第8話

「ハァ……ハァ、よっ、よっしゃ……やっと取り返したぞ」

「ハァ……ハァ、全く何て諦めが悪いのですか……。もうここまでやったのですから私ので良いじゃないですか」



 もうどのくらい押し合ったのだろう、俺はやっとの思いで取り返した魔導書を大事に抱え、自分の鞄の中に仕舞った。

 リゼの抵抗は凄まじいもので、何度も俺の腹を蹴ろうとしてきた。一度当たったが、内臓が潰れたと思うほどに痛かった。てか体が少し浮いてたはず。

 お互いに息を切らし、体はすでに満身創痍に到っている。寝たい、もう今日はこのまま寝たい。


「良いですか柳田さん、これで終わったと思わないで下さいよ!」

「なぁお前はホントに何が目的なの? 感情の赴くままに生きるのは構わないがちょっと赴き過ぎじゃない?」


 そのせいで無駄に時間が経った。こんな事している間に、一体どれだけこの世界の情報が得られた事か。

 まぁ騒がしさに拍車をかけたあのは俺かも知れないが、そこは置いておこう。

 俺が一体どこまで聞いたかを思い出していると、リゼは荒い息のまま、俺の魔導書を入れようとしていたトランクを開けた。

 何をするのかと思うとリゼは新聞の切り抜きを飛び出して、俺に突きつけてきた。


「柳田さん、見てくださいよ。私は新聞に載るほど有名なんですから。私、有名人ですよ!」

「だから何だよ。あとこれ何て書いてあるの? 全くとして読めないのだが……」


 新聞には、豪華なドレスを着た巨大な鎌を持つ骸骨が血塗れの死体に立つ絵と、それを説明しているらしき文字が書かれていた。

 新聞に書かれている文字はアルファベッでなく、当然ながら日本語でもない。何か似ている文字が思い付くかと思ったが、これに似た文字を俺は知らない。 

 ってか何で会話が出来てるのに文字は読めないのか。深く突っ込むと面倒な事になりそうだからこれも一旦置いておこう。


「あら、文字は読めませんでしたか。なら私が読みますね」

「いや別に読んでくれなくて良いけど……、この国ってあまり識字率高くない感じ?」

「基本的に学校へ行ける人は限られますからね。私も学校には行ってませんけど、たまたま近くに文字が読める人がいので教わりました。あと見出しだけは読みます、ここが私のお気に入りですから」


 なるほどね、近所のオッチャンとかが教えるシステムなのか。案外それの方がご近所で顔合わせも出来るし、自ずと信頼関係が築けるのかも知れない。

 あとそんなに言いたいのならもう言えば良い。


「良いですか柳田さん。ここにはですね『貴族邸の警備兵多数死傷。また残虐姫の仕業か』って書いてあるのですよ。そしてこの残虐姫とは、まさに私の事なのです!」


 疲れていながら、どや顔で新聞を片手にふんぞり返ろうとしている。残虐姫ね、つまりこの骸骨の絵はイメージ的なものか。

 うん残虐姫、そんな名前が付いている程に活動しているのか。なるほどね。


「ちなみに懸賞金は?」

「金貨三百枚です。どうですか? これを聞いたら譲りたくなってきましたでしょ」


 譲りたくなる気持ちは全くとして湧かないが金貨三百枚か。えっと確か、金貨一つで五千円ほどだったから、三百枚だと……。


 俺は日本円に換算して、一回疑う。


 そうだ、今は電卓もないからきっと計算を間違えたのだろう。別にややこしい式ではないがもう一度落ち着いて考えよう。

 まず金貨一つで五千円、二枚で一万だ。で、三百を二で割ったら百五十。つまり一万が百五十だから――


「あの柳田さん? 急に目がギラついているのですが、まさか売ろうなんて考えてませんよね? さすがにそれは許しませんよ、殺しますよ?」

「いいや別に、何も今すぐ売ろうだなんて考えていないよ。株を知ってるか? こういうのは売り時が肝心なんだよ、下手に売ったら逆に損をする」

「つまりは今は売り時じゃないだけと」

「そうだ、しばらくは売るつもりなど全くない。売り時になったら売るからな!」


 俺が明るくそれを語ると、お互い何がツボに入ったのか「アハハハ!」と大声で笑い合った。


「全くもー、柳田さんたら冗談が過ぎますよ。もしホントだったらトマホーク投げてる所ですからね」

「何を言ってんだよリゼ。俺が冗談を言うのは相手をバカにする時か、気分が乗って他人を虚仮こけにする時だけだからな!」

「なるほどー、そうですか。アハハハ、ハァッ!」


 小型の斧が、回転しながら俺の顔目掛けて飛んでくる。

 全身の毛穴がヒュッと縮み上がる感触を味わいながら、間一髪、俺の髪を少し持っていきながらも斧は壁へと突き刺さり、辺りを血で汚す事はなかった。


「あら、体力は無いですけど反射神経はあるのですね」

「『あるのですね』じゃないだろ! 何マジで斧投げてんの!? 今のは本気で死ぬと思ったからな」

「斧じゃないですー、トマホークですー! それに投げるって言いましたしー、手加減もしましたー!」


 俺をおちょくる様に語尾を伸ばして、文句を受け流そうとしてくる。もしかして拗ねてんの? 魔導書が貰えなかったから拗ねてんの?

