さくらふぶき

草秋

第1話さくらふぶき

「さくらふぶき」


                                

第一章 ちょっと長めのプロローグ


放課後の教室。

帰り支度を整えているとクラスメイトの桜木春華が話しかけてきた。

「ねぇねぇ。昨日テンマちゃんに話した本を持って来たよ」

「ホントに?」

「うん。すっごい面白いんだよぉ」

 春華に差し出された本を見てみた。

表紙は油絵のような画風でドクロが描かれている。

「いわってやる、か。タイトルの割に不気味な表紙だな」

「……さすがにアウトかなぁ」

「なにが?」

「それ、 のろってやる って読むんだよ」

「えっ!」

 読み間違えた!?

 くそ、恥ずかしい……。

なんとか誤魔化して面子を保たなければ。

「も、もちろん冗談だから。なかなかの演技だったろう?」

「そっか、演技か。そうだよね」

 うなずく春華。

 どうやら納得してくれたみたいだ。

オレってば、なかなかの演技力。将来は俳優にでもなろうかな。

「てっきり素で間違えたのを上手く誤魔化せたと勘違いしてるのかと思っちゃった」

「そんなワケないだろ。フハハハ……」

 バレてる!?

 こいつはエスパーか。

「と、ところで脇に抱えてるそれはなに?」

「ヴィクトリー塾のパンフレットだよぉ」

「ヴィクトリー塾って “アレ”で有名な?」

「そ。 “アレ” で有名なとこ」

「 “アレ ”は気になるけど、それにしたって塾のパンフって……このまえ高校受験が終わったばかりなのに、もう大学受験を考えてるってこと?」

「うん」

 ニコっと笑って即答する春華。

 信じられない。何が楽しくてこんなに勉強するんだろう。

 せっかく受験が終わったんだから残り一か月半の中学生活は思いきり遊べばいいのに。

「どう? テンマちゃんも通おうよ」

「ムリ」

「即答だねぇ」

どんな偉大な人間にも何かしら弱点はある。オレの場合まさに勉強だ。今まで勉強とは無縁の生活をしてきたし必要性を感じたこともない。そんなオレにとって塾に通う苦しみというのは、例えて言うならオレの大嫌いなタマゴ料理を毎日食べさせられる苦しみに似たものに違いない。……絶対無理だ。

「テンマちゃん荒磯高校に通うんでしょ?」

「そうだけど」

「それじゃ何かと大変だよねぇ」

「良いじゃん。立地条件大事だよ。近ければ近いほど朝いっぱい寝れるし」

「だからって関東三大バカ高校とか呼ばれてる場所に通う?」

「オレには丁度良いんだよ!」

「あっ。そっか」

「納得すんな!」

呆れる春華に目ヂカラでこう訴えた。

“同情するなら彼女になれ!”

 帰り支度を終えて春華と一緒に下校。

春華の家とオレの家は爺ちゃんたちの代から付き合いがある。だから小さいころから一緒に居ることが多かった。

でも、高校にあがったら一緒に帰ることもなくなるんだよなぁ。

ホンネを言うと結構寂しい。オレがそう思ってるってことは春華も同じことを思っていたりするのだろうか?

「もうすぐ卒業だなぁ……」

「……そうだねぇ」

 いつもはよく話すオレたちだけど、オレは一言ぼそっと呟いて沈黙した。

 春華も沈黙している。

 もうすぐ卒業。

つまり一緒に通学できる時間はあまり残っていないってことだ。これを意識させることによって春華の寂しがる顔が見れるに違いない。今頃は思い出に浸って気持ちがいっぱいになっているだろう。

そっと春華の顔をチラ見した。

「って、パンフに夢中になってる!?」

「ん? あっ、ごめん。なんか話しかけてたぁ?」

「べつになんでもないし。……なんか面白いこと書いてた?」

「うん。ヴィクトリー塾って現役高校生しか居ないらしいんだよっ」

 物知り顔でうんちくを語る春華の可愛い仕草に心癒されながらも、ちょっと気になった。

現役高校生しか居ないだって?

「ってことは、もしかして先生も現役高校生!?」

「さすがにそれは無いよ~」

「っていうか現役高校生ってなんだ。引退高校生もあるのか!?」

「落ち着いてテンマちゃん。気をつけっ」

春華の声を聞いて条件反射で背筋が伸びる。

「良い? これから私は難しいことを言うよ。でも、テンマちゃんなら理解してくれると信じているよっ」

 春華……そんなに見つめられると期待に応えたくなるじゃないか。

 努めて頼りがいのある良いオトコ的な雰囲気を作り余裕のある笑みを浮かべて見せた。

「オレがキミの期待を裏切ったことなんて今まであったかい?」

「えっ?」

「なにそのポカンとした顔!?」

「今まで一度でも期待に応えてくれたコトあったかなぁ……?」

「いっぱいあるよ!」

「えー……とりあえずテンマちゃんの勘違いは置いといて話を戻すねっ」

春華はオレの事を一体なんだと思っているのだろうか。

このニヤけた顔は、まるでオモチャで遊ぶのが楽しくて仕方がないと言いたげに見える。

気のせいだと思いたいけど。

「落ち着いて聞いてね。現役高校生しか居ないっていうことはね、浪人生が居ないっていうことなんだよっ」

「つ、つまり、どういう事だよ……?」

 改まって話すだけあって難解な事を言ってくれる。

オレほどの男でも理解が追いつかないとはな……。

「くっ」

このシリアスな空気のなか突然春華が吹きだした。

意味が分からない。

「くく。だからね、この塾に通う生徒は全員高校生なんだよ。高校を卒業したら通えないっていうことっ!」

 一か月かけても分からなかった難解なパズルが解けたような清々しい気分になった。

そうか、そういうことか。

「つまり、この塾は高校生しか通えないってことなんだな!」

「うん、正解。良く出来ましたっ!」

「へへっ。オレの頭脳を持ってすれば余裕だよ」

「そうだね。その頭脳があれば安心して四月から小学校に通えるねっ!」

「そうそう。安心して高校に……って、小学校!?」

「友達いっぱい出来るといいねっ!」

「小学校なんか入らないし!」

「でもヴィクトリー塾には入るでしょ?」

「入らないよ。オレは勉強がタマゴと同じくらい嫌いなんだ」

 頬を膨らませる春華。

「またタマゴを引き合いにだしてぇ。私とタマゴどっちが大事なの?」

「そりゃ、春華だよ!」

 聞くまでもないだろ。

だから付き合ってくださあぁぁぁい!

 オレの気持ちが届いたのか春華がニッコリと笑った。

これはフラグ立ったか。

「ありがと。でも、私はテンマちゃんとタマゴどっちか選べと言われたらタマゴを取るよ。例え腐っててもね」

「ヒドイ! オレと育んできた愛よりも腐ったタマゴの方が大切なの!?」

「うんっ」

 満面の笑みで即答だよ!?

「そもそも私たち愛を育んでないよね」

 ダメ押しされたよ!

絶望したオレを見てクスクス笑う春華。それに合わせてサイドテールで束ねた髪と桃色のマフラーが元気よさそうに揺らいでいる。

春華は伸びをしてボソっと呟いた。

「明日にでも入塾の申し込みをしてこよっと」

「もう申し込むんだ」

「ふふ。獲るよ、頂点(テッペン)!」

 惚れ惚れする笑窪つきの笑顔で春華がオレに向かってヴィクトリーサインを出した。強い意思が形となって表れているのか二本の指がピンと立っている。

「よくやるね。この辺で一番頭の良い高校に通うくせにまだ勉強するなんて」

「私は第一志望の私立に落ちちゃったしね。大学受験で頑張らないと」

「なんでそんなに勉強頑張れるの?」

 春華は唇に人差し指をあて上目空で沈黙した。

しばらくして首を傾けてオレを見た。

「じゃあ特別に教えたげる。私が勉強を頑張るのは桜応大学に通いたいからだよ」

「桜応大学?」

「うん」

「春華が落ちた第一志望って確か桜応高校だったよね? 桜応にこだわりがあるの?」

「私のおじいちゃん桜応大学に行くのが夢だったんだけどお金の問題で行けなかったらしくてね。自分の夢をお父さんに託そうとしたけど、お父さんは学力不足で行けなかったの。だから私がおじいちゃんの夢を叶えてあげたいんだぁ。高校はダメだったけど、大学は必ず行くよっ!」

照れくさそうに笑った顔は可愛くもあり眩しくもあった。

「すごいな。春華はお祖父ちゃんっ子なんだな」

「うん。だからテンマちゃんも塾入りなよっ!」

「やだよ。勉強したくないもん。っていうか、いまサラっと塾の話になったけど全然話の繋がりないよね!?」

「そんな細かいことは気にしないの。さっきタマゴより私を取るって言ったのは嘘だったの?」

「嘘じゃない。嘘じゃないけど……でも春華はオレよりタマゴを取るんだろ?」

「当然だねっ!」

「当然なのかよ。ちくしょう、そんなにタマゴが好きならオレとじゃなくてタマゴと一緒に塾に通えよ。茹でれば割れる心配もないよ!」

「ふぅん、そんなこと言うんだ。タマゴに嫉妬してるのぉ?」

「そんなことないし!」

「……ねぇ、テンマちゃん。良いこと教えてあげよっか」

「え。なに?」

満面のニヤけ顔をする春華。

胸が高鳴った。

コイツがこんな顔をするときは本当に良い事を教えてくれるから。

 ドキドキしながら春華の言葉を待つオレ。

 春華は少し間をあけてオレの耳元で囁いた。

「……勉強出来るとね、モテるんだよ」

春華のボソっと呟いた言葉を聞いてオレの頭上に雷が落ちた。

力強い目筋と眉毛、無造作に伸びた荒ぶるヘアスタイルという誰が見ても男前のオレが今までこんなにもモテなかった理由がついに判明した。

オレはゆっくりと聞き返した。

「……勉強出来たら、彼女出来るかな?」

 春華がより一層ニヤけた悪い顔になった。

お主も悪よのぅって言いたくなっちゃうくらいの。

「テンマちゃんにだけ特別に教えてあげるね。他の人に話しちゃダメだよ?」

「うん。約束する」

「ここだけの話ね。もし桜応大学に入れるくらい勉強できたら、なんとっ!」

「なんと?」

「彼女百人出来るよ!」

「マジで!」

 彼女が……百人も……。

「どうしたのかな? なにかを考えこんでいる顔して」

春華の声が耳に入り、現実に引き戻された。

オレはごくっと唾を呑んで春華に尋ねた。

「もしオレが春華に勉強で勝てるようになったら好きになっちゃう?」

「うん」

肯定した。

私に勝ったらテンマちゃんはオモチャからペットに昇格だよって言葉が続いていたのは気のせいだろう。うん、聞こえなかった。

よっしゃ、覚悟を決めた。

「春華」

「なにかな?」

「オレもヴィクトリー塾通うことにした。いま決めた」

「ほんとに?」

「うん。……あっ、言っておくけど別にモテたいわけじゃないから。もし本気出したら、どこまでやれるか自分の力を試したくなっただけだから」

 モテたいから勉強頑張ると思われるのはオレのプライドが傷つく。例え事実だとしてもオレには守りたいプライドがあるんだ。

「はいはい。分かってるよ。これからはライバルだね!」

春華がここ最近見たことないくらい喜んでいる。

しかし、テンマがのちに全国一位になるための最大の障壁になるとは、この時の春華には知る由もなかった……って感じのシナリオが見えるぞ。なんかワクワクしてきた。

「オレは君に勝ちたい!」

春華の目をまっすぐ見つめて力強く宣言。

地区トップクラスの奴が田舎の中学校という枠内ですら下位の人間にこんなフザけたことを言われたら普通は機嫌を悪くするかバカにするだろう。仏のオレでも助走つけて殴るレベルだ。

でも、春華は違った。声をはずませて笑顔でこう言った。

「負けないからね!」


第二章 学闘で頂点に立つ事をココに宣言します


温かい風と新品の学ランがオレの身体を包み込む。

今日は高校の入学式。

白塗りの綺麗な校舎と桜吹雪がオレを歓迎してくれている。

絵になるね、これ。

カメラマンさーん、ここにモデルが居ますよ。今ならオレの写真が撮り放題ですよーっ!

……カメラマン不在のまま入学式を終え、教室で自己紹介タイムスタート。

無難な自己紹介が続いていく。

なにかインパクトのあることを言って目立ちたくなってきた。

オレのクラスは三組。キーワードは “サン” が良いな。

そういえば、太陽は英語でSunって言うんだっけ。オレのこの博識を活かして知的な自己紹介をしたいところだ。

太陽のようにまぶしい笑顔がいっぱいの三(Sun)組に入れて嬉しいです、とかどうだろう。

ふふっ、ユーモアもある。これで行こう。

わくわくしながら待っていると、左隣に座っている茶髪で小柄の女子がクリっとした目と八重歯を光らせ、笑顔で明るく元気よく自己紹介を始めた。

「南中出身の伊達朝美です。太陽みたいなまぶしい笑顔がいっぱいの三組(Sun)に入れて嬉しいです。皆さんヨロシクですよ!」

な、なんだと!?

まさかオレの考えていたユーモア溢れる自己紹介を先に使われるとは……。

 辺りがざわついてる。

「どういうこと?」

「わたし、聞いたことある。太陽って英語でサンって言うらしいよ?」

「つまり太陽のような笑顔と三組をかけたってことか!?」

「きっとそうだよ!」

「すごぉーいっ!」

「あったま良いなぁーっ!」

 しかも超ウケてるしっ!

 めちゃくちゃ悔しい。

 クラス中が伊達さんを羨望のまなざしで見た。先生だけは呆れ笑いしているように見えるけど気のせいかな?

っていうか、そんなことはどうでもいい。二番煎じはイヤだし、また自己紹介考えなきゃ。

││それから数分後。

「佐間中出身の夏沢天真です。宜しくお願いします」

結局なにも思いつかずに無難な自己紹介で終わってしまった。

伊達さんのせいで台無しだ!

……まぁ、いいけどね。オレは他の奴らとちょっと違うからさ。

だいたいの奴らは高校を舞台にして自分の青春物語を想像するだろう。だけどオレは違う。戦うフィールドは高校なんかじゃないんだ。

オレの青春を捧げる その場所は“ヴィクトリー塾”

ハッキリ言って勉強は大嫌いだけど勉強できるとモテるって春華が教えてくれた。この秘密を知ってしまったからには勉強せずにはいられない。

いやね、別にモテたいわけじゃないんだよ。そんな邪な気持ちはオレにはない。ただ、女の子にチヤホヤされたり、いっぱい告白されたいなぁと思っただけさ。

でも、それだけじゃない。

ヴィクトリー塾は他の塾とはちょっと違う特別な場所だ。

ここだけにある唯一無二の “アレ” をやってみたくてオレは両親に頼み込んでヴィクトリー塾に入塾した。

塾費が高いから、夏の模試で偏差値五十五以上取るという結果が残せなかったら辞めろという条件を突きつけられたけど……まぁ、がんばれば何とかなるだろう。

ヴィクトリー塾にもクラス制度があって一週間に一回一時間だけ集まる。各クラスに担任が居て、進路や学業の相談に乗ってくれるらしい。 

ちなみにオレはEクラス。名前の通りイー(良い)クラスだと嬉しい……なんて我ながら粋で爽やかなシャレを思いついてホッコリしているとヴィクトリー塾のEクラスに着いた。

有機EL照明に照らされた木目調の教室は三十人ほど入りそうな広さだ。綺麗な教室を見て気分が高揚しながら適当に空いてる席に着く。

授業開始五分前になると席は満席になり、やがて灰色のスーツを着た白髪頭のオジイサンが入ってきた。

この人が担任なのかな。

教壇の前に立ったオジイサンは分厚いメガネ越しにオレたちを見渡して突拍子もないことを言い始めた。

「私はEクラス担任の寺達夫です。寺産まれの陰陽師です。もしも勉強サボったら言霊使って呪ってやりますから、そのつもりで宜しく」

 これはギャグなのだろうか。笑っておくべき? 

クラスの皆は呆気にとられているけれど先生は構わず話を進めた。

「では皆さんにも自己紹介をしてもらいましょうか。印象に残る自己紹介を期待していますよ。一番前の君からお願いします」

 先生以上にインパクトのある自己紹介なんてハードル高くないかな。これが塾の洗礼というやつか。

 先生のとんでも発言の後じゃ全然記憶に残らないような無難な自己紹介が続いていく。

誰かこの停滞したムードを壊す猛者は居ないのか?

やはりオレがやるしかない。時代はいつだって流れを変える事が出来る人物を求めている。さきほど天才的なひらめきにより産まれたEクラスは良いクラスという粋なシャレで場の流れを変えてみせる。

そんな野望を抱いたオレの左隣に居るセーラー服が似合う茶髪で小柄の女の子がクリっとした目と八重歯を光らせ、笑顔で明るく元気よく自己紹介をはじめた。

……あれ、なんかデジャブ。

「荒磯高校の伊達朝美です。Eクラスが良いクラスだと嬉しいです。皆さん仲良くしてください。よろしくお願いしますよ!」

やられた!

オレの番が回ってくる前に美味しい所を持っていかれた。

伊達朝美……。

こいつもヴィクトリー塾に通っているとは驚いたな。しかも、一度ならず二度までもオレと同じ自己紹介を考えているとは更に驚きだ。

どこまでもオレの美味しいネタを先取りしやがって。

悔しいっ!

……だけど、今日は驚きのバーゲンセール。こんなものでは済まなかった。

伊達さんに続き、背の小さい男の子が黒ぶちメガネに手をかけて自己紹介を始めた。

「某は茨城 俊介。中学時代の異名はDr.パンティ」

 某ってなに!?

っていうかドクターパンティとはいったい……。

「中学時代、一万ものパンティを目利きしたことが由来でござる。好きなものはパンティとミニスカとフトモモ。これらのことなら何でも聞いて欲しい。以上、よろしく頼むでござる」

 確固たる実績に基づく異名だった。

 伊達さんが作り上げた温かい空気が一気に冷却され、女子たちの冷たい視線を独占している茨城くんが着席。

動揺を伴うざわめきが収まらないまま次の人にバトンタッチ。ワックスで髪を整え、眉毛がキリっとしているイケメンだ。さきほどとは違って彼に集まる女子たちの視線がアツイ。

くそ。羨ましい、妬ましい。

「岡山 秀光(しゅうこう)言います。小学生のときジュニア数学オリンピックの代表選手してました」

 関西弁だ。

Dr.パンティの時の混沌とした ざわめきとは違い称賛のざわめきが教室を包み込む。数学オリンピック選手って凄いな。っていうか、オリンピックの種目に数学とかあったんだ。

あちらこちらでスゲーっていう声が聞こえるなか、イケメンは構わず話を続けて

「好きなものはギャルゲーとアニメで、小学生の頃から二次元の世界に入る方法を研究しています。ちなみに正妻はサヤカちゃん(※恋愛シミュレーションゲーム “ヴィクトリーガールズ” のヒロイン)です。二次元好きな人、特によろしゅうお願いします」

 黄色いざわめきが闇に堕ち、混沌が舞い戻って来た。

カオスな雰囲気が落ち着かないまま自己紹介が続き、ようやくオレの番がきた。

陰陽師先生、同じ思考回路のクラスメイト、パンツ大好きドクターエロメガネ、関西弁の二次元オタイケメン……濃いキャラ多すぎ。でもオレだって盛大な花火をあげてやる。負けるもんかっ。

大地を粉砕するような勢いで力強く立ち上がり周りを見渡す。

「荒磯高校の夏沢天真です。 “学闘” で頂点に立つ事をココに宣言します。よろしく!」

 驚いた顔、感心した顔、寝ぼけた顔など色んな顔がオレの視界に入った。伊達さん、Dr.パンティ、二次オタ君も口をあんぐりあけてこちらを見ている。

どうだ、参ったか!

 オレは満足して着席した。

やがて全員の自己紹介が終わったところで陰陽師先生(本名忘れた)が話始めた。

「なかなか個性的な方が集まっていますね。それにEクラスにも関わらず学闘で頂点を目指すなんて宣言した人を私は初めて見ましたよ。ぜひ夏沢くんには頑張って欲しいですね」

 この塾にしかない “アレ”

つまり学闘だ。勉強が嫌いなオレでも知っている名物イベント。

この塾に入ったなら学闘で頂点を目指して当然だろう。

 陰陽師先生がオレの顔をじっと見ていた。

 ふふ、分かってますよ。期待に応えてみせます。

 オレは自信満々の笑みを浮かべて先生に向けて そっとグーサインを出した。

先生は変なものを見るような顔になった。

「まぁ、彼の場合ハードルを上げるだけ上げて その下を潜っていくタイプかもしれませんがね。Eクラスのホームルームは週に一回、この時間に行います。来週もサボらず来てくださいね。今日はこれで解散です」

 ハードルを上げて その下を潜る?

 何を言っているのか意味がワカラナイ。

それにクラスと学闘で頂点を狙うというのが何で関係あるんだろ。サッパリわからない。

クラスメイトと親交を深める意味も込めて伊達さんに聞いてみようかな。

みんなが帰りの支度を整えているなか隣の席に座っていた伊達さんに話しかけてみた。

「伊達さん」

「夏沢天真くんでしたね。同じ学校で同じクラスな上に塾でも一緒なんですね。仲良くしてくださいね!」

 ニコニコ笑顔の伊達さん。とても話やすい雰囲気を持っている。

「こちらこそ。ところでさ、学闘で頂点を目指すというのがクラスと関係あるの?」

「ヴィクトリー塾では学力順にクラス分けされているんですよ。入塾前のクラス分け試験で一番良い成績を残したグループがAクラス、一番下がEクラスになります。パンフレットに書いてありましたよ」

「それは知らなかった」

「学闘は学力と密接な関係がありますから下のクラスほど不利になるってことですよ。AクラスとEクラスはロードバイクとママチャリくらい差があると言われています」

ふーん。一番下のクラスか。まぁ、その方が面白いから良いや。一番下のクラスの奴がAクラスのエリートたちをバッサバサと倒していく。その方がドラマになるだろうし、無限の可能性を秘めたオレにとって造作もないことだ。確信はないけど天然温泉の如く奥底から湧き出て溢れるくらいの自信はある。

「オレなら幼稚園児用三輪車でもロードバイクを抜けるさ」

「あはは。テンテンは面白いこと言いますね。これからもヨロシクですよ!」

「……んっ、テンテン?」

「じゃ、またです!」

伊達さんを見送りオレも帰り支度を整えていると小柄なメガネ男子が近づいてきた。

そう、Dr.パンティだ。

「夏沢くん。さきほどの自己紹介ナイスだったでござる。お近づきの印にお気に入りのパンティカタログを差し上げるでござる」

 そう言ってDr.パンティはオレに分厚い本をそっと差し出した。オレはだらしなく歪みそうな顔を必死に引き締めて紳士的な対応をした。

「オレはパンティカタログなんて興味……あるっ!」

││はずだったが己の欲望には勝てなかった。

受け取った本の表紙を見て鼻の下が伸びてしまう。

「ありがとうDr.パンティ。大事にするよ!」

「君とは仲良くなれそうな気がするでござる」

 ガッチリと握手して笑いあうオレとDR.パンティ。友情成立だ。

 一枚のパンティがあれば国境も言語も文化も関係なく心を通じ合わせる事が出来る。彼はそんな気持ちにさせてくれる人物だ。ただし心が通じ合うのは男だけ。代償として女には一生心を開いて貰えないだろう。オレはそんな人生歩みたくないけど彼なら我が道を進んでくれるに違いない。

お互いを認め合うオレたちに今度はイケメンが近づいてきた。

「確かに良い自己紹介やった。夢って大事やんな。周りにバカにされても有言実行を目指す。お前は何も間違っちゃいない。おれも二次元の中に入ってサヤカと結婚するという夢を絶対果たしてみせる」

「岡山くん……グッドだね」

 自信満々の笑顔を見ていると凄い夢を持つ尊敬できる男だなと思えてくる。でも、ちょっと落ち着いて考えるとそんなに良いこと言ってない気もする。

「おれのことは秀光でええよ。よろしくな。夏沢、茨城」

「さすれば某のことはDr.パンティ、略してドクパンとでも呼んでくれでござる」

「オレのことはテンマって呼んで」

「おぅ、分かった。ドクパンにテンマやな。一緒に帰らへん?」

「さん候」

 オレはドクパン、秀光と一緒に塾を出た。

雑談しながら二人と一緒に帰宅中、あることが気になった。ドクパンは暇さえあればメガネに手をかけている。メガネのレンズが分厚いし重くてズレるのかな。

「ドクパンは裸眼だと視力どれくらいなの?」

「前回計測したときは一.五でござった」

「一. 五? それ、メガネかける必要ないやんか。盗撮カメラでも仕込んでるんか?」

「よく お分かりでござるな」

「って、ホンマ!?」

オレたちの驚いた反応を見てドクパンは嬉しそうに頬を緩ませていた。

「お察しの通り、このメガネにはカメラが仕込んであるのでござる。いつでもパンチラ写真を撮れるでござるよ。某、これを自作するのに三年五カ月を費やしたでござる」

 メガネに手をかけてるのはシャッターを押す為だったのか。

ドクターだ。この人、ホントにドクターパンティだ。

「ちなみにズーム機能も搭載でござる」

「ドクパン。可愛い子のパンチラ写真撮れたら売ってくれないか?」

誇らしそうに胸を張っているドクパンの肩にポンっと手を置いてボソボソっと呟やくオレ。ドクパンは返事をしない代わりにニヤりと笑い親指を立てた。

ドクパン、ナイスガイ。

「三次元女のパンチラなんて何が良いのか分からんなぁ」

秀光は腕を組んで首を傾けている。

「某は二次元アニメのパンティも好きでござるよ」

「さすがドクパンや!」

オレたちはアニメにおけるパンチラとフトモモの美学について語ったり、ドクパンが体系化したというパンティ学Ⅰ&Ⅱを受講しながら帰った。

初日から濃い二人と仲良くなったなぁ。いままで全く知らなかったけど塾って、こんな(色々な意味で)スゴイ人たちの集まる場所だったんだ。

 ☆☆

 高校生になって二日目。

今日も夕方からヴィクトリー塾だ。

へへっ、放課後にやることがあるなんてオレはリア充だな。

相武台駅で降りて改札を歩いていると

「あっ、テンマちゃんだーっ!」

 後ろから名前を呼ばれた。

 見なくても誰か分かる。何百回、何千回と聞いた この声と口調。

 オレは振り返って声の主に挨拶をした。

「よっ。春華」

「テンマちゃんもこれから塾の授業?」

「うん」

上から下までオレを見てニヤニヤ笑う春華。

「学ランというのもあってテンマちゃんがまだ中学生に見えるねぇ」

「オレはちょっとだけ童顔だしな」

「見た目じゃなくて中身の問題だと思うけどねっ!」

「それは無い。オレの中身は海をも収納できるほどの広さと深さを持った大人の男的なものがある大器のはずだし」

「でもそれ、穴が開いているから いつもカラッポだね」

「おいっ!」

 オレの心の器に指で突ついて穴を開けているのは大体お前じゃないか。

愉快気にサイドテールを揺らしながら笑う春華。中学のころから何も変わっていない。

彼女の隣には春華と同じ紺色ブレザーを着たツリ目の女の子が立っていた。

この子、会った事ないはずなのに何故かどこかで見かけた事あるような……。

必死に思い出そうとしていると女の子がぼそっと呟いた。

「あなたは……たしか昨日自己紹介のときに学闘で頂点とるとか言ってたわよね?」

「うん。それを知っているということは同じEクラスの……」

 ツリ目の女の子はコクッと頷いた。

「そうよ。あたしは石川あかね。あかね でいいよ。よろしくね」

「よろしく。オレの事はテンマくんって呼んで」

「分かった。テンマ、ね」

「いきなり呼び捨て!?」

 あかねは春華を見た。

「春華とテンマは中学の同級生とかそんな感じ?」

「幼馴染なの。テンマちゃんは揶揄われるのが好きだから沢山揶揄ってあげてね」

「好きじゃないしっ!」

「本当かなぁ?」

 春華は楽しそうにオレを見て首を傾げた。

「本当だよ。っていうか、春華とあかねは高校のクラスメイトってことで良いの?」

「うん。同じ相模高校だよ」

「そっか。ところで春華は今日何の授業取ってるの?」

「TOE (トップ オブ イングリッシュ)っていう英語の授業だよぉ」

「あー。なんか塾のカタログで見た気がする。英語の一番レベル高い授業だっけ」

「そう、それ。テンマちゃんは?」

「オレは基礎英語だけど」

「あっ。あたしも同じ」

 オレが答えると、あかねが反応した。

 塾に着いてカウンター前にある掲示板で授業が行われる教室を確認。

そのあと春華と別れて、あかねと基礎英語の教室に入った。

「あたしは理系だけどテンマは?」

「オレも理系だよ」

 あかねと他愛のない話をしているとドクパンと秀光が来た。ドクパンは眼鏡に手をかけながら、秀光は片手に携帯ゲーム機を持ちながら入口の前で立ち周囲を見渡したあとオレたちの方に近づいてきた。

「よう、テンマ」

「夏沢くんも基礎英語なのでござるな」

「そうだよ」

オレの前席に座り上半身を後ろに反らして雑談体勢に入った二人。ドクパンはメガネに手をかけながらオレの隣の席にいるあかねの足元を見るなり眉毛をピクッとあげた。

「たしか石川さんでござったか?」

「そうよ。よく覚えていたわね」

「その引き締まったスポーティーなフトモモは石川さんだと一目で分かったでござる」

 さすがドクパン。彼は女性の名前を顔ではなくフトモモで覚えているらしい。歴史に名を残すヘンタイになりそうな素質をひしひしと感じるよ。捉え方によっては、というかどう捉えてもセクハラ発言をしたドクパンに対してあかねは表情を変えず平然とした態度を取っている。

「そういうアナタはドクターエロメガネだったかしら?」

「惜しい。ドクターパンティ茨城でござるよ。気軽にドクパンって呼んでくれでござる」

 親指を立てて、ニッと笑い歯を光らせるドクパン。

 言ってることは変なのに誇らしげな顔をしているせいでドクパンが格好よく見えてしまった。

「分かった。よろしくね、茨城」

「ドクパンで良いのに石川さんはシャイでござるな。こちらこそ宜しくでござる」

 胡散臭そうな顔をしているあかねと微笑ましい顔をしているドクパン。そんな二人の会話を聞いていた秀光がゲーム機から目を離さずにボソっと呟いた。

「ドクパン。その呼び方はな、シャイやなくて皮肉で言われとんやで」

 秀光のツッコミにドクパンはハテナの文字を顔に浮かべていた。

ドクパンって結構天然なんだな。でも、普通の神経をしていたらドクターパンティなんてあだ名を受け入れることなんて出来ないか。オレならイジメ相談窓口に駆け込むレベルだもん。

 あかねの視線がドクパンから秀光へシフトする。シブイ顔はそのままだ。

「そっちのアナタは確かオタクの……」

「岡山 秀光。秀光でええよ」

 相変わらずゲーム機から目を離さず淡々と答える秀光。無礼な態度を取る秀光を見て気分を害したのか、あかねはムスっとした。

「そう。よろしく、秀光」

「よろしくな。ほら、さやか。お前も挨拶しろ」

“私、秀光ちゃんの彼女のさやかです。よろしくね~”

 携帯ゲーム機から可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。その声を聞いて秀光は嬉しさを抑えきれないような、青春を謳歌しているような、この世で一番自分が幸せだと主張したそうな……簡単に言うとキモい顔になった。

「ほんま、さやかは可愛いなぁ!」

 幸せオーラ全開でゲーム機のモニタにチュウしてる秀光を見て あかねは顔を引き攣らせた。

「ほんっとEクラスって変人ばかりね……」

 これには同意せざるを得ない。……って、何でオレを見ながら言うんだよ。まさかと思うけど、そのなかにオレも含んでるんじゃないだろうな。

「やっほー。テンテン!」

 笑顔の伊達さんがテクテクとオレたちの傍までやってきた。

「やぁ、伊達さん」

「この細さと肌色は……伊達さんでござったか?」

 ドクパンが目を光らせた。あかねの時と同じく顔ではなくフトモモを見ている。

「すごい。正解ですよ! えっと、ドクターパンティくんでしたっけ?」

「伊達さんも正解でござる」

 親指を上に立ててグッジョブとお互いを称えあう二人。ドクパンのセクハラを何とも思わないなんて伊達さんは凄い人だ。

「そういえばさっき一階のカウンター前で話声が聞こえてきたんですが、学闘技場って予約すれば自由に使えるらしいですよ。今度みんなで行きませんか?」

「良いね。学闘したい!」

「楽しそうね。あたしもやりたいな」

「じゃあ、わたしが予約しておきますね!」

 やったぜ。はやく学闘やりたい!

