第4話

 ――時空転移



 その一文に、俺はあの男が語っていた選択肢の話を思い出した。善行をするか悪行をするかの選択肢の中で、急に関係ない様な言葉をポツリと。


『これに載っている魔法を使い別世界に行く』と、確かにそう言っていたのだ。



 別世界、別世界? つまりこの現世から外れる事が出来る訳なのか……!

 その思考に落ち着いた時に、俺の中で消え失せていた熱が再び暖かみを取り戻しているのを理解できた。

 友人なんて者は居らず、家族と話す事も無くなった今、この世界で生活する意味なんてあるのか? 

 期待も無い、目標も無いのに、分かりきった内容を、朝早くに起きて聞きに行く事なんて必要あるのか?


 ――一体もうこの世界で、未来に思いを馳せる必要性が、どこに存在しているんだ?


 その時の俺は、台風が過ぎ去った青空の様に頭が冴え渡り、とても冷静だった。決して気分が高揚しての譫言うわごとではない。気が動転したからでもない。

 冷静にこれまでの半生を振り返り、そこからこの先の将来を視野にいれて考えた結果だ。


 ――この世界を捨てる。そして別の世界へと足を踏み入れる。


 そこまで辿り着くて俺はすぐに何をすべきかを考える。必要な物を揃えなければならないが、そこまで多くはいらないだろう。

 まずは鞄だ、出来るだけ大きい方が良いな。だとしたら修学旅行に使ったヤツが棚の奥にあるはずだ。

 俺は自室からリビングへ足を運ぶと、おもむろに棚の扉を横に滑らし中を漁った。

 奥の方にあると思っていたが割りと手前にあった。ホツレや虫に喰われてもいない、割りかし綺麗だ。これなら長い期間も使える気がする。

 さてとだ。こうして鞄は無事確保できたが、持って行く物は何がある?  

 非常食と水とは必須として、スマホ……は普段からそんな使わないし別にいっか。それに電波は間違いなく飛んでないだろうし。

 後は服と筆記具と、筆記具と……、ヒッキグト……。

 あれもしかして必要な物ってこれだけかな? 元より物を必要としない人間だなと思う節はあったけどこんな荷物少なくて大丈夫なのだろうか。鞄のスペース空きすぎてガバガバなんだけど。

