業突く張り、とはよく言ったもので。
強欲は良い結果をもたらさない、という考えかたは、ずいぶんと浸透しているように思えます。教訓めいたおとぎ話や、断言するような警句によって。まるでそれは、一種の真理のように刷り込まれています。
しかしなぜ、強欲はいけないのでしょうか。
例えば、傲慢なお金もちが「私は大事なものを見失ってきたようだ」と言って泣き崩れるような話、どこかで聞いたことあるのではないかと思います。
それなのに「私はやはり金が大事だ」と言ってハッピーエンドになる話って、見たことないです。
何で、と思います。「お金」を人生の目的にして目標にして生きがいにして、やってきたわけでしょう。他人に何を言われようと、その生きかたを貫けばいいじゃない。それがあなたの、選択なんだから。あなたは「お金」を大事なものに選んだんだから。
この「お金」を「家族」「恋人」「友人」に置き換えると、何故だかすごく、雰囲気が変わりますよね。ああ、それってまっとうな生きかた!というふうになるのではないでしょうか。
「家族」「恋人」「友人」のために欲が深いのは許されても、「お金」「地位」「名誉」の類のために欲が深いのは許されないわけだ。
私は地位も名誉も欲しいですよ。お金だってあるなら欲しいです。
この、ある意味当たり前の欲望が、何故そんなにいけないこととされているのでしょう? 嫉妬か、もしくは、はたまた。
「大事なもの」、そのひどく抽象的なものがわかるのは、お金も地位も名誉も手に入れつくした、もしくは手に入れるために最大限に努力をすることのできた後の人間だけではないでしょうか。
もってないものは、欲しい。地位も名誉も、知識だって視野だって論理だって。心ゆくまで欲しいものを追い求めること、それが責められる理由なんて、ないはずだ。
強欲を、愚かだとさえまで人は言います。
でも、言われたってべつにいい。今、私は欲しいのです。曖昧な「大事なもの」がわかるのは、もっともっと後でいい。具体的で、ちゃんと見えてる、今、欲しいものを手に入れたい。
縁側でお茶を飲むのは、まだまだ早いです。
もっともっと、もっと。
しかし欲望を抱くというのは、それなりにリスクの伴うことですよね。
例えばさっきも書いた、人から色いろと言われること。妥協することなく怠ることなく、ひたすらにがむしゃらに追い求めること。(そうでなければ、欲望は叶いません)
きっと高みを目指すのは、山登りに似てるんです。上に行けば行くほどもっと空に近づきたくなって、でも明確な頂上なんてない。不毛できりのない山登りです。酸素がどんどんと足りなくなりますし。
だから覚悟は必要です。でも、それでも、登りたくなるんですねー。面白いものです。
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