そろそろ授業時間になろうかという頃にピチピチの白いTシャツと青いジーパンを着た日に焼けた男が教室に入ってきた。どう見ても休日その辺を散歩しているか、もしくは公園のベンチでツナギを着て座っていそうなオッサンにしか見えない男が教壇の前に立ち、言い放った。

「はい。授業をはじめまーす」

 先生だった。何か勘違いして間違えてここに来ちゃったウッカリなオジサンかと思っていたら先生だった。

「まず最初に言っておくことがあります。英語ってのは、努力次第でどんな人でも必ず出来るようになります。たとえば、日本で生活していればどんなに勉強出来ない人でも日本語は話せますよね。それと同じです。だから、授業だけではなく予習復習、そして単語をしっかり勉強してください。必ず結果は出るので騙されたと思って試しにやってみてください」

 言っていることがマトモだ。ただのオッサンじゃなくて、やっぱり先生だったんだ。確かに日本語はスラスラと話せる。そう考えると英語が簡単に思えてきた。

「それじゃテキストを開いてください」

九十分という今まで体験したことの無い長時間の授業があっという間に終わった。

先生が退室した後にオレはふぅっと大きく息を吐いた。

「あっという間に授業終わった」

「授業もわかりやすかったし、さすがヴィクトリー塾の講師ね。見た目は胡散臭かったけど」

やっぱり思うことは同じか。

次の授業はオレと伊達さんは基礎数学、あかねはハイレベル国語、ドクパンと秀光は基礎化学らしく皆バラバラ。あかねたちと別れてオレと伊達さんは次の教室へと向かった。

「最近読書にハマってるんですよ。オススメの本とか無いですか?」

 廊下を歩きながらニコニコ顔でオレに尋ねる伊達さん。

 ちょうど春華に借りてる本があるから見せてやろう。

 “呪ってやる”ってタイトルの通りホラー系の本だから、女の子にオススメして良いのかどうかって問題はあるけど、まぁ良いや。一応オススメしてくれた人も女の子だし。

差し出した本を見る伊達さん。むぅと唸りながら、なんだか難しい顔をしている。

「いわってやる……ですか。タイトルの割に怖い表紙ですね。こんな怖い祝い方されても、お祝いされた方は反応に困っちゃいますね」

 あれっ、どこかで見た風景だ。

オレは冷静に対処する。

「いや。これはね、のろってやる、って読むんだよ?」

「えぇ!? じゃあ、なおさら怖いじゃないですか!」

 怯えた顔の伊達さん。冗談で場をなごませようとしたわけじゃなくて素で間違えていたんだな。たまたま目の調子が悪くてただ漢字を見間違えただけのオレの方が一歩上だ。そう、オレが読み間違えたのはただ目にゴミが入っただけだから。ほ、本当だよ?

 次の教室に着き、荷物を置いた。

「まだ次の授業まで三十分もあるよ」

「結構ありますねぇ。コンビニでも行きますか? わたし、プリン食べたいですぅ」

「いいこと言うね。オレも食べたい!」

 オレは甘いお菓子が大好きさ。

下に降りるとロビーの端に人だかりが出来ていた。

一番後方に、あかねの姿も見える。

「あかね」

「テンマ。伊達さん」

「この人だかりはなに?」

「相武台校の暫定総合ランキングが出たみたい。入塾前のクラス分けテストを参考にしたらしいよ」

「へぇ。誰か知ってる人の名前は入ってた?」

「まだ見れてない。なかなか前に進めないのよ」

「人だかりが収まるのを待つしかないか」

 待つこと五分。ようやく暫定総合ランキングが見える位置まで来た。一位から十位まで名前が記載されている。

あれ。これは一年生のランキングじゃない気がする。もしくは、書き間違え?

だって……

「オカシイ。オレの名前が入ってない」

「いや、当たり前でしょ」

「荒磯生が塾のランキングに名前乗せたら学校始まって以来の快挙になるんじゃないですか?」

伊達さんの言葉を聞いて、あかねはピクッと反応した。

「えっ、テンマって荒磯高校なの?」

「そうだよ」

「わたしも荒磯ですよ」

 あかねはオレと伊達さんの顔を交互に見て驚いていた。

コイツ、Eクラスでやったオレたちの自己紹介をちゃんと聞いてなかったな。数学と国語以外の成績はサッパリとか言ってたし、たぶん興味ないことは聞き流すタイプだな。

「そうなんだ……えっと、大丈夫なの?」

 あかねが心配そうな顔をしているけど、オレに言わせればそんな反応されるとかえって不安な気持ちになる。

「三大バカ高校の一つとか言われるけどさ、噂と違ってクラスメイトはまともな人ばかりだったよ」

 伊達さんを横目で見ると元気よく頷いていた。

「そうですね。もう皆さんと仲良しこよしですよ!」

「なら、よかったわね」

「荒磯の生徒が居るって?」

「マジかよ。あんな底辺高の奴が塾に通うなんて身の程を知れって感じだな」

 背後からオレたちをバカにする声が聞こえてきた。

 あかねは見るからに不機嫌な顔をしてオレたちを見た。

「うっざ。ああいうの気にしなくて良いから」

「おい、お前ら! 身の程を知れっていうほうが身の程を知るべきなんだぞ!」

「バカっていう方がバカっていうのと同じ理屈ですね!」

 ……あかねが何か言っていた気がするけど、今はそれどころじゃない。

コイツらに謝罪させるのが先だ。同じ荒磯高生の伊達さんも一緒になって怒っている。

オレたちをバカにした二人組の片方はガリガリのメガネくんで、もう片方はロン毛でギャル男っぽい見た目だ。二人とも意地の悪い笑い方をしている。

「お前ら怒ってるけどよ。荒磯に通うってことは今まで勉強せずに遊んでたんだろ。そんなヤツらと一緒にされる身にもなれってんだよ。まっ、どうせお前らEクラスなんだろ?」

 見下すような顔をしてギャル男が言った。

「だったら何だ。Eクラスは良いクラスだぞ!」

 オレはすかさず反論するも

「それ、わたしの名言ですぅ」

 二人組より先に伊達さんが反応した。

伊達さんめ。先に言ったのは君かもしれないけど先に思いついたのはオレだぞ、たぶん。ここはガツンと主張しておくべきだな。

「残念! 先に言われただけでオレだって言おうとしてましたぁ!」

「ぶぅ! 自分が作った作品の著作権を奪われた気分です!」

「ははは。お前らお似合いだな。Eクラスはバカの隔離施設ってのは本当だったんだな」

 はっ、しまった。

いまは伊達さんと戦ってる場合じゃない。本当の敵はコイツらだ。

危ないところだったぜ。もう少しで敵の術中に嵌って内部分裂するところだった。

「さっきから好き放題言ってるけどさぁ、アンタらはどこのクラスなのよ?」

 あかねも自分の所属するEクラスをバカにされて怒りゲージが溜まったのか参戦してきた。これで三対二だ。民主主義的に考えてオレたちに正義がある。

「オレたちはAクラスだよ。ちなみにオレはランキング八位だぜ。光栄に思えよ。本来なら、お前らはオレに話しかけられる身分じゃないんだぜ」

 なんだ、その勝ち誇った顔は。

ランキング表を確認すると八位は月極と書いてある。

ギャル男の名前は月極と言うらしい。ムカつくやつだなっ。

「ったく、Eクラスに居る時点で才能の欠片もねーんだからよ。さっさと塾やめちまえよ」

「おい、ゲッキョクッ! オレはお前の自惚れを打ち砕く!」

 宇宙を包み込めるほど広い心を持つオレも怒りが天元突破した。

 ビシッと指をさして月極に宣言。

周りの視線が集まる。謀らずとも注目を浴びてしまう人間というのは大抵カリスマ性を持つ人か変人・変態のどちらかだけど、オレは間違いなく前者の方だろう。

「へぇ。どうやって打ち砕くっていうんだ?」

「学闘だ。学闘で勝負だ。オレに負けたらEクラス全員に土下座して謝れ!」

「あははは。落ちこぼれの荒磯くんがオレと学闘するだって? 良いよ。受けてやるよ。オレが勝ったら今後オレに会うたびに土下座しろよ」

「分かった!」

「こいつは楽しみだ。ちょうど五月五日に学闘技場を予約してたからよ。そこで対戦ってのはどうだ?」 

「望む所だ!」

「決まりだな。ついでに教えてやるけどよ、月に極めると書いて、ツキギメって読むんだよ。小学校から漢字の勉強やりなおしてこいよ」

「な、なんだと。ゲッキョク駐車場じゃなかったのか……!?」

「バカなヤツ」

 笑われた。

くそっ、恥ずかしい。だれかオレを擁護してくれ。

「月極を読み間違えて良いのは九十三歳までですよ」

 伊達さんから放たれる辛辣な一言。

擁護どころか追撃がきたぞ。ちくしょう!

「なんだよ、伊達さんなんて呪うって文字すら……って、オレまだ十五歳だからセーフだっ!」

「ふふ、そうですよ。だから読めなくても良いんです!」

「なーんだ、そうかぁ」

 二人で顔を合わせて笑っていると月極がピクッと眉毛を動かした。

「伊達……? おまえ、伊達朝美か?」

「そうですが何か?」

 キョトンとする伊達さん。

 月極は伊達さんを知っているようだけど伊達さんは月極を知らないみたいだ。……もしや月極は伊達さんのストーカー?

それなら勝負をつける前に警察に送り届けなければ。

さっきまで見下すように笑っていた月極が信じられないと言いたげな顔をしている。

「伊達がEクラス、か。天秀勉義塾の冷徹才女(コールドプリンセス)も地に堕ちたもんだな」

 月極の言葉に反応して伊達さんからニコニコ笑顔が消えた。

伊達さんのこんな真面目な顔、はじめて見る。

まぁ出会ってから二日しか経ってないけど。

「……なるほど、月極くんも義塾生でしたか。じゃあ、一つだけ教えてあげます。地に堕ちたと言いますが、人の上に立つことよりも大切なものってあるんですよ」

「まさか義塾ナンバーワンの堕落した姿を見る事になるとはな。……まぁ、お前らEクラスとの格の違いを学闘で見せてやるよ」

 月極たちは笑いながら去って行った。

「あんなヤツは絶対倒してやる!」

 月極の背中を睨んでオレは憤怒した。

「伊達さんって小学生のとき天秀勉義塾に通ってたの?」

 そんなオレの横で、あかねの質問に対して伊達さんはぎこちない笑顔でコクッと頷いていた。

そういえば月極と伊達さんの会話で気になったことがある。

「テンシューベンギ塾って何?」

「簡単に言うと選ばれたエリートしか入れない日本一の塾よ。この塾でナンバーワンってことは実質日本一ってことだと思う」

「伊達さんが日本一!?」

 ウソだろ!?

 だって、日本一ってことは春華よりスゴイってことじゃん。呪うって文字すら読めなかった伊達さんが……。先生が採点ミスでもしたんじゃないの。

「親や先生にプレッシャーをかけられて、言いなりになって……友達との楽しい思い出すらロクにない恥ずかしい過去ですよ」

伊達さんから哀愁漂う笑みがこぼれた。この話は忘れて欲しい、そんな顔をしている。

これ以上話題に出すのもヤボというものだろう。

「……って、もう授業始まっちゃうじゃん」

 気まずくなった空気を誤魔化すように あかねは階段を昇って行った。

オレと伊達さんも結局コンビニへ行けずじまいで教室に戻った。

数学の先生はとても若々しい。ジーパンとポロシャツという格好もあって大学生みたいに見える。

全員の出欠確認が終わって授業が始まった。

「散々聞いてると思うけど、この塾では人間性を鍛える為に講師は授業の中でタメになる話をしなきゃいけない。ってワケで、オレは哲学家や成功を納めた偉人の名言を取り上げていこうと思う」

先生は黒板にチョークを走らせた。

考え方が変われば行動が変わる

 行動が変われば習慣が変わる

 習慣が変われば人格が変わる

 人格が変われば運命が変わる

 運命が変われば人生が変わる

「ここに書きだした言葉はウィリアム・ジェームスっていうアメリカの心理学者の思想だ。たとえば、義務感で勉強をしていた奴が本気で成績上位を取りたいと思って、どうすれば良いか考えるようになれば自然と勉強時間や勉強の仕方が変わってくるだろう。それが例え小さな変化だったとしても継続することで色々な連鎖を起こして人生に反映されていくんだ。日々の地道な積み重ねが三年後には大きな差となるんだぞ。しっかり予習復習しろよな」

 先生はそう言って授業を始めた。たしかに積み重ねは大事だと思う。先生の言う通りしっかり勉強しよう。

モテるためにも、偏差値五十五とるためにも。


第三章 みんなでテンマを鍛えるわよ!

 

 元気をくれる日の光が窓ガラスを透過し机を照らす。何処からともなくホーホーホッホーというキジ鳩の歌声が聞こえてくる。そんな穏やかな日曜の朝。

 中学時代とは違って、休日は午前中に勉強をする習慣がついた。今日はいままで習ったことの総復習。問題の解法を忘れてしまわないように、何度も何度も同じ問題を解いている。あまり理解出来ていない問題も答えを丸暗記する事で克服している。今では、教科書の問題を見ただけで答えが思い浮かぶようになっていた。

これだけ時間をかけて勉強しているんだ。絶対に偏差値五十五を取れるはずだし、学闘で月極を軽く倒せるハズさ。

勉強をひと段落させて、お昼過ぎからヴィクトリー塾に向かった。

伊達さんが予約してくれた学闘技場で学闘の特訓をするためだ。

塾につくと既に皆来ていて、オレに気が付いた伊達さんがニッコリ笑って大きく手を振った。

「おはようですよ!」

「おはよう!」

「これで皆揃いましたね」

「せやな」

「学闘やりにいきましょうっ!」

「そういえば前から気になってたんだけどさ」

「なんですか?」

「学闘って武道じゃん? なんで学習塾が武道をしてるの?」

「それは……なんでですかねぇ?」

「入塾資料に書いてあったじゃない。勉強が出来るだけの頭デッカチな人間にならないために学力以外にも、勇気、知恵、気合みたいなものを身に着けて貰いたいって。んで、それを養うには武道が一番という結論に達したから勉強と武道を両立出来ないかと考えて作られたのが学闘だってさ。気分転換やストレス発散にもなりそうだから、あたしは好きだけどね」

「なるほど。あかねはよく覚えてるな」

「アンタが書類を読まなすぎなのよ」

「説明書は読まないタイプだからな!」

「威張って言うことじゃないでしょ……」

伊達さんを先頭に学闘技場の中に入った。正方形のリングが四分割されていて、左奥をAゾーン、右奥をBゾーン、左手前をCゾーン、右手前をDゾーンという風に振り分けている。これにより一度に四グループが使えるようになっていた。

「わたしたちはCゾーンですね!」

「それなら、あっちの方だね」

 他の三つのゾーンでは皆思い思いに戦っている。

Cゾーンに着いたところで荷物を隅に並べてリングに上がってみた。

「さっそくやりましょうか!」

「そうしたいところだけどさ、みんなルールはちゃんと把握してるの?」

「もちろんだよ!」

 あかねの問いにオレは全力でうなずいた。

「ふぅん?」

「なにその全く信じてないような反応!?」

「じゃあ、どうやるか時系列順に説明してみなさいよ」

「そ、それはちょっと……」

「あら、言えないのかしら?」

「だって時系列順なんて言われても。そんな高等な専門用語までは知らないし」

 いきなり素人いびりなんて、あかねはヒドイやつだ。

「夏沢くん……」

「テンマ……」

 あかね、ドクパン、秀光はオレを憐みの目で見ていた。

みんなの反応が理解できずにオレは首をかしげた。伊達さんも一緒にかしげている。

「時系列ってのはね、ものごとを最初から順番に並べて言ってってことよ」

「なんだ、そういうことか!」

「それならそうと言ってほしいですね!」

 難問が分かってオレの心は晴天模様だ。

伊達さんもスッキリした顔でニコニコ笑っている。

「で、学闘はどうやるのか言ってみなさいよ」

「そりゃ学闘は武器を使って戦うんだよ」

「まぁ、そうね。んで、武器の出し方は?」

「……さぁ?」

「知っときなさいよ!」

「どうやったら出来るの?」

 オレが尋ねると、あかねは呆れ顔になった。

そんなことも知らないの? と無言の圧力を感じる。

そんなことも知らないんだよ。だから教えてね、と気持ちを込めて笑顔を作ってみせた。

「塾生証を手に持って “ファイト” と唱えるのよ。このまえホームクラスで寺先生が説明してたでしょ」

「そうだっけ?」

「夏沢くんはホームクラスの時間寝てるでござるからなぁ」

 クスクスと笑うドクパン。自分だってメガネのレンズを拭いて時間潰してるくせに。

 でも陰陽師先生の授業は無駄話っていうか自分語りが多すぎて退屈だから仕方ない。いくらやる気に満ち溢れたオレでも何の足しにもならない話を真面目に聞いてあげようとは思わない。

「なんで塾生証を手にもつ必要があるの?」

とりあずポケットから塾生証を取り出し、ふと疑問に思った事を聞いてみた。

あかねは腰に手をあて面倒くさそうな顔をしている。

「塾生証にICチップが埋め込まれていて、それを学闘技場が読み取ることで学闘ができるの」

「なるほど」

「とりあえず、やってみせるわよ。ファイト!」

 塾生証を掲げた あかねの右手に急に出てきた紅色のカタールが握られた。

「何もないところから武器が出てきた!?」

 このときのオレは目ん玉が飛び出るくらいに驚いていたと思う。

「これがラーニングウェポン、学闘で使う武器よ」

「武器に名前があるのか……」

「ついでに教えておくけれど、これで攻撃しても相手は痛みを感じないしケガを負わせる心配もないわ。学生証がセンサになっていて自分の体力ゲージ以上の攻撃を受けると武器が消滅する仕組みになってるの。勝利条件は相手をリングの場外に落とすか武器を消滅させるかのどちらかよ。残り体力ゲージは学生証の裏面を見れば分かるわ」

「長い棒が書いてある」

「そう。それが体力ゲージ。攻撃を受けるたびに減っていくから、あとどれくらい攻撃されたら武器が消えるかが大体分かるわ」

「武器の攻撃力とか体力ゲージは自分の学力成績が高いほど良くなるんやったな?」

「そうよ。だからしっかり勉強して良い成績を残さないと強くなれないってこと」

 オレはあっけにとられて思わずため息が出た。

「すごいな。これ、どういう技術?」

「さぁ。あたしもよく知らないけどVRとかなのかしらね? 質量があるからバーチャルって感じもしないけど……。とりあえずヴィクトリー塾だけが持ってる特殊技術なのは間違いないわ。だから学闘はこの塾でしか出来ないわけだし」

「それもそっか」

「っていうか、早くアンタたちも武器を出しなさいよ」

 あかねに催促され皆も塾生証を掲げてファイトと叫んだ。

 伊達さんの手には扇子、ドクパンの両手には苦無、秀光の手には槍が握られていた。

「秀光の槍、装飾がすげぇ!」

 重厚感溢れる黒塗りの槍。見るからに強そうだ。

「理系の場合、武器の攻撃力は数学の成績に依存するの。秀光は数学オリンピック選手になるくらい数学が出来るんだから攻撃力はかなりのモノなんでしょうね」

「強さによって見た目も変わってくるってことか……」

「テンマもはやく武器をだしなさいよ」

秀光の武器を眺めていると、あかねから催促が飛んできた。

 ふふ。いつだってヒーローは後から出てくるものなのだよ。

さぁ、待ちに待ったオレの出番だ。いくぞ!

「ファイッ!」

仮面ラ○ダーの変身シーンのようにイケてるポーズを決めて魂のシャウト。あかねがポカンとしているのはきっとオレのカッコイイポーズに見とれてしまったからだろう。

オレの手元に武器が現れた。

カタナのような形状。でも材質は鋼じゃないようだ。

「っていうか木の棒!?」

「木刀ですらないわ……。若干曲がってるしホントにただの木の棒ね」

「せめて握る場所に滑り止めくらい付けといてくれよ!」

「アンタ、どんだけ数学の成績低かったのよ……」

「ちくしょう!」

「せめて特殊能力がマシなことを祈りなさい」

「特殊能力って、武器1つ1つに固有な能力がついてるやつだっけ? 人によっては火とか水を出せるやつ」

「それのことよ。理系の場合、国語の成績が良いほど特殊能力の攻撃力があがるわ」

「オレのは確か……」

入塾したときに貰った紙に特殊能力について書かれてたな。

たしか、こんな感じの能力だったはずだ。

 「コンプレッサー(空気圧縮砲)」

  能力説明:空気を圧縮し、空気圧を発生させる能力

使用方法

圧縮したい場所をイメージし、自分の指定した「合言葉(事前に申請)」を詠唱

圧縮した空気を解放するときは、自分の指定した「合言葉(事前に申請)」を詠唱

 使用上の注意

能力は理想気体の状態方程式に基づく。ただし、ここでは気体定数は特殊攻撃力、モル数は精神状態(集中力含む)とする。

相手の体を圧縮場所として指定することはできない

圧縮場所が自身から離れているほど圧縮率が低下する

圧縮限界を超えると暴発する

「ちなみに学闘はラーニングウェポンと特殊能力以外での攻撃は禁止されてるから。蹴ったり頭突きとかしたりしたらダメよ?」

「そんなことしないよ」

「テンマの場合、武器の攻撃力も特殊能力も低そうだし、どさくさに紛れて月極の足を踏んづけるくらいしないといけないかもしれないけどね」

「その手があったか」

「もちろん冗談よ? やったら反則負けになるから止めときなさい」

「えっ……」

 本気で名案だと思ったのに。

「こんな調子でホントに月極に勝てるのかしら? ランキングに入るくらいだから相当強い武器持ってるわよ?」

 たしかにAクラスに入るやつの武器は間違いなく凄いだろう。

 でも問題ない。大丈夫だ。

 オレは あかねに向かって自信満々にグーサインを出した。

「能力に差がある分は勇気と運動神経と主人公補正で埋める。心配するな!」

「誰が主人公よ。まぁ、テンマの言う事も一理はあるかな。学闘って精神状態によっても武器の強さが変わるらしいし。その勘違いナルシストっぷりなら何とかなりそうな気がするわ」

「ははは、ありがとう!」

「それ、褒められてないやろ」

 秀光のツッコミを他所に あかねは皆を見た。

「サクサクやりましょ。最初は誰がやる?」

「オレがやる!」

「某がやるでござる」

 オレとドクパンが手を挙げて一歩前に出た。

「夏沢くん。最初から飛ばしていくでござるよ」

「望む所さ」

 ワクワクしてきた。

オレとドクパンはリングに残り、あかねたちはリングから降りた。

さっそく特殊能力を使ってみよう。入塾時に貰ったマニュアルを思い出せ。攻撃力は理想気体の状態方程式に基づくとか意味分からない記述があったような気もするけど今は無視だ。

オレの特殊能力は……空気を充填して、圧縮した空気圧で攻撃するもの。

「セット」

 左手に木の棒を持ちつつ右手に意識を集中した。すると、右手に空気が圧縮されていくような感覚を覚えた。これが準備段階。

ドクパンが踏み込んでくる。ギリギリまで空気を充填するんだ。

間合いを詰めたドクパンにあわせて――いまだ!

ドクパンが苦無で攻撃をしてくる前に右手を前に突きだした。

「ウィンドブレイカー!」

 掌から空気圧が放たれるのを肌で感じると同時にドクパンが空気圧に押され体勢を崩して倒れた。手を向けた先から反作用により逆流した空気の流れがオレの身体を通り抜けて行く。

オレの能力、コンプレッサー(空気圧縮砲)。

結構使えるかも。

ドクパンが倒れているうちに後ろに下がって間合いを確保した。

「これが夏沢くんの特殊能力でござるか」

「そうさ。驚いたろう!」

「驚いたでござる。それにしても本当に痛みを感じないとは学闘のシステムはすごいでござるな」

 倒れたドクパンがさっと起き上がった。

 本当に痛みもケガもないみたいだ。

「セット」

 再び空気圧縮を開始。

ドクパンが踏み込んでくるかと思いきや、テクテクと歩いている。

随分余裕な態度だ。空気をたくさん圧縮出来てオレには好都合だけど。

「いくでござるよ」

十秒ほど空気を圧縮し、そろそろ攻撃に出ようかと思っているとドクパンが走ってきた。

なんだいきなり!?

