新しい朝



 ここはとある打ち捨てられた寺院。楠やブナがうっそうと生い茂り、一つの森のようになっている。木漏れ日がちらちらと地面を照している。夏の朝は早い。


「今日から新しく武術指導をしてくれるホアン先生だ。使う拳は南派拳法の洪拳。豪快にして華麗、様々な秘拳を持つ南派拳の代名詞の拳だ。そして教えてくれるのは、皆も聞いた事はあるだろう。河北の龍ことホアン・フェイロンの名を」


 次の日、早速練習が始まった。教えてもらう拳がいきなり変わったので、皆がざわざわしはじめた。


 ザンの紹介を受けて、フェイロンが生徒の前に出て大声で語り出す。


「今日から皆を指導するホアンだ。いきなり別の拳を身につけるのは納得が行かないと思うが、様々な事情で俺が皆の指導を受け持つ事になった。以降よろしく頼む」


 今日来ている生徒の数はざっと五十人ほど。入れ替わり立ち代わり練習にくるのでその日にならないと数は分からないと言う。


 ここに集まってきた生徒は、皆いざという時抗日運動に参加する連中だ。ザンの武館が閉められてもザンに着いてきた者達だ。日本軍の理不尽な振る舞いによって肉親をなくしたものや投獄された者、単にザンに心酔している者、様々な背景は一人一人違うが、抗日運動にいつでも参加する覚悟は皆同じ、言わば同志だ。


 ざわつく中、質問する生徒が。

「ホアン先生、俺たちが今まで習ってきたのは北派拳法です。そこへ南派拳法の代名詞である洪拳を混ぜてしまうのは無理があると思うんですが」

「成る程多少無理があるが、拳を極めるのに北派も南派も関係ない。確かに別の拳理の拳を習いたての頃はいきなり力が落ちる者もいるが、また復活してくるもんだ。あまり深く考えるな」


 フェイロンらしい返答にリーやジァンはクスクス笑う。リーは元々蟷螂拳、ジァンは形意拳を習っていたからである。習う拳を変えると力が落ちたり、逆に一気に強くなったりを身を持って経験しているのだ。


「これから『工字伏虎拳』と言う套路を練習する。まずは俺がやって見せるんで感触を掴むように」


 フェイロンは前に出ると手で両端の生徒をどけた。皆が円形に取り囲む中、両腕を上下し始めた。


 両腕のうなりが聞こえて来そうな見事な演武に皆圧倒される。フェイロンの背が高く腕が太いので、より一層派手に見えたのかも知れない。


 演武が終わった。パラパラと拍手がなった。


「覚えるのはこの套路だけだ。これを覚えれば虎形拳が使えるようになる。俺の得意とする拳だ。硬橋硬馬の拳で、特に短距離で威力を発揮する。なるべく早くというザンの要望なので、日の出から日の入りまで徹底的に鍛え上げる。そのくらいやれば早くて一週間で覚える事ができるであろう。そこからは対人訓練だ。技の一つ一つを分解し、攻防それぞれに別れ実際にその技を使ってみる。何か質問はないか」


「あのー」

「なんだ?」

「その套路はとても猛々しく、華麗な技の数々ですが、本当に実戦で通用するんですか?」

 いかにも腕に覚えありという風な古参の生徒ゾウが歯向かって来る。


「仕方ない。第十七手のこの技、右手を額の位置に上げ左手を掌にして前に出す型。これを実戦で使って見せてやる。どこからでもかかってこい」


「では参ります」


 フェイロンは虎拳の構えを取る。ゾウは義和門拳の構えだ。男が踏み込んで右、左と連打を繰り出すもフェイロンは顔で避けるだけでかすりもしない。もう一度右の拳がフェイロンに当たりそうになった瞬間、虎爪を捻りながら相手の右拳を上げ受けし、がら空きになった脇に左掌を叩き込む。男は後ろにぶっ倒れてしまった。少しだけ拍手が鳴った。


 立ち上がり構え直すゾウ。今度は左前蹴り、右回し蹴りの連続技だ。フェイロンは右手で前蹴りを払いながら相手の懐に飛び込むと、回し蹴りを左掌で受け、重心が崩れたところに軽く胸を押す。男はまたどうっと倒れる。


 まだ行く。今度は左の手刀をうちながら右膝蹴りを食らわそうとするが、フェイロンは易々と手刀をあげ受けで制して膝蹴りは体裁きで避け、また右手の下の肋骨を掌で叩き上げる。


「ま、参りました」

 ゾウが降参し頭を下げる。


 同じ型でも違う使い方ができることを示したのだ。皆が盛大な拍手を送る。


 このような高等技術はフェイロンにしかできない。三つの頃から父親に厳しく拳術を叩きこまれた賜物である。フェイロンがいくら泣いても父親は容赦はしなかった。当時は辛かったが、今では感謝をしている。


「もう一つお聞きしたいのですが」

 今度は別の男がフェイロンに尋ねる。


「なんだ?」

「練習中に途中で休んだりしてもいいんですか」

「おう、それは構わないぜ。いつ練習に参加するのも自由、早退するのも自由だ。ただし覚えるのが遅くなるだけだがな」

 ほっとする生徒達。


「さてまずは五班に別れるんだ。俺とハオユー、ウンランにリーにジァンがそれぞれついて教える。さあ早くするんだ」


 生徒達はあたふたと五班に別れた。問答無用で最初の呼吸を整える第一手から始まった。


 そこへハオユーが、フェイロンに歩みよりひそひそと話す。

「兄さん、ジァンの班にいるあのデカい男、どこかで見たことないか」

「デカい男なら探せばどこにだっているぞ。ま、確かに言われて見ればどこかで見たような……」

「俺は見たことがある。だがどこで見たのかが思い出せないんだ。おーいウンラン!」


 ウンランがニコニコしながらやってきた。

「ウンラン、あのデカい男を見たことないか?」

 ウンランが目をほそめる。

「さあー。俺はちっちゃいから大きな男の顔なんかハナから覚えないんですよね。ハオユー兄ぃ、そんなに気になるんですか。なんなら呼んで来ましょうか」


 ハオユーは腕を組ながら頭をぐるぐる回していた。何かが起こりそうで危うい気持ちになったが、「ああ、そうしてくれ」とウンランに言った。


 ウンランが男の元へ走り、何かを告げている。


 果たして男の正体とは……

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