文章フェチ。

 私は、文章フェチだと思います。


 小説やエッセイを読むのが好きなのですが、何よりもまず、文章を感じます。

 この、感じる、というのは感覚的なもので、もう殆ど本能に近いです。文章の香りが、ふわっと香ってくる。良い匂いの文章は、それだけで読み進めてしまいます。文章を、味わう。

 文章というのは、もうそれだけで独立した世界です。現実の二次的な描写というのも、表現する手段というのも、私にとっては違う。文章は文章として、ひとつの世界を形成しています。それ自体で、そこにある。

 だからなのか、私は文章を読んで映像をイメージするということがあんまりありません。その観念の香りを胸いっぱいに吸い込んだり、気もちのいろをじっくり見たり、そういったことはしょっちゅうするけれども。(だから、私は小説を書くとき、たいがいは文章で「降って」きます。)

 文章が、とにかく好きなんです。肌にあった文章を見つけたときは、それだけでしっくりと嬉しくなる。文章は、素晴らしい。きらめきをもって輝く。あのリズム、あの息つぎ、いろとりどりの文章たち!


 演劇部の脚本を書かせて頂いたのですが、今日はじめて、読みあわせをしてもらいました。

 私はリズムとか息つぎとか、そういうのを大事にして書いているつもりではいるのですが、ああ、やっぱりつっかかるところも、すうっといかないところもあるんだなぁと感じました。それは私の失敗もあるのでしょうし、それに私と他の人たちとの言語的リズムの感覚の違いもおおいにあると思います。(それが悪い、ということではなく。それはとっても楽しいことです! それぞれがそれぞれの言語的リズムをもっているということは、ほんとうに素敵なことだ。楽しくて仕方のないことだ。)

 でも反対に、思ったとおりに、とん、とゆくところもあって、しめたものだ、私はずっとにやにやしていました。言語的リズム。素晴らしい。演劇というのは、それを体現してくれるものだと思っています。もっともっと、感覚的に本能的に。だから、楽しみです。


 文章は、だから「食べる」という感覚です。毎日の消耗品です。なくてはならないもののひとつ。

 もっともっと、素敵な文章に出遭ってゆきたいです。そして私の文章も、すこしずつ変わってゆくのでしょう。

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