不意なドクパンの行動に驚いてしまったせいで、集中力が途切れ圧縮中の空気が散ってしまった。あぁ、勿体ない……。

 勢いを殺すこと無く突進してきたドクパンの苦無による攻撃は的確で次々に急所へ入っていく。防御や反撃しようにも焦りが集中力を乱して思うように動くことができずに一方的にやられた。オレが倒れると同時に木の棒が消えた。

つまり試合終了だ。

「ま、負けた……」

「戦い方は何となく分かったでござる」

「くそぅ。……そういえばドクパンはいま特殊能力使ったの?」

「使ってないでござるよ。まだイマイチ使い方が分かっていないのでござる……」

「そっか」

「某は特殊能力の使い方を極めるよりも戦闘動作を極める方に力を入れるでござるよ。パンティを盗み見してきた過程で得た身体能力は無限大でござるからな」

 メガネを光らせるドクパン。

素直に賞賛出来ないオレの感性は正常であると思いたい。

「テンテンの能力はなんだったんですか?」

伊達さんから質問が飛んできた。

しょうがないから特別に教えてあげよう。

「それは……」

「ストップ。言わなくていいよ。次はあたし。ほら、やるわよ」

 っと釘をさされた。まぁ、いいか。

今はいっぱい学闘をしたいし能力の話をするのは後でも出来るしね。

「オレは女でも手抜かないよ」

「うん。あたし手抜かれるの嫌いだから。もし手加減したらブっ倒す」

 あかねの強気な口調に恐怖を感じた。

すごい威圧感だな、コイツ。手加減しなくてもブっ倒す気満々じゃないか。

“終了五分前になりました。学闘技場ご利用の方は速やかに退出してください”

「あ、アナウンスが流れましたよ」

「気にしなくていいわ。どうせ一分もかからず終わるから」

 平然と言いのける あかね。勿論それはオレの勝ちってことで良いんだよな。

「もう時間か。おれの学闘はお預けになりそうやなぁ……」

「わたしもです」

 秀光がボヤきながら伊達さん、ドクパンと一緒にリングから降りた所でオレはあかねと向き合った。

「行くわよ、テンマ。ON 百パーセント、陽炎遊子」

 あかねが両腕をクロスさせて呟くと全身から赤い蒸気が湧きだした。

 あれ、あかねが段々ぼやけて見えてきた……?

瞬きした次の瞬間、あかねが居なくなった。

「消えた!?」

「ええぇいっ!」

 あかねの声が聞こえた瞬間、何が起きたのか分からないままオレはリング外へ吹き飛んだ。

な、何が起きたのかも分からずに瞬殺されるとは……。

「瞬殺でござるな」

「あかねちゃん、強すぎですよ。何をしたんですか?」

「話はあと。時間ないしまずは学闘技場から出ましょ」

 くそ。ドクパンにもあかねにも勝てなかった。

 でも多分この二人より多分月極のほうが強いんだよな。

どうしよう、ちょっとだけ不安になってきた……。

☆☆

翌日。

Eクラスのホームルームが始まるや否や いつもの話が始まった。

「私は由緒ある陰陽師の家系で伝統ある寺で育ったからか小さい頃から霊感があってね。でも、真の能力に目覚めたのは君たちくらいの年ごろだったよ。それから悪霊に苦しむ人々を解放する日々のはじまりだった。一番大変だったのは……」

十分後。悪霊退治シーンを語り終えて余韻に浸る先生。この人は一体何を言っているんだろう。陰陽師キャラで売りだしてテレビにでも出た方がよっぽど活躍出来るんじゃないか。

自分の世界から帰還した陰陽師先生と不意に目があった。

「夏沢くん。Aクラスの月極くんと学闘するっていう噂を聞いたけど本当かい?」

「はい。本当ですけど?」

 クラス中がざわついた。

またクラス中の話題にあがってしまったな。人気者は辛いぜ。

「君は実に無謀なことをするなぁ。Eクラスの人間がAクラスに勝つなんて今まで聞いたことないよ?」

「じゃあ、オレが初めての達成者ですね!」

「学力が学闘の武器の強さに直結することは知ってるよね?」

「もちろん」

「AとEじゃ学力に圧倒的な差があるわけで、学闘に反映される能力の差を例えるなら大学生と小学生くらいの身体能力の差はあるだろうけど。……まぁ、知識で知っているのと実際に身をもって知るのは違うからね。これも良い経験になるよ」

 なに、その呆れた口調。先生が励ますどころかやる気を削ぐような事言うなんて驚きだ。

「先生。夏沢くんは月極がEクラスをバカにした事に対して怒ってくれたんですよ? 勝てる訳ないで終わらせないで、勝つ方法を一緒に考えてくださいよ」

 あかねが不機嫌そうな顔してオレを擁護してくれた。

「そうですよ。無謀なんて言葉で片付けないでください!」

 伊達さんも援護射撃をしてくれた。

二人に感謝。今度何かお礼を……そうだな。お礼代わりに彼氏になってあげようかな。

 クラスメイトたちは近くに居る者同士でガヤガヤと話はじめた。

「夏沢って荒磯だろ? 絶対勝てないじゃん」

「だよなー。ムリムリ」

「アイツいつも小テストの結果下の方じゃん。それでAクラスとやるなんて無謀だな」

「あーあ。彼女ほしーな」

「夏沢がやるくらいならオレがやった方がまだ勝ち目ありそうだ」

 一部己の欲望に忠実な声も聞こえてきたけど、皆オレが勝つなんて全く思ってないような反応だ。通ってる高校の偏差値で能力を測ろうとするなんて失礼なやつらだな。ここはしっかり主張しておこう。

「なんだその反応は。オレをただの荒磯高生だと思うなよ!」

「なんだよ?」

 勢いよく立ち上がると、ざわめきが収まりオレに視線が集まった。

オレはすぅっと息を吸い込んだあと親指をビシっと立てて自信満々にこう答えた。

「学闘で頂点に立つ荒磯高校生だ!」

「いや、無理でしょ」

「可哀想に。夢と現実の区別がまだつかないのか」

「冗談はテストの点数だけにしてくれよ」

「ちょ、オレたち仲間だよね!?」

 クラスメイトたちが残念な反応をしてくる。やる前から諦めるなんて負け犬根性つきすぎだろう。全員がこういう反応をしてきたら、さすがのオレも絶望したかもしれない。

でも、あかねやドクパンといった何人かはクラスメイトの反応に不快そうな顔をしてくれていたので少し救われた。

ざわめく教室のなかで秀光がゲーム機から手を離し、スッと立ち上がって周りを見渡した。

いま気が付いたけど、秀光は授業中もゲームやってるんだな。どんだけサヤカちゃんが好きなんだ。

「月極のやつ、テンマに負けたらEクラス全員に対して、バカにしてごめんなさいって土下座することになってるんやで。見てみたくないか?」 

「マジで!?」

「見たい見たい!」

「土下座させたいぜ」

「でも夏沢が勝つなんて無理だろ?」

「そうだよなぁ」

秀光の言葉をトリガーにクラス中のざわめきが更に増した。

「おれたち全員でテンマを勝たせるんや。全員で知恵出せば何とかなる気がしないか?」

「元数学オリンピック選手に言われたら何とかなる気がしてきた!」

「そうだな。ダメもとでやってみようぜ。なめられっぱなしは悔しいからな!」

「段々おいどんも燃えてきたでごわすよ!」

「土下座ッ! 土下座ッ!」

 秀光は人を乗せるのが上手いな……。

 教室全体が高揚しているような、そんなクラスの様子を見て陰陽師先生は笑った。

「そこまで言うなら分かった。この塾のモットーは半教半学、独立自尊だからね。君たちの気持ちを大事にしよう。今日から毎晩八時半から九時の間は学闘技場を使えるようにしてやろう。一年生はまだ学闘の経験が浅い。戦い慣れすることで、もしかしたら番狂わせが起きるかもしれない。Eクラス全員で夏沢くんを鍛えるんだ」

「おぉ。寺先生話が分かるなっ!」

「寺先生ステキーっ!」

「はは。そうだろ、そうなんだよ。もっと褒めたまえ」

 クラス中がお祭り状態になった。

共通の敵を持って、みんなが一つにまとまっていくのを感じる。

これは何がなんでも月極に勝ちたい。Eクラスが隔離施設なんて言ったことを絶対に後悔させてやる。それにAクラスの奴に勝ったらオレの評価急上昇で彼女が十人くらい出来そうな気がする。

そう思うと、やる気がみなぎってくる。絶対勝つんだ。

「ってワケで、皆でテンマを鍛えるわよ!」

「オォーッ!」

 授業後、学闘技場に皆の叫びが響く。

Eクラスが初めて一つになった瞬間だった。

「武器の強さで劣るうえに相手の特殊能力も分からないなら戦い慣れるしかないわ。ひたすら闘って学闘をマスターするのよ」

あかねの言葉に反応して秀光が前に出た。

「昨日学闘が出来んかったからな。今日はおれが最初の相手や」

「秀光。望むところだ!」

「ファイト!」

オレたちは二人そろって武器を出した。

「いくで!」

「来い!」

「でやあぁ!」

秀光が開始早々ヤリで突いてきた。オレは空気圧縮をはじめたばかりで身動きを取れず直撃を受けて倒れてしまった。……オレの左手から木の棒が消えた。

「……へっ?」

「あれ、終わってもうたん?」

あまりにもあっけなく終わってしまいオレも含めてその場に居た全員が困惑した。一体どうなっているんだ。

「秀光、いま特殊能力使ったの?」

「いや。普通に突いただけなんやけど」

「マジで」

まさかただの突きでやられるなんて。

あかねは腕を組んで秀光を見た。

「まっ、秀光は元数学オリンピック選手だしね。理系は数学の成績が武器の攻撃力に反映されるから攻撃力は塾内トップクラスだろうし、どうせテンマの防御力も最下層レベルでしょうしね」

「最下層とか言うなよ!」

「じゃあ聞くけどさ、防御力が依存する理科科目の平均順位はどんくらいだったのよ?」

「……二番目。下から数えて」

「ふっ」

「鼻で笑われた!」

「秀光はさすがでござるな。だけど、何故それでEクラスに居るんでござるか?」

「数学以外は全く分からんからな」

 へっへっへっと笑いながらポケットからゲーム機を取り出す秀光。

 さやかぁ~とか言いながらゲームに夢中になりはじめた。

 そんな変人に負けてしまった事実は悔しい。。

「次はあたしが相手するわよ」

この後、あかねやドクパン、伊達さんをはじめとしたEクラスの皆と戦ったけれど十戦十敗となったところで終了時刻になってしまった。

何故一度も勝てないんだぁーッ!?

「……今日のところは全戦全敗か。ホントしっかりしてよね」

あかねから冷たい視線と言葉が飛んでくる。

「夏沢くん。何故勝てないか分かるでござるか?」

「ドクパン……。サッパリだよ」

「より闘志を燃やせる条件が夏沢くんには必要なんでござるよ」

「うーん。Eクラスの人間がAクラスの人間に勝って土下座させる戦いってスゴイ燃える状況だと思うけどなぁ」

「せやな」

オレと秀光は顔を合わせて言った。実際燃えているんだ。だけど結果が出ない。

ドクパンは首を横に振った後に、あかねと伊達さんを見た。

「夏沢くんをより強くするには石川さんと伊達さんの力が必要でござる」

「へっ、あたしたち?」

「何をすれば良いんですか?」

「要は夏沢くんには飴が必要なんでござるよ。勝たせる為に協力して頂きたいのでござる」

ドクパンのメガネの奥から鋭い眼光が見えた。これは何か秘策があるのか!?

あかねと伊達さんはドクパンの目を見て覚悟を決めた顔になった。

「当たり前でしょ。あたしが最初にテンマの特訓を提案したんだからね。……で、あたしは何すれば良いの?」

「わたしも協力するです!」

ドクパンは頷き、ゆっくりと口を動かした。

「夏沢くんが勝ったら二人のパンティを見せてあげると約束して――」

言葉を言い切らないうちに、あかねの鉄拳がドクパンの顔面に食い込む。

ドクパンは吹っ飛んでいった。

「ド、ドクパーンッ!?」

黒縁メガネのフレームが割れ、ピクピク痙攣している。

「す、素手は普通に痛いでござる……」

「珍しく真面目な顔してると思ったら、何考えてんのよッ!?」

秀光は腕を組んで、もっともだと言う風に頷いた。

「せやな。三次元女のパンツなんて見たって汚いだけ――」

あかねのチョップが秀光の頭蓋骨に突き刺さり、秀光が抉りこむように地面に埋まった。

「秀光ーっ!?」

「汚くないし!」

秀光が白目を剥いて昇天している。

なんということでしょう、恐ろしい腕力です。本当にこの人は女性なのでしょうか。

「のびてる二人はほっといて帰るわよ」

「せ、せめて助けを呼ぶくらいはしてから帰ろうよ」

「ったく、しょうがないわね。じゃ霊柩車呼んで運んで貰いましょ」

「霊柩車!? 救急車の間違いだよね!?」

どうやら、あかねは息の根を止めるつもりで攻撃したらしい。

二人は倒れたまま動かない。

みんな傷ついていく。地獄の特訓によって一人、また一人と脱落していく。月極を倒す為にこんなにも苦しいことになるなんて思わなかった。オレ、強くなるよ。だから……

「ドクパン、秀光……お前らの犠牲、無駄にしないからな!」

「二人が脱落したのは自業自得ですよね」

 今日の伊達さん、ニコニコしてるけどなんか怖い。


第四章 奇跡なんか無かったよ


 今日の空を絵に描いたら水色をベタ塗りするだけの手抜きになるんじゃないかな。

そう思うくらい雲一つない澄み切った青空だった。そんな大海にも似た空をヴィクトリー塾の屋上で鯉たちが元気よく泳いでいる。

五月五日。月極と決戦の日だ。この二週間、毎日Eクラスのクラスメイト相手に戦ってきた。オレの肩にはEクラス全員のプライドが乗っかっている。相手がAクラスだろうとランカーであろうと負けるわけにはいかない。

「こんだけ手伝わせておいて負けたら分かってるでしょうね?」

 昨日のあかねの脅迫……じゃなくて、エールを思い出して身震いした。負けたら大変なことになる気がする。逆に勝ったらオレに惚れちゃうかな。ふふ、あのツンツン娘を惚れさせてみたい。絶対勝つぞ。

ヴィクトリー塾に着くとカウンター前に月極が居た。春華やEクラスの皆も来ている。

みんな……オレが伝説になる所をしっかり見ておいてくれよ。

オレの姿を確認するなり、あかねが駆け寄ってきた。

もしかして決戦を控えるオレに激励をくれるのかな。そうだよな。こういう決戦前は決まって愛の告白をしてくる女子が居るもんだ。その相手があかねなのは驚いたけど今日はテンマを応援しようセール実施中で、テンマくんを無条件で彼氏に出来るお得な日なんだ。あかねはフォーチューンガールだな。さぁっ、どんとこいっ!

覚悟を決めて、あかねの言葉を待っていると……

「遅いわよ!」

「愚痴かよ!」

 第一声が愛の告白どころかネガティブ要素しかない台詞だった。

決戦前なんだから、もっと優しい言葉をかけてほしいもんだ。

続けて春華がやってきて、えくぼを浮かべた。

「あかねからテンマちゃんが面白い事するって聞いたから見に来たよ」

「おう。かっこいい所をたくさん見せてやる」

「うん、笑える所をたくさん見せてね」

「笑えるってなんだよっ!」

 カウンターに寄り掛りズポンのポケットに手を突っ込んだ月極がクスクスと笑っていた。

「よく逃げずに来たな。褒めてやるよ」

相変わらずイヤミたらしい奴だ。なんとしてもコイツには土下座させないとな。

「オレが勝ったらEクラス全員に土下座する約束だ。覚えてるよな?」

「当然。オレが勝ったらお前はオレに会うたびに土下座するんだぜ?」

「分かっている」

「よっしゃ。じゃ、早速やろうぜ」

 月極が不敵に笑い先行して地下へと降りて行った。

オレも月極に続こうとすると、皆の視線がオレに向いていることに気が付いた。

「頑張ってくださいね。勝ったらハーゲンダッツおごってあげますよ」

 伊達さん優しい。誰とは言わないけど、どこかのあかねさんとは大違いだ。

「勝てたら例の写真をプレゼントするでござるよ」

伊達さんの隣に立つドクパンがにやりと笑い親指を立てた。

「マジで!? ありがとう。ところで、秀光の姿が見えないけど?」

「ヴィクトリーガールズのイベントがあるとかで東京ビッグサイトに行ったでござる。さすがゴールデンウィークでござるな」

 あの野郎っ。友達より嫁を取るのかっ!?

 もし逆の立場なら……あれ、オレも東京行くかも。仕方ないから許してやろう。

「テンマ。今のアンタはEクラスの代表みたいなもんだから。胸をはって戦ってきなさい」

あかねがオレの肩にポンっと手を置いた。

 なんだかんだ言っても最後はキッチリ激励してくれるんだな。ちょっと見直したよ。赤い実がはじけたのか胸がドキドキする。顔が赤くなってきた。

「あかね……」

「もし負けたら……分かってるわよね? あたしの顔に泥を塗らないでよね」

 オレの肩を掴む力が強くなった。緊張してるのか胸がドキドキする。顔が青くなってきた。最後の最後までプレッシャーかけるとは何てドSな奴なんだ。見直したっていうのは撤回させていただく。

 みんなと別れ、白塗りの階段を降りて学闘技場に向かった。いつもは学闘技場の四分の一しか使えないけど、今日は全面を使える。月極の奴、よく借りれたな。

周りを見渡すとEクラスの皆が観客席でオレを見守ってくれていた。学闘技場の中心で月極が腕をくみ余裕の表情でオレを待っている。

「特別サービスだ。相武台校ランカーの力、見せてやるよ」

 ここは挑発し返してやるか。

「特別大出血サービスだ。いずれ学闘で頂点に立つ男の力、見せてやるよ」

「はんっ。荒磯くんはツマらないジョークしか言えないんだな」

「なんだよ!」

「バカと話すのも面倒くせぇ。もうやろうぜ」

 塾生証を掲げてナイフを出した月極。金色の蛇の装飾が施された高価そうな見た目だ。

 かなり強そうな武器だな……。

月極はナイフを掲げてアナウンス席に座ってる試合見届け人の陰陽師先生に準備万端の合図をした。オレも自分のラーニングウェポンである木の棒を出す。

「ぷっ、なんだよその貧相な木の棒。草むらに秘密基地でも作りに行く気かよ?」

「ほっとけ!」

「ぷくくっ。荒磯くんにはお似合いだけどな」

 月極を無視してオレは陰陽師先生を見た。

先生、今日はEクラスがAクラスに勝つところをしっかり記憶に刻んでください。そして来年以降、オレの後輩となる子たちに語り継いでください。Aクラスに勝った伝説の夏沢天真は年中無休で彼女募集中です、と。

“試合開始です。はじめてください”

 アナウンスが流れた。

戦闘開始だ!

「さぁ、荒磯くん。かかってこいよ!」

 この二週間の特訓の成果、その一。戦闘開始直後の電撃速攻アタック!

 勢いよく月極に向かって踏み込んだ。両手で持った木の棒を振り上げる。

先手必勝。

振り下ろした木の棒が月極の鼻先をカスった。体をのけぞらせている月極目がけて棒を振り回す。

「だりゃあっ!」

「おっと」

攻め立てる!

カワされたりナイフで受けられたりしても休む間なく木の棒を次々に放り込む。

それにしてもコイツ強い。オレの連続攻撃を涼しい顔して軽々受けている。

でも、オレは特訓をしてきたんだ。普通に攻撃すると避けられるっていうなら別の手だってあるさ。

見てろよ。

振り回した木の棒が右手を離れて左手だけの片手持ちになった。

「セット」

その瞬間に右手に意識を集中して空気を充填。

オレの態勢がくずれたと判断した月極が眼を光らせた。

「甘い。隙が出来たぜ!」

 かかったな。

特訓の成果そのニ。

カウンターをぶちこむ!

月極の攻撃に合わせて……。

「ウィンドブレーカー!」

「なんだ!?」

 どわぁんっと空気が爆発するような音が聞こえた。風圧によってナイフを押し返された月極が後ずさりした。

オレはその好機を見逃さない。思いっきり踏込み、力任せに月極の頭上に木の棒を振り下ろした。

直撃。

月極は大げさに倒れた。

よし、手ごたえあった。先手を取ったぞ。

 作戦が予想以上にうまくいったところを見ると、戦いの駆け引きには慣れてないみたいだ。あかねに考えてもらった作戦がうまくいった。それにしてもAクラスの奴から先手を取る作戦思いつくなんてアイツは頭良いな。認めたくないけど認めざるを得ない。

「きゃーっ! テンテンが勝ってますよ!」

 観客席から伊達さんの歓喜の声が聞こえてくる。

おーい、見てるかぁ。やったぞぉ!

観客席に向かって手を振った。

いかなる時でもファンサービスはかかさない。これで好感度アップ間違い無しだ。今日この戦いが終わったら、彼女が五人くらい出来ていることだろう。

「なに手振ってんだ。今ここで畳み掛けないでどうすんのよぉ!」

あかねが何か叫んでいるように見えるけどEクラスの皆の歓声に紛れて全く聞こえない。まぁ、きっと褒めてくれてるんだろう。

 皆の声援に応えている間に月極がスクっと立ちあがった。

「クソ野郎が。ぶっ殺してやる」

さっきまでの余裕が一転して怒り心頭って表情だ。もう一度おねんねさせてやる。

 月極が右手を地面にかざすと突然長方形の石版が出てきた。

なんだ、コレ。こいつの特殊能力?

「我、汝に問う。荒磯高校生か?」

「はっ? なに言ってんだ」

「ふん。気にすんな。それより、ジワジワと痛ぶってやるからな。覚悟しろよ」

 謎の石版を出し終えた月極が走ってきた。接近戦するつもりか。

 オレは拳をギュッと握り……。

「セット」

 助走で得た加速度つきの月極のナイフを腕でガード。胴体や頭に比べて腕はダメージ倍率が低いので体力ゲージの減少を抑えることが出来ると あかねから聞いた上での防御だ。これも特訓の成果の一つ。

しかし、手首にくくりつけた塾生証を見ると10%近く体力ゲージが削られていた。

どんだけ攻撃力高いんだよ。急所にノーガードで受けたら一発で武器が消えるかもしれない。さっさとケリつけなきゃ。

 ガードをといて指先に意識を集中し、握り拳を作って温めた右手を出す。

オレの能力“コンプレッサー”は理想気体の状態方程式(PV=nRT:圧力×体積=物質量×気体定数×温度)に基づき、学闘ではnが闘争心、Rが特殊攻撃力に置き換わる。

圧縮体積(V)を小さくして圧縮場所の温度(T)をあげる。これによって圧力(P)は

「ウィンドブレーカー!」

 ――今まで以上の破壊力を産みだすことが出来る!

オレの空気圧が月極の脇腹に突き刺さる。

間違いなくクリティカルヒットだ。

「き、きかねぇよ」

 月極は倒れそうになるのを堪えた。

さすがにタフだな。でも押してるのは間違いない。

一気に畳み掛ける!

 ヨロける月極に追い打ちをかけるべく、体を動かすと違和感を覚えた。

「あ、あれ。このしんどさは……?」

なんか体が動かない……。

体力が削られていくこの感覚はなんだ……?

 オレの様子を観て微笑む月極は悪意が満ちているように見えた。

「そろそろ動けなくなる頃か」

「どういうことだ……?」

「ここからはワンサイドゲームだな。オレの気がすむまでボコってやるから覚悟しろよ」

 攻撃が来る。……見える。避けれる。そう判断したのに体がついてこない。

 月極のナイフがオレの腹に刺さった。

踏ん張ることが出来ずにオレは倒れてしまった。

ちらっと塾生証を見ると残りゲージは半分を切っている。

あのナイフ、攻撃力高すぎ。

やばい。やっぱりコイツ強い。

でも負けてたまるか。皆の為にも、彼女作る為にも、オレはコイツを倒すんだ。こんなところで躓いてるヒマなんてない。

前を向くと、月極の勝ち誇った顔が見えた。

くそ、だんだんムカついてきたぞ。意地でも勝ってやる。

だるさに耐えて体をどうにか立たせると、直後に待っていたのは月極の攻撃だった。

「くらえよっ!」

よ、避けろ!

かろうじて攻撃を避けたものの後ろへ大きく数歩よろけてしまった。どうにか体を静止させたら目の前には石板。月極が勢いよく走ってくる。

なんでそんなに必死なんだ。この石版に何かあるのか?

……そういえば、コイツが石版出す時にオレが荒磯高生かどうか尋ねてたっけ。石版とあの問いが関係しているなら……。どうせこのままじゃ負け確定だし問いに回答してやろう。んでもって、腹いせに踏んづけて割ってやる。

「オレは荒磯高校生だ。文句あるか!?」

「てめぇ!?」

 勢いよく石版を踏んづけるとオレの期待通り石版は砕け散った。

一死報いてやったぜ。砕けた石版が消滅すると、月極は走るのを止めてヨロけた。

「ちぃ。オレの踏み絵をよくも」

体力がじわじわと削られていく感覚とダルい感じがなくなった。

もしかして特殊能力が解除された?

 ヤツの特殊能力は、石板を出したあと最初に質問をして相手がそれに答えて石版を壊すまでのあいだ体力を削り続けて体をダルくさせるって感じなのかな。あのヨロけ具合から察して石版が壊れたときはアイツの体もダルくなる制約があるみたいだ。

「まぁ、良い。どうせもう何も出来ないだろ。そこまで削れてれば十分だ」

 月極の言う通り、実際のところオレはもう息切れ寸前だ。序盤から先手必勝で動き回っていたせいで疲れが溜まっている……。

おまけに月極の変な特殊能力を受けたせいでイマイチ体が上手に動かせない。どうにか立っていても足も手もがほとんど動かない。

どうするかな……イチかバチかやってみるか。

「セット……」

 意識を集中。

一か所に空気圧が集まって行くのを感じる。月極がヨロけながらコチラに近づいてくる。コイツだって石板が壊れた制約で弱ってみたいだしな。大丈夫、まだ勝機はある。

オレの目の前で月極が立ちどまり、腰をヒネってナイフを突き出した。

「くっ!」

オレの腹にえぐり込む月極のナイフ。

ゲージを見なくても分かる。多分もう一回攻撃されたらオレの武器は消える。

でも間合いはつまった。

「ウィンドブレーカー」

木の棒を握るのでやっと。

そんな垂れさがったオレの右手の甲が空気圧で押される。

勢いよく回転し持ち上がった右手に持つ木の棒が天に向かって突きあがり、月極のアゴを撃ち抜いた。

「なにっ!?」

 腕が動かせないなら空気圧で押せば良い。我ながらナイスな機転だ。

手ごたえを十分に感じた。

月極は後ろに数メートルよろけたあと倒れた。オレも集中力が途切れてしまいヒザがガクッと床につく。

やばい。もっと集中力を高めなきゃ。月極よりもはやく立て。

 あれ……体が動かない。

こんなに長時間戦うのは初めてだからか頭が重くて集中出来ない。

マジでやべぇ……。

 焦っていると月極の震える声が聞こえてきた。

「ふ、フザけんなよ……」

 ――月極の心の中は荒れていた。

 小学一年生の頃から常に成績トップで在り続けた。まったく自主勉強なんてしなくたって一位だ。天才、選ばれし人間。そんな言葉は自分の為にあるものだと思っていた。

そんな自負は小学四年生のときに入塾した天秀勉義塾で粉々に砕かれた。自分の才能をひけらかす為に入塾したつもりが義塾内模試は最下位。義塾トップのコールドプリンセスと呼ばれている女は一位になっても顔色一つ変えず冷めている。まるで一位が当たり前だと思っているかのように。それが悔しくて必死に勉強するようになった。

学力と引き換えに沢山のモノを失った。

ダチと遊ぶ時間

塾に支払う金

楽しいという感情

……それでも勝てない。

悔しい。悔しい……悔しいっ!

