名前をあててよ

彩 ともや

名前をあててよ

その日は、胸が苦しいくらい辛くて、入った本屋で時間をつぶしていた。

母親の長い嫌味も、祖父の癇癪も、全てが嫌で。

逃げたしたくて。

(ど、どうしよう…)

目の前に置いてある機械相手に固まる。

セルフレジの使い方をしらない。

「よろしければご案内しますよ」

そのとき丁寧に対応してくれた男性店員さんが、とても優しくて。

私の心を軽くしてくれた店員さんに。

私は恋に落ちた。


高校の図書室。

(あ…か…さ……あれ?)

探している本が見つからない。

それだけでなんだか不安になるのは、きっとテストの点数が悪かったから。

「川崎さん。これ、ですか?」

差し出されたのは探していた物語。

「…あ…」

「え?」

お礼も忘れて固まったのは、その男子生徒が、昨日の店員さんだったから。

「昨日の…店員さん」

「ああ。そう言えば、会ったね。」

手渡された本を受け取るときに少しだけ触れた指先が、熱い、なんて。

本当に勘弁してほしい。

「ありがとうございました。昨日は助かりました。」

目を見て話したいけれど、首は硬直して動かないのだ。

私よりも背が高いから、目を合わせるのには、こちらが動かなくちゃいけないなんて。

今はハードルが高すぎて。

「店員だから当然でしょ。また店に来なよ。安くするよ?」

軽くウィンクしてみせる彼の名前を、私は知らない。

同級生だってことは知ってるけれど。

それだけ、なのだ。

「ふふ。安くって、出来るんですか?」

「さぁ?まぁ、なんとでもなるよ」

笑って見せる彼の顔をちらりと見る。

色白で、短髪。

右の耳に絆創膏を貼っている。

何故だろう?

「その本、借りるんでしょ?貸し出しやるよ。」

カウンターで、コードを読み取る。

その手さばきは慣れていて、少し感心。

「はい。どーぞ」

「ありがとう…ございます」

本の表紙を見つめる私の頭に声が降ってきた。

「また、お店でね。希里」

呼び捨てにされたのは初めてで。

名前、知ってたんだ?って。

そう聞きたいのもあったけれど、それよりも、大きく跳ねる心臓に胸が痛くてたまらなかった。


「えっと…こんにちは」

「うわ!ビックリした」

本の整理をしていた彼に声をかけた。

「希里、いらっしゃい」

また、名前を呼ばれてドキドキした。

こんな感じで過ごしていたら、心臓が鍛えられそうだけど。

小さな本屋に客はいない。

見渡す限り本の群れ。

店員さんも彼以外見当たらない。

「もう、驚いたよ。名前、呼んでくれたら良かったのに。」

「あ、えっと…」

だって、知らないから。

私は友だちなんていないし。

クラスの人の名前も知らない。

回りに興味を持てないから。

名前なんて、と思ってしまう。

でも。

彼の名前は知っておきたかったな、って今後悔。

「…俺の名前、知らない?」

背筋が凍る。

嫌われただろうか?

「…えっと…」

思い出そうと頭をフル回転。

クラスの人達が話していたかも。

斎藤だとか、楠だとか、進一だとか。

「…なら、ゲームをしよう」

「…え?」

「俺の名前を当てられたら、希里の勝ち。何でも1つ、願いを聞くよ。」

ピンと立てた人差し指を唇の前につける。

それなら、簡単。

だって、学校の人達の会話とか、出席簿とか見れば…

そこで、私は恐ろしい現実に気がつく。

「うん、夏休みだよ。クラスの人達はいないし、出席簿もない。どーする?」

笑う彼は、この事をすでに知っていて、それで勝負を仕掛けてきたんだ。

…勝ち目が無くないか?

開いていた図書室も、明日からは閉まるはず。

たしか、先生が旅行に行くとか。

よりによってと思ったけれど、どうしようもないのだ。

「…ヒント」

「え?」

「ヒントを、下さい!」

すると、彼はクスクスと笑った。

「ヒントは、もう希里の手の中」

そして、するりと私の髪に手を滑らせた。

「俺が勝ったら、希里にも1つ、言うこと聞いてもらうからね?」

窓ガラスから差し込む夕日が、彼の横顔を照らし出す。

陰影をつけて笑う彼は、少し悪役が似合うかもしれない。

ドキッとして、思わず後ろにさがると、本棚に背中があたった。

「希里」

近づいてくる彼の目が視線を絡めてくるから。

ドキドキして仕方がないのに、目をそらせないんだ。

彼はそっと、私の顔の横に手をついた。

店員なのに、売り物の本が並んだ本棚に手をついて良いのか、なんて、背中をつけた私が言う資格ないけれど…

良いのか?

「…っ、えっと…」

近づいてくる彼の顔。

頭が真っ白になる。

ドサドサドサ!!

次の瞬間、何かが落ちる音がした。

本屋だから、本なんだろうけど。

「大丈夫?」

そこでやっと、彼が私を庇ってくれたんだって、気づいた。

「私は…なんともない…です」

でも…

「そっか。良かった」

ほっとしたような顔が、アップで私の目に映し出されて…

「希里?」

私は彼の胸に体を預けた。

心臓の音と、体温。

人肌のぬくもりと、夕日の熱。

私の好きな物語に、こんなシーンがあったのだ。

ヒロインの女の子が、男の子にこうやって、もたれかかる。

そこで、私は気づいた。

ああ、そうか…

確かに、ヒントは、私の手の中。

昼に、私の手の中にあった本。

それがヒント。

そして

「ありがとう。翔貴くん」

これが、答え。

彼は少しだけ驚いたような顔をして、そのあと笑った。

「あーあ。正解。これ、俺が勝つかな?って思ったのになー」

悔しそうな口調がおかしくて。

落ちた本を拾うために座るとき、隠れて笑った。

「…いーよ。希里の勝ちだから。なにしてほしいの?」

本を元の位置に戻しながら、彼が聞いてきた。

「…えっと…」

きっと、こんなチャンスないんだ。

この先、きっと。

なら、今言うべきじゃないか?

「…好きです。私と付き合ってくれませんか?」

真っ赤な顔はきっと夕日の熱のせい。

彼の顔が綻んだのはーーーー

「うん。俺も、おんなじ願いを言うつもりだった」

私達の想いが同じだったせい。


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