 それともマジで俺に売られるとでも思ったこだろうか。

 今売ったら間違いなく危険な上に、大金が入っても戸籍なんて無い俺がどうやって暮らしていくつもりだ。

 何より今俺は追われている身。賞金こそ無いにしろ、立場はリゼと対して変わらない。さすがの俺も、そこまで目先の事しか考えない馬鹿ではない。

 あと関係ないが、トマホークも斧も一緒だと思うのだけど違うのか? 武器についての斧がなんて詳しく調べてねぇから分からん。

 最初こそマジで投げてきたかと思ったが、ヘラヘラとおちょくる態度を見るに、冗談で投げてきたかに思える。

 俺が冗談を言ったから冗談で返したつもりなのか? もしこれが冗談なら命が幾つあっても足りなくなる。……やっぱりどこかのタイミングで売った方が良いのか?

 俺がもし売るとするならどの様にするかを想像していると、ちょっと気になる事が出てきた。俺はあの新聞の文字を一つとして理解する事は出来なかった。ならリゼは、あの日本語で書かれた魔導書を読んでなぜ感嘆の息を漏らせたのだろうか。


「なぁリゼよ、お前はさっきの魔導書の文字を読む事が出来たのか?」

「いいえ、全く読めませんでしたよ? あれってどこの国の文字なのですか?」


 先ほど投げた斧を回収し、近くの椅子に掛けていた黒いコートの内側へと仕舞い込みながら、リゼは返事をする。

 あまりの出来事でどこから取り出したかなど気にならなかったが、そんな所に仕込んでいたとは。

 チラリとだが、兵士を吹き飛ばした鉈も見えた気がしたのだが、もしかして武器は全部コートの裏に隠してあるのか? だとしたら凄い重量だが。

 コートの細工に気が取られたが、話を戻さねば。確かリセが日本語を理解していなかった所からだな。


「文字が読めないのに何であれが凄い物だと分かった。言っとくが、俺もまだあれがどれだけの物かは理解できてないぜ。ほとんど使ってないからな」


 書いてある内容も読んだが、やっぱり実際に使ってみない限りはよく分からん。

 だいたいの雰囲気だけなら理解は出来る。だが実際に使うとどうなるかを知らなければ意味がない。


「別に読めなくたって理解できますよ。それにさっきも言いましたが、これの凄さは魔法陣です。平面式でこの複雑さは神器としか言いようがありません」

「あー、その平面式とか神器とかって何なの? 悪いが俺には魔法の知識なんて全く無いから……」

「神器をご存知ないと、今そう言いましたか!」


 またリゼは顔をグッと寄せて、食いぎみに近寄ってくる。

 その顔は信じられないものを見るように、哀れだと思うかのような顔をしている。神器を知らないのはそこまでのか?


「良いでしょう、教えて差し上げますよ! この世のロマン、美学の究極点、人類最大の叡知の結晶についてを!」

「いや良いわ、さっきから説明ばかりで俺も読者もそろそろ疲れてきてるから。また今度にしてくれ」

「なぜ聞かないのですか、聞いておいて! あと読者って誰の事を言っているのですか!」


 俺は両肩を持たれ前後に揺さぶられる。正直俺は酔いやすいからあまりされ過ぎると吐くぞ、貴様の口の中に。


「あっヤバい、マジでくる。ちょっと口開けろ」

「何が来るんですか? 待って下さい、顔色が悪いですよ。あと何で口を開けようとするのですか、待って、待って下さい!」


 不穏な何かを察して離れてくれたお陰でギリギリで踏み留まれた。危ない、かなりしんどかったぞ今のは。

 だが今の揺さぶりとここまでの展開が兼ね合い、段々と立っている事が憂鬱になってきた。

 俺は背中から倒れ込む様にしてベッドへ飛び込んだ。

 窓から覗ける風景は、太陽がさっきよりも傾いており。街を囲む壁の影が広がっている。


「ここの兵士は一軒一軒、宿を巡って探したりはしないよな?」

「さぁ? こんな事態に遭遇したのは初めてなのでどうとも言えませんが、ここは交通が盛んで宿も多いですし、そこまで探せる人もいないと思いますよ」


 その言葉を聞いて少し安心した。軽くでいいから今は寝たい。むしろ今まで頑張った方だ。

 出不精で乱雑な俺がここまで行動したのはいつ振りか。夜になる間までは寝て過ごしていたい。


「じゃあリゼよ。俺は仮眠を取るけどお前はどうするんだ」

「私も特に部屋を出る用はないですけど、暗くなる前に屋台で食べれる物でも買っておきましょうか?」

「なら頼む。だがあまり俺を一人で放置してくれるなよ、俺一人で戦う力はないからなー」

 俺は首から下げたネックレスを外すと、ゆっくりその目を閉じて眠りに就こうとする。






「…………寝てるから魔導書を盗めると思ったなら大間違いだからな」

「ッ! 別に盗ろうとしてませんから!」

「なら俺の鞄から手を離せ」


 全く、油断も隙もありゃしない。俺が目を閉じた瞬間に鞄へと手を伸ばした。これじゃあ落ち着いて眠れない。

 俺は寝る体勢に入った体を起こし、魔導書だけを取り出すと枕の下に敷いた。

 ちょっと違和感はあるが、別段そこまで迷惑ではない。

 俺が頑なに手放そうとしない姿を見て、リゼは少し顔を膨らませると、仕込みが入ったコートを羽織り部屋を後にした。

 しかしこれじゃ、いつ盗まれてもおかしくないな。どうにかして死守する方法を考えねばなるまい。

 ……が、それは後でいいだろう。今日は頭を働かせ過ぎた。労働基準法を遵守する俺は、頑張ってくれた脳を休ませる義務がある。

 静かに俺は目を閉じ、異世界という未知の状況であるにも関わらず、俺は図太く眠りに就いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クズの聖戦(改稿版) 坂口航 @K1a3r13f3b4h3k7d2k3d2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