クズと残虐姫

第6話

 小学生の男子というのは色々妄想するものだ。

 車や電車に乗ってる時、外の風景を見て、建物の上を高速で走る人物を思い描いたり、授業中に何故か現れた侵略者を自分が無双したり何かを。

 その中で、町中を数人の男に追われる妄想をした者もいるだろう。あの道を曲がったら壁をよじ登って逃げるとか建物に隠れて見つかると窓から逃げるとか。

 まぁ何となく上手い事逃げ切れるだろと夢想して仕舞うものだ。だってそれは妄想、現実では無いからだ。


 ――だがこうして、その状況が現実となっている今、その考えがただの妄想の産物でしかない事を思い知らされる。


「すいません、噴水前の事件について聞きたいのですが――」

「おい何か掴んだか?」「いや全くだ。目撃者は居るが、顔や特徴を覚えてる奴はいない」


 俺は路地をブラブラしながら歩いていると、偶然大通りに繋がった場所に出てきた。

 そしてそこで見たのは、皮の鎧を着た男達が、噴水前で起きた事件について通行者に聞きまくっている光景だった。

 俺は暗がりに踵を返すと、大通りからは見えない場所で踞った。

 ヤベェ、想像以上に事件が大きくなってる! あの鎧の奴ら、もれなく全員つるぎを携帯してやがるし、まさか斬り捨て御免なんて事態も考えられる。

 ……それは侍か、いやヨーロッパでも有っただろ、貴族に歯向かった斬られる的な事が。だとしても分からん、ヨーロッパで斬り捨てが無かったとしても、ここではあるかも知れない!

 俺は今後どう逃げれるかを考える。

 まず俺の持っている情報、一つは国と街の名前。地理は知らない、言語も分からないが意思の疎通はできる。

 二つ目は通貨、流通しているのはビタエ。仮にパン一つが百円だとしたら、一ビタエは五円の価値があると考えられる。

 さっき計算した所は、銅は五十円、銀は五百円程で、きんはだいたい五千円。金なのに五千円しか無いのかと思ったが一旦スルーだ。

 それでさっき貰ったお金を数えた所、円に換算して八千円程度。まぁパンが百円だとしたらの話で、こっちのパンが本当に百円の価値なのかは知らない。小麦がどれだけ採れる何てのは分からないからな。

 だとしても八千円で宿と飯とを行うには、いささか問題がある。はっきり言うと足りてない。

 で追い打ちを掛ける様に、俺の知っている情報はここまでと言う事だ。

 ――うん、無理だこれ。たった一人でやって行くには無理過ぎるだろ。

 たださえ無理なのに、今は何故か追われる羽目になっている。居候するにも通報されたら即終わりだ。

 せめて好機が見えるまで、のらりくらりと時間稼ぎをしていかないと……


「おい急にどうしたんだ? そっちはただの路地だろ」

「そうだが、さっきここから見られた気がするんだよ」


 俺が離れようとした直後に、コツコツと足音を鳴らしながらこちらへと近付いてくる。

 誰か何て問う必要も無いだろう、この声は恐らくさっき話していた二人組の兵士だ。

 引き返すにもここは一本道。道が分かれていたのはもう少し先だ。

 どこまで来ている? ここで確認しようにも近過ぎたら顔を間違いなく見られる。そうなって困るのは俺だ。

 いや待てよ? そもそも俺は何をしたと言う、思い当たる節など当然だが存在していない。

 なら大人しくここは捕まった方が案外得じゃあ……


「気を付けろよ、もし犯人が居たら襲われるかも知れない。生きて捕縛しろと所長は言ってない、杞憂でも構えた方がいいぞ」

「あぁそうだな」


 スラリと、鉄と鉄とを擦り合わさる音が聞こえてくる。なるほど生きて捕縛ね、生きてればそれで良いと。

 俺はこの時の動きなら世界記録を更新すると確信できるスタートダッシュを決め、後ろを振り返らずに駆け出した。


「おい誰だ今のは!?」

「分からん! だが間違いなく俺達に気付いて逃げた。俺が追跡する、お前は増援を呼んで隊長に報告しろ!」


 金切らんばかりの笛の音が辺りに響き渡る。きてればそれで良いとは何事だ、そんな奴らに話し合いなどしてたまるか!

