やくざの意地
朝六時に起きる。ハオユーはもう起きて手鏡で寝癖をなおしている。ウンランはまだ寝ている。二日間の疲れが出たのだろうそっとしといてやる。
ま新しい薄い水色の武術着に着替えハオユーに見せる。絹で出来ているんであろううっすら光沢がある。ハオユーは親指をのろのろとたて、似合っているという意思をつたえる。けっこう高い値段はしたが、そこはもと繁盛した武館の頭である。金はけっこうな額を持ち出してきている。
トイレを済ませ、階段を下に降りて行くとシャオタオとぶつかった。シャオタオも武術着である。うっすらピンク色に輝いてよく似合っている。
「これでお揃いね」
一階に降りて朝飯の粥とゆで卵を二人で食べる。
「稽古は順調なの?」
「そりゃもうばっちりさ。なんてったって河北の龍ことこの俺っちが指導しているんだからな。それよりも聞いてくれよ。指導している中に面白い男が一人いてだな……」
フェイロンは与儀が道場破りに来たところまで遡り闘いの場面ではまるで今そこに敵がいるかのように飛びはね突きを出し回転し、少々大袈裟にありのままを伝えた。シャオタオはその様に時には驚き、時には笑顔で笑い、話に聞き入っていた。
「それで……その五形拳っていうのを本当に今教えているの」
「そりゃそうだ。拳士が約束したことは何が何でも貫く。それが武侠ってもんだ」
「ふーん、でもなんだか危険な匂いがするわね。相手はただの軍人じゃなくてスパイなんでしょう?一斉検挙になんてならないかしら」
「それは……なんとも言えねーな…だが、信じているんだよ。男の義ってやつをよ。それにな、日本軍はその武術練習場を押さえたい訳じゃないんだよ。横に広がる義和門の連絡網の全容解明なんだそうな。そこで主だった連中が集まったところへ踏み込み一網打尽にしたいらしいんだ。ザン率いる百五十人なんぞ、下っぱに過ぎない。連絡網の解明までザンを泳がしているんだろうよ。恐らく期間は一ヶ月から二ヶ月。その間は自由にしてて問題ないさ」
「ふーん、でも危ない事はしないでね」
フェイロンの中で本館襲撃のことが、頭をかすめる。
「だーいじょうぶ、大丈夫。俺はただ武術指導をしてるだけだし。一線は越えないよ。さあ、観劇に出発しよう!」
入り口のカーテンを開け、外へ飛び出すと朝なのにすでにムンとした夏の風。フェイロンは武術着の袖をめくりシャオタオと一緒に歩き始めた。
劇場は商店街を抜けたところにあった。出入り口で料金を払い、桃花扇を一緒に見る。
内容は少し前の南京を舞台としたもので、女主人公、季香君の激動の生涯を描いたものである。
フェイロンにはちと退屈な演目だったが、シャオタオはうっとりした目で主人公と自分を重ねているようだった。
舞台は第一幕と第二幕に別れ、休憩を挟んで滔々と劇は進んでゆく。
「面白かったねー」
とシャオタオが言っても
「んん?まあな」
としか答えられないフェイロン。ところどころ寝てしまっていたからだ。
二人立ち上がり外へ出ると灼熱の太陽光。今が一番暑い季節だ。帰り道、商店街の日陰を歩いていく。
一件の菜館を見つけ、そこで昼飯だ。饅頭をひとつづつと棒々鶏をたのむ。
シャオタオがピーチクパーチクと劇の話を蒸し返す。笑顔でうんうんとうなずくフェイロン。劇の話は半分しか伝わらないが、それでいい。二人でこうして向き合うのが望みだったのだから。
昼飯を食べ終わると、また商店街に出る二人。
そこへ十数人の男達がぞろぞろと近づいてくる。この前店でやっつけたやくざが仕返しにやってきたのだ。
「親方! あの男ですぜ」
顔に裏拳を食らわせた男が、初老の男を引っ張って告げる。
――おとなげねーなー
フェイロンは、少しかったるく思うも立ち上がり、「すぐに宿に帰るんだ」
と言うも
「いいえ私も闘うわ」
と一歩も退かない。
たいした女だと思っているところに、親方が言う。
「やられてすごすご引き下がったままじゃ龍道会としても示しがつかねぇ。ここは一つ盛大にやらせてもらうよ。世間ではやくざと呼ばれていようが、こっちはこっちで……」
物凄い速さで親方に飛び蹴りを食らわすフェイロン。親方は一度宙に舞い上がりどうっと倒れた。
「おのれ親方が口上をのべていたのに!」
四、五人が殴りかかってきたが、鶴形拳で全て受け流す。後ろから棍が振り下ろされる気配を感じ、振り返えることもなくその棍をつかむと、持っていた奴に拳をくらわす。
皆、フェイロンの強さを身をもって知ることになり、無謀な突っ込みをやめ、何拳か知らないが構えをとりはじめた。
しかし悲しいかな、そこは喧嘩拳法である。フェイロンの猛攻撃を止めることなど出来ない。フェイロンは足払いをして一人目を倒すと諸手突き、山突きの連続技で二人目を川に沈める。
後ろから抱きつかれた。そこは落ち着いて顔面に後頭部での頭突きをくらわせ、前から殴りかかってくる者には容赦なく右直突きをかまし、川へぶちこむ。
フェイロンはだんだんと川にぶちこむのが面白くなってしまい突っかかって来る奴を片っ端から川に投げ入れていった。
左右から掴みかかろうとするも手を前に付いて二人ともに金的蹴りで倒してしまう。そしてやおら二人とも横蹴りで川へと放り込む。
構えていた男達が一斉にフェイロンに掴みかかる。襟首を掴まれたフェイロンは右手を螺旋にまわし、後ろ手に固める。そこからは豹拳の出番である。まずは殴りかかったやつをしこたま殴り返し、となりのやつ、となりのやつと、殴る手を緩めない。当然皆、横蹴りで川にぶちこまれる。
そこに袖口を払った男が何か凶器を服の下に隠してある感触がした。フェイロンの右手から血が流れている。
「暗器か……それも我眉刺。卑怯な真似をしやがって」
フェイロンはいつも胸にかけている、お守り袋をとりだした。
「お前らがそうくるなら、こっちも暗器だ」
お守り袋を手にはめると、くるやつくるやつ全員に掌で翡翠の玉を頭に打ちつける。
「ほれ!」
コン!
「ほれ!」
コン!
「ほれ!」
コンコン!
これが効いたようで頭を押さえて皆がうずくまっている。当然全て川行きだ。
「はっはっは。これが俺の唯一の武器さ」
フェイロンが会心の笑顔で叫ぶ。
そこへ一人の男が叫ぶ。
「先生ー! お願いしまーす!」
川縁の柳の影に隠れていた顔の青白い男が、フェイロンの前に姿を表した。
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