 どれだけ勉強しても上のクラスには上がれない。それでも腐らずに努力し続けた。

“絶対にオレもその高みまで這い上がってやる“

結局それは叶わず小学校を卒業した。中学でもペースを落とす事無く勉強してきた。いつか勝つために。

苦しい思いも悔しい思いも人一倍してきたと自負している。だからこそ、荒磯高校なんて底辺に通う奴がヴィクトリー塾に入っただけで自分は出来る人間なんだと勘違いして調子にのる姿が気に食わなかった。目標もなく、必死になることもなく、ただダラダラ生きてきた人間を見下して何が悪いのか。貶して何が悪いのか。何もしていない癖に入塾しただけで満足している。反吐が出るくらいにムカつく。こんなヤツ、消えれば良いのに。

そんな相手に月極は苦戦している。追いつめられている。

ナメていた事は認める。もう立つのも苦しい状態だということも認める。

それでも月極は自分が万が一にも負けることはないと信じている。

驕りではない。誇りだ。

積み重ねてきた長年の努力。

継続できる鋼の意思。

Eクラスの底辺高校生なんかに負けるわけがない。負けて良いはずがない。

“オレの努力は間違っていない”

心の底から怒りが込み上げてくる。

それが原動力となり闘志を保ち続け、体を動かす。

ヨロけながらも立ち上がった鬼人を見てテンマは驚愕した。

マジかよ。こっちはもう限界超えてるんだぞ。そのまま寝てろよ……。

「オレはAクラス。オレは相武台校のランカーだぞ。Eクラスの落ちこぼれなんかに負けてたまるかよ」

 月極の呟く声が聞こえる。

目つきが悪いだけだと思っていた眼光が高温で熱した鋭利な刃のように見える。

落ちこぼれに負けたくないと言うプライドが執念となって立ち上がったんだ。

全身から汗が噴き出る。

コイツの執念、恐ろしい。学力や戦闘技術だけでなくメンタルも強いからこその相武台校ランカーというわけか。ムカつくやつだけど、やっぱり凄い。

だけど、それなら気持ちだけは負けてたまるか。オレだってまだやれるハズだ。想像しろ。オレが勝ったら、たぶん春華やあかねがオレに惚れる。

……アイツらがデレる所をオレは見たい。

「見たいぞおぉぉぉぉ!」

 雄たけびをあげて気合を入れると、勢いでなんとか立ち上がる事が出来た。

ツンデレの魅力、恐るべし。

「雑魚の癖にウゼぇんだよっ!」

荒々しく吠える月極。

月極も本当は参ってるんだ。ここからは武器の能力じゃない。精神力の勝負だ。これでもう終わっても良い。覚悟を決めて気合を最大限まで高めてやる。オレとアイツの丁度まんなかくらいの床を意識して……。

「セット!」

「お前の能力は手から空気圧を発生させるとかだろ。もう喰らわねぇよッ!」

 月極が叫ぶ。コイツもこの攻撃で最後にするつもりなんだ。月極の闘気が身の周りをピリつかせる。

 オレの背中に鳥肌が立った。

闘志を原動力にして月極が勢いよく床を蹴って踏み込んできた。

……いまだ。

「ウィンドブレーカー」

「なっ!?」

 足元で空気圧が発生したことにより月極が躓きそうになりながら突込んできた。

「でぇやあぁぁあっ!」

 大きく振りかぶって、状態をくずしながら前のめりになって近づいてくる月極めがけて全体重を乗せた木の棒を振り下ろす。

 バチィーンッと木の棒で月極を床に叩きつけた。

月極は床に倒れてピクリとも動かない。

こ、これで正真正銘最後の力だったぞ。も、もう本当にカラッポだ。

体を立て直す余力もなくドサッと倒れ、ぼやけたオレの視界に月極のナイフが消滅していく光景がうつった。

つまり……。

 “試合終了。勝者、夏沢天真!”

 アナウンスが聞こえた。

 か、勝った……勝ったんだ!

観客席から大歓声が聞こえる。みんな喜んでくれてる。

「ちっ……」

 月極は舌打ちをして、ノッソリと起き上がった。

「月極……」

オレを無視して月極は観客席の前に立った。両拳を力強く握り、俯いている。

次の瞬間、月極はヒザをつきオデコを地面につけた。

「Eクラスをバカにしてスミマセンでした!」

 月極は土下座して叫んだあと、すぐに立ち上がり学闘技場を出て行った。約束を守る姿を見てオレは不思議な感情が芽生えた。

あんなに憎たらしくて嫌なヤツだと思っていたのにアイツを尊敬してしまった。

 一呼吸おいて、観客席に居る皆に向かって華麗にガッツポーズするオレ。

ふふ、まさにヒーローって感じだ。

学闘技場から出て談話室に行くと待ち構えていたEクラスの皆にモミクチャにされた。

「特訓の成果が出たな!」

「大したやつだぜ!」

「いつもオレらを見下してた月極の土下座を見れてスカっとしたよ。サンキューな」

「夏沢くんがAクラスに勝ってくれたお蔭で、私も勇気を貰えたよ!」

 みんなから嬉しい言葉を沢山貰った。そうだ、今回勝てたのは決してオレ一人の力じゃない。この二週間、皆が特訓に付き合ってくれたから勝てたんだ。自分一人じゃ超えられない壁も皆と一緒なら超えられる。ヴィクトリー塾に入ってよかった。オレはまだまだ上に行ける。

それに、これでオレに惚れちゃった子が出てきたに違いない。告白はいつでもウェルカムだぜっ。さぁ、いつでも呼び出してくれよ。

 三十分ほど経ったところでEクラスの皆は解散した。

……あれ、屋上への誘いをまだ受けていないんだけど。

気がつけば目の前に居るのは春華、あかね、伊達さん、ドクパンといった所謂仲の良いメンバーだけだし。

「お疲れ様です。かっこよかったですよ!」

「戦闘中に手を振るなんてありえない事するから際どい戦いになるのよ。ほんとダメね」

 穏やかな顔をして優しい言葉をかけてくれる伊達さんとこんな場面でも労わる心がカケラも無いあかねは実に対照的だ。

 春華はニヤニヤしながら、オレに顔を寄せて小声でささやいた。

「それで、どんな条件で月極くんに負けて貰ったの?」

「ワイロなんて渡してないよ!?」

「えーっ。そうなの? じゃあ月極くん体調悪かったのかなぁ」

「納得だわ。月極は全身骨折、内臓破裂状態で戦ってたのかもしれないわね」

「素直にオレを褒めろよ!」

 二人で顔を見合わせて笑う春華とあかね。

「夏沢くん。約束のブツでござる」

 一歩前に出てオレに例の写真を渡すドクパン。心臓発作を起こしてしまうんじゃないかというくらいにドキッとした。や、やばいよソレ。

「ちょ、待って。ここではマズイって」

「なになに。写真?」

「み、見るなぁ!」

 あかねたちが身を乗り出して写真を見た瞬間、顔色が変わった。

「……何よコレ?」

「ははは。なんでしょう?」

「なんでしょうって忘れたのでござるか? もし学闘に勝てたら石川さんのフトモモ写真をあげるって約束だったでござろう」

 うわあぁぁぁーーーっ!?

 ドクパン、空気読んでくれよおぉぉぉぉ!?

 そんなキョトンとした顔で天然っぷりを発揮しなくて良いんだよっ。

「テンテンはフトモモフェチなんですかぁ。これは皆に報告しないといけないですね」

 何故か伊達さんは携帯を取り出し

「あーあ。ついにテンマちゃん警察のお世話になるのかぁ。犯罪者の知人枠でニュースのインタビュー受けたら、彼は史上まれに見る変態でしたって言っておくね」

 ニヤニヤする春華。

 そして

「アンタたちは……!」

 あかねのツリ目と眉毛の傾斜が急になった。

「た、たすけ……がはぁっ!」

「なんで某まで!?」

 オレとドクパンはあかねにボコボコにされ、フトモモ写真は本人の手によりゴミ箱に放り込まれた。伊達さんはどこかに電話をかけ続けている。せっかくの勝利の喜びが一気に冷めたよ。

「それにしてもテンマがAクラスのランカーに勝つなんてね。奇跡ってあるもんなのね」

 オレたちをボコボコにして日頃のストレスを発散したのか妙にホッコリ顔のあかねが珍しいこともあるもんだという感じで言った。

しかし、これには意義あり!

「あかね。奇跡なんか無かったよ」

「あら。実力だっていうの?」

「さすがにそこまで自惚れてないよ。オレはEクラス皆の想いを背負って戦った。でも、アイツは一人で戦ってた。言うなら、Eクラス全員 VS 月極って感じだったんだ。人数で圧倒してるんだから勝つのは必然だろ」

「珍しく良いこと言いますね。ただのフトモモ好きなおバカちゃんじゃなかったんですね」

 ちょうど電話を終えた伊達さんが携帯をしまいながらニコッとほほ笑んだ。

「ちょっとだけ成長したね」

 その横で まるで保護者のような事を言う春華。

「某は夏沢くんが勝ったせいで殴られて不快な気分でござる」

 ドクパンのそれは逆恨みだから放置するとして伊達さんが良い反応してくれた。あかねも見習ってオレを褒めてくれよ。あかねの方を見ると、ポーッとした顔をして心ここにあらずといった感じになっていた。コイツ、まさか今のオレの名台詞を聞き逃してたとかじゃないだろうな。じーっと見ていると、あかねがハッとした顔をして、すぐさま口をへの字に曲げた。

「……生意気ッ」

「いてっ」

 ぺしっと、あかねのチョップがオレの頭に当たる。なんなんだコイツは!?

 あかねは腕を組みフンッと鼻を鳴らした。

「アンタとはいずれ公式の場でやりあってみたいわ」

「あかねぇ。オレだって一応頑張ったんだから、もう少し労わってくれよ」

「はいはい。よく頑張りましたねぇ」

「まったく心がこもってない。ヒドイ扱いだな」

「こんな事言ってますけど、テンテンが勝った瞬間にガッツポーズして喜んでましたよ」

「あっ、確かにそうだったねぇ」

 伊達さんがニコニコしながら言ったのを聞いて春華もニヤニヤしながら あかねを見た。オレは二人の言葉を聞いて顔がニヤけた。

あかねはあたふたしている。

「あ、朝美も春華も余計なこと言わなくていいから!」

「あはは。あかねちゃん照れなくても良いじゃないですかぁ!」

「そうだぞ。たまには可愛い所を見せてくれよ」

「調子に乗るなぁっ!」

「ひぃっ!?」

 せっかく月極に勝って気分が良かったのに、あかねにボコボコにされて踏んだり蹴ったりな一日となってしまった。

 余談だけど、この翌日からEクラスの女子たちはオレを見かけると何故か自分のフトモモを庇いながらそそくさと離れていくようになった。モテるどころか引かれてるんですが、どうなってるんですか!?


第五章 チームは引っ張るけどね!


「その時だ。その悪霊が彼女の体から出て来てね。目を疑ったよ。あまりにも強大だったんだ。さすがの僕も命をかけた必殺技を使わなきゃいけなかったよ。陰陽術最終奥義 第百八式 “除夜ノ鐘破” をね」 

今日もEクラスのホームルームでは陰陽師先生が熱弁している。みんなボーっとしていたり、眠そうにしていたりとあまり聞く姿勢を持っていないにも関わらずこんなにも熱く語れるのは 自分の話に酔いしれているからなんじゃないかな。ヴィクトリー塾の教育方針から先生は授業の内容以外にも生徒の人間力を高めるためにタメになる話をしなきゃいけないから陰陽の話もその一環なんだろう。だけど、先生のナルシスト話から何を学べと言うんだろうか。学闘で月極に勝って伝説を残したり、学力がグングンと伸びて無限の可能性を示していることが自分でもハッキリ分かるオレでも、この答えだけは分からない。

授業も残り十分で終わろうかという時に先生は自分の腕時計を見てハッとした。

「しまった。もうこんな時間か。えー、皆さんも知ってると思いますが次の日曜日にがクラス対抗戦の練習試合があります」

「えっ、初耳ですよ!?」

「クラス対抗戦ってなに?」

「次の日曜日!? 急だな!」

 クラス中がざわめく。

そりゃ当然だ。オレもクラス対抗戦なんてものがあるなんて初耳だよ。

「あれ、告知してませんでしたっけ。簡単に説明すると、クラス単位でチームを組んで学闘をします。本番は十月ですが今回は練習試合として一試合だけやります。ちなみにEクラスの相手はDクラスです」

「それで、クラス対抗戦用のルールとかあるんですか?」

 ざわめくクラスの中で、手を挙げて先生に質問するあかね。確かに専用ルールがあるかどうかは気になるところだ。

あかねの質問に先生は少し困ったような顔をした。

「うーむ。いっぱいあって十分で話しきれるかどうか……」

「ホームルームって本来そういう説明をするための時間ですよね!?」

ったく……どうでもいい陰陽道話じゃなくて、こういう大事な話に時間をかけてほしいもんだ。クラスの皆が呆れてる空気を感じ取ったのか先生はコホンと声の調子を整えて黒板に板書しながら説明をはじめた。

「えー。まず勝利条件は二つ。一つは大将を倒すこと、もう一つは五人居るフラッグ持ちと呼ばれる人の中から三人を倒すこと。どちらかを満たせばそのクラスの勝ちとなります」

「大将とフラッグ持ちは自分たちで決められるんですか?」

「大将は自分たちで決められますが、フラッグ持ちは対戦モードにより異なります。今回の試合で言うと、ランダムに決まります。次の説明にうつって良いですか?」

 皆が頷いたのを確認すると、先生は説明を続けた。

「対戦モードは全部で三つありますが、説明する時間がないので今回Eクラスが行う平地戦モードのみ説明します。平地戦モードは何も障害物がないフリースペースで試合を行います。学闘技場からリングをとっぱらって対戦フィールドが広くなっただけのシンプルなものなので分かりやすいですね。ただ、ローカルルールとしてフラッグ持ちがランダムで決まる上に敵味方共に誰がフラッグ持ちなのか分からない仕様となっています。なので、最初にやられた三人がフラッグ持ちだった場合は数分で試合が終わったりします」

「おーっ。なんかゲーム感覚で楽しそうだな!」

「だな。はやくやりてーっ!」

「あと、特殊能力は使用不可です」

「なんで能力が使用不可なんですか?」

「二クラス分の大人数が能力を使ったら学闘のコンピュータが処理落ちするからです」

 なるほど。大人の事情ってわけか。

クラス対抗戦楽しみだな。ここで活躍してモテモテ青春ライフのキッカケにしてやる。

皆が興奮しながらワイワイやっている中に終業チャイムの音が混じった。先生はチャイムの音を確認すると授業のまとめに入りはじめた。

「あとは大した話じゃないので黒板を見て各自確認してください。それと、大将は伊達さんです。試合中は伊達さんが皆に戦術指示を出してください。皆さん、ちゃんと協力するように」

「なんで伊達? ここは石川か岡山だろ」

「伊達さんか。別に弱くはないけど……強くもないよなぁ」

「日曜日は九時半には学闘技場に来るように。遅刻しないでくださいね」

 ワイワイガヤガヤしているクラスを放って、伊達さんを大将にした理由を説明することもなく先生は教室を出て行った。みんなもクラス対抗戦を話題にしながら荷物をまとめて次々と教室から出て行く。オレは荷物をまとめたあと、いつものメンバーと集まった。

「クラス対抗戦なんてあるんだね」

 オレが皆に話しかけると、ドクパンは頷き苦笑した。

「それにしても先生も急でござるな。次の日曜日が試合とは」

「大規模チーム戦なんて初めてやし、しっかり打ち合わせしないとな」

 秀光が携帯ゲーム機の画面を見てニヤけている横で、あかねが腰に手を当てオレを見た。

「あたしの足を引っ張んないように、またテンマを鍛えないとね」

「引っ張らないよ!?」

 チームは引っ張るけどね。オレ、カッコイイ!

 皆と対抗戦について話しているなかで、いつも一番にぎやかな人が何か考え事をしているようで珍しくダンマリとしていた。

「伊達さん? どうしたの?」

「むー。なんで、わたしが大将に選ばれたんですかね~? わたしよりもあかねちゃんや秀光くんの方がどう見ても強いのに」

「某は伊達さんの大将に納得でござるよ」

 一人分かったような顔をしているドクパンにむかって伊達さんは首をかしげた。

「何故ですか?」

「このクラス、猪突猛進型の人間ばかりでござろう。自分から突撃するようなタイプが大将じゃ落ち着かないでござるからな。伊達さんのように腰を落ち着かせられる人間が大将の方が安心でござる」

「なるほど。それは納得やわ」

「なんで あたしを見ながら納得すんのよ?」

 秀光がクックックと笑いながらあかねとオレを見た。

失礼だな。あかねはともかく、オレは猪突猛進じゃなくて勇猛果敢なんだよ。この試合でもカッコイイ所沢山見せて彼女五人はゲットしてみせる。というか、もう倒した相手を彼女に出来るルールを追加してくれればいいのに。

「でも、それで言ったらドクパンくんの方が良いんじゃないですか? 腰を落ち着かせられるタイプですし、戦闘技術はクラスで一番じゃないですか。特殊能力使用不可って条件なら尚更良い気がするですよ」

 伊達さんの問いに対して、そりゃ無いわという意思がハッキリと分かるように秀光とあかねは首と手を横に振った。

「茨城はダメよ。確かに戦闘が一番うまいのは認めるけどさ」

「忘れたんか? コイツは女が相手やとフトモモに夢中で全く動かなくなるからな。男相手なら無双出来るかもしれんけど女に攻め込まれたら一瞬でアウトや」

「フトモモの魔力で精神を乱されるんでござるよ。罪深きはフトモモとミニスカでござる」

「くく。それがなきゃ大将やったろうにな」

 頭をかきながら笑うドクパンを見て、しょうがないなぁという感じで笑う秀光。

オレも伊達さんが大将になるのはアリだと思う。それにも関わらず、伊達さんはまだ納得いかないようだった。

「でもぉ」

「そんな考えても仕方ないやんか。お前は大将に選ばれたんやから胸はってればええ。周りの言うこと気にしてる言うなら、勝てば誰も文句言えなくなるから頑張れや。おれらも協力するからな」

「その通りでござる。夏沢くんが月極くんと戦ったときだって散々無謀だと喚いてた皆も勝ったあとは手のひらクルっと返したでござるからな」

「……そうですね。ありがとうございます!」

 伊達さんがいつものニコニコ笑顔に戻った。やっぱり伊達さんはこうでなきゃね。

 今週はどの授業に出てもクラス対抗戦の話題で持ちきりだった。日に日にテンションが上がっていき、クラス対抗戦で三十人斬りをして伝説になるところをイメトレしながら日々を過ごした。

☆☆

日曜日。朝九時半に学闘技場にいくといつもと違う景色が見えた。圧倒的存在感を誇っているリングが地面に埋まっていて平地となっている。リングって昇降式だったんだな。 

学闘技場の東側にはEクラスが、西側にはDクラスの面々が集まっていた。オレはEクラスの元へ行き、皆に挨拶をして輪に交じった。Dクラスには基礎英語や基礎数学でお馴染みの面々が結構いるし、実はEクラスとDクラスってあまり差がないんじゃないかなーと何となく思っていたけど実際はどうなんだろう。試合が楽しみだ。

「みんな静かに。伊達さん、このマントを羽織ってください。あと、みんなに作戦説明をお願いします」

 Eクラス全員が来たのを確認した陰陽師先生が思い思いに雑談する皆を静かにさせた後、伊達さんに大将の証である赤いマントを羽織らせた。でも、伊達さんは困った顔をしている。

「えっ。でもですねぇ……」

「大丈夫だから、思った通りにやってごらん。何かあっても責任は全部僕が受け持つ」

 先生が優しく諭すように言うと、伊達さんは覚悟を決めたかのように顔を引き締めた。

「……じゃあ、作戦ですがまず四、五人一組の小隊を作ります。基本的に試合中は部隊単位で動いてください。A部隊は、あかねちゃん、テンテン、秀光くん、ドクパンくん。そこの右端に集まってください。B部隊は――」

 伊達さんがテキパキと部隊編成を決めていく。一体どういう方針で決めているんだろうと気になりながらも言われた通りに部隊ごとに集まりを作った。

やがて、全員の部隊分けが終わると伊達さんはホワイトボードに図を描き始めた。一番後方に伊達さんとF部隊。その少し前方にA部隊、A部隊から斜め右前方にB部隊、斜め左前方にC部隊、B部隊の更に斜め右前方にD部隊、C部隊の更に斜め左前方にE部隊を配置していて、まるでVの字型のようなフォーメーションだ。

「試合開始と共にこの位置に移動してください。敵がまっすぐ わたしの元へ攻めてきた時はA部隊が敵を抑え込んでいる間に、B~E部隊が敵を包み込むように挟み撃ちにして殲滅にあたってください。F部隊はわたしの近衛をお願いします。ただ、状況によって指示を変えますので協力お願いします」

 ホワイトボードに描いた絵を用いて説明する伊達さん。Vの字の溝部分に敵をあつめて両翼の人が左右から一気に襲撃するってイメージなのかな。面白い作戦だ。

伊達さんはオレたちA部隊に近づいて呟いた。

「陣形を見て気付いたかもしれませんが、この作戦の要はA部隊です。両翼が敵を包囲するまで多数の敵を少人数で持ちこたえなければいけません」

「そうね。あたしたちが崩れた瞬間中央突破されて終わりよね。まっ、そんな簡単には負けないけど」

 あかねが頷いている後ろで、秀光はドクパンを見た。

「ドクパンは女と戦ったらあかんよ?」

「分かってるでござる。フトモモを鑑賞するだけにするでござる」

「それ葬られるパターンや!」

 オレたちが作戦の要か。やはりオレがいつでも大事なポジションに置かれるのはエースたる宿命か。これは是非とも結果を出して伊達さんの心をゲットするしかない!

“試合時間となります。各クラス、所定の位置についてください”

 アナウンスが流れ、各クラス共に最後方に書かれている白線より外側に移動して待機した。両軍あわせて六十人近く居る。みんな様々な種類のラーニングウェポンを持っていて十人十色だ。壮大なスケールに気持ちがたかぶってきた。

 敵味方識別のためにEクラスは赤いビブスを、Dクラスは青いビブスを着けている。

“試合開始!”

 ビビビーッとブザーが鳴り、試合が始まった。

皆一斉に動き出す。いつもの学闘と違う大人数で騒がしい光景が目の前に広がった。

オレたちA部隊は試合開始地点から五メートルほど前進した位置で待機する。その間、味方の各部隊は左右に広がっていく。敵は部隊を三つに分けていて、一部隊が敵将の護衛、もう一部隊がバラバラに分散して動き、残りの部隊が伊達さんの予想通りまっすぐこちらに向かってくるのが確認出来た。

「敵は前衛、遊撃、近衛で部隊分けですか。それならこのままいきます」

 後ろから伊達さんの声が聞こえた。どうやら敵の動きは伊達さんの想定の範囲内みたいだ。なんかいつもと違って頼りになる。

「あたし、テンマ、茨城で敵をひきつけるから、その隙に秀光が敵にトドメをさして」

「それが一番良いでござるな」

「ええんか? おれが美味しい所取りして」

「一般兵は秀光の超絶破壊力の武器でサクサク倒していこう。敵将はオレが倒すけどね!」

 秀光の攻撃力をもってすればDクラス相手なら当たり所次第では一撃で倒せるだろう。オレは最大の見せ場で最大のパフォーマンを発揮すれば良い。少しは見せ場を皆にも分けてあげないとね。オレってば謙虚。

伊達さん目がけて押し寄せてくる敵の数はパッと見て十名前後。

オレたちA部隊は動く事なく敵を見据え、それぞれ攻撃体制をとった。

「来るわよ!」

 あかねの言葉を皮切りに戦闘に突入した。オレの前には二人突撃してきた。

戦闘開始だ。

敵の一人が竹槍をするどく突いてきた。

けど、間合いが甘い。首を横にひねって回避すると、続いてもう一人の敵が木刀で攻撃してくる。コレもバックステップで攻撃射程範囲外に移動して回避。

あれ、もしかしてオレ……。

ある疑惑を感じながら、敵が体制を整える前に素早く踏込んで敵の腹を木の棒で叩いた。

そのあと瞬時にしゃがんで、勢いよく飛び上がり うずくまる男のアゴに木の棒を突き刺す。すぐ脇でもう一人の敵が追撃態勢にうつっているのが見えた。……それなら!

敵の攻撃のタイミングをあわせて木の棒を振って敵の顔に当てる。

敵二人が同時に倒れるのを見ながらオレは木の棒を構えて体制を整えた。

心が躍る。

溢れる気持ちが止まらない。

間違いない。

オレ、強くなった!

あかねたちとの特訓や月極との戦いの経験が活きてる。

「な、なんで夏沢が……。コイツ、荒磯高校だろ?」

「ちくしょう。DクラスがEクラスにナメられてたまるかよ!」

 敵二人が立ち上がり戦闘再開。

先ほどまでは油断があったのだろうか。今度は中々敵の隙が見えない。たとえ隙が見えても二人同時相手のせいで攻撃アクションにまではうつれないでいた。とはいえ、オレの方が戦闘慣れしているから敵の攻撃にも当たらない。

「くらえやぁ!」

 敵の攻撃を回避していると、側面から槍による突きを喰らった敵が倒れ、彼の武器が消滅した。すぐ目の前には秀光が居る。

「な、なんだいきなり!?」

 続いて動揺しているもう一人の敵の腹に秀光が強烈な突きを入れて、これまた倒して武器を消滅させた。敵二人は敗者用の控えエリアへそそくさと移動していく。

ふしゅーっと息を吐きポーズをとる秀光。

「テンマ。無事か?」

「すげぇ。本当にアッサリ倒しちゃうんだね……って、秀光?」

 秀光、スゴイ汗だ。

心なしかキツそうな顔をしている。どうしたんだろう?

「なんや?」

「なんか調子悪そうに見えるけど?」

「……いや、大丈夫やで。それより、どやっ? すごいやろ」

 調子悪そうに見えるのはオレの気のせいか。

 ほんと頼もしい。オレたちはDクラスにも通用するんだ。

この調子で勝利してやる。

「喋ってないで茨城のフォローしてっ!」

 少し離れた所に居るあかねの必死の叫びが聞こえた。オレと秀光がドクパンの居る場所を見ると、ドクパンが一人で四人相手に戦っている光景が見えた。

「こんのぉ。ちょこまかと動きやがって!」

「Eクラスが手間取らせんなぁ!」

「まだでござる。まだ落ちないでござるよ!」

 ドクパンが右足に攻撃を受けヨロけた。それでもドクパンは上半身をうまくヒネり、敵の追い打ちを回避していた。

すごいな、ドクパンの戦闘技術は飛びぬけている。でも、やっぱり四人同時だと攻撃を避けるだけで精一杯みたいだ。はやく援護してやらなきゃ。

オレと秀光は急いでドクパンのもとへ行き戦闘に加わった。ドクパンに攻撃をしようとしている敵に秀光が出会いがしらの一発を当てると敵は遠くへ吹飛んでいった。

「ドクパン!」

「助かったでござるよ」

「お前は少し休んどけや」

「……そうでござるな。お言葉に甘えて、そうさせて貰うでござる」

 ドクパンがオレたちを見て笑みを浮かべた。疲れているのがありありと見える。あと少し遅かったらやられていたかもしれない。間に合って良かった。

 体制を整えオレと秀光で敵三人を相手していると突然ブザーが鳴りアナウンスが流れた。

“Eクラス フラッグ持ち 一人消滅しました”

 誰かがやられたのか!?

 確認したいけど余裕がない。あと二人フラッグ持ちがやられたら終わりか。その前にケリつけなきゃいけないけど……まだ両翼は動かないのか。

 気持ちに焦りが出た瞬間、集中力が乱れて動きが止まってしまった。その隙を敵は見逃さず大きく振りかぶってオレのボディにトンファーをぶち当てた。

 オレはその衝撃で思いっきり吹っ飛ばされた。

「くそっ。モロに喰らっちまった」

 手首に巻き付けた塾生証の体力ゲージを確認すると残りゲージは半分以下になっていた。

まだ戦えるけど体が思うように動かない。ずっと激しい動きを続けていたせいでスタミナが空っぽだ。これ、もしかしてピンチ?

