第3話   時代

 ドラッグストアから割引きお知らせのラインがきたので歩いて行ってきた。ついでに隣りのコンビニでお昼を買う。黒糖ロールパンとチキン一個。これを「ななキチ」と言った気がする。店員は「はい、ななチキ一個ですね」と表情も変えなかった。こういう年寄りはけっこういるのかもしれない。

 お昼はたっぷりのアイスカフェオレとチキンとロールパン二個。野菜が足りないなと思えば野菜ジュースを飲めばいいのである。いま冷蔵庫にはリンゴジュースしかなくそれは朝飲んだので残っていたスイカの切れ端を食べた。それから夫が「渡すの忘れた」というメモと共にテーブルに置いておいてくれたバウムクーヘンをデザートに食べる。ちなみに朝は食パン半分にきな粉クリーム、トマト(これも夫がスライスして半分お皿に入れておく)カマンベルチーズ一個。昼と同じたっぷりのアイスカフェオレ。食後にとうもろこし四分の一。少食なのかどうかは分からない。朝はあまり食べられない。でも体力がないので栄養のあるもの、たんぱく質もいつも意識している。食欲がないときはプロティンの飲料やバーも利用する。それなのに

夏風邪をひいたし、また喉が痛い。体調イマイチでもヒマ人なので安心だ。不調になると仕事や今後の予定を考えて焦っていた以前とは違う。


 最近、中島みゆきさんの「瞬きもせず」が聞きたくてユーチューブを探し、その流れで「中島みゆき歌詞考察ブログ」というのを見つけた。これがまた、素晴らしい分析力と文章力。ものすごく感銘してフォローする、というのをポチッとしておいた。すると翌日にはわたしのブログにフォロー返しをしていただいた。更新していないブログ。あれれと思い、何か書こうかと思ったが結局こちらを開いている。

 みゆきさんは圧倒的に好きな歌い手。一番最初に好きになったのは「冬を待つ季節」それから「タクシードライバー」をそのまま経験した。あの日、婚約したはずの人の家で相手の姉からひどい言葉で傷つけられた。夜、送って行くよといわれたのに断って一人で帰路に着いた。方向音痴のわたしはどこを歩いているのかサッパリ分からなくなり、何だか土手があったのでふらふらと上ったら真っ黒い荒川が流れていた。そう、正確にはあたりが真っ暗だった。どうにか通りに出たところでタクシーを拾った。ホッとしたのと投げつけられた言葉を思い出してポロポロと泣いているわたしを運転手さんは見てみぬふりをして、野球の話ばかり何度もくり返していた。どこまで行きますか?と聞かれたと思う。近くの駅までと小さな声で答えるわたしは22歳位だったろうか。どうにか駅に着き遠いところから電車を乗り継いで三鷹の自宅へ帰った。婚約したはずの彼の家庭は母子家庭で長男の彼は父親代わりらしく姉がシッカリと家を守っていたようだ。その姉から何故か折り鶴蘭の大きな鉢植えを持たされた。

 帰宅して母親にぽつぽつと辛かった話をした。母は「あんたよくそんな人から鉢植え貰ってきたね。途中で捨ててきちゃえば良かったのに」と言った。慰めの言葉は貰えなかったと思う。


3 

 今回の引越しで、当時のミニアルバムが出現した。物置から見つけたのは夫である。「すごい、ヤバイ写真でてきたよ」と大声でわたしを呼んだ。こんなもんフツーはとっておかないんだろう。でもとってあった。せっかく出てきたのでこどもたちに自慢した。何を自慢したかと言うと若い美男美女カップル(のつもり)でわたしがめいっぱいお洒落しているところ。もくろみどおり娘たちはキャーキャー騒いだ。「ママ、めちゃくちゃ可愛いー!」。相手は身長が185センチもあり、カッコよくて当時、一緒にいるのが嬉しかった。週刊誌の記者で、次に日刊紙の記者になった。