 さっきは不幸に思ったがここは複雑に重なりあった路地。挟み撃ちされる可能性は極めて低いはずだ。


「そこのお前止まるんだ! この警告を無視したならば、貴様を敵対者と見なし攻撃する」


 物騒な言葉が後ろから聞こえてくる。敵対者? お前らが勝手にそう思ってるだけだろ。俺は敵対するという面倒な事はしない主義だ。

 だがいくら俺が敵対しませんと言っても、相手は必ず疑うだろう。話し合いなど不可能だ、というよりこんな奴らとは俺がしたくない。

 だがそうも言ってられなくなってきた。

 最初こそ離れていた距離だが、徐々に詰まってきている。向こうは兵士、それなりに鍛えているからだろう。

 対して俺はついこの間まで生活しかしていない人間だ。体力の差など雲泥どころか、水星から海王星くらい差がある。

 曲がり角を使い、何とか引き延ばす事は出来たがやがて限界を迎えた。

 兵士が伸ばした指が、俺の荷物に引っ掛かり互いにバランスを崩す。二人して前方に転がるも、俺は荷物があるせいで上手く受け身が取れなかった。

 片や兵士は、手慣れた様子で受け身を取るとすぐさま立ち上がり、崩れた俺の上へと覆い被さる。

 大人の体重を背中に乗せられ、俺は軽く嗚咽を漏らした。が、兵士にそんな事は関係ない。

 俺を素早く抑えると首近くにショートソードを地面に突き刺した。


「動くな! 今から貴様を『魔法取締規定違反』及び『国家反逆罪』の疑いで連行する! 他の者が来るまでは抑えさせてもらい、拒否権は無いと思え!」


 こんなに近くにいるのだ、んな大声を出さなくとも聞こえてくる。むしろ耳元で叫ばれたせいで、キーンと耳鳴りがしてくる。

 この状況はまさに絶体絶命、これからの俺の命がどうなるか決まる分岐点だろう。

 だと言うのに、俺の頭は以外にも冷静だった。魔導書を今から使う方法は無いか、ブレザーに仕舞ったナイフを取り出せ無いかを冷静に考えた。

 しかし無理だ、魔導書は鞄の中に入っている。ナイフも地面に抑え付けられてる今取り出す事は不可能だ。

 考えれば考える程、と言うのが分かってくる。これから何が起きるのか、覚悟しなければならないようだ。

 そう思う事で更に落ち着いた。これからどう話せば良いか、どう時間を稼げれるのか、ボチボチと考えていた。

 いくらさっきのチンピラ供の対処は出来たとしても、日々の鍛練を怠らない様なプロには、小手先だけの俺の技術は通用しそうにない。

 冷静に考察する俺とは逆に、兵士の息は荒くなり、抑える力も徐々に強くなってきている。俺がもう抵抗する気が無いのも分かっていない様子だ。

 まぁあっちからしたら、俺はテロリストかも知れない容疑者な訳で、落ち着く事なんて無理か。

 張り詰めた兵士の神経は、この誰もいないはずの路地をピリつかせた。この空気の中に入るのはかなり気まずいだろう、そう思った。

 やがて俺達以外の音が聞こえてくる。とうとう増援が来たか、両方がそう思った。

 だがそれは違った、何故なら音が一つしかない。それも走る時に剣がカチャカチャ鳴る音も聞こえてこない。


 そして極めつけは――


「あらあら凄い事になってますね。兵士が青年を組み伏せている、かなりアレな光景にも見えますわよ」


 ――この空気には相応しくない軽口を、と落ち着いた女性の声が暗い路地に響いた事だった。


「貴様、どこかへ行け! それ以上近くに寄れば、貴様も協力者の疑いで連行する事に……」

「あー、貴方には特に用は無いので話しさなくていいですよ。それよりも話しがあるのは下にいる方の方ですから」

 