痛みやケガのないシステムを作る技術があるんだったら、どうせなら全力で動いても疲れないようにもしてくれないかなぁ……。

「奇襲だ!」

「一旦下がって態勢を整えろぉ!」

 誰かの叫ぶ声が聞こえる。味方が奇襲を喰らったのかと思ってドキッとしたけど、慌てているのは敵の方だった。周りを見渡すと中央に集められた敵がBC部隊による左右からの同時挟み撃ち攻撃を喰らって動揺しているのが見えた。

DE部隊は敵の遊撃部隊に捕まって挟み撃ち攻撃に参戦出来ていないけど、敵をどうにか抑えている。その隙にBC部隊が次々に敵を倒していく。Dクラスに比べEクラスは能力で劣っているにもかかわらず優性に事を進められているのはオレというスーパーエースが居ることは勿論だけど、伊達さんの指揮のおかげもあるだろう。伊達さんにこんな才能があるなんて知らなかったよ。

「A部隊はこちらに来てください!」

 後ろから伊達さんの声が聞こえた。統率の乱れた敵の前衛部隊処理をBC部隊に任せて、オレたちはF部隊に守られている伊達さんの元に集まった。自分の戦いに必死で気付かなかったけどA部隊はみんなボロボロだ。特にあかねはドクパン以上に疲れているようで服と髪は汗でビッショリ、肩で息をしているような状態だ。

「お疲れ様です。さすがですね、よく耐えてくれました」

 そんな疲れ切ったオレたちを笑顔で迎えてくれる伊達さん。

あぁ、すごい癒される。頑張りが報われたよ。この笑顔を見るだけで、オレはもっと頑張れる気がする。

伊達さんはあかねをじっと見た。

「あかねちゃん。もしかして今日体調悪いですか?」

「そんな事ないけど……なんで?」

「いつもと比べて動きにキレがない気がしました」

「そう? でも、そうは言っても休みなく三人同時相手が続くのはさすがにシンドイわよ。スポーツは得意な方だけど、こうも激しく動く時間が多いとさすがにね……」

「……それもそうですね。生き残ってくれてありがとです」

 伊達さんがあかねの答えを聞いてニコッと笑った。

確かに あかねがこんなにボロボロになっている所を見るのは初めてだけど、敵は上のクラスだし一対多だし仕方ないような気もする。むしろ生き残ってるだけでも十分すごいよな。

……あれっ。でも、それを言ったらオレにも当て嵌まるよ。やっぱりオレもスゴイってことじゃん!?

「うわあああああああぁぁぁっ!」

 自分を誇らしく思っていると、秀光が突然発狂した。みんな驚き一斉に秀光を見ると、秀光は何か発作をおこしたかのようにプルプルと震えていた。

「秀光!?」

「どうしたのでござるか!?」

「だ、大丈夫ですか?」

 伊達さんが心配そうに震えている秀光の顔を覗いた。

けれど、秀光は伊達さんが見えてないかのように口をパクパクさせるだけ……。その場に緊張感が走り、みんなどうしたらいいか分からず心配そうに秀光を見ていた。

マジで大丈夫か? さっき調子悪そうに見えたのは気のせいじゃなかったんだ。秀光って何か持病持ちなんだろうか。試合中断して先生に助けを求めた方が良いかもしれない。

そう思って、先生の方を向いた瞬間

「もう我慢出来へん。さやか成分を補給する!」

 秀光はポケットからゲーム機を取り出し、瞬間的にゲーム機のモニタに顔を近づけた。

「さやかぁ。ちゅっちゅっ」

 ゲーム機のモニタに唇をつける秀光。そのあまりにもシュールな光景に何が起きているのか分からず呆然と立つオレたち。しばらくして、栄養補給完了や、と秀光はホクホク顔でつぶやいてゲーム機をポケットにしまい何事も無かったかのようにキリッとした顔をして伊達さんを見た。

「伊達。次の作戦は?」

「え、えっと……」

“Dクラス フラッグ持ち 一人消滅しました”

“Eクラス フラッグ持ち 一人消滅しました。Dクラス、リーチです”

 アナウンスが流れた。

やばい、あと一人フラッグ持ちがやられたら負けだよ。伊達さんはアナウンスを聞いて動揺した顔から勝負師の顔にかわり、戦場を見渡したあとにオレたちを見た。

「えっと、お花ちゃんとあかねちゃんは部隊を入れ替えて、A部隊は分散している敵の各個撃破にまわってください」

 あれ、まだ敵将を倒しにいかないのか。フラッグ持ちをあと一人倒されたら終わりなのに、大丈夫なのかな……。

「待てよ。敵が分散している今だからこそ全員で敵将を倒しにいくべきじゃないか?」

 近藤くんが言うことにオレも賛成だ。敵が浮足立ってる今だからこそ勝負に出るべきだと思うけど……。

「ダメです。それが敵の狙いなんです。あの布陣は最初にわたしたちがやったのと同じで、わたしたちが一点突破してきたところを分散している人たちが囲って袋叩きにする作戦です」

「だとしても、こっちの残存勢力は十四名、敵は十名。数で勝ってるんだから一気にいけんだろ。ここは行くべきだ。モタモタしてる間にフラッグ持ちがやられたらアウトなんだぞ?」

「でも……」

「そうね。一気に仕掛けるべきだと思う」

「だな!」

「大将は朝美よ。皆が好き放題言ってたら、まとまんないわよ。朝美の指示に従いましょ」

 皆が一点突破を主張しているなか、あかねが釘を差した。伊達さんは少しばかり沈黙したあと皆の顔を見てにこっと笑った。

「あかねちゃん、ありがとです。……分かりました。あかねちゃん、ドクパンくん、秀光くんを残して、このままAF部隊はBC部隊と合流して敵本陣に突入してください」

「そうこなくっちゃ!」

「やってやろうじゃん!」

「……良いの? 朝美」

「はい。この判断もわたしの選択肢の中にはありましたし決して間違いではありません。あとは迷わず突き進むだけです」

 おっ。ついに仕掛けるのか。敵将を討ち取ってヒーローになってやる!

「おれらが近衛に入るんか?」

「はいです。わたしの護衛は最小限に抑えて後は数の暴力で一点突破します。いきますよ、みなさん!」

「おぅ!」

 皆で塊を作って前線へと向かった。途中でBC部隊の生き残り数名と合流し更に前線へと出る。敵の近衛部隊とオレたちは戦闘を開始した。

「くるぞ!」

 試合がはじまってから三十分ほどが経過した今、このような長丁場を今まで経験したこともないオレたちは敵も含めて疲弊しきっていた。そのせいで皆思うような動きが出来ず、ポカミスで簡単にやられる場面も増えてきた。オレはなかなかトドメをさせないながらも敵に着実にダメージを与えている。だけど、時間経過と共に味方の数が徐々に減っていき気が付けば人数差は逆転していて敵の方が多くなっていた。

「うしろ!?」

 叫び声が聞こえたと思いきや、オレたちの背後には先ほどまで分散していた敵が居た。

くそっ、伊達さんの言う通り包囲網をしかれたか。でも、それは分かっていたこと。構わず前に進んで大将を討ち取るんだ。

「Eクラスを一気に叩くぞぉ!」

 敵が前方から攻撃を仕掛けてくる。オレの体はスタミナ切れでもうほとんど動かないけれど、必死にもがいて敵の攻撃を回避。そして敵の頭に木の棒を打ち下ろす。

敵の武器が消えたのを確認し、まだやれると思った瞬間――

「荒磯は大人しくしてろやぁ!」

 背後から思いっきり背中に攻撃を受けて地面に強く体を打った。

 うわっ。正面からの一体多だと割と何とかなったのに挟み打ちで多人数相手するとこんなにもアッサリ攻撃くらっちゃうのか……。

挟まれて攻撃されるのがこんなにも難しいなんて思わなかった。伊達さんの懸念が当たってしまった感じか。

オレの残り体力ゲージは五パーセントくらいになっている。あと一回でも攻撃を受けたら間違いなく終わりだ。

 周りを見るとEクラスの正面に居る敵は防御に専念していて、背後にまわった敵がトドメをさすという戦い方をしている。次々に味方が討ち取られていく。

 ……たとえ最後の一人になったってあきらめるもんか。

挟まれて苦しいってならやることは一つだ。

正面に居る敵と背後に居る敵の横へ移動することで敵二人を正面に捉えられるよう場所取りをした。敵は再び前後に挟みこもうとせず二人同時に正面からかかってきた。

勝ちを焦ったか。戦闘技術ならオレの方が上なんだ。これなら、どうにでもなる!

「このEクラスが!」

「こんなところでぇ!」

 先に仕掛けてきた敵の攻撃をかわし、顔に木の棒に突きをいれて倒した。

 しかし、敵が居た場所にもう一人の敵がバッと現れた。

「落ちろ!」

「正面!?」

最初の敵のすぐ後ろにもう一人の敵が居たなんて!?

 やばい、ノーガードだ。

「やられる……!」

「ジャマでござるよ」

 オレが負けを覚悟した瞬間、ドクパンが敵を苦無で切り裂いた。ドクパンは倒れた敵に見向きもせず敵将の元へと走っていく。ドクパンの後ろには伊達さんと秀光が一列に続いていた。

「これがラストアタックや!」

「敵将が攻めてきたぞ。討ち取れぇ!」

 Dクラスの近衛兵が敵将の前に壁を作ったがドクパンは構わず突進した。

 敵の近衛兵がドクパン目がけて攻撃するも、ひらりとかわして両手に持つ苦無で攻撃を入れながら敵の姿勢をくずす。無防備になっている近衛兵を放ってドクパンは突進し、秀光もそれに続く。伊達さんは近衛兵に追撃をかけて転ばせてその場に留まった。ドクパンと秀光の目の前には敵将ただ一人となった。

 敵将の女の子は鞭を構えた。

「なめないでよね!」

「あっ、スカートが蝶のように美しく羽ばたいてるでござるッ!」

 敵将が体を大きく動かし、その勢いでスカートがヒラヒラと舞った。

ドクパンは動作を止め敵将の攻撃をモロに喰らって武器が消失。討ち取られてしまった。

奇妙なことにドクパンは勢いよくヘッドスライディングし、そのままの勢いで地面をコロコロ転がりながら敵将の前を通り過ぎていった。

「隙ありやぁ!」

 ドクパンに攻撃して無防備になった敵将に連続攻撃をしかける秀光。とっさに動くことが出来ず敵将は秀光の攻撃を全部くらって倒れた。彼女の武器は消滅している。

秀光は敵将を倒したことを確認して大きくガッツポーズした。

「敵将ッ! 獲ったでぇ!」

 か、勝った……。Dクラスに勝った!

 結局秀光に美味しい所全部持って行かれたな。……途中の発狂は見なかった事にしておこう。

「よっしゃあぁぁーッ!」

「イヤッホオォォォオオオイ!」

 Dクラスは顔を伏せ、Eクラスはみんな顔をあげてガッツポーズして喜んだ。

だけど一人だけ例外が居た。

そう、ドクパンだ。

ドクパンはゆっくりと立ち上がり服についた埃をパンパンと叩いて敵将の女の子の方を見た。ドクパンの視線に気が付き不快そうな顔をする敵将の女の子。

「な、なによ……? 敗者に情けの言葉でもかけるつもり?」

 ドクパンは親指をグッと立てて満面の笑顔で歯を光らせて力強く語った。

「勝気な見た目と性格なのにウサギちゃんパンティでござるか。そのギャップ、ナイスでござるね!」

「いやああぁぁぁぁーーーーっ!」

「ごほっ! ぐほっ! がはっ! こふっ! い、痛いすぎて遺体になるでござる!」

「なりなさいよぉ!」

「拳と蹴りは痛い! 痛いでござるーっ!」

「痛みを与えられない武器なんか使うわけないでしょぉぉーっ!」

 ドクパンに敵将の連続コンボが次々に入っていく。きっと原型をとどめないくらいボコボコにされるだろうけど仕方ない。これが彼の歩くパンティロードの宿命なのだから。

“Dクラス敵将消滅直前にEクラス フラッグ持ち 一人消滅しました。三名フラッグ持ちが消滅したことにより、Dクラス勝利です”

「「ええーっ!?」」

「「まじでぇ!?」」

 流れたアナウンスに耳を疑った。

オ、オレたちの負けってこと……?

「ドクパンくんがフラッグ持ちでしたか……。運が無かったですね」

「まさかのオチね」

 伊達さんとあかねがフッと一息ついて、しょうがないという顔をして言った。

「そんな。折角勝ったと思ったのに……」

「仕方ない。けど、今日が練習試合で良かったな。次は絶対勝とうや」

 オレの肩にポンっと手を置く秀光。

今日の秀光はいつになく大人に見える。戦闘中、頼もしかった印象もあるからかな。

「秀光……」

「うっ。緊張感が抜けたら急にサヤカと二人きりになりたくなってしもうた。悪いけど、おれは先に帰るで!」

 秀光はダッシュで学闘技場を後にした。

 ちょっとカッコイイと思っていたオレの気持ちを返して欲しい。

「Eクラス集合してー」

「Dクラスもこっち来い!」

 学闘技場の東側で陰陽師先生が、西側でDクラスの担任らしき先生がそれぞれ声をかけた。オレたちは陰陽師先生の近くに集まった。敵将とドクパンだけは先生の呼びかけに応じることもなく相変わらず舞踊をしている。陰陽師先生は二人を気にする素振りもなく話をはじめた。

「良い試合でしたよ。伊達さん、大将お疲れ様でした」

「期待に応えられず申し訳ありませんでした」

 伊達さんは皆に向かって頭を下げた。期待に応えてないなんてとんでもない。伊達さんはすごい頑張っていた。

 伊達さんが頭を下げたのを見て、近衛部隊だった皆が罰の悪そうに伊達さんの前へ出た。

「あの。オレの方こそゴメン。一気に勝負をしかけようなんて勝手なこと言って。伊達さんの言う通りにしとけばよかったよ。囲われるとあんなにもキツイ戦いになるなんて知らなかった」

「いえ。わたしも大丈夫だと判断したわけですから。わたしの責任です」

 陰陽師先生はコホンと咳ばらいをして皆の注意をひきつけた。

「皆よく頑張りましたが、だからこそ自分たちの課題が分かったでしょう。特に伊達さんと石川さん。君たちは今日をよくよく振り返るように。

この二人に課題?

健闘していたのに一体何だろう。サッパリ分からないや。

「あと、再来週は中間模試があります」

「げっ!」

「そうだった!」

 周りがざわついた。もう模試の時期か。学闘のことばかり考えてから、すっかり忘れてたな。

「模試だからクラスは変わりませんが、学闘の能力改定には使われますからね。より学闘で活躍したければ、それを励みにして勉強するように。もちろん学闘に興味なくても勉強してくださいよ。今日は解散です」

 確かに学闘で活躍する手っ取り早い方法は武器の能力を上げることなんだよなぁ。んで、能力を上げるためには勉強してテストで良い点を取る必要がある、と。オレは普段から勉強してるし再来週のテストにはかなり自信がある。一気にAクラス並みの強さを手に入れて夏の学闘選手権で大活躍してやる!

「私、今日は全然活躍できなかったからテストで良い結果残して強くなる!」

「僕も頑張るよ!」

 みんなテストに向けて気合を入れながら学闘技場を出ていった。

 やっぱり学闘をモチベーションにすることで勉強が捗る人が多いんだな。

根性とか勇気とか洞察力とかを養うために学闘があるって聞いたけど、もっと強くなるために勉強しようとするんだから学闘は学力向上に大きな貢献をしてる気がする。それに体を動かすことでリフレッシュも出来るし一石二鳥だ。

闘技場の中央を見るとドクパンはまだ敵将とスキンシップをとっている。こりゃ、もう暫く続きそうだな。放って帰るか。秀光は先に帰っちゃったし、あかねと伊達さんと一緒に帰ろう。

「お疲れ様。二人の課題ってなんだろうね?」

「たぶん、わたしは周りの意見に流されずに自分の意見を押し通す強さが必要……って所でしょうね」

「あー。なるほど。でも、オレはあの作戦悪くなかったと思うけどなぁ」

「わたしもそう思ってますよ。でも、それ以上に良い案だと思っていたものが自分の中にあったわけですから。やっぱり、それは押し通すべきだと先生は言いたかったんだと思います」

「ふぅん。そんなもんか。あかねの課題はなんだったんだろ?」

「……さぁ。分からないわ。あたしが教えて欲しいくらいよ」

 わぁ、機嫌が悪いみたいだ。あんまり触れない方が良さそうだな。

 ドクパンを残して学闘技場を出る。

オレの前を歩く あかねは何か考え事をしているようだった。


第六章 もう勉強辞めたい


クラス対抗戦が終わり一息ついた頃、中間模試が行われた。あくまでも模試だからクラス編成には影響しないけど学闘の能力査定に使われる。今は木の棒が武器のオレだけど、どれくらい強い武器に代わるのか楽しみだ。

 最近はすこぶる調子が良い。

 授業中先生の質問に対して二十回に一回は正解を言えるようになってきたし、ミニテストの四択問題も五問に一問は当たるようになってきた。もともと自信はあったけれども、自信に実力が追いつき始めている。

 学闘は言わずもがな月極を倒して絶好調だし、これは春華に追いつくのも時間の問題だな。モテモテになれる日もすぐかもしれない。

今日あたり誰か告白してこないかなぁーなんて淡い希望を抱きながら塾へいくと、塾の中に入るなりスタッフの宮田さんに呼び止められた。

「夏沢くん。いま時間あるかな?」

「え、はい。ホームルームはじまるまで後十分ほどありますが」

「じゃあ、ちょっとこっち来てくれるかな」

 宮田さんに連れられカウンター横の個室に入った。何だろう?

 まさか宮田さんに告白されるとか? まいったな。モテる男は辛いぜ……って、んなワケあるか。はじめて告白してくれた相手は年上のお兄さんでしたなんて一生モノのトラウマだよ。

 たぶん成績の上がり方がすごいから特例で今日からAクラスに行けとかだろうな。そうに違いない。いやぁ、自分の才能が怖くなるな。

「後で寺先生から結果を返されるとおもうけど、君には先に見せておく。これはこの前の校内模試の結果なんだけどね……」

そう言って宮田さんは結果表をオレの目の前に置いた。良い感じで解けたからなぁ。偏差値六十くらいはあるんじゃないか?

夏沢天真 (一年Eクラス)

英語 五十点  偏差値四十三

数学 五十二点 偏差値四十五

物理 四十二点 偏差値三十九

国語 四十 点 偏差値三十五

わぁ、ビックリするほど偏差値低いぞぉ。あのテストで、こんな点数取るヤツの顔が見てみたいもんだ。

「この結果が何を意味しているか分かるよね?」

「悲惨ですね」

「他人事みたいに言うね」

「これは誰の模試結果ですか?」

「君だよ」

「えっ!?」

「そんなに驚かれるとは僕が驚きだよ」

本当にオレのテスト結果?

誰かオレの答案を入れ替えたんじゃないの?

 ハンマーで思いっきり叩き潰されたような気分。ちょっと頭がクラクラしてきた。

これ以上ないくらい頑張ってきたのに何で結果が出ないんだ……。

「確か七月の統一模試で偏差値五十五を取らなきゃ塾を辞めさせられてしまうんだよね?」

「はい」

「じゃあ、残り一か月半死ぬ気で頑張ってよ。今回の結果をしっかりと受け止めてね」

呆然とするオレに向かって、宮田さんは諭すように語りかけてきた。そんなこと言われてもまだ現実として受け入れられないんですけど。

「はぁ……」

「落ち込んでるヒマはないよ。やれるよね?」

「は、はい。大丈夫です。結果を見て、自分ならやれると確信が自信に変わりました」

「それ、大丈夫じゃないよね?」

 宮田さんから解放され、オレは重い足取りで教室に向かった。

 軽くパニック状態だ。

 なぜこんなに勉強してきたのに結果が出ないのか。

 土曜日も日曜日も勉強してたのに。

 こんなんで本当に統一模試で偏差値五十五取れるのか……?

教室に入ると、いつもと同じ席に座りいつものように秀光たちが迎えてくれた。席は自由だけど、みんな自分の座る席は大体決まっている。たとえば、オレが仲良くしてるメンバーは廊下側の列に座る。

 ホームルームが始まってすぐに陰陽師先生は校内模試の結果を配布しはじめた。貰ったテストの結果はさっき宮田さんに見せて貰ったものと全く同じ。やっぱりあれは事実だったんだ。実はドッキリでしたっていうオチをちょっとだけ期待してたんだけどなぁ。

全員に校内模試結果を配り終えた後、いつものように陰陽師談義を始める先生。

「世の中には言霊信仰というものがあります。言葉には霊が宿るという考え方で、私の陰陽師能力そのものです。勿論私は能力に目覚めてから、言霊を良いことにしか使っていません。しかし、違う使い方をすれば呪術にも成り得ます。皆さんは安易に軽い気持ちで言霊に手を出さないようにしてください」

いつもは心地よい子守唄に聞こえる陰陽師先生の声が今日だけは念仏のように聞こえる。こんなにヘコんだのっていつ以来だろう……。

 何も考えることが出来ず、かといって眠くなることもなく、ただただボーっとしていると皆が帰り支度を整えはじめた。

あれ、授業終わったのかな……。

 いつもは終業後すぐに教室を出る陰陽師先生が教壇に立ったままだ。珍しい。

「夏沢くん、石川さん、伊達さんは話があるのでちょっと残ってくれるかな」

「はーい」

 伊達さんがいつものように明るく元気よく返事をした。先生に呼び止められるなんて初めてのことだから、あかねは何だろうと不思議そうな顔をしている。

「センセに止められるなんて珍しいな。そんなら、おれたちは先に帰るで」

「またでござる」

「うん。また」

 秀光とドクパンが先に帰り、他の人たちも次々に帰っていく。数分後、教室には陰陽師先生とオレたちだけとなった。いつもは満員になるせいで狭く明るく煩く感じる教室が孤独な気持ちになるくらいに広く暗く静かに感じる。

一体何の話だろう……って決まってるか。どうせテストの結果についてだろうな。説教でもする気なんだろうか。でも、伊達さんとあかねも残るってのはどういう事なんだろ。なんか怖くなってきた。

「今回の模試結果を見てどう思った?」

 陰陽師先生は怒っているようでもなく、呆れるようでもなく、穏やかで静かな口調だ。説教っていう訳ではなさそうだけど……。

「まぁ、こんなもんかなと思いましたけど」

「わたしもです」

 平然と答えるあかねと伊達さん。二人は妥当な結果だったのか。オレは思いきり予想を下回っていたんだけど……。

「夏沢くんは?」

「……最悪でした」

 声が震えそうになるのを必死に抑え込み、なるべく平静に聞こえるように頑張って喉と唇を調整する。やば、ちょっと泣きそう……。

陰陽師先生はオレたち三人の回答を聞いて、やっぱりという顔をしていた。その顔はいつもの怪しい陰陽道を説く胡散臭いジイさんではなく、人生のまとめに入りはじめたご老公から未来ある若者へ伝えたい想いがあると言いたげにも見えた。

「本当に自分がこんなものだと思うかい? 石川さん」

「どういうことですか?」

 予想外の質問だったのか、あかねがどう返答して良いのか分からず困った顔をしている。いつも授業で突然あてられても、余裕ある態度でスラスラと問題の答えを言うから珍しい。

「石川さんは授業中に行うミニテストでは毎回Cクラス並の成績を残している。いや、相模高校に通う地力があるのだから当然の結果とも言えるのかな。とにかく大したものだよ」

「はぁ。ありがとうございます」

 あかねは探りを入れるような視線を陰陽師先生に向けながら軽く会釈した。

コイツ、小テストでCクラス並の成績を取っていたのかよ。凄いとは思っていたけど予想以上だ。でも、だからこそ今までずっと疑問だった事がより鮮明に浮き彫りになる。聞きたくても聞けなかった一つの事実。なぜ、あかねは……。

「なぜ君はEクラスに居るんだい?」

 先生が落ち着いた様子で、でもハッキリとした口調であかねに尋ねた。

 今までずっと気になっていたこと。たぶん、気になっていたのはオレだけじゃない。Eクラスであれば誰もがあかねはココに居るべきじゃないと思っているだろう。それだけコイツは飛びぬけている。

 あかねは顔を強張らせた。手を握る力が強くなっている。

「なぜって……」

「本来Cクラス並の力を持つ君が学力最下層の集まるEクラスに所属していて、今回の模試結果はDクラスに上がれるかどうか程度の成績でしかない。これは君の実力から大きく剥離した結果だ。何故だい?」

 誰も動かず、誰も喋らない。ただただ無音が広がる。この空間は時が止まっているんじゃないかと錯覚すら覚えた。時間経過と共に増していく緊張感だけが時が進んでいるという証明をしていた。

「何故って……そんなの分かりません」

実測で言うなら数秒足らずのことだったのに永遠のように感じた沈黙を破ったのは、あかねのボソっとした喋り声だった。

「分からないのかい。それなら僕が教えてあげようか?」

 あかねは下を向いて再び沈黙した。いつもの強気な態度のあかねとは程遠く見える。珍しくハッキリしない態度のあかねを見て、先生は眼を瞑りゆっくり首を横に振ったあと覚悟を決めた顔をした。

「怖いんだろう?」

 あかねが背筋をビクッとさせた。

どうやら思い当たる節があるようだけど……怖いってどういうことだろう。

「君は負ける事を恐れている。頑張っても勝てない相手に出会うこと、自分の可能性を否定されること、無駄な努力をしているんじゃないかと思わされること。だから大事なテストや格上と学闘する時には本気を出さない。負けても自分は本気でやらなかったって自分に言い訳が出来るからね」

「あたしは……」

「夏沢くんが月極くんと戦うときに積極的に協力していたのも、自分より格下な夏沢くんを見て安心したかった気持ちもあるんだろ? ハッキリ言うよ。君の本質は臆病だ。いつもの強気な態度は裏返せば臆病な自分を隠すものだという事を物語っているよ」

「違う。あたしは……あたしは……違う……」

初めて聞いた。

ちょっと威圧しただけで泣き崩れそうな、そんな儚さとかよわさを感じさせる弱々しいあかねの声。何故だろう。あかねのこんな姿を見ると悲しい気持ちになる。あかねにはいつものように強気なSっ娘で居て欲しい。あかねの弱々しい姿を見ていられなくなったオレは視線を下へと落とした。

 先生は励ますように、優しい声であかねに語りかけた。

「でも夏沢くんが月極くんに勝って以降、君は良い方向に変わりつつある。負けを恐れず突き進む夏沢くんに感化されたんだろう? 彼のように勇気を出すんだ。大丈夫。君の努力は無駄にならないし否定もされない。君はもっと高みへ登れる」

「……はい」

 あかねが頷いたのを確認したあと先生は伊達さんを見た。

「伊達さん」

「はい」

 伊達さんはいつものニコニコ笑顔ではなく真面目な顔をしている。こんな彼女を見るのは月極に天秀勉義塾の話題を出されたとき以来だ。

「僕は君にも聞いてみたかったことがあるんだ」

「なんですか?」

「小学生のとき超エリート集団、天秀勉義塾のトップで名実共に日本一の学力を持っていたという過去を持つ。きっとそこに辿り着くまで多大な努力をしてきたんだろうね」

 天秀勉義塾という言葉に反応し、伊達さんは渋い顔をして黙った。伊達さんがこんなにも嫌な気持ちを表に出すところを見る日が来るなんて思いもしなかった。だって、いつも笑顔で、いつも明るくて、いつも元気だから、ネガティブなところなんて想像すら出来なかったんだ。

「今や偏差値三十代の荒磯高校生でありEクラス。今回のテスト結果もEクラスの中で下層に位置する。随分凄い落差だね」

「そうですね。あの頃より今の方がずっと充実しています」

 伊達さんはニコッと笑った。さっきまでのシブイ顔とは違っていつもの伊達さんだ。きっと、今の方が充実していると心から思っているんだろう。そう確信して良いほどにキッパリと言った。

「確かに、いつも明るくて元気な君を見ていると充実しているのは伝わっているよ。良い仲間に恵まれたんだね」

「はい!」

 躊躇することなく即答。

こうもハッキリ肯定してくれるとオレまで嬉しくなってくる。

「冷徹才女(コールドプリンセス)」

 先生がボソっと言うと伊達さんの笑顔が固まった。多少ほんわかしたと思った空気が一気に氷点下まで下がったのがハッキリと分かる。伊達さんは下を向いて発作を起こしたかのように震えはじめた。いまにも崩れ落ちそうな伊達さんを先生はただ見つめている。

「小学生のときの君の異名だったそうだね。最初君を見たとき異名に似つかわしくない雰囲気でビックリしたよ」

「……黙れ」

 一瞬誰が叫んだのか分からなかった。そう思ったのはオレだけじゃなかったのだろう。ずっと俯いていたあかねすらも信じられないといった表情をともなって顔を上げた。

 オレも伊達さんを見た。見たはずだった。でも、一瞬戸惑ってしまった。

なぜならオレの視線の先に居たのは血の通った人間とは思えないほどに冷たい表情と凍てついた瞳を持つ女性だったからだ。

「私の前でそれを口にしないでください」

伊達さんの言葉は大声を出しているわけでも荒々しいわけでもないのに聞く者全てを恐怖に陥れるような絶対零度の威圧を放っている。

先生は臆することなくそんな伊達さんから目を離さない。

「これは失礼。でも、勿体ないと思わないかい。このままEクラスで燻っていたら、かつて君のした努力は全て水の泡になるんだよ? もう一度、日本一になるのも良いんじゃないかな」

