来訪者



「ほぁー!」

 男はフェイロンに走り込み、左飛び横蹴りを撃ってきた。しかしなんという跳躍力だろう。背の高いフェイロンの上段を狙ってくるとは。


 フェイロンは、冷静にかがんで避け、体勢をくずした相手に諸手突きをぶちこむ。意外にもあっさりふっ飛んでいく男。しかしそれからの反撃が凄かった。小回りの効く小さな拳を懐に入って突いてまわる。手技を極めたフェイロンでも捌くのが難しい拳だ。直突き、横突きの連続攻撃もその小柄な体で受けてまわる。ここへきて、フェイロンは男が並々ならぬ巧夫を積んでいるのに気づく。男が一旦距離を取り構えなおす。大袈裟に左右の腕をぐるりと回すと、洪拳の鶴手に似た蟷螂手を前に出し構える。


 周家蟷螂拳だ。南派蟷螂拳の中でも、最も猛々しいと言われている。詠春拳とは仲が悪く、敵視されている。


 確かに文を出したはず。おかしな伝わり方をしたのか。とにかく勝敗がつくまで相手をしなくちゃならない。


 フェイロンの額にどっと汗が滲む。「おうりゃ」左手で目眩めくらましの拳を払い、右の胸板に拳が突き刺さる。フェイロンも与儀程ではないが胸板は厚い。軽く拳を弾き返す。それを見た男は上段に拳の嵐だ。しかしフェイロンも豹形拳に切り替えると、どどと……と相手の顔面に連打を浴びせかける。


 これに驚いた男は一旦引き、一転して慎重になった。左右の手先を蟷螂手にして構え蟷螂かまきりのように上体を揺らしている。


 と、突然下段蹴りだ。フェイロンは左足を上げて膝で難なく受ける。これがまた目眩ましとなり、がら空きの上段に裏拳が鞭のように飛んでくる。


 相変わらず大した威力はないが、当てられたのが悔しい。ついに虎形拳の構えを取ると虎爪で上段を引っ掻きにいく。蟷螂手で内受けをされ、そのまま目潰しがとんでくる。ぎりぎりにかわすと目潰しには目潰しだ。虎爪で相手の目を狙う。


 相手が引いた瞬間、右横蹴りで十尺ほどふっとばした。

 男は直ぐに立ち上がり、「ほわたーっ!」っとのかけ声を叫びながら飛び後ろ蹴りを仕掛けてくる。フェイロンはスッと横にさけ、その後ろ頭を回し蹴りではっ倒す。男がよろめいた所に左横突きで腹を突く。


 男は腹を押さえ距離をおく。


 明らかに苦しんでいる様子。前のめりになり、しばし痛みが引くまで逃げ腰になっている。


 痛みが引いたようだ。男がフェイロンの内懐に入り、両手の蟷螂手で耳を突こうとする。


 このような妙な攻撃は受けた事がない。とりあえず両掌で耳を塞ぐ。


 そこから蟷螂手での怒涛の連打だ。肩井も左右両方とも突かれてしまった。フェイロンはお返しにと飛び膝蹴りを顔面にぶち当てる。


「はぁ、はぁ……」

 肩で息をしている。体力が尽きたらしい。しばし拳を上げ下ろしして息が整うのを待っていると、ふたたびフェイロンに挑んでくる。


 しかし攻撃もネタ切れのようで左拳を探り探り出してくる。時折フェイロンが近づくと、右直突きが飛んでくるのみ。フェイロンはじれったくなり、引導を渡そうと、左の虎爪を顔に打ち付けるふりをしながら、右横蹴りで回りを取り囲んでいる生徒達の中へぶちこんだ。


 男は見守る群衆の中に倒れていき、皆から足蹴にされている。


 勝負がついた。確かに腕はたつが達人の域にはもう一歩か。フェイロンは皆に大声を出し制する。


「やめーい!」


 男はよろよろと立ち上がり、礼をする。


「私は周家蟷螂拳のジィ (姫) と言う。文を受け取りここに参った次第。よろしくな。一度河北の龍と呼ばれるあなたと手合わせがしたかった。つまらん拳法使いならそのまま帰ろうと思っていた。しかしあなたは私の想像を遥かに超えていた。運動には喜んで参加しよう」


 ここにきて嬉しい知らせだ。しかし、手勢を聞いてがっくりとした。武館が閉じられ広東などに逃げた者が三十人、あとは、厳しい取り締まりを恐れ、武術そのものをやめてしまった者が四十人ほど。手勢はわずか二十人程だというのである。


 フェイロンはそれでも嬉しかった。ここに二ヶ月間滞在するのかと思いきや、意を決するために一人で来たという。歩きで来たかと思えばなんと馬だと言う。変わった御仁だ。


 一日は滞在すると言うので、練習を見てもらうことにした。


「こいつらはもともと義和門拳の使い手だったんだ、それをザンという棟梁の鶴の一声で洪拳を学びなおすことになったんだ。まだ初めてから一週間ほどなのさ。それでこんなにたどたどしいんたよ」

「しかしわずか一週間で対練までもってゆくとは…よき指導の賜物ですな」

「いやなに、こいつらの努力があってこそだ。日の出から日の入りまで稽古をしてるんだ。套路は僅か三日で覚えた。皆後二ヶ月ないという事で必死になっているのさ」

「彼らは皆運動員ですか」

「そうだ。これで全員じゃないぜ。あと八十人が、名を連ねている。全部で百五十人だ。皆、肉親を日本兵に殺されたり不具にされたりいろいろな事情を抱えてる奴らばかりさ。だから稽古も真剣なんだ」

「なるほどな、本気の強さ……か」

「まあ眺めていてくれよ。帰りはハオユーに送らせるから。それから風呂に飯を先に食べててくれ」

「んん?何か用があるのですか」

「ちょとこれと…これさ」

 フェイロンは小指を立て笑う。

「そりゃお盛んなことで」

 ジィも声を立てて笑う。


 いきなり襲ってきた先ほどとは打って変わって物腰の柔らかさだ。なぜか気が合いそうな気がした。



「龍形拳は精神を鍛える拳だ。だから対練してもしょうがない。虎形拳からいくぞ!」

 日暮れから一時間は与儀に稽古をつける。二ヶ月以内にものにしなければならない。与儀も必死だ。

「第一手から本気でいくぞ!お前には手抜きをしないからな」

「望むところだ」

 与儀が虎形拳の構えをとる。フェイロンが思い切り突きを入れると、それを受け止め返し技を極める。


「よーし、後二回!」

 今度は前蹴りだ。それも受け止め返し技。最後は左回し蹴り。これも受けて返し技だ。フェイロンは一つの型でどんな攻撃をもはねのける業を与儀に教えているのだ。


「次第二手……」


 時間が来た。あっという間だ。礼をして別れる。

 今日は来客がいる。店のおやじさんに遠慮なく酒が飲める。足取りも軽く宿に帰っていくのであった。


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