 その頃わたしは大学の新聞部の部長で「女子大生何とか事件」などがおきると

意見を求められたり、テレビのワイドショーに引っ張り出されたりしていた。

(その時の写真も出てきた)女子大生何とか事件というのは、女子大生がキャバクラでバイトをしていて何かの事件に巻き込まれたというやつだったと思う。なぜ東京の端の三流大学のわたしにあちこちから声がかかったのか?たぶん新聞研究会の交流で知り合った上智大の学生が顔が広くてその関係だったと思う。その人は頭脳明晰で話が面白かった。交流会にいってもわたしはほとんど喋らなかったはずだ。引っ込み思案で人見知り。聞き役に徹していた。その人が地下鉄の駅まで送ってくれたことがある。黙って隣りを歩くわたしに彼はこんなことを言った。「なんかさ、シャツの胸ポケットに入れておきたい感じだよね。気が向いたときだけかまってたまに指をかじられたりしてさ。」ちっちゃくなるといいよねみたいな話に笑った記憶がある。


4 

 記者の彼はわたしが朝のモーニングショーに出ているの見て電話してきた。当時の写真をみると女子大生は三人。あとの二人はワンピースにキラキラアクセ、ふんわり巻き髪、メイクバッチリ。わたしはひとりだけ田舎から出てきた娘のようにもさりしたマッシュルームカット、ニットにスカート。もちろんキラキラ感はゼロ。

 何が聞きたくて彼が電話してきたのか覚えていない。吉祥寺の喫茶店(古城だったかな、ルーエかな)で最初は取材ノートを広げていた。でもその頃「求められる答え」にうんざりしていた。うんざりしていると正直に言ってみたら彼はポイと鉛筆を投げ出した。そのあとは雑談で終わり、わたしたちは交際をスタートさせた。

 こうして思い出してかいてみると、彼とつき合い始めてわたしはどんどん女っぽくなっていったように思う。カッコイイ彼と歩くためにメイクも上手になりオシャレにも磨きをかけた。それまでは風変わりなスタイルを好む女子大生だった。

破れたジーンズも履いていたし、つきあっていた元彼の友達から貰った男物(小柄な人でサイズが同じだった)も身につけていた。赤い鼻緒の下駄で大学に行ったりもしていた。ぞろりと長いスカートも好きだった。そう、すべては元彼のかたわらにいるわたしなのだった。


 元彼(当時そういう表現はなかった、便利な言葉ができたもんだ)は、道端で手作りの詩集を売っている詩人だった。自らを「ふーてん」と言っていた。ギターを弾き歌も作って歌った。吉祥寺のぐぅわらん堂に出入りし、高田渡さんを慕っていた。彼から貰ったぐぅわらん堂の猫のマッチは大切にとってある。当時収集していた中でもそれはダントツにカッコイイマッチ箱だった。いまオークションにかけるとそれなりの価値があるらしい。

 その頃仲がよかった友達が手作りのアクセサリーを道端で売っていた。新宿の地下道にはそういう若者がたくさんいた。仲間意識がありちゃらんぽらんで自由だった。友達とマックのバーガーをかじりながら駅の通路を見に行く。見知らぬ男の子に「あ、いいな、それちょうだい」と言われて「これ?」とかじりかけのパンを差し出すと「ありがとう!」ととびつかれる。多くは地方から出てきてふらふらしている若者たちだったのだろう。わたしは東京生まれ、自宅から大学に通っているお嬢さんだった。同じようによれよれのジーパンをはいていてもそうなのだ。

 ある日、通路に「ポリ公がくる!」という伝達がもたらされた。駅で販売行為をする違法なヤカラを取り締まるためにシッカリ巡回していたのである。みんなサッと荷物をまとめて散り散りに逃げ去り、のろまなわたしは逃げ遅れて交番に連れて行かれた。手荷物を調べられれば学生証まで持っているマジメな女の子。警官は自宅に電話をし、たまたま電話口に出た兄が親に内緒でわたしを引き取ってくれた。

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