「知らないんですね。日本一って、得るものより失うものの方が多いんですよ」

 伊達さんは薄ら笑みを浮かべた。本当はいつものようにニコニコ笑顔を作ろうとしているんだろう。だけど、精神が落ち着かず薄ら笑みになってしまっているんだ。その証拠に声が震えているし目が赤くなっている。

「分かりますか? 少しでも点数が下がるものなら親に呆れた顔をされる悲しみ。先生が好きなのは私のパーソナリティじゃなくて学力だと気がついた時のやるせなさ。勉強が出来るというだけで一目置かれクラスメイトに対等に接してもらえない孤独。そして、周りを見下しているチッポケな自分に気がついた時の虚無感」

 苦しみを吐き出すように話している。もうこんな思いはたくさんだという想いがハッキリと伝わってくる。

オレには想像すらできない苦しみを味わってきた過去の先に、いまのニコニコ笑顔の伊達さんが居ると思うとそれだけで胸がいっぱいになった。

「いま日本一を目指してまた昔と同じようになると思うかい? 僕はそうは思わない。かつてと違い、学力で差別しない仲間と人生を楽しもうとするマインドを手に入れただろう。今の君ならもう一度日本一になれるだろうし、そのときは本物の勝ち組になれているはずだよ」

 勝ち組……? ビクッと全身で反応する伊達さん。

「ブランド力のある学校に通ったりトップの成績を維持する事が勝ち組だと言うなら、それは違います。たとえ日本一になって周りから尊敬されても、優越感に浸れず自分を誇る事もできず心が満たされなくて満たす方法も分からなければ、それは負けなんです。だから勝ちというものがあるのなら自分の人生に価値を見出せる人が本当の勝ち組なんだと思います」

「ほぅ……?」

 ハッとした顔の先生を無視して、涙声で話を続ける伊達さん。

「社会的地位を確立して優越感に浸り自尊心を満たそうとしても、ブランドに依存したり世間の目に抗えない心の弱い人間は、そのうちチッポケな自尊心すらも満たせなくなって周りの目を気にする気力もなくなり、そこにはもう価値が無いと悟って積み上げてきた物を全て投げ出したくなるんです。未来のヴィジョンが見えず自分の存在意義を自問自答するだけの日々をおくって、そして最後に残るのは空しさだけですよ。私にとって学力と名声は自分が勝ち組であると思わせてくれるものじゃありませんでした」

「……君の言うことは分かるよ。良い学校・良い会社に入ることを期待され、みんな入試勉強の仕方や就職活動のテクニックは教えてくれる。けれど、人生の生き方を教えてくれる人間は誰も居ない。当然自分の生き方や存在意義が分からず悩み壊れていく人だっている。……いまの君やヴィクトリー塾創始者のようにね。思考停止して大人に言われるがままに勉強してきた所謂マジメな優等生ほど後になって悩み苦しむことが多いように見受けられる。そういう子を出さないためにヴィクトリー塾は勉強だけじゃなく人間力を鍛える取り組みをしているんだ。だからこそ言わせて貰う。もし、君に大気が備われば君はきっと新しい自分を発見できる。僕は君にこのままで終わって欲しくないんだよ」

 伊達さんは黙っている。

しばらくして伊達さんは机に乗せていたリュックを背負って必死に声を絞り出した。

「先生の言う大気は、小を捨て大を得る度胸と周りの人間や情勢に流されない心構えと解釈していいですか?」

「そう受け取って貰って構わないよ」

 ニッコリ笑う伊達さん。でも、それはいつもの笑顔とは違って、どことなくぎこちないというか機械的なように見えた。

「それが出来ないから昔の私は壊れちゃったんですよ。後悔なんてしてません。テンテンやあかねちゃんと一緒に楽しく過ごせたら、ただ それだけで幸せなんです。もう野心も見栄もありません、いりません。私は今の私でありたいです」

 そう言い残して伊達さんは教室を出て行った。

 陰陽師先生は先ほどまでとは違い、なぜか嬉しそうな顔をしていた。

「心の奥底には焦りや迷いがあるかと思きやどうも違う。他者との競争や比較によって得られる相対的な幸せを超越したというわけか。若気の至りなんかじゃない、自分の価値観を確立し始めていた。大したものだよ」

あかねもオレも頭が混乱してどうしたら良いか分からずその場に突っ立っていた。

「夏沢くん」

「は、はい」

 急に先生に呼ばれ動揺したオレは声が上ずってしまった。本当何がなんだか分からない。状況が呑み込めない。陰陽師先生が伊達さんやあかねにあんなキツイ事を言うなんて本当に驚きだ。オレにも何か言うんだろうか……。

「君は今回成績がよくなかったね」

「はい……」

「君が頑張っているのは分かっているつもりだよ。でも、何故結果が出せないか分かるかい?」

「いえ……」

「そうか。こればかりは自分で気が付くべきことだ。だけど、一つだけ言うなら君の努力にはムダが多いんじゃないかな。もっと知恵を絞って効率をあげないとダメだよ」

「知恵、効率……ですか」

「そう。大事なのは消費した時間じゃない。何が出来るようになったかだ」

 勉強するのに知恵って必要なものなのか。授業でやったことをただひたすら反復練習して確実に解けるようにすればいいんじゃないのか。全然意味が分からない。オレのピンと来ていない顔色をうかがう事もなく先生は話を続けた。

「豊臣秀吉は天下を獲るには大気、勇気、知恵を兼ね揃える必要があると言ったそうだよ」

 いきなり何の話をしているんだろう。さっぱり分からない。

あかねの方をちらっと見ると、あかねも話が見えていないようだった。

「夏沢くんは最初の自己紹介のときに学闘でトップになると宣言していたね。実際、君たち三人は学闘で天下を獲れる素質がある。だけど、石川さんは大気も知恵もあるけど勇気が足りない。伊達さんは勇気も知恵もあるけど大気がない。夏沢くんは大気も勇気もあるけど知恵が欠けている。でも君たちなら各々不足しているものを得られるはずなんだ」

 先生が珍しく熱っぽく語っている。オレとあかねは自然と先生の言葉に夢中になっていった。

「僕はね、悔しいんだよ。学力最下層のEクラスには素質があるのに自分の限界はここまでだと自分で決めつけて伸び悩む子が実に多い。大人になったあとであのとき自分はもっと頑張れたんじゃないかと過去を後悔する子もね。君たちには後悔してほしくないし何より自分の壁を越えるポテンシャルがある。僕に見せてくれよ。頂上へ登る君たちの雄姿を」

 分からない。オレには分からない。先生の言う事が綺麗事にしか聞こえない。だって、どんなに御託を並べたって今回結果を出せていないことには変わりはない。

むかし、塾の先生は生徒がやめると自分の評価が下がって困るから辞めさせないように色々な手を使うっていう話を聞いたことがある。きっと、今回もそのパターンだろう。いつもオレをバカにしている陰陽師先生がオレを認めてくれるような発言をするなんてあり得ない事だから。どうせオレの事を金ヅルとしか思ってないんだろうな。必死に頑張ってた自分が本当に滑稽に思えてくる。

正直、もう勉強辞めたい。

 そしたら、もうこんな惨めな思いしなくて済むかな。

少しは楽になれるかな……。

 ☆☆

 ボーっと過ごす時間が増えた。

全く勉強する気が起きない。

それでも生活習慣とは恐ろしいもので、自然と足が塾へとむかっていった。かといって、ちゃんと授業を聞いているわけでもなくノートを取るわけでもなく何も考えずに過ごしていた。  

伊達さんとあかねは昨日の事はまるでなかったかのように普通に振る舞っている。

オレだけがいつもと違う。

ドクパンや秀光たちに話しかけられても上の空な返事しか出来ずに居た。

みんな心配してくれたけど、だからといってどうなるわけでもなく消化試合のように日々が過ぎていく。日が経てば少しはやる気が戻ってくるかと思ったけど全くそんなことはなかった。そのうち塾にも行かなくなりそうだな。どうせ偏差値五十五なんてオレには無理な話だったしまぁ丁度良いか……。

「テンマ!」

 頭も足どりも重く相武台駅で降りて塾へ向かっている途中で後ろから声をかけられた。振り返ると、あかねが居た。

「なんか最近ヘコんでるみたいだけど、ちゃんと勉強して偏差値五十五突破しなさいよ!」

「あぁ、……うん」

 ちょっと前までは偏差値五十五なんて自然と結果としてついてくるものだと思っていた。それだけ沢山勉強に時間を費やしていたから。でも現実として五十五なんて遥か遠くに感じる。そんな中じゃ、さすがのオレも任せておけっていつものように力強く答えることは出来ない。本当みじめっていうかカッコ悪いな、オレ……。

 あかねは眉をしかめ、唇をギュッと結んでいた。

「ったく、いつまで落ち込んでんのよ」

「別に落ち込んでなんか……」

「カッコ悪いところも見られちゃったしね。あたしは もう逃げないし恐れない」

「あかね?」

「あたしは上に行くよ」

 あかねはオレの瞳をジッと見つめ強い口調できっぱりと言った。

その瞳は全く迷いを感じさせない。

「アンタはどうする?」

「オレは……」

 言葉が詰まる。返事が出来ない……。

「誰だって努力の割に結果が伴わないことなんて当たり前にあるよ。きっと、これから先も何回も負けて何回も悔しくて泣く日々が来ると思う。それでも、ひたむきに頑張れる人が上に行けるって あたしは信じてる。だからテンマ、仮にもあたしを本気にさせるキッカケを作ったんだから いつまでもくすぶってんのは許さないわよ」

「あかね、オレは……」

「そんだけ。それじゃーね」

 言いたいだけ言って、あかねは早歩きでオレを追い越して先へ行ってしまった。あかねがそう言ってくれるのは嬉しいし期待に応えたい。だけど、オレの力じゃダメなんだよ。

 くそっ。どうなっちゃったんだよ、オレ……。

ノロノロと歩いて教室に入ると、すぐに授業が始まった。

「この図を例にとるとハンマーの柄の長さと金属の重さを掛けることで力のモーメントを算出することが出来ます」

そう、もし偏差値五十五を諦めないというなら、もう後がないし時間もない。頑張らなきゃいけない。必死にならなきゃいけない。……なのに、授業が全く頭に入ってこない。頭の中は深刻な問題でいっぱいだった。思うように結果が出せない自分(モテなさ加減も含む)が憎い。もどかしい。悔しい。これ以上ないくらい一生懸命頑張ってきたのに。

ずっと考え事をしていたら、気がついたら授業は終わっていた。今日は何も身につかない日になってしまったな。先生が退出する時にオレに一声をかけた。

「夏沢。あとで教員室に来い」

「あ、はい。分かりました」

「最近テンテンはよく先生に呼ばれますねぇ」

 隣の席で一緒に授業を受けていた伊達さんの言葉が耳に入る。

オレは伊達さんと別れて職員室へと向かった。

 タイミング的にテストの結果についてだろうな。こんなに気持ちが沈んでいる時にまたテストの結果をアレコレ言われるのは嫌だなぁ……。

憂鬱な気持ちを抱えて教員室に入った。そういえば教員室に入るのは始めてだ。中は開放的な雰囲気で最近話題の長時間座っても疲れないイスがある。

オレは先生の前に立った。

先生は椅子に座ったまま首だけ上に傾けてオレを見上げている。

「来たか、夏沢。宮田さんから聞いたけど、お前は次の統一模試で偏差値五十五とれなきゃ退塾するらしいな?」

「あ、はい。そうです」

「もう校内模試の結果は見たか?」

「見ました」

「このままいけば間違いなく退塾コースだな。もう辞めちまうか?」

 先生が直球なコメントをした。さっきまでウダウダもう無理だと考えていたにも関わらずオレの口から勝手に言葉がこぼれた。

「いえ……辞めたくないです」

「そうか。お前、何でこんなに伸びが悪いか自分で理由が分かっているか?」

「オレはこの二カ月一生懸命やってきました。それでも結果がでないのは恐らく、オレには勉強のセンスがないんじゃないかと……」

 先生は真剣な目でオレを見ている。先生の眼を見ると、悔しいやら情けないやらで涙目になってしまう。

でも、泣かない。男の子だもん。

下を向いて涙を流さないよう必死で我慢した。

「ダメだな。全然ダメだ」

 先生は呆れた口調で言った。……やっぱりオレじゃダメってことか。引導を渡すなら泣いてしまう前にさっさとしてほしい。

「たしかにな、数学にはセンスが問われる部分もある。それは否定しないが、東大・東工大辺りで稀に見る難問を除けば受験レベルの高校数学は努力次第でどうにでもなる範疇だぞ。最初に成績が悪くても努力で有名大学に受かっていった奴をオレは何人も見てきた」

 ……気休めかよ。それは中学時代それなりに実績のある人たちだろ。オレみたいに偏差値三十代の高校に入るような奴のことじゃない。たとえば、荒磯の期末テストで偏差値六十取る人間よりも、進学校の期末テストで偏差値三十を取る人間の方が伸び代は圧倒的に上だろう。

「オレが高校生のころな、偏差値三十四の高校に通っていたんだよ」

「え?」

「最初のクラス分けテストは全校でビリっけつの成績だったんだ。周りからめちゃくちゃ馬鹿にされて悔しかったのを今でも覚えてるよ。でも、オレは夏のテストで偏差値六十を取ったんだぜ?」

「……まじですか?」

「オレは最前列の席にいつも座って授業を聞いていたよ。問題を出せば積極的に挙手をして答える。授業が終われば分からない事を必ず質問していたな。何故こういう式になるのか、何故こういう解き方をするのかってな。教科書だけじゃなくて自分で買った参考書の問題も含めてだ。お前はオレのところに質問しに来たことがあったか? 分からない問題があったら、曖昧にしていないか? ちゃんと理解するまで考えているか?」

 首を横に振る。オレは分からないところがあったら、とりあえず解答の仕方だけを覚えて満足していた。何故そのような解法になるかを理解しようとしていなかったんだ。

「最初の授業でオレが言った事を覚えているか? 人生を変えたいなら、まず考え方を変えろってな。お前にとって夏の模試で人生が変わると言うなら、まずは才能のせいにするその考え方を改めろ。お前はまだやれることがある。違うか?」

「……違いません」

「お前はオレと境遇が似ているからな。ちょっと肩入れしたくなっちまった。余計なことを言ってすまないな」

「いえ、ありがとうございます」

 オレは塾を出た。駅に向かう薄暗い道の中で必死に泣き顔を直す。向かい側から歩いてくるサラリーマンがオレの顔をジロジロ見てくるので少し恥ずかしかった。

才能のせいにするなんて浅はかだった。自分は誰よりも一生懸命やってるなんて思うのは思い上がりだった。オレはやれば出来るヤツだと思い込んでいて、いつの間にか勉強すること自体が目的になっていた。単純な勉強時間だけで満足していて、ただ勉強してれば漠然と偏差値五十五に届くと思っていたんだ。だけど、本当に必要なのは時間をかけることじゃない。まず分からないことを全部洗い出して、一つずつ理解していく。その作業が必要なんだ。かかった勉強時間というのは知識を得る際の燃料に過ぎない。そして燃費は少ないほど良い。落ち込んでいる暇なんてもう無い。

駅の階段の前には、蛍光灯の光に照らされた伊達さんが立っていた。

「思ったより長かったですね」

「……ん。待っててくれたんだ」

「先に帰ろうと思ったんですけど、やっぱり一緒に帰りたくなっちゃって」

「そっか。ありがと」

 オレたちは駅の中へと入っていった。

 オレの顔と声色で察したのか、伊達さんは一言も喋らない。

けれども、いつもより優しく微笑んでいる。

 プラットホームで電車を待っていると、伊達さんはボソっとつぶやいた。

「初めてのことって、なんでも、いつでも新鮮ですよね。期待に胸をふくらませて。自分なら必ず出来るって、最強なんだって思えます」

「ん?」

「でも段々現実が分かってきて。苛立ち、焦り、不安、焦燥。ネガティブな感情が沢山生まれて、苦しくて爆発しそうになるときもありました。全てを投げ出したくなるときもありました」

 オレの事を言っているのかと思った。

でも、伊達さんは過去を振り返っているかのような口調だ。

「だけど苦しみながらも頑張って前に進んでいるとね、あるとき出会うんですよ」

「何に?」

「出来なかったことが出来るようになる喜びです。それは苦しい期間が長ければ長いほど大きくなります。きっと、もうすぐテンテンも味わえますよ」

「分かるの?」

「はい。だって覚悟を決めた顔をしているんだもの」

 伊達さんはニコッと笑った。

 オレは頬が赤くなったのを誤魔化すようにして闇に消える線路の方に顔を向けた。

「伊達さんは何でも経験してるね」

「そうですね、今はヤキモチも経験してます」

「ヤキモチ?」

 オレが振り返ると、先ほどとは打って変わって子供のように唇をとんがらせていた。そんな伊達さんを見ているとさっきまでのシリアスな気持ちは完全に吹っ飛んでしまった。オレはいつものオレに戻っている事にも気づかないまま伊達さんを見続けた。

「常々思っていたんですよ。わたしはテンテンとあだ名で呼んでいるのに、伊達さんって他人行儀な呼び方されるのはオカシイって。しかも同じ高校のわたしを差し置いて、あかねちゃんの事は名前で呼んでますよね。これは差別です!」

「そ、そうかな?」

「そうです。訴訟も辞さない覚悟ですよ!」

「そこまで!?」

「はい。だから、これからは朝美って呼ぶかマイスイートハニーって呼ぶか、どっちかでお願いします」

か、かわいい。ドキドキしてきた。

こ、この流れは付き合える流れじゃないか!?

ついにオレにも彼女が出来るのか。キャッキャウフフな青春ライフ来た!

いや、しかし待て。幾度となく春華に騙されてきたのを思い出すんだ。

女っていうのは、たいてい持ち上げておいて最後に落としてくるもんだ。ここでハニーと呼ぶと答えたら “じゃあ、わたしはテンテンのこと学闘能力オールG、略してゴキブリって呼びますね” とか言ってくるに違いない。ふぅ、危うく騙されるところだったぜ。伊達さん、悪いけど君の手には乗らないよ。だから、答えはハニーじゃなくて朝美だ。

「じゃあ、朝美で」

「べつにハニーって呼んでもいいですよ?」

「いや、朝美って呼ぶよ」

「遠慮しなくても良いですよ?」

「してないよ」

「ふぅん。そうなんですかぁ」

「なんだよ」

「なんでもないですよ」

 ふふ。思うようにオチをつけれなくてブーたれた顔をしている。勝った!

「まぁ、いいです。苗字で呼ばれるより全然ね。いま試しに呼んでくれますか?」

「なんか改まると恥ずかしいな。えっと、朝美」

「なんですか?」

「いや、呼んだだけ」

「用もないのに呼ぶなんて嫌がらせですか?」

「ちょっ、自分で試しに呼んでって言ったんじゃん!?」

「あはは。テンテンがイジワルするからちょっとイジめちゃいました」

 オレの反応を見て笑う伊達さん、じゃなくて朝美。

 なんかちょっと春華に似てきたような気がする。

「ところで折角ワンランクさらに仲良くなったんですから、ちょっとした遊びをしましょう」

「遊び?」

 オレが尋ねると伊達さんは楽しそうに頷いた。

「そうです。相手に一個質問するんです。質問された方はどんな質問にも答えなければいけないですよ?」

「へぇ、面白そうじゃん」

「テンテンにあんな事やこんな事を聞くチャンスです」

「いや、質問は一個だけなんでしょ」

「そうですね。じゃあ、ズバリ質問です。テンテンは好きな子居ますか?」

 ワクワクした様子の朝美。女の子だけあって恋愛話には興味津々なのか目に力が入っている。好きな子かぁ。オレくらい女日照りが続くと女の子ってだけで好きになっちゃうからな。ゆりかごから熟女までの守備範囲内なら出会いの数だけ好きな子が居るよ。だから自信をもってこう答えよう。

「いっぱい居るよ!」

「誰ですか……って、いっぱい!? いっぱいって何ですか!?」

「いっぱいはいっぱいだよ。それに、質問一個だけでしょ」

 朝美は興味津々な顔からハッとした顔に変わった。

「い、今のナシで!」

「ダメ。認めませぇん」

「そこをなんとか!」

「やぁだよ~」

「あぅ。好きな人の名前を教えてって質問にしておけば良かったです……」

 アホの子だなぁ。目の前で頭を抱え込んでいる朝美が微笑ましい。

 反応が面白くてついイジワルしちゃった。

悪い事したかな。でも、可愛いから仕方ない。

「むぅ、次はテンテンの番ですよ」

「そうだねぇ~……」

 質問どうしようかな。気になるし好きな人聞こうかな。いや、でも、これでドクパンが好きとか言われたら絶望するし止めておこう。そうだ、前から疑問だった事を聞こうっと。

「前から気になってたんだけどさ。そのヘンテコ敬語な喋り方って何か理由があるの?」

「な、ヘンテコ敬語ってヒドイですね」

 朝美がムクれ、オレは吹きだした。

「だってねぇ」

「むぅ、これは反抗期の代償と言ったところですかねぇ」

「へぇ。朝美って反抗期とかなさそうなイメージだったのに意外だな」

「わたしの両親が言葉遣いにうるさくて小さい頃から敬語を強要されていたんですよ。でも、反抗期になって、親への反抗ということで普通の喋り方しようとしていたんですが、体に染みついた敬語が抜けなくて……結局、今みたいな中途半端な言葉遣いになってしまったんです」

 朝美は手を頭に置いて、照れながら話した。

 反抗期っていっても、やっぱり朝美らしく可愛らしい反抗期だったんだろうな。コイツが人に冷たい態度とるところなんて全く想像つかないし。

「なるほどね。そんな理由があったんだ。オレはてっきり目立つ為にヘンな喋り方してるのかと思ってたよ」

「もぅ。テンテンひどいですね!」

「ごめんごめん」

 苦笑いをしている朝美にポカッと軽く頭を叩かれた。

 そうこうしている間に車輪の近づく音が聞こえてくる。

 電車のヘッドライトによってオレたちは明るく照らされた。

 オレの心は不思議なほどにスッキリしている。


第七章 オレの居場所


 ヴィクトリー塾。

今更言うまでもないけれど独立自尊、半教半学がモットーの有名塾だ。

 塾生は己を高めるために授業時間外も皆で集まり、共に学び、互いを高めあっている。時には塾生が教え、講師が教わる時だってある。この風土がヴィクトリー塾と塾生の質を確固たるものにしていた。そしてそれは学力最下層のオレたちEクラスも例外じゃない。

「観測者Aを原点に置いたとき、この角度をθ1、θ2と置き、この長さをℓとするでござる。この場合、計算式は以下のようになるでござる」

 黒板に図と数式が刻まれていく。教壇に立つクラスメイトは丁寧に解説している。

これ以上ないというくらい真剣な顔をして皆は話を聞いていた。それは見せかけなんかじゃない。この場に居る全員が脳味噌をフル回転して体に染み込むまで学ぼうとしている。

少し離れた位置に椅子を置いて、そんな光景を眺めながらEクラス担任の陰陽師先生は頷いていた。

 講義が終わりに近づく頃には全員が体を前のめりにして夢中になっていた。

 彼の一語一句を聞き逃すまいと、次の言葉を待った。

 やがて、彼は結論に入った。

「つまり、対象のスカートの長さをℓにあてはめ、階段の角度をθ1、首と目の稼働角をθ2に当て嵌めてこの公式を解くと、対象のパンチラを見る条件は……」

「アンタたちは何やってんだぁーっ!」

「あ、あかね!?」

 声のする方を見ると教室の入り口前に立って震えるあかねが居た。

「くそっ、講義にのめりこみ過ぎてコイツが教室に入ってきたことに気づかなかった!」

「女子禁制のパンティ学勉強会を女に見られるとは……っ!」

 勉強会参加者(男子四十名ほど)は驚きと動揺を隠せずに慌てふためいた。

「最近こそこそ勉強会開いてるようだから飛び入り参加しようと思って来てみたら……よりによってなんて話をしてんのよっ!」

「なんて話も何も、パンチラを見る方法でござるが?」

 教壇に立つドクパンはきょとんとした顔をした。

 さすがドクパン。とんでもないことを平然と言ってのける我らのナイス・ティーチャー!

