部活にいるとき。

 一日をまるごとつかっての、文化祭の準備だった。



 ひそやかなざわめきが、校舎じゅうをすっぽりと包む。低く這うようなざわめき。叫んだりとか走ったりとか、そういう輩はいないみたいだ。みんな準備に忙しくて、そんな暇はないのかも知れない。ときどき入る、切羽詰まった雰囲気の放送。「三年一組の、」え、私、とびっくりして身を起こしたら、違う人だったりして。

 私はまた、だらりとなる。冷房の効いた、きんと涼しい部屋。背もたれに思いきり寄りかかり、先輩ぶって言ってみたりする。「印刷ってさぁ、どうなってんの?」今編集するところです、とパソコンの前に座る後輩の答え。そっかぁと答えて、ペットボトルのお茶をこくりと飲む。ぬるいお茶は、なぜだか苦味が舌につく。

 黒板を見る。色とりどりの、賑やかな黒板。文芸部、と真んなかに大きく書かれ、その周辺には、隅々まで落書きがなされている。菌がいたりモンスターがいたり友達がいたり、好き放題書いてくれたものだ、みんな。心のなかだけで苦笑して、黒板の右下、一番隅っこに視線をやる。そこには、白いチョークで書かれている。

 神。

 何を隠そう、私が書いたのだ。私は部活においては、自他共に認める「神」となっている。もちろん、あくまでも冗談で。

 いつからだろう、私がそう言い出したのは。「ねえねえ、私っていつから降臨してるっけ?」ひとつ下の後輩に聞いてみる。「俺が入ってきたときには、もう降臨してましたよ」ということは、一年の終わりごろには、もうこうなっていたわけだ。確かに一年の冬、「輝きたい」と言って、「蛍光灯になれば」とか言われていた気がする。

 偉くなったもんだよな。

 再び、小さな苦笑い。私はここの元部長で、ここに居場所があって、先輩とか言われちゃって、色んな人と話したりしちゃって、神とか言っちゃって、神とか言われちゃって、笑っちゃったり、しちゃって。

 ざわめきが、すっと消える。私の意識は、教室から一瞬離れる。沈黙する。

 私は私の、ぼろぼろだったときを思い出す。話すことなんてできなかった。笑うことなんてできなかった。もう無理だと思っていた。もう普通に生きることなんか、かなわないと思っていた。

 それが今や、こんなにも明るい。

 「なつき先輩」話しかけられて、私は戻ってくる。ざわめきが、わあんと響き始める。私の現在。ここが私の、現在。

 もう私は、過去にいるのではない。私は進んだ。ここに来た。確かに歩んで、ここに来た。

 そのことがわかっていて、それなのに何度も何度も反芻してしまう。過去を反芻してしまう。それはたぶん、今があまりにも輝いているから。平和だから。信じられないくらいに。せつないくらいに。

 次の瞬間、私は笑って話している。ほんとにー?なんて言う声は、とても呑気にたのしそうに響く。

 私は、現在にいることを再認識する。そして確認する。私は今、ここにいる。ここで友人や後輩と、笑いあっている。そのことが、何だかやっぱりいまだに不思議なんだ。どうしても。


 ちょっとした悪意、ちょっとした拒絶、ちょっとした無関心、そんなのは世界にはびこっている。

 慣れてしまえば、きっと楽なんだろう。でも私は敏感でありたい。笑顔で頷きながら、心すべてで受け止めたい。誰を責めるでもなく、ただ、事実を事実として見据えていたい。ちょっとした悪意や拒絶や無関心、そういった事実を。

 笑いながら、痛んでいる。そんなことしょっちゅう。

 でもそれで良い。それが良い。それすらすべてを見据えたい。それはほんとうの気もちだ。生々しい、事実だ。そしてそういったものから、私はやっぱり目を背けたくない。

 優しいだけの他人なんて、いるはずがない。そう思うとき、私はすこしだけいとしさを感じる。


 神だもん、とか言って、構えて戦ったりとかして、舌ったらずに喋ったり、後輩をからかったり逆にからかわれたりして、ああ私ってほんとよくやるなぁと、やっぱり面白くなってしまう。多面性を、つよくつよく感じるのだ。実感として。

 「電波」「こんな人だと思わなかった」「最初は真面目そうだったのに……」「変人」「電波でしょ」こんな印象が、ぞろぞろ。それはたぶん、ほんとう。ひとつのほんとう。でももちろん、私はそれだけの人じゃない。めくればもっと、いろいろある。べつだん隠しているわけではない。ある程度のところまでなら、私はいつだって開いている。

 この文章を見たら、部員たちは何て思うだろう。意外だな、と思うだろうか、ああやっぱり、と思うだろうか、それともべつに、何とも思わないだろうか。何とも思わない可能性、その可能性がわかるくらいには、私は自意識過剰ではない。無関心は、どこにでもある。はびこっているもの。

 この思考の面と、部活での面。どちらもちゃんと、私だ。きちんと私だ。大丈夫。

 「いや私もけっこうまともな人なんだよこれで!」だから言ってみたのだけれど、誰も信じてくれないみたいだった。人というのは多面性。私はもっと、多面性。そう思うと、再び面白くなってしまう。

 当たりまえだけれども、私だって立体なのよ。

 そう思って、ひとり面白がっている。それは部活のときでも変わらない。こんなことを、いつも考えている。


 立体として自分を見ることができるのは、幸福なことだ。



 文芸部、無事に部誌を発行できるみたいです。

 良かったら、遊びに来てください。待ってます。

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