 緊張感を台無しにする態度は、俺や兵士の頭を混乱させるには十分過ぎるものであった。

 俺に用だと……、一体どんな奴が来ているのか見たいが、かなり頑丈に抑えられている。首を動かす事もままなっていない。

 誰だ? 全く分からない、それにまだ俺は誰にも名前すら言っていないのだが。


「あのー、聞こえてますか。そこで寝そべっているお方? 貴方がテロリストで間違いないですよねー?」

「おい、いい加減にしろ! これ以上余計な事をするのならいくら小娘だとしても承知しなッ」


 兵士の許容度が遂に限界を向かえ大声で怒鳴り声を上げた瞬間、俺の体に掛かっていた負荷がどこかへと消えてしまった。

 背後で何かが転がる音が聞こえたが、そこまでは無音、一切として大きな音は聞こえてこなかった。

 ゆっくりと頭を前に向けると、そこには一人の女性、というにはまだ早い、俺と同い年位な見た目の少女が立っていた。

 黒色の長い髪を下の方で一つに結んでいる。ゴシックなロングスカートにブラウス、そしてコートも真っ黒で、赤のラインが所々に入っている。

 そんな全身ほとんど黒の少女だが、目は一際赤、いや紅いと言った方が適切な目をしており、それが純粋なるコンタクトなどではないと分かる紅さだった。

 顔も幼く、一見可愛らしいとも思えるのだが……、彼女は鉈のような刃物を地面に刺して、それに背中を預けているのだ。


「どうも初めまして、貴方がテロリストさんで間違いないですよね?」

「そんな事になってるらしいのだけど……、その前に話さないといけない事が君にはあるよね?」


 彼女はそれを聞くと、忘れていた事を思い出した言わんばかりにポンと手を叩いた。

 

「そうでした、まずは自己紹介が先でしたよね。私の名前はリーゼル・ゼスタニア、気軽にリゼと呼んで下さい」

「そうか、リゼさんね。確かに自己紹介も大事だけど、それよりアチラのお方がどうしてお吹き飛びになられたのか、教えて貰っても良いかな?」


 気付いたのかと思ったら、全く見当違いな解釈をしていて驚いた。リゼとやらは俺が言って、ようやく気が付いた様子だった。


「別に大した事はしてませんよ、ただこれで打ち飛ばしただけです。こうパーン! って」


 そう話しながら、地面に刺さった鉈を引き抜くと、その場でブンブン振り回す。はっきり言って危ないから止めて欲しいし、よくその体躯で振り回せるものとも感心する。

 しかし助走も無しに、鍛えている男を吹き飛ばしたのなら納得は出来るのか? だが距離はそこそこ離れていたはずだが、どうやって音を立てずに近づいた?


 ――そして何より、なぜ俺に用があるのか。


「なぁアンタ、一体俺にどんな用が……」

「こっちだ! この道で怪しい奴を追って、確保してくれているはずだ! 早く追い付くぞ!」


 俺が根掘り葉掘り聞こうとした直後に、遠方から男の声と、無数の足音がこの路地に響き渡ってきた。

 しまった、もう援軍がやってきたのか。予想より早い上に、かなりの人数が来ているはず。どうする、どうやって切り抜ける。

 俺が逃げる為に思索を巡らしていると、スッとリゼは俺の腕を掴んだ。


「逃げているのですよね、テロリストさん。なら私が案内しますよ、ここから脱出する方法を」


 その自信と好奇心に満ち溢れた目を見て考える。この女が信用できるかは置いたとして、この手を振りほどいて逃げれる策はあるのか。

 間違いなくだが、俺よりもそっちの方が強い。俺なんてのは手も足もでないだろう。

 ならこの状況で最も有意義な選択肢は、間違いなく一つしかないだろう。


「リゼ、それなら案内を頼む。あと俺の名前はテロリストじゃねぇ。柳田だ、柳田形而それが俺の名前だ」


 これが今出来うる最適解だと信じたい。一体何の目的か、相手がどういう腹積もりで動いているのか分からない今、協力するのは不安が残る。

 だがとにかく、今を生きる為には必要な決断だ。例え不安が有っても、それを確信する事が俺には出きる。


「ヤナギダ……柳田さんですね、分かりました。それでは、いち早く危機を脱する為に急ぎましょうか!」

 

 俺の手を引っ張る彼女の顔は、恐ろしい程に無邪気で楽しそうにしている。いま逃げているのが兵士で、下手すれば自分の身が危険に達する可能性がある事などまるで考えていない様だ。

 マジで分からない、リゼが何を考えているのかが全く分からない。


 だが、一つだけ彼女について分かった事はある。


「リゼ! あんま強く引っ張らないでくれ! 抜ける、このままだと腕が抜けるからスピードをもっと落としてくれ!」

「何を言ってるのですか柳田さん! そんな悠長な事を言っていたら追い付かれるますよ! ここはスピードを落とさずに突っ切りますからね!」



 ――ただ一つ分かった事、それは力加減が全く出来ない娘であると、それだけは理解出来た。

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