怪しい男



 フェイロンはザンの所へ行き、小声で訊く。

「あのデカぶつの素性はなんだ。どっから来たんだ?」

「あーあいつか、名前はダーフー (大虎)、朝鮮族の出身だそうだ。右手に包帯を巻いているが、日本軍に家を焼けだされた時に火傷を負ったそうだ。あまり自分の事は話さない無口な男さ。あの男がどうにかしたのか」

「いや、どっかで会ったような気がするんだが、どこで会ったのかが思い出せないんだ」

「ここには二週間ほど通って来ている。まだ新米さ。あいつも抗日運動の同志だ、よろしく頼む」

「ああ、任しとけ」


 やがてウンランがダーフーを連れて戻ってきた。ダーフーは素直にゆっくりと着いてきた。


 上半身はボロい長袖のシャツ一枚。ズボンも所々破けている。短い髪に、無精髭。しかし身体中を筋肉の鎧でおおい、眼光鋭くとても焼け出された男の目ではない。


「お前は日本軍に焼け出されたそうだってな」

「……寝てる時だった、家の全ての壁に油をまかれ、間一髪逃げ出した。この手はその時に負った火傷だ。日本軍に報復するために人づてにここにたどり着いた」

 時折聞き取れない箇所があるが、いかにも朝鮮族の訛りが入っているように思える。


 練習していた者達はなんだなんだとフェイロンとダーフーのやりとりを見に集まってきた。


 そこで思い出した。あの時負けた日本兵ではないかと……


「お前は朝鮮族だったな、だったら足技が得意じゃねーのか」

 間髪入れずにフェイロンがダーフーに龍形拳で襲いかかる。右の中段突きをダーフーは左足で防ぎ、そのまま、右回し蹴り、くるりと振り返って、旋風脚。フェイロンが左前蹴りを放つと、それも左足で払いながら右前蹴りをフェイロンに飛ばす。フェイロンはスッと下がって前蹴りを避ける。


 今度は虎形拳で挑んでみる。主に上段を責めるとこれはさすがに手技で防御する。しかし、どこか手を抜き、攻撃をわざと受けている気がする。しかし危うくなると真剣に受けて立つ。


 次に足技である。フェイロンが上段に回し蹴りをすると、なんと足で止めたではないか。防戦一方だが、そこはフェイロン、見抜いている。わざと反撃しないのだと。


 まあ、挨拶がわりの戯れである。力を入れて殴ったり蹴ったりしてないので、ダーフーの方も適当にやっているんだろう。


 芝居がかった散打に胡散臭く思いながらもフェイロンが言う。


「成る程大した功夫(クンフー)を積んでいるじゃねーか。これからお前は足技のダーフーだ。なあみんな、今のを見たか」

 皆から拍手が送られる。


 足技のという二つ名がつけられたダーフーは少し居心地が悪そうにしている。


「さあ戻って練習するんだ」

 フェイロンに促されダーフーは元の位置に戻った。


 皆が真剣に工字伏虎拳の練習をしている。時間はあっという間にすぎ、昼になった。ザンが大声で全員に告げる。

「ここらで一端休憩を取ろう。今日も大王菜館から五十人分のちまきの差し入れがあった。階段の上に置いているので皆一つづつ取っていくように。二つ取っちゃだめだぞ。さあ並んだ並んだ」

 皆は言われた通りに列を作る。そしてちまきを受け取っていく。足りない時は自分の金で昼飯を食べに町に降りていかなければならない。


 こうした差し入れは自ら練習に参加出来ないものの抗日運動を支援するちまたの食堂の主なんかが協力してくれて成り立っているのだ。


 今日は二人のあぶれが出た。二人の男は連れだって出て行った。

「じゃあ、俺達も行くか」

 フェイロン達は別行動だ。山門をくぐり、町に出た。菜館や酒家がちらほら見受けられる。


 そのうちの一軒に立ち寄った。リーとジァンが一つのテーブルに。フェイロン達は別のテーブルを占拠した 。


 注文を取りにきたおばさんにワンタン麺を五つ頼むと、あの怪しい男の話になった。


「間違いない。武館を潰しにきたあの日本兵だ」

 フェイロンがそう言うと、ハオユーがさもありなんという顔をした。

「この前は顔が良く見えなかったんだ。軍帽も被ってたしな。それが今度はあの無精髭だ。怪しいとは思ってもいまいち自信がなかったんだよ」

「しかし大胆な男ですねー。まさかザン先生の生徒になっていようとは」

 ウンランが口を挟む。

「それくらいできなきゃ軍人なんてやれないんだろうよ」


「特務機関員って知ってるか」

 ハオユーが話題にのせる。

「さあ」

「日本兵のなかでも選りすぐられた諜報員のことだ。要人警護から諜報活動まで幅広くやっている。あのデカい男はそれじゃないかなと思っている」

 ハオユーの指摘にフェイロンが身を乗り出す。

「諜報員て……スパイの事か」

「そうだ。仲間のふりをして皆に溶け込み、あらゆる情報を集める。この連中がたちが悪くてな、前に梅花拳の連中が一斉に検挙されたろう。この事件にも特務機関員が深く関わっていたと言われている」


 ワンタン麺が運ばれてきた。三人とも必死になってかきこむ。


「で……梅花拳の次は義和門というわけか。はふはふ」

「そうだ、はふはふ。実際にザン先生は俺たちに二ヶ月で仕上げてくれと、注文をつけているしな」

「目を離せねーな。はふはふ」

 食事代をフェイロンが支払い、山寺へと戻る。午後の部も休みなく続けられ、皆の努力のかいもあり、全体の三分の一ほど形だけは身に付いた。


 日の入りの時刻になった。一日中練習にあけくれた皆は、肉体も精神も疲労困憊である。互いに礼をしてから家に帰って行った。


 ザンはこれから会合がある。邸宅とは反対方向に歩き始めると、しばらくしてダーフーこと与儀が後ろをつけ始めたではないか。それを追いかけるフェイロン。与儀はザンが後ろを振り向くと、すっと、路地裏に隠れる。


 しばらく身を隠していると、ずかずかと与儀の前に男が表れた。フェイロンである。


「お前はあの日本兵だろう!」

 こんなところで大声を出されるのがいちばん厄介だ。与儀は困ったような顔を隠しもしない。

 ザンの行方は、もう分からなくなっていた。

「だとしたらどうする」

「俺と闘え!」

「なに?」

 二人の間に緊張が漂う。


 暗雲が立ち込め、闘いの幕が開く。

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