体育の時間に考えていたこと。
体育で、バスケットボールをしました。
バスケットボールのコートのなかって、やっぱりひとつの社会だと思います。一年前くらいに、このことについて詳しく書きました。そこから抜粋してきます。
「バスケットボールのコートのなかって、多かれ少なかれ人の性格があらわれるなあ、と思います。そして、コートのなかには時間制限つきの社会ができあがります。その社会は曖昧ではかなくて、なのに微妙な人間関係をすっと浮かび上がらせる。誰を信用しているのか、誰を信用していないのか、誰も信用していないのか。これよりもっと深いニュアンスだって。 」
今日、改めてこのことを感じていました。やはりあそこは、ひとつの社会でひとつの世界。完結していてどこか排他的なのに、それなのに観る者を疎外しない。
バスケットボールは、観ていて面白いです。微妙で絶妙な人間関係が、ボールを中心に紡がれ、絡みあい、完成されてゆきます。視線の交わしあい、声のかけあい、進んでゆく場所、そういったことすべてに、それはひっそりと現れます。いっそ残酷なくらいに。ああ、やっぱり、面白い。
体育の時間って、どうももの思いに耽りがちになります。身体を動かすと思考が進む、というのはあちこちで聞きますが、そういったことなのでしょうか。
思考は活発に駆けまわっているのですが、そういうときよく「大丈夫?」と聞かれてしまいます。まあ確かに、目のまえのものでないものに思いを馳せているのだし、仕方ないかな、という気もします。もともとが、ぼうっとして見えるらしいですし。
でも今日は、思考を飛ばしながらもバスケットボールの試合をしっかり観ていました。観ていて飽きない。
それにしても、やっぱり体育の時間って考えごとをしてしまう。肝心の、自分の出番のときまでそうだったりして。苦手な体育が、ますます出来なくなってしまっています。
でも、だから、体育の時間はわりと好きです。
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