、改めて思った。



気がむいたら理由を語ります。



『教科書』


私は今、

教科書を買ってニヤニヤが止まりません。


渡された六冊は全て文系の本。当たり前っちゃ当たり前ですけれど。

現代国語、古典、英語、ライティング、世界史、日本史……

なんだこのめちゃくちゃ楽しそうなもののオンパレードは。



授業までまちきれないので春休みは教科書読みます。

取り敢えず森鴎外。恥ずかしながら読んだことありませんでした。

文語調だから、古文必死でやってよかった。……テストは大して点とれなかったけれど\^o^/



『無題』


いくらだって嘯いてやりたい、と、思う。


やりたいことをやって、無駄なものは身につけない。

そうやって過ごせたらいいなと思う。


或いはそんなのは淋しいと言われるかも知れない。ある場合には、賢い生き方とは則ちずるい生き方のことだから。


しかしいつまでも、メランコリックな子供ではいたくない。

(子供は純粋だなんて言ったの誰だろう。)




……あーあ。

なんだっけ、スペインだかどっかの諺……忘れちゃったよ。



『或いはただの憧憬かもしれないけれど』


書物に美術に音楽に、これでもかってほどに、耽溺して耽溺して耽溺したら、いったい何が見えるのでしょうか。

極致までいきたいものです。



『無題』


春とさくらと部活のことでなんだかとても清々しい。



無性に人に嫌われたくなるときがある。もうそれこそ目茶苦茶に。歪んだ自己防衛かも。

よくないよくないよくない。説教はいらない。いいから私を嫌ってほしい。



なんて、明日には多分けろっとしてます。



『無題』


本当にくるっている人は、

自身がくるっていることに、

気がつかないという。



………。



『無題』


やがて色々な思い出さえ遠くにいって霞むんだと思う。

それなら楽しく華やかな思い出などはいらない。静かに平穏に暮らせればそれで良い。



「荷物が多いのはごめんです」

とうたった歌手もいたらしい。



どこかにいっちゃいたいです。



『なつのそら』


「太陽が眩しかったから」



みたいな理由でたまに私は行動する



『とにかく内向的な生活が楽しい』


他人と関わらないのが快感になってきてます^^



……やばい。(社会生活的に)



『無題』


自己嫌悪さえ器用にできない、

自己愛だって器用にできない、

感情表現なんてもっての他、

何もかも不器用です。



でもまあいいか。ものごとって深く考えすぎると、

ずぶずぶずぶ、

と深みにはまる。

理想はアウフヘーベン←



不器用は不器用なりに落ち着くべきところに落ち着きます。



ライ麦畑でつかまえて、面白いです。




(今じゃ決して思わないであろうことを、思っていたりもする。でもやっぱり、私の原液だこれは。わりと洗練されていなくて、わりと一生懸命の。)

(次は高校二年生の文章を、載せていきたいと思っています。よろしくお願いします。)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る