「変態すぎてキモいわよ!」

 興奮するあかねに対して陰陽師先生は諭すように話しかけた。

「まぁまぁ。良いじゃないか。こうやって興味のあることに置き換えて彼らは数学や物理を学んでいるんだから」

「第三者を気取ってますけど寺先生も食い入るように話を聞いてましたよね!? あたし、見てたんですからねっ!」

「はは。これは一本取られたね」

 クールに笑う陰陽師先生。

 あかねの興奮と勢いは止まらない。

「っていうかEクラスの男子全員居ることも問題だけど、なんでAクラスやCクラスの男子も混じってんのよ!?」

 オレの隣に座るAクラスのロン毛の男はニヒルに笑った。

「興味のある学問を学びたいから学ぶ。そこにクラスの壁なんてねぇよ。なぁ、そうだろ? 夏沢」

「おう、その通りだぜ。月極」

 オレはロン毛の男すなわち月極とグーサインを出し合った。

「って、月極も居るの!? アンタ、あたしたちを見下してたんじゃないの!?」

「ドクパンの授業だけは別だぜ」

「「ハハハッ!」」

「なんなのコイツら!?」

オレたち男子は皆で笑いあった。

「……ってことがさっきあったのよ」

 遅れてやってきた朝美に、あかねが話をしているのをオレは前の席から聞いていた。

 ぐったりしているあかねとは対照的に朝美の楽しそうな声が聞こえてくる。

「あはは。楽しそうでうらやましいです。わたしもそこに居たかったですよ」

「アンタも結構天然だものね。もう、ツッコミどころが多すぎてイヤになるわっ!」

 頭を抱えるあかね。

「あんなに仲悪い感じだった月極くんとも仲良くなれるなんて、素敵なことじゃないですか」

「まぁ、そうかもしんないけど。仲良くなるツールが問題よ……」

「でも、そういうの羨ましいです。女子もそういうイベントやりましょうよ」

「良いわね。喫茶店でケーキでも食べながら皆で勉強する?」

「それ、最高です。やりたいです。すぐやりましょう! 放課後いきましょうよ!」

 あかねの提案に燥ぐ朝美。オレまで愉快な気持ちになってくる。

 だからオレは後ろを振り向いた。

「オレも参加……」

「アンタはダメよ!」

「言葉を言いきらないうちに拒否!?」

 あかねから即拒絶反応。しかめ面をしている。

 隣で朝美は申し訳なさそうに笑っていた。

「女子会なので男子なテンテンはごめんなさいですよ」

「オレもケーキ食べながら勉強したかったのに」

 あかねはフンッと鼻をならした。

「ったく。挫折から立ち直って頑張ってるようだから少しは偏差値五十五とれるよう手伝ってあげようと思って早く塾に来たのに。よりによってあんな最低な勉強会してたなんて……」

「あかね。オレのために来てくれたの?」

 オレの問いにあかねはハッとしてブンブンと首を横に振った。

「えっ、あっ。いや、そんなワケないし。今のは軽いジョークよ」

「そこまで強く否定しなくてもいいだろ!?」

「でも、確かにテンテンが居なくなったら寂しいですよね。ケーキは今度にして今日は授業終わったら勉強しませんか?」

「朝美がそう言うなら。まぁ、いいけど」

 あかねがブツブツ言いながらも承諾した。

 陰陽師先生の陰陽話を適当に聞き流してホームクラスが終わった。

 オレたちは談話室に行って大きめの机を陣取った。

 たくさんの塾生が集まって勉強をしたり議論をしたりしている。この雰囲気だけで勉強のモチベーションが上がりそうな感じだ。

 あかねが真ん中の椅子に座りオレと朝美が左右に座った。

「この問題、やってみて」

 あかねは問題集のページを開いてオレの前に出した。

 オレは問題を確認した。

「どう? ちょっと難しいかもしれないけど分かりそう?」

 数秒後、あかねがオレに尋ねた。

オレは自信を持って頷いた。

「全部は分からないけど、少し分かった所もあるよ」

 オレがハッキリと答えると、あかねは感心したような顔をした。

「へぇ、やるじゃん。どこまで分かった?」

「これが数学の問題だということは分かった」

「アホかっ! そんなんで自信満々な顔すんなっ!」

「くっ。今日はあかねのツッコミは刺々しいな」

「ったく、こんなんで偏差値五十五取れるのかしら……。ほんと、真面目にやってよね」

「わ、分かってるよ……」

「やっぱり基礎から固めていかなきゃダメね」

 そう言って、あかねは問題集の最初の方のページを開いた。

「これをやって。問題そのものを暗記するんじゃなくてロジックを理解しなさいよ」

「お、おう……」

「朝美はどう?」

 朝美はペンを咥えて頭を抱えている。

「この問題が分からないんですぅ」

「えーっと、この数式を展開しなさいって問題?」

「そうです。展開ってなんですか。本当にする必要あるんですか。それをこの子は本当に望んでいるのですか? 人工的に手を加えるのは良くないです。ありのままの姿を愛してあげてくださいよぉ」

 あかねの口からため息一つ。

「テンマは浅すぎだけど、アンタは深すぎよ……」

 問題と格闘し、手が止まってしばらくすると あかねの解説が入る。あかねは普段の猛々しい感じとは違い、とても丁寧な教え方をしてくれた。

「こうなるワケ。んで、こうなるから」

 オレのすぐ目の前のノートに、あかねは体をオレの近くに寄せてペンを走らせる。あかねの髪からちょっと甘い匂いがしてドキドキする。

「どう? 分かった?」

「う、うん」

 ペンを止めてオレの顔を見るあかね。

 あまりに近い距離のせいで、あかねの鼻息がオレの手にかかって更にドキドキした。

 どうしよう、全然頭に入ってこない。

「うー」

 奥では朝美が頭を抱えて唸っている。その声を聴いて、あかねは今度は朝美の方に体を寄せた。オレはさっきまでのちょっとしたドキドキの余韻に浸ったままポーっとしていた。

 気が付けば大分時間も遅くなっていた。

 勉強道具を片付け談話室を後にするオレたち。

「あかねちゃん。今日は本当にありがとうございました。勉強が楽しく感じましたよ!」

「オレも!」

「それならよかったわ。あたしも教えることで理解が深まったし。また一緒にやりましょ」

「ぜひお願いします」

 楽しそうにしている朝美。

 オレも楽しかった。誰かと一緒に勉強するって、とても良いものだ。

 ロビーの前に学闘のポスターが貼られてるのが見えた。オレはそれを横目に入れて塾を出た。

「そういえば学闘の相武台校代表決めの予選っていつからだっけ?」

「確か夏の統一模試の次の週だから……七月最終週じゃない?」

「Cクラスまで一次予選免除で、最初はDクラスとEクラスだけでやるんでしたよね」

「そうよ。あたしたちが戦いあうこともあるでしょうね」

「出来れば皆とは戦いたくないですが、当たったら本気で行きますよっ」

「望む所だよ。でも、代表の一枠はオレが貰うけどな!」

 自信満々でオレは宣言した。

 なんせAクラスのランカーにも勝つくらいだし。当確路線だろ。

「テンマ……」

 あっ、やっぱり反応した。

あかねのツッコミが来るぞ。調子に乗るなって言いたそうな顔だ。

「……あたしはアンタと戦いたい」

 あかねのツリ目がまっすぐにオレを覗いている。

あれ、この反応は予想外だ。

「あかねちゃん。まさかテンテンのこと好きなんですか!?」

 朝美が驚いた様子で あかねに尋ねた。

 なんだ、そういうことか。好きな子には冷たくしてしまう心理だったんだな。あかねも可愛い所あるじゃないか。しょうがないなー、彼氏になってやるか。

「何でそうなるのよ。んなワケないじゃん」

 あかねがキョトンとした顔で朝美に回答した。もしこれが、そ、そんなワケないんだからね! みたいな感じで焦って言うならツンデレ枠として大いに期待出来たのに……こんな淡々と言われると結構へこむ。ちくしょう。

「あかねはオレのこと嫌いなの?」

 最近一か月に三十回は気になっていることが勝手に口からぽろっと出てきた。

 あかねは顎に指をあて上を向いて、んーっと唸っている。

「そうねぇ。仮に好感度百で付き合いたい、五十で友達になりたいと定義しましょうか」

「うん」

 ドキドキしながら、あかねの次の言葉を待つ事三秒。あかねは呟いた。

「その場合、アンタへの好感度は五ね」

「マジかよ!?」

絶望した。ただの顔見知りレベルじゃないか。好感度を測れるスカウターを持った宇宙人が居たら “好感度たったの五か。ゴミめ” とか言ってくるレベルだ。くそぅ、言われっぱなしは癪だ。オレも言い返してやる。

「くっ。それならオレも言わせてもらうけどな。オレのあかねに対する好感度は五十三万だっ!」

「好感度たかいですねっ!?」

 オレはゆっくりと指を三本立てた。

「しかも、あと三段階パワーアップする。どうだ、お前はオレに愛されているんだぞ」

 半分やけくそで勝ち誇った顔をしてみせた。すると、あかねは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。

「そうなんだ。ゴメンね。友達とすら思ってなくて」

「真顔で謝るのやめてくれないかな!?」

 地味に、いや、かなり傷つくんですけど。

「とりあえず、アンタと戦いたいって言ったのは、アンタが最近調子に乗ってるからお灸をすえてやりたいと思っただけよ」

「そうですか……」

 どうせそんな事だろうとは思っていたさ。そうは言っても本人の口から言われるとショックだ。

「まっ、そうは言っても最近頑張ってるみたいだし? 相手にとって不足はないと思っていないこともないわ」

「つまり、あかねちゃんはテンテンをライバル視してるということですね」

 朝美がピンと来たように言った。

 オレの心は弾んだ。

「そういうことか。オレもお前をライバルと思ってるぜ!」

 あかねは否定しようとしていたが、オレが燃えている様子を見て口を止めた。そして、もう一度口を開いた。

「……そんな大げさなもんでもないけどね。まぁ、通過点その一くらいには考えてるわ」

「ははは。早くお前と公式戦で戦いたいぜ!」

「一人で盛り上がりすぎ」

 あきれるあかねと微笑ましい顔の朝美。そんな二人と一緒にオレは帰宅した。

 あっという間に週末となり、土曜日は自習室で勉強する為に塾へ行く事にした。いつも授業の無い日は家で勉強していたので、週末に塾へ行くのは学闘関係を抜くと今日が初めて。

たまにはこういう日があってもいいだろう。

四階にある自習室に入ると土曜の朝イチにも関わらず大半の席が既に埋まっていた。みんな塾に来て頑張ってるんだな。いつもと違う行動を取ることで初めて気が付くことってある。

この日は今まで授業で習った問題を総復習して、いまいち理解していない問題をピックアップする作業に専念した。英語が終わり、そのままの勢いで数学、物理、国語も捌いた。

ふと気が付くと夕方になっていた。

お昼ごはん食べるのも忘れるくらい没頭していたのか。そろそろ帰ろう。分からないところを沢山洗いだせたし、ちゃんと先生に質問しなきゃな。

帰宅途中。

「あっ、久しぶりだね。どこか行ってたのぉ?」

佐間駅で小悪魔とバッタリ会った。

高校に入っても笑窪つきのニヤけた笑顔は中学校の頃のままだ。

「同じ塾に通ってるのに中々会わないよな。塾の自習室で勉強してたんだ」

「そっか。頑張ってるねぇ!」

「春華は?」

「私は授業だよ。MoM(マスター オブ マスマティックス)ってやつ」

「数学の一番上のクラスだっけ?」

「そうだよ。ねぇねぇ、せっかく会ったんだし、かにが沢公園散歩しながらお喋りしようよ。積もる話もあるしね」

丁度良い。君には聞きたいことがあったんだ。

「良いよ。春華はかにが沢公園好きだね」

「大好きだよ。テンマちゃんだって好きでしょ?」

「そうだね。いつもここでサッカーの練習してたしね」

「だよね。でも、かにが沢公園はテンマちゃんのこと嫌いらしいよっ!」

「ヒドイ!?」

 春華がニヤニヤ笑いながら先導する。かにが沢公園は佐間駅から五分もかからず着く。レトロな雰囲気を醸し出す飲み屋通りを抜けて突き当りを左に曲がれば目の前は かにが沢公園だ。

「そういえば、塾はどう? テンマちゃんが授業にちゃんとついていけてるか心配で夜も眠れないよ」

 いつものようにからかい口調の春華。

何だろう。この安心感は。

「それなりにやれてるよ。ってか、眠れないってのは嘘でしょ」

「えへへ、バレちゃった?」

「バレバレだよ」

「でも心配したのは本当だよ。テンマちゃんってナルシストだし基本バカだけど本当はヒネくれてるもんね」

「そうそう、本当は……って、待て。それフォローが入ってないよ!?」

「フォロー出来る所あったっけ?」

「一個くらい見つけてくれ。オレたちの昔からの付き合いはなんだったの!?」

「答えがゼロの問題ってあるよね。あっ、ベンチに座ろっ」

 オレの長所がゼロだと言いたいのか!?

 春華がテテテッと先行してベンチに座った。オレもノロノロと後に続く。本当に人をからかうのが好きな奴だ。別にオレはMじゃない(ここは強調しておきたい)けど、春華は一緒に居て居心地が良いからなんか憎めないんだよな。

ベンチに座るオレたち。

綺麗な夕暮れ時の色に染まった花壇に咲く花を視界に入れながらオレは尋ねた。

「そういえば、春華は中間模試どうだった?」

「六位だったよ」

「マジで!? スゲーな」

「四月の暫定ランキングで名前載ってなかったのが悔しくて、ちょっと頑張っちゃった」

 えへへと笑う春華。

 Aクラスに居るっていうのは知ってたけど、そこまで成長していたとは。

 やっぱり春華は大したヤツだ。

「……っていうかさ、春華に一つ聞きたいことがあるんだけど」

「なぁに?」

「勉強出来たらモテるって言ってたけどさ。彼女百人どころか一人も出来ないんですが、どういうことなんですか!?」

 オレの問いを聞いて春華は再びニヤけた顔になった。

「あれぇ? 勉強するのは自分がどこまで行けるか試したくなったからじゃなかったっけ?」

「そ、それはそうだけどっ。違うんだ。モ、モテたがってる友達が居てだね……」

「勉強出来たらモテるってのは本当だよ。テンマちゃんがモテないのは成績よくないからなんじゃないの?」

「うっ。何故それを知っているんだ……」

「あかねから聞いたんだよ」

「アイツ。お喋りな奴だな」

「モテたいならもっと頑張らないとダメだよぉ」

「わ、分かってるよ! ……じゃなくてっ、別にオレはモテなくても良いけど、友達に言っておくよ。オレは己を高めるために頑張るしっ!」

「うんうん。それで良いよ。挫折を感じて勉強を諦めたりしなくて安心したよ。テンマちゃん本当はナイーブだもんね」

 春華がニヤけ顔から笑顔に変わった。……カワイイ。

「そりゃ、そんな簡単にあきらめないよ。物語に挫折からの復活は付き物だろ。ここから不死鳥のように華麗に復活して這い上がってやるからな!」

「その意気があれば何とかなるなる」

 春華の声はいつもより弾んでいた。たまーに一緒に居るだけで、こっちまで楽しくなるような雰囲気を春華は作ってくれる。普段は持ち上げては落とすヒドイ奴だけど。

「なんか他人事な言い方じゃない?」

「何でそんな事言うのかなぁ。他人事なんじゃなくて信頼してるのよ」

「ものは言いようだね」

 オレは笑った。春華も笑っている。

「テンマちゃん中学のときと全然変わってないね」

「春華もね。だいたい中学のときからさぁ」

オレたちは中学時代のことを語り合った。ほんの二か月前のことなのに懐かしく感じる。二時間近く話したところで最後に塾の話に戻った。辺りはすっかり暗くなっている。

「そんなワケでぇ、これからも一緒に頑張る為に絶対偏差値五十五取ってよね」

「うん。分かってるよ」

「偏差値五十五とれたらご褒美あげるからファイトだぁ!」

「ご褒美ってなに?」

「もぅ、そんな恥ずかしいこと私の口から言わせないで? その時のお楽しみだよ」

 春華が人差し指を口の前で立ててシーッという仕草をやってみせた。なんか色っぽい。

 もしかして、ご褒美は わ・た・し ってヤツ!? これは期待せずにはいられない!

「わ、分かった。約束はちゃんと守ってよ!」

「女に二言はないよ。……ねぇ、テンマちゃん」

「うん?」

 春華は勢いよくベンチから立ち上がり、数歩歩いたあと振り返ってオレを見た。

 オレの表情を見て、春華は何かを感じ取ったように哀愁漂う顔をした。

「テンマちゃんがヴィクトリー塾に入るって言ったとき、私に宣言したこと覚えてるかな?」

「うん。覚えてるよ」

「まだ気持ちは変わってない?」

「変わってないよ。こんな悲惨な状況だけどな」

 オレは春華に、君に勝ちたいと言った。現状を見ると恥ずかしい気持ちが少なからずあるけど、それでも やっぱりオレは春華に勝ちたい。

 春華は満足そうな顔をしていた。

そして、オレを指でさした。

「じゃあ約束だよ。どんなに苦しくても、ちゃんと追ってきてよね!」

 その笑顔は反則だ。

 春華が何を伝えたかったのか本当の意味でオレは分かっていないんだと思う。

 だけど、オレにはAクラスまで駆け上がって来いと言っているように聞こえた。

 オレは力強く頷いた。

「やってやるさ!」

「良い返事だね。頑張るテンマちゃんに私がボーナスをあげよっか」

「ボーナス?」

「うん。特別に統一模試まで私が勉強見たげるよ」

「マジで。よろしくお願いします!」

「えへへ。楽しくやろうね」

「結果が出るなら楽しくなくてもいいよ!」

「言うねぇ。じゃ、さっそくだけど課題出すよっ!」

「どんとこい!」

 春華はオレにそっと二冊の本を手渡した。

 英単語1000、漢字・熟語500と書いてある。

単語帳か……。模試までの一か月半の間に英単語千個と漢字・熟語五百個を覚えろってことかな。そうだよな、それくらいやらないとダメだよな。

「この単語帳に載ってる単語だけどね」

「言われなくても分かるよ。全部覚えてこいって言うんでしょ?」

「さっすがだね!」

「まっ、気合が違うからね」

 オレの力強い言葉を聞いて、春華が笑顔で答えた。

「じゃ、来週までに全部覚えてきてね」

「……え、来週?」

「テストするからね。一問間違えるたびにジュース奢ってもらうよ」

「ふぇっ」

「あと、明日は予定あるのかな?」

「サッカー観戦いこうかと思ってたけど……」

「それはキャンセルしてね。テキストと筆記用具持って朝五時に駅前のマックで」

「キャンセル!? 朝五時!?」

「覚悟を決めたならこれくらいやらないと。それとも何か問題でもあるのぉ?」

「い、いや。無いけど……」

「じゃあ明日は化学と物理のおさらいね。化学は周期表と原子、イオンの構造、熱化学辺りで物理は力学かな。テストするけど、ただ答えがあってるだけじゃダメだからね。考え方をぜんぶ理解するまでやってもらうからね」

「OH……」

「明日に限らずこれから毎日朝五時集合で学校行く前と、塾の授業終わってからも必ず一緒に勉強するから、そのつもりでね」

「は、はい……」

「当然一緒に勉強する時間は単語や熟語の暗記なんて一人でも出来ることに費やすことはしないからね。他に時間作って一人で覚えるんだよぉ?」

「ハイ……」

「じゃ、また明日ね。寝坊しちゃダメだよぉ」

「だ、大丈夫ダヨ」

 てくてくと春華は帰っていった。

 そんな彼女の背中を見ながらオレは思う。

 一か月半後の模試まで、生きていられるだろうか……。

¦¦でも、これは取り越し苦労だった。

いざ始まってみると昨日の不安なんて考える暇もないくらい怒涛の日々が続いた。

遊びのことや学闘のことすら考える時間もない。

常に英語、数学、国語、化学、物理のこと、その背後でニヤニヤ笑う黒い顔の春華だけがオレの頭の中にあった。

でも、なんでだろう。

やればやるほど不安な気持ちが強くなっていく。

春華と勉強中、最初の頃は春華の顔色ばかり窺っていたのに最近はそんなこと気にすることもなくなった気がする。いかに問題を理解して解けるようになるか、それだけが頭のなかにあった。分からないことを質問することにも今は躊躇いがない。

「ちょうど良い時間だね。今日はここまで」

「もうそんな時間か」

 時計を見ると二十二時を過ぎている。

 筆記用具をリュックに入れてマックを出ると、蒸し暑さが体を包んだ。

「今日はだいぶ集中してたね」

「そうかも。一度も時計を見ずに終わったし」

 だいたいいつも終了時刻を気にして何回か時計を確認するのに。

「良い傾向だね。そしたらテンマちゃん、帰ってお風呂入ってご飯食べたら何をすればいいのかもう分かるよね?」

「分かるよ!」

「それじゃあ何をするのかなぁ?」

「英単語を覚える!」

 オレが全力で答えると春華はなぜか鼻で笑った。

「不正解だよ」

「えっ!?」

「今日は帰ったらすぐ寝なよ。大事なことだから」

「ちょ、どういうこと!?」

 オレの問いに答えることなく歩いていく春華。

 寝ろってどういうことだよ。もう結果を出すのは諦めろってこと?

……まぁ騙されたと思って今日は言われた通りにするか。

帰宅後、教科書を開くこともなく さっさとベッドに入った。

その瞬間、急激に体がだるくなった。

「やべ……頭が重い……」

全然気づいてなかった。

オレ、結構クタクタだったんだな。今日は速攻で眠れそう。

…………。

暗闇のなかで偏差値五十五取れないんじゃないかという気持ちが一瞬よぎる。

「……眠れない」

 時刻は深夜1時を回っている。体はダルいし頭もボーっとしている。

それなのになぜか寝れない……どうしよう。

「……やるか」

 机に向かいオレは英単語帳を開いて単語を覚え始めた。

 春華と特訓を始める前の、勉強しまくりな日々が続くことに対する不安はまったくない。だけど、結果が出せないんじゃないかという不安が日に日に強くなっていく。

 頑張ったね、って思われるだけじゃ もう満足できない。オレは結果を出したい。

偏差値五十五取って、塾に残って、春華やみんなと一緒に同じ時間を過ごしたいんだ。

塾、辞めたくないよ……。

 ピロンッ

 携帯が鳴った。メールが入ったみたいだ。

「こんな時間に誰だよ……って、春華からだ」

メールには一言

“もう寝たぁ?” とだけ書かれていた。

 ……なにコレ?

 とりあえず返信しとくか。

“いや、寝れないから英単語覚えてる”

 ふぅ。校内ランキングに入れるやつは不安とかないんだろうな。

寝ることを考えられて羨ましい。

さて、しきりなおして単語を覚えよう。

ビビビビビッ

今度は携帯に着信が入った。……春華だ。

こんな時間に一体なんなんだ。

「もしもし、春華?」

「なんで起きてるのかなぁ?」

「いや、なんでって……メールに書いた通りだけど」

「私、寝てって言ったよねぇ?」

「そうだけど……」

「自分で気づいてないかもしれないけどさ、テンマちゃん結構疲労が溜まってるよ?」

「うーん……そうかもしれないけど」

「そんな状態で勉強しても身にならないから早く寝て疲労を取るのが先だよ。アウトプット出すなら勉強の総合時間じゃなくて総合効率で考えないと」

「言うことは分かるけどさ、なんか寝れないんだけど」

「寝れなくてもベッドに入って目を閉じとくの。それだけでも違うから」

「いや、でも……やっぱりやらないと不安だし。塾でトップクラスの春華には分からない悩みなんだろうけどね」

「…………」

 あれ? 返事が返ってこない。

「春華?」

「……テンマちゃんはさ、私みたいに失敗したいの?」

「え?」

「桜応に入って、おじいちゃんに喜んで貰いたいから毎日毎日がんばって。それでも合格できるか不安だから夜も眠れずに勉強して……寝ないから疲れていく一方、でも不安だから休めない。こんな悪循環を続けた結果が桜応高校落第だよ」

「あ……」

「テンマちゃんは成績がよくなるだけじゃもう満足できないんだよね? 偏差値五十五以上取るっていうアウトプットを出すことにこだわりたいんでしょ?」

「……うん」

「それじゃあ、今日はちゃんと寝なよ。失敗した私だからこそ言える経験則なんだからね!」

「うん……」

「明日は朝の勉強会はナシにしよ。また塾終わってから一緒に頑張ろうね」

「分かった。……春華」

「なぁに?」

「ありがとう」

「うん、今度からはもっと厳しく指導するからね。それじゃ、おやすみ!」

電話を切ったあと、オレはすぐに電気を消してベッドに入った。

そうだった。春華は中学三年間必死に頑張っていたんだ。それで桜応高校を受験して失敗して……。どれだけ不安を抱えて三年間を過ごしていたんだろう。落ちたとき、どれだけ悔しい思いをしたのだろう。

オレは浅はかだ。そんなオレに出来ることは一つしかない。

全力で寝よう!

………。

春華が宣言した通り、指導はより一層厳しくなった。

たとえば、今までは問題を解く時間を自分のペースでやらせてくれたのに

「これは三分で解いてね」

とか時間を区切られるようになったし

「その問題は正解。ちなみに別解もあるんだけど、どうやるのかなぁ?」

 正解した問題に対しても、別の解法を考えさせられるようになった。

 春華との勉強は緊張感がある。

「テンテン、まだ春華ちゃんとの勉強続いてるんですかぁ?」

「うん。より厳しさを増してるよ……」

 塾の授業の合間に朝美やあかねともたまに一緒に勉強するようになった。二人と居ると何故か心が落ち着く。そんだけ春華の指導が恐ろしいってことなのだろうか。

「むぅ、わたしもテンテンと特訓したいけど夜遅くまで勉強するのはイヤだしジレンマがあります……」

「そんだけ勉強してるなら、この問題も解けるかしら? かなりの難問だけれどね」

 あかねが解いていた問題集を差し出された。

 数式を見て瞬間的にピンときた。

「あぁ、これは因数分解で二乗の形を作って二重根号を外す流れでしょ?」

「っ……」

 あかねから返事が返ってこない。

 あれ。オレ、変なこと言ったかな……?

 あかねはボソッと呟いた。

「ごめん……。統一模試までの間、一人で勉強させて」

 あかねは教科書を片付けはじめた。

「どうしたんですか!?」

「自習室行ってくる」

「ちょっと、どうしたんだよ。なんか気に障るようなこと言った?」

「ぜんぜん。即答で正解よ」

「じゃあ、なんで一人でやるとか言うんだよ」

「だからこそよ。危機感を覚えたの」

「どういうこと?」

「テンマ……。もう上からは見ない。学闘はもちろん、学力でも」

「え?」

「アンタはEクラスのなかで一番本気で勝ちにいかなきゃいけない相手になった」

「あかね……」

 あかねはオレをまっすぐ見つめている。

そう、オレが腐ってたころに、あたしは上に行くよと宣言したときと同じように。

「負けないからっ!」

 あかねはそう宣言して席を立った。

「……あかねちゃん、テンテンがライバルだと自覚したんですね」

「ライバル、か。オレだってそう思ってるよ。……でも」

「でも?」

「いまは誰かに勝ちたいという気持ちより皆と一緒に居るために偏差値五十五っていう結果を残したい気持ちがすべてなんだ」

「……そうですね」

 オレは勉強を続けた。

「テンテンもあかねちゃんも統一模試が終わったら間違いなくEクラスを抜けて上のクラスに行くんでしょうね。そしたら、わたしは……わたしだけ二人と一緒に居られる時間が少なくなっちゃうですよ。ねぇ、テンテン。そんなにまっすぐに上を見ている貴方たちを見ていたら、わたしも……もう一度だけ勉強を頑張ってみたくなっちゃいます。もし、わたしが学力で雲の上まであがっても今みたいに地に足をついて同じ目線で仲良くしてくれますか……?」

 朝美がこんなことを考えているなんてことにも気づかないほどオレは集中していた。

 こんな超特訓の日々を乗り越え、ついに統一模試の日となった。

「よくやりきったね。あとは自分に自信を持って頑張るだけだね」

 昨夜の春華の言葉を思い出す。

 あのとんでもない勉強の日々を耐えたオレは確かにすごい。

紛れもなく天才的な努力家に相違ない。

でも、春華はオレの面倒を見ながら自分の勉強をしていたんだよな……。そう考えるとアイツの方がよっぽど凄い気がする。

テスト会場の教室に着くとノートを一生懸命見てる あかねと朝美の姿が見えた。眼鏡をいじっているドクパンの姿やゲームをしている秀光の姿も見える。でも、皆が座っている席周辺は全て埋まっていたので空いている席に適当に座った。

││問題用紙と答案用紙が配られ統一模試がはじまった。

このテストで今後が決まるんだ。

興奮と緊張を隠せずにオレは問題を解き始めた。


第八章 オレも上に行くよ


統一模試が終わり、勉強がひと段落したという開放感と偏差値五十五を突破できているかどうか不安な気持ちが入り混じった状態で日々を過ごしている。

高校では終業日を迎えた。

先生から通知表を受け取って結果を確認すると十段階評価中、音楽、家庭科が八で後は全部十、平均九・六という成績だった。朝美にも勝って学年トップだ。皆がしきりと褒めてくれたけど浮かれた気持ちはない。

問題は学校の成績よりも塾の方だから。

やがて帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に朝美が目の前にやってきた。いつものようにニコニコしている。

「テンテン。今日はわたしと帰りませんか?」

「良いよ。他の友達も一緒だけど大丈夫?」

「出来れば二人で帰りたいですぅ」

 朝美のおねだりするような表情を見て不覚にもドキっとしてしまったオレは友達には先に帰って貰うことにした。二人で校舎を出ると空は雲一つなく、どこまでも行けそうな気分になる透き通った青い空があった。その中の一点があまりにも眩しい光を発していて、歩くだけで汗をかいてしまう。そんな夏の天気が高校生らしい青春っぽさを演出していた。

「朝美は自転車通学だっけ?」

「ううん。わたしは電車なので駅までは歩きです」

「じゃあ、オレの自転車の後ろに乗っていく?」

「そうさせてください」

 朝美は笑顔で答えた。駐輪場で自分の自転車を引張りだして朝美を後ろに乗せて、ペダルをこぐ。ハンドルもサドルも熱を吸収していてオレの顔と同じくらい熱っぽい。自転車から落ちないようにと朝美はオレの背中をがっしりと掴んでいた。

登り坂となってるトンネルの中を必死に漕いでいると朝美が話かけてきた。

「もう一学期終わるとは月日が経つのは早いですねぇ」

「ホントにね」

「テンテンと初めて塾で会った時の事、今でも鮮明に覚えてるですよ」

「オレも覚えてるよ。Eクラスは良いクラスだって会心のギャグを考えてたのに、朝美に先に言われたって悔しい気持ち」

 何かを思いだしたかのように朝美はクスクスと笑っている。

「テンテンはいきなり学闘で頂点に立つなんて言って皆をビックリさせてましたね」

「朝美に先にギャグを言われて、二番煎じになるのもイヤだったからインパクトあることを言いたかったんだよ。ドクパンや秀光の自己紹介も衝撃的だったしね」

「ふふ。そうですね。……今日一緒に帰って貰ったのはお礼を言いたかったからなんです」

 先ほどまでの陽気な感じとは打って変わり、ちょっと感慨深そうに朝美が言った。

「うん?」

「わたし、親に無理やり塾に入れられたんですよ。だから勉強する気もないのに通っても良いのかな、みんなの邪魔にならないのかなって不安にもなりました」

「へぇ。朝美でも不安になることあるんだ」

「ぶぅ、ヒドイです!」

「ごめんごめん」

 ぽかっと背中を叩かれた。後ろを見てないけど、朝美が唇を尖がらせてる光景がありありと想像できる。

朝美に勉強する気が無いというのは納得だ。相武台校内模試の結果が返ってきたとき陰陽師先生に対して朝美が言ってた言葉を思い出すと勉強を頑張るのに本当に疲れちゃっているんだと分かる。塾は勉強するところだけど、何もそれだけを目的に通う所でもないと最近思うようになった。ヴィクトリー塾は特にそう思わせてくれるところで、人によっては学闘のために、人間性を鍛えるために、友達を作るために通っているだろう。朝美も勉強のためじゃなく人生を豊かにするために、これからも通って欲しい。

もちろんオレだってこれからも塾に通いたい。そのためには今回の結果が偏差値五十五超えてなければいけないわけだけど……あぁ、緊張する。やれるだけのことはやったし自信はあるけど、中間模試の例もあるしなぁ。不安で押しつぶされそうだぜ……。

すっかり会話を忘れて自分の世界に入ってしまっていると、後ろから声が聞こえてきた。

「もぅ。話を戻しますけど、同じ高校のちょっとおバカそうな子があんなにも自信満々に学闘で頂点を取るって宣言している姿を見て衝撃を受けましたよ、わたしは」

「ちょっとバカそうって心外だな」

「学闘だって気が付いたらAクラスのランカーにも勝っちゃいましたよね」

「オレはやれば出来る男なんだよ」

「うん、知ってます。普段はおバカちゃんだけど、やるときはやる元気いっぱいのテンテンが居たから入る前はあんなにもイヤだった塾に通うのが楽しくなりました。だから、ありがとうです」

「お礼を言われるほどのことでもないよ」

「そこは大人しくお礼を受け取って貰いたいですね!」

「は、はい。どういたしまして?」

こんなに人に褒められるなんて初めてかもしれない。向き合ってなくて良かった。きっと、今のオレはだらしない顔をしているだろうから。でも、朝美はオレにお礼を言ってくれたけど、お礼を言いたいのはオレの方だったんだ。オレだって皆が居たから自分の実力以上に頑張れたし何よりも塾生活を楽しく過ごすことが出来たんだから。

「これからも皆で一緒に仲良く楽しく頑張りましょう」

「そうだね。オレもそうしたいよ」

「ねぇ、テンテン……」

 朝美がオレの腰に手をまわして、オレの背中に頭をくっつけた。

な、何が起きているの!?