 軽く一抹の不安を覚えたので、先駆者の意見を借りようと思ったが、異世界の行き方についてのハウトゥー本なんてのは、残念ながら存在しない。

 ここはもう自分を信じるしかない。荷物はこれで十分だと。

 そう信じて着々と準備を進めていく中、俺には妙な高揚感があった。どことなく懐かしい様な、昔の友人と話している時の様な熱が今確かにある。 

 だがちょっと浮かれ過ぎだ、少し冷静にならなければ。もし行けたとしても、準備不足で死んだら意味がない。


 ――ホント死ぬのだけは御免被りたいからね。


 大まかな荷物確認を終えた。あの後も必要な物は他に無いか考えたが、はやり今ので十分だった。

 かなりスペースが空いてるせいで逆に背負い辛い気もするが、向こうでも何か手に入る事もあるだろう。なら空いていても問題はないな。

 再び自室に戻ると、リビングで拝借した物を手早く確認する。全てある事を把握すると、俺はベッドの上に置いてある魔導書を再び手に取る。

 今一度さっき見たページを読んでおきたかった。何せ最初に使おうとしている魔法が、次元をどうこうするヤツだ。失敗したらどんな目に会うか分かったもんじゃない。

 だが書いてある事はどうも抽象的である。その上に他に比べて圧倒的に内容が薄く、短い。


「どうも妙だよなー、ここだけ黒紙ってのもあるけど『時空を越える事ができる』とはなってるが、何処へとは書いていないし」


 もしやこの移動先はランダムなのか? 俺の頭の中では中世な異世界を思い描いていたが違う可能性も出てきた。

 もしかしたらサイバーパンク的な世界かも知れない。


 ――だが、まぁここよりはマシだろ。それにこの魔導書とやらを上手に活用できれば、大抵の世界で生きていけるだろう。

 例えばサイバーパンクの世界だとしたら、この非科学的な力を存分に発揮できるだろうし。

 王道の中世的ファンタジーなら、普通に強力であるだろうこの魔法群で生活はできるだろう。

 どちらにせよ、このおがりがあれば大抵は生きて行ける。最もこの載っている魔法を理解して使える様になってからの話だけどな。


 ……さてと、もうそろそろ準備は良いな。服は高校の制服にしておく。一応持ってる中でも一番高いし、ちゃんとしている。

 もう少し時期を見計らっても良いが、こういうのは思い立った時がベストだ。今すぐ事を起こした方が良い。


「じゃ、行くか」 


 俺は荷物を背負い立ち上がると、魔導書を例のページが開いたままの状態にして片手で持つ。

 やり方は分からんから色々試してみないといけない。あの男がどんな風に使っていたか、もっと観察しておけば良かったな。

 まぁ最初はシンプルで行こう。俺はなるべく高めに魔導書を揚げると、近所迷惑にならない程の声で単調に唱える。


「時空転移」


 シンと俺の声が静かに響き、ほんの少し静寂が広がったので、俺はある事を理解する事ができた。


 失敗だ、どうも方法が間違っていたらしい。


 何が違ったか、発音か? それとも魔導書の位置か、とにかく試せるものはしらみ潰しで試さなければ。

 次に試したのは発音、片言でしたり巻き舌で試したり、声のボリュームを調整したりもした。

 他には魔導書の位置もかなり気にした、床に置いたり距離を取ったり。一回逆さまにして持ったり等もした。

 そうした試行錯誤を繰り返してどれ程経ったのだろうか。ここまでしてどうなったか、簡潔に結果だけを言おう。


「発動しねぇ、全くとして動く気配が無いぜこれは」


 色々試しすぎたのと、夢中なあまり相当恥ずかしい動きをしたのもあり、俺は制服のままベッドに伏せていた。

 何だろ、一時のテンションに任せ過ぎると、この熱が冷めた時の羞恥は。かなり色々やったよ俺、これ以上何を求めるの俺に?

