学校とか義務とか、そういうの。

 学校というところに、どうにも馴染めません。今所属している学校に限った話ではなく、一般的な「学校」に。もっと言ってしまえば、「学校」というものとそれに関連する強固な観念に。

 嫌いとか行きたくないとか、そういう極端なことではないのですが、いまいちしっくり来ません。こういう感じって、私だけではないだろうと思うのですが、どうなんでしょう。


 学校に行く、ということを、そもそも義務だと感じることが出来ません。

 学校から遠ざかる時期、みたいなのが私には時々あって、そういうときにはいつも、「学校というのは行くべきものだ」という前提のもとで助言や忠告を受けます。

 心配してもらっているのは、わかります。だから私も、なるべく行くことにしています。でもそういうことでなくて、あくまでも心のなかにおいての話なんです。「学校というのは行くべきものだ」という理屈が、どうしても心のおくで納得出来ない。

 私も流石に、社会の要求するものと個人の価値観というのは必ずしも一致しないということはわかり始めています。だから私のこの反応は、当然と言えば当然なのでしょう。社会の矛盾というものにおける、当然の反応。社会の矛盾、を批判するつもりでは決してありません。社会は矛盾を抱えねば成り立たないということも、同じく薄々わかり始めています。まあほんとは矛盾がないのが理想なのでしょうが。ideal。プラトンの理想国家みたいなね。でも、なかなか実現しないものです。論理と実際は違うものです。そこで諦めちゃ駄目だとも、もちろん思いますが。諦めてしまったら、停滞して落ちてゆくだけでしょうし。

 話がすこし、ずれました。

 「学校というのは行くべきものだ」というのは立派な考えで、でもだから、それはひとつの価値観に過ぎないと思います。社会の便宜上の価値観。今の社会においては、もっとも適切な価値観だとは思いますが。あくまで社会的な意味で。

 もちろん、だから行かなくて良いとか行かないべきだとか、そういったことを言いたいのではありません。今の世の中、学校に行かないとさまざまなリスクが生じるのは確かです。「無難なほうを選ぶべき」といったようなことを、デカルトも言っていた気がします。きっとその通りです。ただ、学校に行くべき、という考えかたは、永遠普遍の真理ってわけではない、と思います。だからこのこと(学校のことに限らず、いわゆる「一般的常識」)をまったく疑わないでいるのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、と、僭越ながら思っています。


 今の私は、「行ったほうが良いな」という気もちで行っています。卒業出来ないと色いろと手間が生じますし、友人がいますし、部活もありますし。行かせてもらっているわけですし。それに学校に行くと、しゃっきり勉強出来ますしね。

 ただ、義務だとは思いません。それは思えません。

 多分、こういった「社会的矛盾」にすんなりと対応出来るのが、「社会的人間」なんだろうなぁ、と、通学途中の駅のホームで思っていました。

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