第7話 番外編 nemyss
青く長い髪が肌寒い風に流されていく。
誰もいない屋上に独り佇みながらぼんやりとビルの谷間の風景を見ていた女性はため息をついた。
両手で錆びた金属の手すりを持ちながら一度体を後ろに反らせると、今度は両腕を組んで手すりに置き自分の体重を乗せた。
眼下に広がる都会の風景はいつもと変わらない人の多さと喧騒のみだった。
その喧騒に紛れたまま、自分のため息とこの嫌な感情を捨ててしまいたかった。
彼女は呼吸と同じくらいにまで抑えた小さなため息をまたついた。
「随分な落ち込みようね。ジェディ」
「!」
ビクッとして声のした方へ顔を向けた。
声を掛けたのは茜だった。
非常階段と屋上を仕切るドアの前に立っていた。茜とジェディの距離は20mといったところだろうか。
誰もいない、誰も来ないと思ってこの場所に彼女が姿を見せたのでジェディは非常に驚いた。
「茜…さん」
「そっちに行ってもいい?」
「『いい』って言わなくても、来るでしょう?」
「それもそうね」
両手を上に向け、肩をすくめた。そして、ゆっくりとジェディのいる方へ近づいて行った。
ジェディは顔を見られたくないのかさっきと同じポーズで眼下を眺めた。
茜はジェディに近づきすぎず遠くでもない絶妙な位置に立ち、同じように彼女の見守る眼下に目を向けた。
普段はおしゃべりの茜も口をつぐんだ。
ため息の意味を知る茜はジェディが自分の口で話し出すのを待っていた。
そんな沈黙がしばらく続いていた。
「よくここがわかったわね。ここの鍵は私と伊達さんしか持ってないから、バレないと思っていたのに」
「会合の途中で姿が見えなくなったからちょっと気になってね」
「ドアにも鍵を掛けてたはずよ」
「それは、ノーコメント」
神秘蔵アヌビスのメンバーはみな特殊能力を持っている。
茜はルーンと魔法鏡を用いた霊視能力だ。サイコキノではなかったはずだ。
いずれにしても、「なぜ」の部分を追及しても無駄なことはわかっていた。
今、この建物の地下にあるCoph Niaではあの事件の後の打ち上げという名の会合の真っ最中なのだから。
ジェディはふっとある人物の顔が浮かんだ。
「…真壁さんに言われて来たの?」
「まさかっ!」
茜は真顔でそれを否定した。そんなわけがない。
そんな無神経なことを彼は言わないし、頼みもしないはずだ。
ジェディもそれはわかっていた。
「私が勝手に来たのよ。だって
(わかっているわ。だからここに来たのよ…)と茜の問いに心の中で返事をした。
わかっている。
そう…、わかっている。
自分が『過去』に囚われていることも。
今回の首謀者に対する自分の思いも。
今回の事件で巻き添えにされた女性たちのことも。その気持ちも。
かつての自分が抱いて想いと同じだったということも。
そして彼の妹という存在に対しても。
「なんであんな
「それはみんな同じ思いだと思うよ。アヌビスのメンバーはね。きっと真壁さんも同じことを言うんじゃない?あ、理性的な真壁さんは思っていても言わないか」
深刻な雰囲気にならないように茜は軽口をたたいた。
ジェディが何に苦しんでいるか知っているからだ。
「今になって思えば性格破綻者で、よくアヌビスに居たなあって思うけど。あの当時は、あの理知的な叶夢の雰囲気にみんな飲まれてたしね。彼の話すことは理論の裏付けがあったから、正論に聞こえて、誰も太刀打ちできなかったわけだし。真壁さんもいい迷惑よねw 当時は大親友だと思っていたんでしょう?」
「なんで、…」
「ジェディ」
「なんであんな
「…………」
「なんで好きだと思っていたんだろう…?」
その言葉を聞くと茜はかける言葉を失った。
人が人を好きになる気持ちは抑えようがない。
ただ、天瀬叶夢の場合は酷すぎた。
人を苦しめることには天賦の才がある。
おそらくは本能的な無意識レベルで行われていることだ。
男も女もお構いなし。彼が気に入った人間を彼の求める世界に引き摺り込む手腕は悪魔的と言っていい。
「思い込んで、思い込まされていただけなのに…ね」
そう言うとジェディは目を閉じた。
数年前の自分を思い出していた。
叶夢と過ごした時間は自分にとっては光り輝くような時間だった。
それが一瞬で悪夢に変わった。
「あいつが理想とするのは柚奈だけ。その絶対的に揺るがない想いがあるから、退屈を埋めるために他の人たちに食指を伸ばすなんてね。自分の望むように、まるで彫像を掘るように男でも女でも自分のものにする」
ジェディはギッと唇を噛み締めた。
「そこにあるのは相手に対する『愛』じゃなくて、自分の…自分のためだけの『欲望』よ。しかも底なしの…。あいつはその想いを満たすために、私はそれを『愛』だと思い込んで、
ようやく茜に向き直って、悲しそうに少し笑って見せた。
「それに気づかなかった。……私も若かったってことね…」
「そうね。お互い若かった…。だからってそんなに自分を責めちゃダメよ。私も、もちろんアヌビスのメンバーも真壁さんもジェディが悪いなんて10億万分の1も思ってないんだから」
「…………」
