出合い



 フェイロン達が泰定酒家に戻ってきた。シャオタオが喜んで顔を見に行くと、百九十センチはあろうかという、背の高いフェイロンよりさらに一回り大きな男を連れて来ている。シャオタオは仰天してしまった。こんな強そうな人もフェイロンの弟子だなんて。シャオタオは改めてフェイロンに惚れ直す。


 店は夕食どきという事もありほぼ満員である。シャオタオがてんてこ舞いをしている。


「フェイロンさん、三人揃ってお帰りとは珍しいね。まずは風呂に入るかね」

「ああ、このデカブツも入るんで一時はかかるかな。その間に客も引くだろうよ」


 フェイロン達が二階に上がって行く。あの大きな男の表情に陰がさしてる気がして、少し心配になるシャオタオ。


 思えばフェイロンとの出合いは衝撃的だった。父親につれられてフェイロンの試合を見に行ったのが十三歳の時。思春期に突入したて、恋をし始める時である。そのころフェイロンは二十歳の若者、すでに自分の道場を持っており、なにがなんでも優勝しなければといちばん尖っていた頃の事だ。


 優勝決定戦、二人の拳士が壇上に上がる。互いに礼をし試合が始まる。その時父親がそっと耳打ちする。

「この試合、あの若者の方が勝つね。速さ、拳の練り上げ、並み大抵のものじゃない。去年も優勝したけれど、今年はさらに気合いが入っている。おそらく相手は三分ともたないね」


 試合が始まった。フェイロンは龍形拳の構えだ。右手を拳にし、左手を龍手にし、それをくるむようにする。


 そして呼吸法によって気を練る。闘いは静かに始まった。


 相手は翻子拳の使い手、やや低い姿勢から、物凄い連続突きを繰り出してくる強敵だ。両手を拳にし、その直線上にフェイロンの上段がある。


 二人とも動かない。業を煮やした翻子拳の男が突進し、拳を出すとすでにそこにフェイロンはいない。すっと横に避けていたのである。連続突きの弱点は、豹形拳で知り尽くしている。相手が向き直った所に拳で相手の顎を痛打する。ぐらりとしたところを今度は蛇形拳で正確に相手の喉を突く。


 それでも連続突きをやめない男。フェイロンは今度は受けに行く。例え相手の拳が速くても手技の技術には絶対の自信がある。三手受けた後、攻防同時の右直突きを顔面にぶちかます。男は後ろにふらふらっとへたりこみ、ぜーぜー肩で息をしている。最初の覇気は何処かへ行き、弱々しく立ち上がる。


 男は連続突きを捨て、今度は回し蹴りの嵐だ。フェイロンはこれを待っていた。慣れない事をすると必ず隙が生ずる。前腕で受け止めながらその一瞬を待つ。蹴りが引いたその刹那、フェイロンは渾身の横蹴りを相手の腹にお見舞いする。男はたたっと後ろに何歩か引いた後、どしんと仰向けにひっくり返った。


 審判が男に確かめる。男は負けを認め、フェイロンの優勝が決まった。


「ね、三分だっただろう」

「すごーい、あの人強いのねー!」

「そりゃそうさ、お父さんが去年目をつけたからね。必ず勝つよ」

 武術の事は何も知らないシャオタオにもフェイロンの強さははっきりと伝わった。


 爆竹が打ちならされフェイロンが満員の観客席に手を上げる。シャオタオにフェイロンが近づいてくる。


 初めて顔をまじまじと見る。整った顔に少し大きな鼻。シャオタオは一発で気にいってしまった。


「あのう、これを使ってください!」

 シャオタオが出したハンカチを取り、

「おーありがとな」

 と額の汗をふき、「ちーん」と鼻水をとった。


 ――汗だけで良かったのに……


 家に帰り、さすがに一度洗濯をしたが、シャオタオは自室の壁にそのハンカチを張り付けた。


 まだ幼い心にも小さな恋が芽生えた瞬間だった。



「……ていう事があったのよ。覚えてないの?」

「わはは、そりゃ傑作だ。まったく覚えてねーや」


「もう!大雑把に生きているんだから!」

 しかし、このフェイロンの豪放磊落な性格にも惚れているシャオタオである。男も女も惚れてしまう強さと可愛げが共存している。


 夜になり、店が閉まる前のちょっとした逢の時。


「ねぇ、さっきお父さんに言ってた事って本当なの」

「うん?旅に出ることか」

「そう。あの大きな人も連れていくんでしょ」

「与儀の事か、あいつは強いぞ、俺と互角に闘える唯一の人間だ」

「でしょう。だから心配なのよ。なにか表情が雲っているような……女の勘は当たるのよ」

「ははは、心配ないって。今日ちょっとへこむ事があって、それで暗い顔をしているんだよ」


 フェイロンは橋の欄干に座っているシャオタオを抱きしめ、頭を撫でながらこう言う。

「俺達はまだまだ道の途中なんだ。宿屋暮らしもなれたとはいえ、旅をしている感覚がずっと残っている。だから旅に出るのも同じことさ、十日ほどで必ず帰ってくるから」

 フェイロンはさらに強く抱きしめる。お互いの体温を感じシャオタオはうっとりとする。


「約束よ」

「ああ、約束だ」


 そう言うと、シャオタオは仕事に戻っていった。


 酒家に戻るとなんとそこにはザンの顔が。手酌で一杯飲んでいる。


「旅に出るらしいな、今おやじさんから聞いたところだ」

「ああ、明日の朝出発だ」

 ザンが怒気をはらんだ声で言う。

「今上にいるんだろう、ダーフーのやつが」

「ああ、もう寝ているんじゃないか」


 ザンはフェイロンがダーフーをかばったことが釈然としない。

「青くさいが高い理想を持っている。立場を越えると気のいいやつさ」

「相手は敵のスパイだぞ。誰でも受け入れるお前の神経が分からない」

「俺も一杯貰おう。おーいシャオタオ、盃を一つくれ」


 盃が運ばれてきた。「深酒はダメよ」とシャオタオに釘を刺される。


 フェイロンは盃に酒を入れ乾杯をしようとするも、ザンは盃を逆さまにおいてそれを拒否する。

「そんな気分にはなれん」

 おやじさんに酒代を払い、フェイロンに告げる。

「旅は十日だったな。そのあたりに運動を決行する遅れるなよ」

「分かった。なるべく速く切り上げて帰るよ」

「約束だぞ」

「約束だ」

 フェイロンは盃を目の前に上げ、一口で飲み干した。

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