老女の怒り
大きな川を船で越え、フェイロン達は河南の地へ降り立った。
ここからは、運良く荷馬車が捕まえられなければ歩きである。泰定酒家を出発してから、六日が経っていた。目的地に着くまでは歩きで、帰りは列車に乗って帰る予定である。
「ここから目的地までは歩きだろうからな。みんな鍛練のつもりで弱音を吐くんじゃないぞ。今日と明日、歩きづめだ。さあいくぞ!」
「おー!」
ウンランが元気いっぱいに返事をする。地獄の強行軍になるとも知らずに……
五時間後、さっそくウンランが音を上げる
「みんな足が速いですよ。俺は背がちっこいんでみんなより、より足を回転しなくちゃならないんですよ~。つまり倍ほど疲れるわけでぇ……」
「走ればいいじゃないか」
とフェイロンの冷たい言葉に
「なおさら疲れますよ~」
とまじでグロッキー気味。
「しかたない。少し休むか」
ウンランは嬉々として喜ぶも
「足を休めたいんだろう。腕は鍛練だ。肘打ち左右百回づつ!」
「え~そんなぁ」
「師匠の言うことは絶対だ。ほれ」
これには何故かハオユーも与儀も真似して胡座をかきながら、肘打ち下ろしだの、肘上げ打ちだのの鍛練を始めた。ウンランも仕方なく皆と一緒に鍛練しはじめる。
「全然休んでいる気がしないんですけど……」
ウンランの言葉に皆が笑う。
「足が疲れたところで足を休め、その間に腕を鍛える。理に叶っている」
与儀が肘打ちをしながらぼそりと言う。
休憩時間が終わった今日の道程は後一時間ほど。そこで宿場町に着く予定である。フェイロンは古い地図を見ながら足取りを頭に入れてゆく。
今日の目的地の宿場町に到着した。まずは飯だ。適当な菜館にはいり餃子をこれでもかというほど注文する、ここは中国としては珍しく焼き餃子が食べられるようで大皿にてんこ盛りの餃子が出てきた。
それを腹一杯食い、適当な酒家を見つけ、四人は泥のように眠った。
河南に入って二日目、五十キロほど歩いたところで河南の地、随州市に到着した。
「地図によればあと一時間ほどだ。夕飯を食って行こう」
あと少しでこの旅も終る。フェイロンの心にまだ旅を続けたい思いと、やっと終わるとほっとする思いが交錯する。
外に円卓がある適当な酒家を見つけ、レバニラ炒めを五人分とワンタン麺を注文する。すると与儀とハオユーがいつものように政治論争だ。
「……で、各地の軍閥の内戦状態を押さえ込むにはどうするんだ?まさかお前の言う『明治維新』とやらをこの中国で起こそうと言うんじゃないだろうな」
「そのつもりだが」
「無理だ無理だ。お前の話から察するに帝(みかど)がいるからこそ成し遂げられた内戦だった訳じゃないか。今の中国に皇帝は存在しない。小さな日本という島国だったからサツマが勝ち進む事ができた。違うか? この中国を見てみろ。それこそお前の言う高い位置から俯瞰をしてみれば、拠り所なき有象無象の巣窟になっている。一応国民党の中華民国が政権を担っている風だが怪しいものだ。実質的な軍事力はないに等しい。毛沢東率いる共産党と、共産主義に反対する蔣介石率いる国民党、さらに共産党にも国民党にも属さない軍閥との三つ巴の内戦となっている。今広大な中国という国をまとめあげる事は実質不可能だ」
「だからこそその役目を日本軍が担うんだ。国民党には悪いが傀儡になってもらう」
感情にかられたとはいえ与儀は言ってはならないことを言ってしまった。
「噂によればその国民党と日本軍は一触即発らしいじゃないか。そこをどう解決するんだ」
理詰めのハオユーの攻撃に黙り込む与儀。
雨がぽつりぽつりと降り始めた。通り雨だろうとフェイロン達は気にせず飯を食う。
するととなりに座っていた男達が立ち上がり、この店の主である老女に何かを小声で伝えて、勘定もせずに立ち去って行った。
老女は店の中に入ったかと思うと、箒を持ち出し烈火の如く怒りまくり、与儀目掛けてきつい一発をお見舞いした。
「あたしの息子が暴動を起こしたとき、日本兵に殺されちまったのさ!この日本人め、日本人め!」
老女は怒りにまかせて与儀を叩きまくる。与儀は椅子から転げ落ち、叩かれるがままになっている。
「日本人め、日本人め!」
雨が激しくなってきた。ぐしゃぐしゃになりながら頭を抱えて地面を這いずりまわる。
ついには赤子のように泣き崩れてしまった。
それを見つめるフェイロンら三人。
――これは……つらいな……
老女も気がすんだと見えて、ぜぃぜぃ言いながら雨の中で仁王立ちである。
「ここには泊めてあげないね、どっかよそをあたりな」
フェイロンは食事代を払い、近くで見つけた宿屋に入った。二人部屋を二部屋、空き部屋はすぐに見つかった。今日は珍しくフェイロンと与儀が同じ部屋へ入る。
先ほど雨でずぶ濡れになったので絞ってハンガーに全てかけ、素っ裸で寝る。しばしの間ローソクは灯したままにしておく。
壁の方を向き、黙ったままの与儀。フェイロンはかける言葉も失いずっと天井を見ていたが、与儀の方に振り向き話しかける。
「なあ与儀よ」
返事はない。
「俺は政治の話はちっとも分からねーが、一つだけ分かる事がある。それは日本軍の征服によって多くの中国人が苦しみぬいている現実だ。ただ大東亜共栄圏か?その大義名分でこれ以上中国人を苦しめないで欲しいんだ。お前はこの旅で多くの見たくない光景を目の当たりにしただろう。正直日本軍には出て行ってもらいたい。中国の事は中国人に任せて欲しいんだ」
与儀は広い背中を見せながら小さな声で言う。
「もう走りだしたんだ。これは誰にも止められない」
「そうか……」
フェイロンは諦めの言葉をぼそりと言い、蝋燭はそのままに眠りについた。
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