「言ってみればあれは、そうね、あいつは新型コロナウイルスと同じよ。気づかないうちにかかってる。現象が公になったときには被害は甚大」
「茜さん、な〜に〜、それ、尚更悪いんじゃない」
「ごめんー。例えが悪すぎたぁ」
「でも、当たらずとも遠からじかしら」
「? 何? 何か他にあるの?」
「…………」
ジェディはここで言葉を切った。
今から口にすることは地下で会合するメンバーの喜びに水を差しかねない。
それをわかっているから彼女は独りここに居たのだ。
「昨日、夢を見たの。『碧い夢』」
「う…ん?」
「私の能力は何かわかってるわよね?」
「夢見による霊視…。それが何か?」
茜は、はっとした。
「ジェディ!まさか!」
こくんっと彼女はうなづいた。
「叶夢も柚奈も生きてる」
「!? だって警察はおそらく死んだって!」
「でも、動物の死骸やあいつらに殺害されたであろう大量の人骨は出たけれど、肝心の叶夢と柚奈の遺体は出ていないわけだし。もしそこで死んだのなら遺体の一部でも痕跡が出るはずよ。燃え方が激しいからといって人間一人、骨も残らないなんて」
茜はつい1週間前、大型トラックを運転して助けに行った時の様子を思い出した。
伊達のアルファードが無残に破壊され、真壁、ロゴス、サーペンテ、堂宮と怜奈が燃え盛る炎の中から脱出したあの様子を記憶の中からとりだしてみた。
眩夢館は確かに広大な敷地だった。
火の周りは早く、館は跡形もなく大きな音をたてて崩れ落ちた。
「ちなみにナパームで焼いても骨は一部は残るから」
「あんた恐ろしいことをサラッと言うわね」
「あんなに広大な敷地を燃やし尽しても出ないものは出ないのよ。だから、ないものはない。つまり…」
「生き残って、どこかで息を潜めている?と」
「そう…。夢の中では何かの乗り物、飛行機か何かで移動している様子が視えたわ」
「…………」
ジェディの夢見の正確さを知る茜は言葉を失った。
「真壁さんには伝えたの?」
「…いいえ。言ってない。伝えなくても、死の天使はわかっていると思う」
「ま、人を介して聞いた話によれば叶夢は随分随分な最期だったって」
「あいつは自分の言動に陶酔する面があるし、筋金入りの劇場型犯罪者よ。見てくれに騙されてはいけないと思う」
「だね。それで2年前は嫌な思いをしたんだし」
「だから、次に相見えるときは…」
ジェディは自ら言葉を飲み込んだ。
口に出すより、それを実行できるかが怖かった。
茜が間髪をおかずツカツカと近づいてきて彼女の背中に気合いを入れるようにバンバンっと思いっきり叩いた。
「絶対、この地球上から追放してやるわ!あんたは叶夢とタイマン。私は貧乳ってバカにした柚奈とタイマン‼︎思い知らせてやるわっ!で、柚奈の鼻の穴に生わさびのぶっといのを突っ込んで、グリグリしてやるのよ!あんたの分までね!」
人差し指を立てて、ジェディの顔に自分の顔を捻り込んでいった。
「茜さん、」
「ジェディ、あんた独りでそれを背負い込んじゃダメ。1人であいつらと闘うんじゃないわ。うちらアヌビスのメンバーみんなで闘うのよ!あんたは悪くない!それで悩むのよくないと思う。それこそ叶夢の思うツボよ」
「…………」
「あんたは間違ってない。私が保証する。ジェディが正しいと思う『道』を進めばいいんだ。きっと、あんたが進むその『道』の道幅に私らが腕を組みながらあんたと一緒に進む。横いっぱいに広がってね。誰にもその歩みは止められない。だから、胸張りな!ジェディらしくね!」
(私らしく……)
ジェディは驚いた顔をしたあと、余計な力が抜けたのか、ふっ…と笑顔を取り戻した。
彼女の言うとおりここは神秘蔵アヌビス。
庭園の錬金術師の集う場所。
Coph Niaにはみんながいる。
ひとり…じゃない。
「…ありがとう、茜さん…」
照れ隠しのように茜は頭をかくとジェディに背中を向けて歩き始めた。
「お礼はいいからさ、喉乾いたから何か作ってよ。さっき真壁さんが「マティーニ、マティーニ」って騒いでたわよ」
その声を聞いて、ジェディも後を追った。
「じゃ、急いで戻らなきゃ。茜さんは何がいいの?」
「私?んー?んんw こういう時ってどういうカクテル飲むもんなの?」
「こういう時って?」
「さっきの話はとりあえず置いておいて、一応、一旦は勝利の美酒に酔いたいじゃない?」
「そうね、『勝利』って言葉にこだわるんなら「スラム」、でも茜さんの名前のイメージから『勝利』ってイメージするなら「ルビーカシス」でもいいかもしれないわ」
「おっ!いいねえ!まずは真壁さんのマティーニを作ってもらった後に、その2つを飲み比べできる?」
茜がドアからビルの内部に消えていった。
「ええ、もちろん!」
そう答えながらジェディはドアノブに手を掛けた。
風が彼女の青く長い髪を揺らした。
彼女は後ろを振り返り、さっきまで自分が立っていた場所を再び見つめ、意を決したように静かにドアを閉め、鍵を掛けた。
Cluster Amaryllis 砂樹あきら @sakiakira
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