 何度も体をゴロゴロと転がしているとズボンのポケットに違和感を、というより何かが食い込んでくる痛みを感じている。

 とても痛い訳じゃないが地味に痛い。何か入れっぱなしにしていたのか、あまりよく覚えていないがポケットの中をまさぐった。

 すると指に何かが絡み付く、引き寄せる内に何か硬い物が繋がっている。それを感じた時に俺はついさっきの事を思い出した。

 そう言えば、あの時貰ったのは魔導書だけじゃなかったな。最後の方で雑に渡されたせいで忘れていたが、このネックレスも貰ってたんだ。

 何か餞別だとか言ってけど何に使えと思って渡したのか。あれか? どこかへ移動した時に質屋に入れて資金を得よとか、そんなつもりで渡したのだろうか。

 まぁ何にしても今この場に置いては必要無いか、この魔導書をどう発動するかそれが重力だ。

 そう思わなければならないのだが、ここまで出来ないでいると無理ではないかと言う気持ちが零れてくる。

 あの石が砕けたのはもしかしたら高度なトリックだったのではと思ってしまう。まぁだとしたら、どんなトリックだと聞かれたら分からないとしか言い様が無い訳だが……。

 俺は少し腰を上げてベッドに座り直すと、手に持った翡翠色のネックレスを隣に置き立ち上がる。

 もし次に試して駄目だったら、少なくとも今日は終わりにしておこう。明日からどうやったら出来るのかを考え始める。

 だが最後にやると言っても、今思い付く限りの事は全て試した。それにいつか出来るなら別に今で無くても良いとも思っている。

 なら初心に立ち返ると言う意味は全くとして無いが、最初みたいに淡々と唱えてみるとするか。

 片手で本を持ち、申し訳程度に反対の手を前に掲げてみる。


「時空転移」


 また数秒間、何か変化は起きないかを待つ。だが魔導書には何の変化はない。






 ――だがそれ以外の場所では変化が起きた。

 ベッドを後ろにして立っていたのだが、突然として背後から強烈な光が出現したあまりに、俺は反射で振り返った。

 何が光っていたのかと思うとネックレスだ、さっき俺が雑に置いたそのネックレスが光を放っていたのだ。

 理解はしなかった、だが直感で俺はネックレスを鷲掴み、目の前で翡翠の飾りをぶら下げる。

 すると翡翠は同色の光を直下に放ち、俺の足元を複雑に滑り始め、模様を描き出していく。

 そしてそれが何かを俺は知っていた。何せずっとこの模様が描かれていた印刷物を手に持っていたからだ。


「原因は分からんが急過ぎるだろ! すぐに発動しないで短時間でも待ってくれれば良いのによ!」


 慌てて荷物を入れた鞄を背負いながらボヤいている間に、地面に写った光は紋章を描き終えていた。

 ――そして、その紋章が一際さらに光ったと思うと、体は急速に浮遊感に襲われる。

 本当にドタバタした出発だよ、もっと上手い事運べなかったか疑問が残るがまぁ良い。


 それじゃ、去らばだ現世! 俺はここを離れ適当に暮らしていくから、お前らは堅苦しい人生を送って行くが良い!


 一気に事が進み出したので軽く焦ったが、しばらくすれば余裕も出て気分も昂ってくる。軽く優越感にも浸った。

 この後どうなるかは考えない、その時その時の風に任せて行けばなるようになる!

 その意気込みと共に、浮遊感は加速していき目が開けられない程に光度も上がってきた。

 俺は素直に目を閉じて、あるがままに起こっているこの状況に体を全て任せた。そして意識は徐々に遠のいていき……









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー










 ……一体どれだけの時間が経ったのだろうか。意識は徐々に戻り、まぶたは太陽の光を感じ、肌はほんのりと冷たい空気に触れた。


 ん、空気? それに太陽の光だと? 


 それはおかしい、今はもう昼過ぎで言ってる間に夜がくる。

 それにこの肌の感触、山や川の近くで感じる様な湿った物だ。だが家の近所には水辺と言える物はどこにもないし、部屋にマイナスイオンが出る空気清浄機なんて無い。

 そして背後から感じるこの水が跳ねる音……もしや噴水? この街の近くに噴水がある場所など知らない、それに沈むはずの太陽が再び昇っていると言う事は!

 勢いよくまぶたを開け、そこに広がる景色が目に入り込んでくる。

 石畳の道は日光を反射し、木組みの家々を下から輝かす。そしてここは木組みの家屋らにグルリと囲まれている。

 道は八方に伸び、それぞれの通りには違った趣がある。賑わう道、筋の様に光を通す道、閑散としている道。そして背後には感じた通りに噴水があった。

 この景色だけで、少なくとも日本では無い事が大いに分かる。しかし決定的に違うと言える場所は、あちらこちらに散らばった人々だろう。

 顔の骨格が違う、日本人特有の平面的なものではない。そして髪色がとても種類豊富で、赤や青、ピンクの色をしたのまでいる。

 自分でやっときながらアレだが、ここが改めて異世界であると思っても信じられない。明らかに今までいた光景と違っていてもだ。

 そんな事を考えて、辺りの風景を観察していたのだが、一つ妙な事に気が付いた。


 ……何か全員が俺の方に向いてないか? 


 よくよく感じれば空気も妙に張り詰めている。それに見てくる表情、これは好奇の視線じゃない。

 どう言うのが適切か迷ったが、これはアレだ。犯罪者とか、そういう類いの人間を時の顔だ。




「テロリストだァ!!」


 どこのどいつが言ったか、この広場全体にその声が響いた時、この場にいた俺以外の奴らが甲高い悲鳴を上げたり、他人押し退けたりしながら蜘蛛の子を散らす様に逃げ始めた。

 太陽が降り注ぐのどかな広場は一転、悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚へと変貌した。

 そして恐らく原因は俺。ならもうどうするかは簡単だ。


「あっ! あのテロリスト逃げ出したぞ!」

「早く、早く誰か騎士団を呼べー!」


 少しでも早くこの場から離れ、状況を確認するそれに限る。だからさっさと俺は逃げるんだよ!

 俺は八方に広がる道の中で、とりわけ人通りが少ない道を選び、駆け込んだのであった。

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