第2話   無為

  1

 こういう日々が訪れるということは全く想像できなかった。いつも不安と隣り合わせ。明日どうなるのか、展望はグレイのもやの中にあった。とにかく生きているから生きていくしかない。生きていくことはすなわち生活することでまず、お金が要る。だから働く。当たり前のこと。もしも経済的に恵まれた環境にあったらまた

べつの人生があっただろう。でもそんなことは考えてもどうにもならない。人は誰しも与えられた境遇の中で生きていく。

 いつも何かしら仕事をしてきた。頭痛がひどかったのでフルタイムで働く自信はなかった。とにかくできる範囲でお金を得なければならない。昨年末にマンションの管理人を辞めたあと人手不足でたまに手伝いには行くもののほぼ毎日フリーである。もう働かなくても生きていけるかもしれない、と気がついたときはビックリした。予測はできたはずなのに信じられなかった。今でもあまりピンとこない。


  2 

 働かなくてもよくてしかも毎日が全部自由時間、といわれたら狂喜乱舞してもいいようなものである。以前それは手の届かない夢だったと思う。じぶんにそういう僥倖が訪れるということは考えたこともなかった。でもそのときがきた。

 介護するべき親は亡く、看病するべき子どもは自立した。あれほど苦しんだじぶんの頭痛もぐんと減った。「若い頃からの夢だったからひとり暮らしがしたい」と

ドキドキしながら夫に言ってみたら「いいよ」と言ってくれた。

 夫は田舎暮らしの準備を始めた。嬉しそうである。一年だけわたしのマンションに同居する。わたしたちはどこから見ても仲のよい夫婦だと思う。休みは一緒に過ごす。喧嘩もしない。不満はそれぞれ持っているのだろうが表立ってあらわれない。たぶん何年も前に毎日言い合いをしてお互いに主張をして修正されたからだろう。


  3

 思いがけない毎日がやってきた。まる一日自由である。だけどまだ慣れないのか実感がないのか、それほど嬉しくない。ハッキリいって面白くない。予定がない日々はつまらない。好きなのは旅をすることとその計画をたてること。これはすごく楽しい。効率よく愉快な旅をする。計画をたてる。得意である。だけど限度がある。毎月どこかへいけるほど金銭的余裕があるわけじゃない。人の倍以上は出かけているかもしれないけど。

 読みたい本はたくさんある。毎日読む。もちろん読書の悦びは大きい。でも一日中読書三昧というのも、たまにだからいいのであって、毎日だと嬉しさも半減する。アホみたいに贅沢なぼやき、そうこんなことブログになんか書けやしない。

忙しい日があるから休日が嬉しいのである。まず目覚まし時計に起こされないのが嬉しい。今日は何しようと考えるのが嬉しい。ほんの少し前まではそうだった。

日々の生活に追われ必死に生きてきた結果なのだからいまは神様からのご褒美だと思う。今まで大変だったのだから今は存分にゆっくりすればいいよ、と彼も言ってくれる。


  4

 今日は予定がある。お通夜。この一報を貰ったとき「美容院に行っておいて良かった」とまず思った。無職の日々は怠惰にもなり、髪も中途半端に伸びてひとつに結んでいた。夏になったしシャンプーするとき短いほうがラクなので切ることにした。四月にここへ引っ越してくるまでは吉祥寺に行きつけの美容院があった。

会話も楽しく、彼女のメイクの勉強のために閉店後に行ったこともある。あの時

つけまつげというのを体験した。目はパッチリと大きくなり、その時の写真はけっこう気に入っている。

 吉祥寺まで行くのは容易い。でも何となく地元の美容院に行ってみた。女性スタッフのいる小さな店、と検索した。自分で染めてもいいけれどカラーも頼んだ。

吉祥寺の彼女はピンクの入った柔らかい茶色にしてくれていた。カットもパーマが残るようにふわふわと可愛らしく仕上げてくれた。

 今回はそうは行かなかったけれど、でも、これもよし。

お通夜に行くまで時間がある。何をしていたかというとネットショッピングをしようとずっとスマホを見ていた。驚くほど時間が過ぎた。こんなことをしていても時間は過ぎる。今までムダ、と嫌悪や反省にもなることだった。無為な時があっても今はいいのだと実感した。

 夏物バーゲンという言葉にひかれる。洋服は有り余り収納もギリギリ。今は買うときではなく捨てるとき、といつも思うのだけれど。850円というトップスが気に入ってしまった。ついでに他のも見る。花柄のかわいいブラウスを見つけた。おや?あと1500円位買うと送料がタダになるのか・・・。必要なものなんかあったっけ?そうだ、下着だ!というわけで瞬く間に時間が過ぎた。

 軽失禁対応パンティなんていうのをいつの間にかじっくりみている自分が哀しい。結局、たった一枚、最初に気に入ったトップスだけを送料プラスで購入。

余計なモノをカゴに入れなかったじぶんに満足している。


5

  読み返してみたら定年退職してポッカリ暇になったおじさんみたいだと思った。

定年後の男性に必要なものはきょういくときょうよう、と新聞のコラムで読んだことがある。教育と教養ではない。「今日、行くところがある」「今日、用事がある」の行くと用だ。これをいま実感しつつある。専業主婦で家事をしていた女性は

一日をうまく組み立てることができるのだろうか。

家事が好きではないじぶんは「パート勤め」を口実にサボりっぱなしだった。うちの中は雑然としてあちこち汚れていた。病児がいる、老親がいる、確かに毎日は目まぐるしく過ぎていった。

 夫婦だけの暮らしとなり、壮絶な片付けをして家を手放し中古のマンションに引っ越してきた。賃貸だけれど全部じぶんで支払う。引っ越したときの喜びが大きく今度こそ部屋をきれいにしようと思う。時間があるので案外できる。ちょっとずつすればそれほど汚れない。

 引っ越して時間ができたら毎日散歩しようと思っていた。歩くのは好きだ。でも意外に部屋から出ない。用事があれば歩きやバスやチャリで出かけるけれど、なにもなければ化粧もせずずっとうちにいる。録画しておいた映画をみたりもするが、

たいていは無為に過ごしている。スマホのゲームは欠かさない。仲間たちもいたのにどんどん先に進んでキャンデイクラッシュはもうレベル2500までいった。

パソコンでスパイダソリティアもする。スマホ、パソコン、読書、何か書く、

大体これがメイン。たまにテレビをみる。ドキュメンタリが好きだ。

 去年まではジムに行っていた。引越しでやめたので今は週に一回のヨガだけ。運動不足はマズイと思う。膝痛もある。動けるシニアにならないといけない。マシンでも買おうかなと思ってる。また外出しなくなるね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る