「いっぱい楽しい思い出作ろうね!」

「う、うん……!」

 あ、朝美がヘンテコ敬語じゃなくて普通に喋った!?

台詞のチョイスといい言い方といい可愛いすぎないか。どうしよう。顔がすごい熱い。多分いま真赤になってる。

同時に心から思った。やっぱりこうでなきゃダメだって。

月極に絡まれたとき、朝美は小学生時代勉強マシーンで友達との楽しい思い出を作れなかったと言っていた。それに校内模試結果がでたときも陰陽師先生に対して悲痛な思いを打ち明けていたし、朝美がどれだけ苦しい小学生時代を送ってきたかよく分かった。だから、きっと今は友達との楽しい思い出を作りたくて必死なんだと思う。朝美がいつもニコニコして元気で居るのも、色んな人とフレンドリーに接しているのもそういうことなんだろう。そう考えると楽しい思い出をいっぱい提供してあげたいと心から思う。

「そうだ、あとね。テンテンに宣言したいことがあるんですが」

「な、なに?」

「……あのね。わたしも一緒に行くよ」

「どこへ?」

 朝美は空を眺めて言葉を続けた。

「いまは分からなくても良いんです。でも、テンテンが頑張るせいでトラウマを逃避してたら一緒に楽しい思い出を作れなくなっちゃうから仕方ないですよね」

「えっ、なに? すごい気になるんだけど」

「あはは。まぁ、良いじゃないですか。それより明日学闘の予選お互い頑張りましょうね!」

「はぐらかされた!」

 朝美を駅前で降ろして家へ帰宅した。なんかいつも以上にスッキリした顔だったように見えたけど気のせいかな?

☆☆

 翌朝。

学闘の校舎代表を決める大会が始まった。

塾に行くとカウンター前は人が溢れるように居た。一次予選のトーナメント表が掲載されているみたいだ。表を確認するとオレは十時から試合があるらしい。

相手は……

……って!?

「アンタの相手はあたしよ」

 後ろに、あかねが居た。いつもの制服姿ではなく水色のフード付の半袖シャツに加え、白色スカートの下にスパッツをはいてる。随分スポーティな私服だな。

「あかね」

「いきなり戦うなんてね」

 あかねは微笑んでいる。

本当に楽しみにしてたんだな。まぁ、それはオレもだけど。

「あかねちゃん。テンテン!」

 声のする方を見るとゲーム機を持って両手が塞がっている秀光とニコニコ笑顔の朝美が居た。

「おはよう。お二人さん、次やるんやな。見学させてもらうで」

 野次馬根性丸出しで秀光が愉快そうにしている。

「二人とも頑張ってくださいね!」

「うん。ところで秀光と朝美は一回戦やったの?」

「あぁ。おれも伊達も勝ったぜ。いまはドクパンが試合中やで」

「そっか。おめでとう」

「ありがとです!」

 暫く雑談したあと試合の時間になったので あかねと一緒に地下の学闘技場へ向かった。前の試合の影響か、通路の奥から歓声が聞こえる。

「テンマ。アンタはEクラスがAクラスに勝つっていう前代未聞のことをやり遂げた」

前を行くあかねが振り返りもせずに話しかけてきた。

「オレの才能プラスあかねたちの特訓のお蔭でね」

「本音を言うとアンタが月極に勝つなんてあり得ない事だと思ってたわ。でも、アンタはやってのけた。あんまり認めたくないけど先生の言う通りアンタを見て、あたしは自分の力がどこまで通用するのか試してみたいと思うようになったの。今までずっと負けることを恐れていたのにさ」

 あかねが何かを噛みしめるかのように言った。

 負ける事を恐れてるって陰陽師先生の指摘は的を得ていたんだな。ずっと一緒に居たオレよりも陰陽師先生の方がよっぽどあかねの事を分かっていたみたいだ。なんか悔しい。

 あかねが歩くのをやめ、振り返ってオレをまっすぐな瞳で見た。

「マグレだとしても結果を残したことは事実。良い影響を与えてくれたのも事実。だから、アンタはあたしが倒す。Eクラスのナンバーワンを決める為だけじゃない。あたしのプライドのために」

 あかねはオレをライバル視している。入塾当初から共に高め合ってきた仲間と公式戦で戦い合う。ナイスな展開じゃないか。

オレはいつかのお前の質問に答えよう。そして……

「あかね。オレも上に行くよ。お前のプライド、オレが打ち砕く」

 確かにお前はオレのライバルだ。

だけど、それ以上にオレはお前の先に居る春華を超えたい。だから、こんなところでオレは負けない。

 学闘技場に着くとAゾーンではドクパンが女の子のスカートを凝視している間にボコボコにされている光景が見えた。きっとアイツは初戦敗退だろう。

オレたちはCゾーンでの戦いだ。初めてあかねと戦ったのもCゾーンだったっけ……。

前の試合が終わり、オレたちの番となった。オレとあかねは学闘技場に上がり武器を出した。

あかねはカタール。見た目は中間模試以前と変わっていない。

オレの武器は木の棒。……模試の成績悪化で枝とか茎とかにならなくて良かった。

“Cゾーン、始めてください”

 アナウンスが流れた。戦闘開始だ。

いくぞっ、あかね!

「セッ……」

 空気の充填を開始する前にあかねが飛び込んできた。

 カタールを振り回す あかね。

はやいっ!

腕でガードするオレ。

手首に巻き付けている塾生証に表示されている体力ゲージの減少がちらっと見えた。ガードしたのに相変わらず馬鹿力だな、コイツ。

あかねが瞬時にしゃがみカタールでオレの足を引っかける。

「うわっ!」

ぶれた視界の先に あかねが振りかぶってる姿が映る。

やべぇっ。

「やぁっ!」

 顔面に思いっきり攻撃が当たり、オレはふっ飛ばされた。

くそ、ほんと接近戦うまいな。

……でも空気圧縮するに十分な距離は取れた。

「セット」

 木の棒を左手に握り、右手に意識を集中。

空気が右手周りに圧縮されていく。

 またもや、あかねが突進してきた。オレは突進してくる相手にカウンターを当てるのには慣れているんだぜ。忘れたのか、あかね!

 あかねが間合いを詰めて、カタールを突き出してきた。

これを避けて反撃だ。

 回避に入りながら右手を前に出しカウンターを狙う。

「ウィンド」

突然あかねの動作が止まった。

なっ、フェイント!?

「ブレイカー!」

 タイミングをはずされオレの右手は空を切る。

やられたっ!

歯痒く思っているオレの脇腹にカタールが突き刺さった。

勢いを殺せずオレはまたもやふっ飛ばされて床に寝転がった。

よろよろと体を起き上がらせると、あかねの微笑む顔が見えた。

「アンタの能力や戦い方はお見通しだからね。対策も出来てるし余裕を持って戦えるわ」

「そうかよ。……セット」

 オレはあかねに向かって突進した。

「アンタから来るなんてね。自暴自棄?」

あかねは迎え撃つ構えをしている。

 もう少しで攻撃が届きそうだという距離になったところでオレは叫んだ。

「ウィンドブレーカー!」

空気圧で背中が押され勢いが加速した。

「えっ、うそっ!?」

 防御を取れてないあかねに木の棒を前に出したまま突撃して突き飛ばした。

よっしゃ、手ごたえあり。

あかねが起き上がってコチラを睨んだ。

「面白い使い方するわね。ノーガードで受けちゃったわよ……」

「お前もそろそろ特殊能力使えよ。それともデメリットにビビって使えないか?」

 あかねがピクッと反応した。

「あたしがビビる? ふざけないで! 瞬殺するのが勿体なくて使ってなかっただけよ!」

「どうだろうね」

 あかねがオレのことを知っているように、オレもあかねのことを知っている。あかねの性格も、あかねの特殊能力の弱点も。

 このまま戦っても武器の性能差でジリ貧になる。あかねに特殊能力を使わせないとオレに勝機はない。あかねだって特殊能力を使わなければオレに確実に勝てる事を分かっている。それでも必ず能力を使う。何故なら、あかねは売られたケンカは必ず買う熱血バカだからだっ!

「三十秒でケリをつけるわよ。覚悟しなさいっ!」

 ……来るっ!

「ON 百パーセント、陽炎遊子」

 あかねの全身が赤い湯気で包まれた。

 あかねの特殊能力は “陽炎遊子”。

発動中、自分の武器能力と防御力を最底辺まで低下させる代わりに蒸気を発生させてモヤを作り相手の視界を悪くする能力だ。最大出力のときは視界が悪くなるどころか、あかねがほとんど見えない状態になる。で、あかねは毎回最大出力するけど、そのときの発動時間はだいたい三十秒くらい。それを過ぎるとコイツは反動で動けなくなる。

だから陽炎遊子の発動時間中は耐えるだけで良い。

何十回も練習試合をしたんだから相手の手の内を知ってるのはお前だけじゃないんだ。

三十秒でケリをつけれたらお前の勝ち、耐えれたらオレの勝ち。

さぁ来いよっ!

「てえぇいっ!」

 かろうじて赤い蒸気のなかで、あかねの動きが見える。

オレの顔面に放たれた あかねの初手を右腕でガードする。あかねの動きは止まらず左手にもつカタールがオレのボディに向かって飛んでくる。

やべっ、反応は出来るけど体がついてこない。

 またボディにクリーンヒットした。

あかねの攻撃の手は止まらない。

 顔をガードすれば腹に、腹をガードすれば顔に、容赦なく連続攻撃が放たれる。

 木の棒を振り回したり、がむしゃらに動いてみるも全然効果はない。

こ、これ三十秒持つのか!?

はやく三十秒立ってくれ……!

 あっという間に過ぎ去って行ったこの四カ月間よりも、この三十秒の方が長く感じる。

 能力発動で、あかねの武器の攻撃力が下がっているとは言え、さすがにそろそろオレの武器消えちゃうんじゃないか……?

足に不意打ちを受けてオレはすっころんだ。

やばい、やられる……っ!?

 敗北を覚悟した。

¦¦けれど追撃はこなかった。

リング上には棒立ちになった あかねの姿が見えた。全身に汗をかき、肩で息をしている。

赤い蒸気も無くなってるぞ。

 や、やった。耐え抜いたんだ。

自分の体力ゲージを確認すると残りは三パーセントもない。マジでやばかった……。

ここから一気に反撃だ。

気合を入れて体を動かし、微動だにしない あかねを木の棒で何度か攻撃したあと最後に思いっきり踏み込んで突きを入れた。あかねは踏ん張ることも出来ないようで大げさに倒れた。

あかねはヨロヨロと立ち上がるも立ち上がっただけでその場から動く様子がない。

ガス欠で動けないんだ。

チャンス。これで決めるっ!

「いくぜぇ!」

追撃……したはずが意志と反して体が動かない。

どっと疲れが出て足がガクガクしている。

さっきまで あかねの攻撃を見極めるのに必死で気が付かなかったけどオレの体も同じようにスタミナが切れて、ほとんどポンコツ状態だったんだ。

くそ、チャンスなのに……っ。動けよオレの身体ァッ!

必死に動かそうとするも足が前に出なかった。

 前を見ると、あかねは棒立ちながらもオレを睨んでいる。

すごい闘志だな……。

けれど、あかねだの体力ゲージだってもうほとんどゼロに近いハズ。

もう一撃、頭にクリーンヒットを入れられればオレの勝ちになると思う。

「こんなんで負けられないわよ!」

 自分に言い聞かされるように吠える あかね。

 そう、あかねだって苦しいんだ。

気持ちで負けてたまるか!

身体が動かないってなら、やることは一つ。

「セット」

 眼を閉じて全神経を右手に集中した。

この四カ月の思い出が頭によぎる。

あかねに初めて出会ったときのこと

一緒になって月極に対して怒ってくれたこと

学闘を鍛えて貰ったこと

初めてオレのことを認めてくれたこと

弱さを見せてくれたこと

そしてオレを励ましてくれたこと……。

 あかね。オレはお前が居たからここまで来れた。そして、これからもお前が居るからオレは上に行けると思う。オレたちはライバルだ。だから、全力でオレが勝つ!

 気持ちが高ぶり、魂が震える。気がつくと集中力と闘志が極限に達し、オレは自分の限界を超えた空気圧縮をしていた。飛行機のガスタービンのような空気を斬り裂く凄まじい音と共にオレの右手に集まる空気が無色の球状になり浮かんでいた。

 右手の手のひらをあかねに向けた。変わらず動けない あかねは歯がゆい顔をしている。

オレは力強く能力発動スペルを唱えた。

「空気圧縮砲 ――ウィンドブレイカーッ!」

「動けぇ!」

 ヴィクトリー塾で過ごした四カ月の日々すべてを込めているかのように凄まじい爆音と空間を乱すように暴れる球状の空気圧が数メートル先に居るあかね目がけて飛んでいった。今まで接近した相手の体勢を崩す程度の圧力しかなかった。でも、限界を超えるくらいに充填すれば飛び道具にも出来るんだ。

 耳をつんざくような音が止み、オレは勝利を確信した。

だけど前方を見て心臓が高鳴る。

リングには足を震わせながらも、かろうじて立っている あかねが居た。

間違いなく倒せると思ったのにまだ決められないのか。

もしかしたら、あかねの闘志に呼応したのかもしれない……。

全てを込めた攻撃で決めきれなかったのはキツイ。正直、月極の時よりしんどい。

あかねは九死に一生を得たという顔をしている。

「ほんと、どこまでも予想を超えることするわね……」

「当たり前だよ。オレは学闘で頂点に立つ男だぞ」

「……そうかもしれないわね。だけど、あたしだって成長してる。あたしは負けない。負けてない! アンタにも、春華にも、他の誰にもっ!」

 とっくに限界を超えているはずなのに、あかねの叫びに体が応えているかのように右足をひきずってオレに近づいてくる。もう足が動かないから近づいてきてくれるのは助かる。コンプレッサーを発動するだけの集中力も無い。

きっと、お互いに攻撃一発で決まる状態。どちらの攻撃が先に届くか。それだけの単純で分かりやすい構図。

お互いに攻撃の射程距離となる間合いに入った。木の棒を強く握る。

「あかねぇッ!」

「あたしはアンタを……っ」

 お互いに魂を込めた武器を振り抜いた。

 あかねの頬にオレの武器が、オレの頬にあかねの武器が突き刺さる。体を支えられずにオレは崩れ落ちるように倒れた。

……ま、負けたのか。いや、まだだ。アナウンスを聞くまで諦めるもんか。すぐに立って反撃してやるっ。

身体がリングにくっついた後、視線の先には あかねが倒れているのが見えた。

あかねの手元にあった武器が消えている。オレは木の棒を握ったまま。

……って、ことはオレの方が先に攻撃が当たったんだ。

“Cゾーン、試合終了。勝者、夏沢天真!”

 アナウンスが流れた。

やった……やった。やったぁ!

オレはあかねに勝ったんだ。最強で最高の友でありライバルだった子に勝ったんだ。

あかねがオレと戦いたいって言ってくれた時のことが何故か突然頭によぎる。

なんだか胸がいっぱいになってきた。

オレは声にならない叫びをあげ、天井に向かって拳を突き上げた。

拳と一緒にあかねの顔が視界にうつった。

「テンマ」

「なに?」

あかねはオレをジっと見下ろしている。

勝敗に納得いかないとか、調子に乗るなとかそういう事を言われるかと思い身を固めた。けれども、その顔は何だか清々しさすら感じさせるので少し戸惑った。

「……強くなったわね」

 あかねがオレに手を差し伸べながら笑顔で言った。

 褒められた。あかねに初めて褒められた。オレは認められたんだ。

勝った嬉しさよりも、そっちの喜びの方が大きくてオレは吹きだしてしまった。

「お前に鍛えられたんだから当然だろ」

「そうね。それならそのまま優勝しなさいよ」

「分かってる。お前の分まで暴れてやるよ!」

 あかねの手を借りて起き上がり、オレたちは学闘技場を出た。

結局オレは予選トーナメントニ回戦で駒を止めた。あかねとの接戦が嘘のように大敗してしまったんだ。あかねと戦って全てを出しきり満足してしまったからなのか、あかねに勝ったオレが負ける訳がないと慢心してしまったからなのか。反省点が多すぎて中々反省が終わらない。っていうか、あかねに無理やり反省させられているせいで終わらないと言ったほうが正確かもしれない。


第九章 背、伸びたね


 セミがミンミンと鳴きわめく。

じぃんとくる暑い日差しのなか、オレたちは屋上に居る。

 彼女はオレの手を取り今にも泣きだしそうな顔をしてオレの目をじっと見た。汗で髪が濡れてどことなく色っぽく、いつも以上に可愛く見える。

「私はテンマちゃんが好き。どうしようもないくらい好きなの。教えてよ、テンマちゃんは私のことどう想ってるの……?」

 ずっと夢にまで見てきた光景。だけど現実として起きている。

 これはドッキリなんかじゃない。目を見れば分かるんだ。

 だからオレも本気で答えよう。

「オレも、君のことが好き……」

 言いかけたとき、目の前が真っ暗になった。

「えっ、ナニコレ!? いきなり画面が見えなくなったよ!?」

 喫茶店の片隅でオレが両手に持っていたゲーム機を見て、オレの横に居た秀光は気の毒そうに言った。

「あー。電池切れやんなぁ」

「そんなバカな。めちゃくちゃ良いところだったのに!」

「お試しはここまでや。続きは自分で買って確かめてくれ」

「ちくしょう」

 秀光のハマっているヴィクトリーガールズなるギャルゲー。彼はソフトを三本持っていて、そのうちの布教用を借りてオレは試しにやってみた。が、思った以上に女の子キャラが可愛らしくてオレは完全に感情移入していた。

 途中で電池が切れて本気で悔しいと思うくらいに。

「某も見てるだけでドキドキしたでござるよ。最近のゲームはすごいでござるな」

「そうやろ、そうなんよ。お前らも買えよ」

「割とマジでほしくなった」

 オレが答えると満足そうに秀光は笑った。

「あ、テンテンたちです」

「アンタたちも来てたのね」

 オレたちがヴィクトリーガールズについて語っていると、朝美とあかねが現れた。ウェイトレスに案内され、二人はオレたちの横の席についた。

「ケーキ食べにきたの?」

 オレが二人に問いかけると、朝美はこくんと頷いた。

「そうですよ~。ここのケーキすごい美味しいですよね」

「だね。塾から近いし、長居しやすい感じだし、重宝する店だよ」

「ふふ。それに授業終わりの喫茶店は格別です」

 ウェイトレスさんは手慣れた様子で朝美とあかねのオーダーを受け、オレたちの食べ終えたケーキの皿は片付けていった。

「そういえば明日統一模試の結果が出るわね」

 あかねの何気ない一言にオレは急に緊張した。

「お、おう」

 そんなオレを見て、あかねは苦笑した。

「ビビりすぎ。もうどうにもならないんだから、どーんと構えてなさいよ」

「そうしたいけど、やっぱ気になるもんは気になるし」

「最近のアンタはバカなりによく頑張ってると思うわよ。先生にあてられても正解を言えるようになってるし、授業終わったあとも先生に質問に行ったりしてるし。最初に比べたらすごい進歩だわ」

「あかねに素直に褒められるとはビックリだな」

「夏沢くんが居なくなったら寂しいでござるからな。良い結果を期待してるでござるよ」

「せやな。お前とはまだまだ語り合いしな」

 ドクパンと秀光がうれしいことを言ってくれる。

 オレだって同じ気持ちだ。みんなとまだまだ一緒に居たい。

「うん……」

 緊張して浮ついた声を出していると、朝美がニコッと微笑んだ。

「大丈夫ですよ。テンテンはずっと頑張ってきたんですから。必ず結果は出ます。もしダメだったら……」

「ダメだったら?」

「そのときはドンマイです。わたしは高校でも会えるので、悲しいですけど絶望まではしないですから」

「おいっ!」

 確かに朝美には会える。それはうれしい。

 だけどドクパンにも、秀光にも、あかねにも……なによりも春華と会う機会がなくなる。そんなの絶対にイヤだ。

「まぁ、天命は尽くしたんだから後は人事を待つだけね」

 あかねはふふんと鼻で笑った。でも、顔はあんまり笑ってないようでどことなく不安な表情をしているように見えた。

 皆と一緒に居られるこの時間と環境、絶対に失ってたまるもんかっ。

 翌日の日曜日。

ついに運命の日が来た。

今日統一模試の結果が返される。両親に送り出されオレはヴィクトリー塾へと向かった。電車の中でこの四カ月の事を思いだした。

 キッカケは学闘したい、モテたいって、ただそれだけだったんだよな。っていうか、今もそれはあんまり変わらないけど。入りたての頃はただ時間をかけて勉強すれば勝手に結果がついてくるものだと思って有頂天になってたっけ。

 校内模試で痛い目を見て、もう勉強から逃げ出したいと思ったのが昨日の事のように思える。でも、あれからオレは必死に勉強してきた。分からない所は問題の考え方を理解するまで先生に粘り強く質問するようになったし、曖昧なまま終わらせないように努めてきた。ただダラダラと勉強していた最初の頃よりも格段に良くなったと思う。

 分からない問題を重点的に勉強して効率よく、かつ勉強量をこなしてきたんだ。きっと偏差値五十五に届いているはずさ。うん、大丈夫!

統一模試の結果は十五分間の個別面談の中で返される。偏差値五十五を取れていなけばヴィクトリー塾で過ごす日々はこれで終わり。そんなのは嫌だ。オレはもっと皆と一緒に居たい。何よりもまだモテ期が来てないぞ。このまま終われるかよ。

 受付につくと宮田さんがオレを迎えてくれた。宮田さんに連れられ、いつものカウンター横の個室に入った。不安と緊張が加速する。

お願いします、勉強の神様。将来あなたの後を立派に継ぎますから、どうかオレに偏差値五十五取らせてください。

「夏沢くんは偏差値五十五が取れなければ退塾だったよね?」

「は、はい。それでどうでしたか?」

 声がうわずった。こんなに緊張するのいつ以来だろう。ちょっと記憶にない。

「はい、これが結果だよ」

 宮田さんが統一模試の結果が記載された紙をオレの前に出した。心臓の鼓動が聞こえる。オレは恐る恐る結果を見た。

統一模試前期結果

夏沢天真 (一年Eクラス) 

総合点 二百六十三点

総合偏差値 五十六

※秋学期からCクラスに編入とする。

 特殊能力「コンプレッサー」

学闘総合能力 D 

物理攻撃力(数学) C

特殊攻撃力(国語) E 

素早さ(英語)   C

防御力(物理)   E

 ご、合格点に到達した!

「や、やった……!」

「おめでとう。よくがんばったね」

「よぉ……っしやゃあぁぁぁぁっ!」

 結果を見た瞬間、勢いよく椅子から立ち上がり天に向かって両手を突き上げた。嬉しさを全身で表現するとこうなるんだろうという良いお手本になっていたと思う。

感情が高ぶって涙が止まらない。こんなに嬉しいことはない。偏差値五十五の壁を越えたんだ。このオレが……。何度も何度も自分の結果を見返して、現実を再確認する。校内模試の結果を聞かされた時は夢なら醒めてほしいと願った。でも、今は夢なら醒めないで欲しいと願っている。だけど、大丈夫。これは現実なんだ。オレはやり遂げたんだ!

宮田さんはオレが泣きやむのを待ってくれた。

「落ち着いたかい?」

「はい、すみません」

「秋から数学と英語はハイレベルクラスで、Cクラスに編入だよ。間違いのないようにね。これからもがんばってね」

「ありがとうございます」

家に帰ると晩御飯はお祝いということでお寿司だった。こんなに美味しく食べれた晩御飯は久しぶりだ。

両親も喜んでくれた。お金を出して貰っているし、これからもちゃんと結果を出して喜ばせてやろう。食後に偏差値五十五を取ったというメールを春華たちに送るとすぐに春華から電話がきた。

「おめでとうっ!」

「ありがとう。これも春華の地獄の特訓のお陰だよ」

「やだなぁ。楽しい特訓でしょ?」

……楽しい? どこが?

「ところで、このまえ話した偏差値五十五突破記念のご褒美欲しい?」

「あっ。そりゃ勿論だよ!」

「じゃあ、明日十時にかにが沢公園の時計前に集合ねっ!」

「分かった。楽しみにしてるよ」

「うん。また明日ね」

「また明日」

 ご褒美が楽しみだ。どうせ春華のことだからネタに走る可能性が高いけど、それでも期待せずには居られない。ご褒美は わ・た・し とかそんな展開を切に希望する。

そんな妄想をしていたら、そわそわして寝ることが出来なかった。

 翌朝、かにが沢公園へ向かった。

そういえば、ここに来るのも久しぶりだな。中学時代は通学路だったから毎日通っていたのに。こうやって少しずつ今までの当たり前が当たり前じゃなくなっていくのかな。

オレは春華との待ち合わせ時間丁度に待ち合わせ場所に着いた。

目の前には大きな時計。後ろを振り返ればどんぶり坂。小学校に入る前から親しんできた公園の光景を夏の匂いが包む。花畑に挟まれた歩道から春華が歩いてくる。春華はこちらに気が付き大きく手を振った。

オレは笑って手を振りかえした。

「おはよ~う」

 春華が目の前に来た。オレが挨拶を返すと、少し驚いた顔をしてオレを見た。

「どうしたの?」

「テンマちゃんさ。背、伸びたね」

「そうかな? 四月の健康診断じゃ大して変わってなかったけど」

「私が言うんだから間違いな……っと、それよりよく偏差値五十五取れたね」

「へへへ。実力だよ!」

「どう? 少しは勉強楽しめるようになった?」

「楽しいっていうか……まぁ、うん。充実してると思う」

 きっかけはモテたいって、ただそれだけだった。辛い思いをしなかったと言えば嘘になる。でも、今は塾に入って本当に良かったと思っている。塾に入らなきゃ出来ない経験を沢山してきたし、良い仲間に出会えた。キッカケをくれた春華には感謝しなくちゃな。

「いまのテンマちゃん、カッコイイよ」

「惚れちゃった?」

「うん。私にとってのテンマちゃんは、テンマちゃんにとってのタマゴみたいなもんだよ」

「そっか、じゃあ付き合お……って、それ大嫌いってことじゃん!?」

 春華がいつものようにニヤニヤしている。

「じゃ、ご褒美あげるね」

「おっ、待ってました!」

 春華が鞄をゴソゴソしだした。何が出るかな、何が出るかな。

「はいっ」

 春華から手渡されたのは分厚い赤い本。タイトルは “桜応大学(理工)”

「これ、大学入試の過去問!?」

「偏差値五十五の次は桜応大学合格が目標だよ!」

「鬼だ。鬼が居るぞ! 目標達成したご褒美が次の目標だなんて!?」

「もし桜応大学に合格したら、今度こそ本当にご褒美あげるよ」

「その言葉、嘘偽りはないね!?」

「ないない。女に二言はないよ」

 いまは自分の気持ちに気が付いている。オレは桜応大学に通いたい。春華と同じ大学に通いたい。だから、今度はそのために勉強するんだ。

「よぉし、分かった。やってやる!」

「ねぇ、テンマちゃん」

「なに?」

「一緒に桜応大学行こうね!」

 その笑顔は今まで見たことないくらい輝いていた。

おわり

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さくらふぶき 草秋 @sagamin

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