83
俺は段ボール箱をダイニングルームの床に残したまま、自分の部屋に戻り黒いボストンバッグを掴んだ。
アリッサムには出立は明日の午前中だと伝えたが、蒸気機関車の切符は今夜十九時発の夜行列車だ。
噓をついたのはアリッサムが万が一、俺を追って来ることを避けるためだった。
俺はそのまま別宅を出て、玄関ドアに鍵をかける。鍵は傘立ての下に隠した。
ジンジャーには全て話してある。
もしもアリッサムが暴走したとしても、ジンジャーが止めてくれるだろう。
――アリッサム……
これで本当にさよならだよ。
薔薇の樹木に囲まれた本宅に視線を向けた。
こんなにも胸を焦がす恋は、もう二度とない。
黒いボストンバッグを掴み、最寄り駅のある方角へと歩く。クラクションの音がして、振り返るとアダムスミス公爵家の車だった。
後部座席の窓が開き、ジンジャーが俺に声を掛けた。
「アスター、乗れよ。駅まで送るよ」
「アリッサムは?」
「アリッサムはコーネリアが世話をしてくれている。両親不在だからな。コーネリアは母親代わりのようなものだ」
「そうか。俺、アリッサムに酷いこと言ったんだ」
「わかってるよ。アリッサムのことを思って、明日出立すると話したんだろう。早く乗れよ」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
俺は車の後部座席に乗り込む。
――ごめんな、アリッサム。
ジンジャーに最寄り駅まで送ってもらい、駅前で別れた。何も語らなくても、ジンジャーは俺の気持ちを察してくれた。
蒸気機関車に乗り込み、夜の闇に沈む。だんだん遠ざかるセントマリアンジュの夜景を見つめた。
アリッサムとの楽しかった日々が、走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えた。
◇
―バレット王国 王都ローズ―
十二時間以上かけて、蒸気機関車は早朝バレット王国に到着した。
俺を出迎えてくれたのは、大学時代の先輩、アイビー・ウィルソンだ。彼女の父親は資産家で、王都ローズで多数の不動産を所有している富豪だ。
「アスター、お帰りなさい」
美人だが外見はボーイッシュで性格もサバサバしている。栗色のショートヘア。目鼻立ちは整い凛とした立ち姿。
女性なのに、パンツスーツを着用しているため青年実業家に見えなくもない。アリッサムが大人になったら、こんな女性に成長するのだろうと頼もしく思えた。
「アイビー先輩、すみません。色々無理を言って」
「いいのよ。嬉しかったわ。アスターが困った時に私を思い出してくれたなんて。想定外だったからね」
アイビーは学生時代と変わらない笑顔を俺に向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます