四人旅



「あー痒い痒い!川がある。みんな川に入るぞ!」


 フェイロン達は二頭立ての荷馬車に乗っている。荷台の半分には米俵が積んである。フェイロンは馬車のおやじさんに銅貨をあげて待っているように頼む。おやじさんは黄色い前歯を出してにかっと笑いそれを受けとると、煙草をとりだし一服し始めた。


 フェイロンは皆を追い越し谷川にザブンと入る。まだ残暑も厳しい季節だ。冷たい水が心地いい。


 四人とも川に入り服を脱ぎ始めた。もう三日も風呂に入っていないのだ。それは痒くなろうというもの。


 まずは半袖シャツをごしごししごき、思い切り絞る。これを数度繰り返す。


 次いでズボンだ。これもごしごしやった後、大きな石に向かってパーン、パーンと打ち付ける。


 最後にふんどしだ。これは念入りにしごきたおす。


 全て洗い終わったら川砂利の上に干し、自然に乾くのを待つ。


 そしてたわしを取り出し体を洗う。洗い終わったフェイロンはたわしをハオユーに渡して背中をしごいてもらう。ハオユーもすぐに体を洗いだす。


 谷川の水はきれいだ。深い淵に泳いでいくと最後はわしわしと頭を洗う。これにて終了。あとは服が乾くのをこ一時間ほど待つだけだ。四人の男は素っ裸になってキャーこら水を掛け合っている。


 与儀の顔から陰が消えた。素の一人の男になっている。身分を隠して一人っきりでいることがよほど苦痛だったに相違ない。


 十分はしゃいだ後は、河川敷に寝っ転がって日向ぼっこだ。フェイロンは与儀の体をまじまじと見る。よくぞここまで鍛え上げたなと。フェイロンも自分の体に自信はあるが、次元が違う体格をしている。まるで別の人種のように。


「よう、与儀よ」

 フェイロンが寝っ転がっている与儀に話しかける。

「お前これできるか?」


 フェイロンは川原に転がっている適当な自然石を掴むと、それを左手で持ち手刀で一閃する。


「ガッ!」


 石は見事に真っ二つに折れて二つの欠片となった。目を見はる与儀。同じくらいの大きさの石を手に取り手刀を当てても割れない。石を変えてもダメ、薄さを変えてもダメだ。


「どうやったんだ。なにかコツでもあるのか」

 与儀が諦めると、フェイロンが言う。


「コツはある。しかし教えない。石を打つのは套路、割るのは功夫だ。この意味が分かった時、自然と割れるようになっているだろう」


 与儀が恨めしそうな目で見ているので、その頭をくしゃくしゃっとかきまわす。与儀は何故かニヤリと笑う。


 シャツとふんどしはからからに乾いた。後はズボンだが生乾きだ。しかしこれ以上おやじさんを待たせるのも悪い。ズボンを米俵の上にそれぞれ干し、再度出発だ。


 こうして荷馬車にぼーっと座っているだけじゃ腕が落ちる。フェイロンは横に座っていたウンランを前に胡座をかかせ、銅貨を十枚取り出しながら言う。


「これをお前にやる。俺から一本取ったらまた銅貨を三枚追加だ。逆に一本取られたら銅貨も一枚減る。目潰しは禁止、後は……そうだな、かなり本気で来ていいぞ」

「本当ですか。そしたら容赦はしませんよ」


 ハオユーと与儀が笑いながら見守るなか、変則的な散打が始まった。


 左手の甲と甲を合わせ、ハオユーが「始め!」と叫ぶ。案の定、ウンランが豹拳の連続打ちを繰り出してもフェイロンはお見通しで一撃目を左手で掴みとり、同時に右手で口を掌で打つ。銅貨が一枚減る。


 何しろ引くに引けない、足さばきだの蹴りだのが封じられた、手技の技比べである。


 次からは二人同時に息が合ったところで試合の開始である。少しの静寂の後、ウンランが変則的な裏拳でフェイロンの顔面を狙う。それを十字に受けて掌と肘を固める。見たこともない技に戸惑うウンラン。左手でなんとか反撃を試みるもフェイロンの顔まで届かない。対してフェイロンは肘固めした腕を力を入れたり緩めたり面白がっている。最後にどんと胸に掌を打ち込む。銅貨がまた一つ消えてゆく。


「やるか、ハオユー」

 与儀の誘いに

「いいだろう。ただし賭けはしないぞ」

 こちらも散打が始まった。


 まずは与儀が打って出る。右中段突きである。それをハオユーは橋手で受け、くるりと螺旋状に回して左脇に抱える。そして腕が痺れる経穴「肩井」を鶴手で正確に突く。


 ――鶴形拳…得体がしれないな


「まずこちらが一手だ」

「ふむ」

 与儀は少し戸惑っている。一つの拳を愚直に鍛練した者は、あらゆる拳を修めた者より強い事が多いと経験上知っている。


 右腕が痺れ始めた。その右腕で敢えて顎を目掛けて下突きを放つ。ハオユーは器用に上半身を回して左手で受け流す。与儀はこれを待っていた。細かい振りの左横突きを掌でハオユーに放つ。一発もらったハオユーは、与儀の強さを再認識する。

「むぅ」


 このような散打遊びが三時間もたった後、おやじさんが言う。


「このあたりが宿場町の真ん中ね。わしゃまだ先に行かなきゃならない。ここまでだね」

 フェイロンは駄賃を渡して歩き始める。

「さてと」

 菜館はそこそこあっても、肝心の宿家が見当たらない。


 そこへある光景が四人の前に飛び込んできた。二人の日本軍の軍人と思われる男が、一人の花売りの娘に言い寄っているではないか。娘は泣きそうな顔をして追い詰められている。


 それを見て与儀が迷いなく飛び出していった。そして二人の男の襟首を掴み、なんと二人とも持ち上げてしまった。


「化け物だ…」

 ハオユーが呟く。


「俺は特務機関員の者だ。お前ら今その娘に何をしていた!」

「と、特務……」

 与儀が襟首を持つ手をぐらぐらゆする。与儀が手を離すと脱兎の如く逃げて行った。


「大丈夫か」

 与儀が娘に尋ねると、娘も逃げ去ってしまった。


「あー、フラれてやんの」

 フェイロンが小声で言う。


 釈然としない顔で戻ってくる与儀。


「これがお前の言う、大東亜共栄圏だ」

 ハオユーがきっぱりと言う。

 与儀は何も答えない。ただ静かにたたずんでいる。

 与儀の顔に再び暗い陰がさす。


「さあ、宿を探すぞ!」

 フェイロンが皆に言い渡す。


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