お菓子の兄ぃ

 あれはウンランが孤児院を卒業した頃の事だった。当座の仕事を探してもあてもなく、口きき屋に出入りするも袋の運搬など日当の安い仕事が待っているだけだった。


 ある日少ない貯金を少しでも増やそうと賭博場へと足を運んだ。そこは既に鉄火場となっていて、ウンランは少額づつ賭けていた。


 勝ったり負けたりを繰り返し、少しずつ種銭が減っていく。すると左隣を見てみると、着物の懐から財布がこぼれ落ちそうになっているではないか。


 男は夢中になって賭けている。次の瞬間財布がポロリと下に落ちた。男はそれに気づいていない様子。ウンランは意を決してそーっとその財布に手を伸ばした。


 財布を引き寄せその場を離れた。胸が飛び出るように鼓動をうっている。外に出て猛烈に走り出した。路地裏で確認すると二ヶ月はゆうに暮らせる額の札束と金貨が入っていた。


 その頃ウンランは狭っくるしい日雇い労働者用の安宿に泊まりこんでいた。自分の部屋に帰ってくると、まだ胸がどきどきしている。


 とりあえず水を一杯飲み、ごろんと横になって落ち着かせる。そしてハッと思い付く。孤児院のみんなにお菓子を配ろうと。


 思い付いたらいてもたってもいられない性分だ。ウンランは菓子屋に行き、当時舶来品で高かったチョコレートを山ほど買って孤児院を訪れた。


 シスターが出迎える。その大量のチョコレートはどうしたのかと聞かれると、

「いやあ、給金のいい仕事を見つけたんだよ」

 とつい嘘をついてしまった。


「平等にわけるぞ、年長組は一枚。年少組は半分こだ」


 久しぶりに孤児院に凱旋したウンランは鼻高々でチョコレートを配っていく。何ものにも変えがたい高揚感があった。



 それからは毎日のように賭場に足を運んだ。二匹目の鴨を狙ってだ。男達は大概内懐に財布を忍ばせている。これをスルのは容易ではなかった。しかし中には懐から財布がはみ出している男がいた。ウンランはこれを狙った。


「ごめんよ!」

 と言いながら体当りをし懐の財布をする。男がすられたのに気づいたときには、もう手遅れ。ウンランは逃げ仰せ、また大量のお菓子を買って孤児院に向かうのだった。


「あ、お菓子の兄ぃだ!」

 ウンランが訪問すると子ども達は、ウンランのことをそう呼ぶようになった。


 やはりチョコレートが一番人気だった。チョコレートにキャラメル、あめ玉など、どれも子ども達は喜んでくれた。それが嬉しくて、またすりをはたらくのであった。


 すりの次に思い付いたのはかっぱらいであった。表に出るといかにも金を持っていますといわんばかりのおばさんが、街を闊歩している。絶好の獲物だ。


 そーっと近づき、バッグを奪うと一目散に走り出した。たまにおばさんの悲鳴を聞いた男が後を追うが長距離走になっても必ずまいた。逃げ足には自信があった。路地裏に隠れ金品だけを抜き取るとまた子ども達にお菓子を配りに行くのだった。


 そしてその時は来た。賭場に入ると懐から財布がはみ出している男が。


 男は真剣に賭場に見いっている。これは頂いたも同然だとほくそ笑むウンラン。


 いつものように「ごめんよ!」と言い財布をすった……筈だった。しかし次の瞬間右手の手首が万力のような力で締め付けられていた!


 男はそのまままずは財布を抜き取り懐にしまうと、賭場を出て井戸端にウンランを引っ張って行った。


 そしてまず最初の一撃を顔面に食らわせた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。すいませんでした!」

 ウンランの詫びも虚しく全身をくまなく殴り、蹴られする長い時間。右手首はとてもじゃないが外れそうになかった。


「この銭はな、俺が道場運営を続けられるように俺の弟子達から預かった大切な金だ。それを横から盗ろうとは、ふてぇガキだ。今いくつなんだお前」

 ウンランは腫れ上がって見る影もない顔を上げて言った。

「じ、十八です……」

「真人間になる気はあるのか」

「真人間て……じゃあどうしたら真人間になれるんですか!口利き屋に行って面接を受けても孤児院出身だと分かると雇ってくれない。いつまでたっても日雇いの安い賃金で働く生活から抜け出せない。何をどうすればいいのか全く分からない。真人間て、真人間て……」


 最後は号泣しながら崩れ落ちるのだった。


 男はその姿を見て呟く。

「孤児院の出か。じゃあ両親はいないのか」

「ひっく、俺が三つの時に……ひっく、捨てられました。ひっく」


「俺の名前はホアン・フェイロンという。まず、何をどうすれば真人間になれるのか、よくよく考えてから俺の所へ来い」


「ホアン・フェイロン……」


 フェイロンは、やっとウンランの手を離してやった。


 見物人の一人がフェイロンに言う。

「警察に連れていかなくてもいいのかい?」

「まだ子どもだ。これに懲りてちっとは反省するだろうよ」



 ウンランは宿に戻って考える。真人間、真人間……

 どれだけ考えても答えは出ない。


 次の日、いっそう腫れ上がった顔で、答えを求めてフェイロンの武館を探した。街でも有名人らしく、武館はすぐに見つかった。


 ウンランは門の前で膝をつき、両手を合わせて頭を下げる。


 道場内が、ざわざわし始めた。

 ハオユーが言う。

「来たみたいだぞ」

「ほっとけ」

 とフェイロンはつれない返事。


 一日目の日が暮れた。とぼとぼと宿に帰るウンラン。これも修行みたいなものかと気力を振り絞り二日目に臨んだ。


 秋晴れの爽やかな日だ。二日目も身じろぎもせず頭を下げ続けた。夜、屋台でレバにら炒めをたらふく食い、三日目にそなえた。


 三日目、さすがに気力が萎えてきた。このままずっと放置されるんじゃないかと嫌な思いが頭をよぎる。


 夜間の大人の部が終わり道場が閑散としてきた。


 その時である。道場から声がした。


「おーい、小僧。中に入って来い!」


「は……はい、はい!」


 ウンランはようやくフェイロンに迎え入れられた。




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