再戦



「俺と闘え!」

 フェイロンはなおも迫る。

「なぜだ」

 不可解なフェイロンの申し出に、訝しげに訊く与儀。

「俺はあの一戦が悔しくて悔しくてしょうがねえ。あの一戦で面子を潰され、無敵の評判を失い、武館を失い、根なし草になった。完全な状態で闘わねーと諦めがつかねえ。言い訳がましいがここのところ生徒達の指導に追われ自らの鍛練がまったく出来ていなかった。その上酒を飲んでいた。これじゃあ負けて当たり前だ。それからの一ヶ月というもの、俺は自分の鍛練にあけくれた」

「ちょっと待て。自らの失地回復のために闘いを挑んでいるのか」

「それ以外に何がある」

「誰も見てないところでか」

「俺が納得できるかどうかの問題だ」


「ははは……」

 与儀はついに笑い出してしまった。

「何がおかしい?」

「いや、少し子どもっぽいと思ってな。中国人はそこまで面子にこだわるのか。たとえ人が見ていなくとも」

「面子を潰されたら、面子を取り戻す。それ以外にどうしろというんだ」

「俺ならどうでもいいがな面子など。日本人だからな。まあいい。そこまで言うんなら受けて立ってやる。その代わり俺の事は秘密だぞ。俺の今の仕事は義和門の連絡網の全容解明だ。分かっていると思うが、仕事の邪魔はするなよ」

「……分かった。約束する。こっちに降りて来い」


 フェイロンは橋の横から川の砂地に降り立つ。与儀もそれに続く。二人合い対し、再び闘いが始まった。


 二人の間にピンとした空気が張り詰める。フェイロンは左手を虎爪にして前に出し、右手を拳にして後ろに引く。まずは虎形拳で様子見である。


「『空手に構えなし』ともいう。しかし今日は特別だ。空手の構えを見せてやる」

 与儀はそう言うと左手を右耳に持っていき、手刀を前に出し、逆に右手は前に出してから引き中段に構える。「手刀構え」と言う。


 お互いの距離は三歩ほど、後一歩踏み込めば互いに回し蹴りの射程圏内に入る。


 そこからはにらみ合いだ。少しずつ動きながらじりじりとした時間が過ぎていく。


「ドン!」


 与儀が突進し、右正拳突きを食らわす。相変わらず速い。フェイロンは落ち着いて間一髪首を横に振って避ける。懐に入ると胸を二発中段を拳で突くが避けようともしない。顔面に裏拳を放つとこれは外受けで払う。フェイロンが右脇を虎爪で殴ると効いたと見えて右手で中段払いをし、一旦距離をとる。


「成る程、前に比べて動きが格段に違うな」


 与儀はフェイロンの右へ右へと回り込む。一歩一歩が勝利の確信に満ちている。


 また突進すると今度は前蹴りを撃ってくる。フェイロンは半身になって避け、与儀の中段下突き、上段正拳突きを丁寧に受けていく。


 やはり一発一発が重い。右正拳一発で倒された前の闘いが頭をよぎる。与儀が山突きを仕掛けてくる。上段、下段を同時に突いてくる大技だ。フェイロンは上段を上げ受けで受け、下段は左手で下に押さえつけるように受ける。


 フェイロンの反撃だ。左の虎爪で与儀の脇の下を突くが右肘で防がれる。同時に右回し蹴りを飛ばすも左腕で弾かれる。


 与儀は突っ込んでは引き、突っ込んでは引きを繰り返す。フェイロンの洪拳が後の先―受けてから逆襲する拳と見抜いたからだ。


 与儀が横突きを仕掛けてくる。フェイロンは間一髪で虎爪のまま腕に打ち付ける。顔面に食らわない為とはいえ、これはやってはいけないことの一つである。受け手である前腕そのものが駄目になっていくからだ。鉄橋鉄馬と称される洪拳だが、正しい運用をしてこそである。


 拳の応酬で手が重くなってきた。こうなるとだんだん状況が不利になっていく。


 与儀の左正拳突きをつかみ取り投げに出るフェイロン。しかし重い。逆に背中に数発の突きを食らってしまった。


 振り返りながら裏拳で殴り付けるも、微塵も痛くなさげににやりとしているのが憎々しい。


 貫手で上段を狙うも、右腕で防がれる。逆に大きな弧を描いた左手刀打ちが飛んでくる。フェイロンはそれを掌で払いながら左直突きを試みるも右内受けではね飛ばされる。


 拳の応酬が続く。与儀は口の端がにやついている。何の笑みだろうかと訝るフェイロン。


 ――楽しんでいるのか!


