コップの水が、許してくれた。
液体というのは、不思議な物質だ。この世界のなかで、あきらかに、異質だと思う。決して掴むことはできないのに、それなのに、触ればきちんと温度を返してくる。そしてそのまま、手から滑り落ちてゆくのだ。猫のような気ままさをもって。
何なんだ、これは。そう、よく思った。
小さなころ、よくお風呂場でお湯をすくって遊んだのは、つまり、液体という存在が面白く感じられてならなかったのだと思う。もちあげることはできないのに、すくいあげることはできるもの。はさみで切ることはできないのに、くっつければ一緒になるもの。抱きしめることはできないのに、身体を入れれば、全身を柔らかく包み込んでくるもの。そんな奇妙な存在は、液体以外に、ない。
液体は、異質なのだ。
先ほど、水を飲んだ。ああこんな得体の知れないもので私は生きているんだなぁという、運命への感慨めいたものをもって。飲み終わったあと、コップのなかでゆらゆらと揺れる水を、じっと見た。
やはり、よくわからない。揺らせば、揺れる。触れれば、冷たい。掴みどころがないのだ。比喩的な意味でも、文字通りの意味でも。
暗い台所で、私は、水と向きあった。冷蔵庫の、低く唸る音。コップに落ちる、自分の影。
私は今、これを飲んだ。これを飲まなきゃ、生きてけない。それにだいたいにおいて、海がなきゃ、生命は誕生しなかった。液体は、確かに、世界に存在している。世界のなかに、存在を許されている。いや、それ以上だ。液体がなければ、きっと世界は今のすがたをしていない。
水は澄ました顔してじっとしている。こんなにも異質な存在、でも、私を、私たちを潤してくれる、なくてはならない存在。
そのときふと、ほんとうにふと、私は、自分の存在が許されたような気がした。液体のような奇妙な存在だって、堂々と世界にいるのだ。世界じゅうを駆け巡って、世界じゅうを潤してまわり、世界じゅうの汚れを受け止め、そのかわり、しずかな深海の世界をひそやかにもって。ああやはり、思えば思うほど不思議だ、液体というのは。こんなものが大きな顔して存在しているのだから、私のような存在だって、いて良いんだ。ぜったい。だれがいたってなにがいたって、良いんだ。
自分は世界にいちゃ駄目なんじゃないかとか、そんな悲観的なことを考えていたわけでは決してない。ただ水とそっと対話したとき、そう思ってしまったのだ。許された感じ。
この世界何でもありなんだよと、無機質なコップの水が言ってくれたのだ、きっと。
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