死の権利は出来たら権利を行使する人が後を絶たないでしょうね。権利で認められていないにも関わらず、2~3万人の人が死を選んでいるのですから。
でも、正当な手続きを踏んだ死であれば僕は認めても良いのだと思っています。身近な人に通達がされるとか、事前に死を行使するための万全と言える手順を踏んだとても面倒なものになると思いますが。
生きていたい人は生きるべきだと思いますが、尊厳死や安楽死などを選びたくなるほど、主観的な意味で死よりも辛い身体的な苦痛や精神状態の中で死ぬことすら出来なくなっている人が少数ながらいると思います。
そのような人に対しての蜘蛛の糸になるような気がしています。
個人的に一番好きな考えは「いつでも死ねるんだからもう少し生きてみよう」というものなんですよね。死の権利があれば、この言葉がもっと身に染みていくんじゃないかなぁ。そんな逆説的な希望も持っています。
作者からの返信
感想ありがとうございます。拝読しました。
いまはだいぶこの記事を書いたときとは、考えが違ってしまってますが。
「死の権利」にかんしては、いまだに答えが出ないですね……そもそも答えなんて出るたぐいの問いかけでは、ないですが……。
編集済
この社会が競争原理で成り立っている以上、必ず勝者と敗者が発生します。
そして、勝者が勝者であり続けるためには敗者の存在が必要不可欠です。だから、自殺されて敗者の数が減っては困る。そういう思惑も少なからず混じっているのでしょう。
作者からの返信
そういう理屈もあるということなのですかねえ……。
社会に生きる者として、実感的にわからない、という話でも、ないですね。いまの世のなかに生きているということは、かくも勝負につながりますね……。