 武術をやっていて時折そのやり取りが面白くつい顔に出てしまう……フェイロンにもそういう時がたまにある。力が拮抗しているほど面白いのだ。


 しかし、前腕の痺れが尋常ではなくなってきた。重い。このままでは動かなくなってしまう。


 虎形拳は基本的に剛の拳だ。与儀の空手も剛の拳。

 剛と剛がぶつかり合うと力の強い方が勝つ。


 

 フェイロンが何かを決したように与儀を見据える。


 ここへきて構えが左前立ちから右前立ちに変わった。立ち式は膝を内側に締め、両手を貫手にし、その照準をピタリと与儀に合わせる。


 柔の拳である蛇形拳に変化したのだ。


 このような構えの拳を与儀は見たことがない。訝しげにフェイロンを睨むと軽く追い突きを放ってみる。


 それを螺旋状に受け流すフェイロン。と同時に目を狙った四本貫手が三連発でやってくる。


 速い! 与儀は辛くも身を引いて避けたが、このような拳と対戦した事がない。


 慎重になる与儀。空手の貫手の使い方とも違う。指が一本でも目を捉えれば、致命的になるのは間違いない。


 徐々に腕のしびれが取れていくフェイロン。与儀は渾身の左中段回し蹴りで対抗する。まるで太い丸太をぶつけるような蹴りを、フェイロンは躊躇なく内懐に飛び込むと、腿を肘で受け無効化し、また三連続の四本貫手だ。


 一発目を上げ受けで受け、二、三発目は首を沈めよける。 その体勢から右下突きをフェイロンの顎にぶつけると、フェイロンは受け切れずによろよろと二歩後ろに下がる。


「正体見たりだ。行くぞ!」


 与儀の左追い突きを右手で円形に受け流し、隠してあった左手で与儀の喉を突く。


「むぅ」

 しばし与儀の動きが止まる。そこへさらにしつこく目潰しの嵐だ。与儀は顔面を十字に覆い、目くらめっぽうの蹴りを出すのみだ。


 そこへ容赦なく金的に蹴りが極る。もんどり打って転がる与儀。


 バシィ!


 振り返るとフェイロンの掌が与儀の顔面を捉えた。固まる与儀。フェイロンがその気になれば与儀は目を潰されていた。


「俺の勝ちだダーフー、目を潰されなかった事を感謝するんだな」


 与儀はここにきて何か考え事をしている。


 フェイロンがズボンをパンパンはたいていると、与儀が今の拳の事を尋ねる。


「その拳は虎形拳とは明らかに違うな。なんと言う拳だ」

「五形拳と言う。龍、虎、蛇、鶴、豹の五つの拳から成り立っている。洪拳の真髄だ」


 すると思わぬ事を与儀が口にする。

「その拳を……俺に指南してくれないか」


 突然の与儀の嘆願にさすがのフェイロンも面食らった。

「この拳を……敵であるお前にか?」

「夕暮れ時の一時だけでいい」

「そんなにこの拳に驚いたか。そりゃ傑作だ。敵である俺がお前に秘拳を本当に教えると思っているのか」


 フェイロンも何かを考え込んでいる風な様子だ。

 この男もまた、軍人よりも前に一人の拳士なのだ。優れた拳士には礼を持って迎え入れろと小さな頃から言われ続けている。


「よし、じゃあ、稽古が終わってから一時だけ指南してやる。他言無用だぞ」

「分かっている。誰にも言わない」

「そうと決まれば話は早い。明日からこの場所で稽古をつけてやる」

「恩にきる」

 与儀が少し頭を下げた。


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