首のない殺人 (ショートミステリー)
男は中庭の芝生の上にうつ伏せになって死んでいた。
異常なのは、その右手に生首を握っていた事である。いや、正確には、生首の髪が右手に絡んでいるような状態でころがっていた。
入江警部は膝をつきながら、死体の顔を覗き込んでいる。
「名は権田原正造、職業はいわゆる金貸しです。首のほうは、この屋敷の主人で、崎宮兵衛門。彼の体は建物の二階に転がっています」
若い雷坊刑事が傍らで説明した。振り返った方向に小さな洋館がある。その二階の一室から灯りが漏れて、捜査員がせわしなく動いている気配が見えた。
入江は集団の中に入るのを好まない。自分の思考の飛躍に付いて来る相棒が一人いればいいと思っている。自然、その相手に対する質問も、血も肉もないほどそっけない。
「死因は?」
雷坊は手帳を拡げた。
「後頭部陥没によるショック死です。どうやら鈍器のようなもので、後から一撃を喰らったようですね」
「凶器は見つかっていないんだね」
「ええ、傷の形から見てかなり大きなものらしいのですが…」
「ふうむ、で、第一発見者は誰なんだ?」
「我々です。ここは、崎宮の屋敷の庭ですからね。今日の未明、崎宮が首なしで死んでいるという通報を聞き、駆けつけて来たところで、この仏さんに出くわしたんです。鑑識の報告によると、二階の首なし死体と同じ時刻、つまり昨夜の11時ごろに殺されたようです」
「なんで、仏は崎宮の首を持って死んでいたんだろう」
雷坊は肩をすくめた。
「わかりません。ただ、崎宮を殺し、首を斬った犯人は、この権田原に違いありません」
「ほう…確かなのかね」
「崎宮は、日本刀によって斬殺されていましたが、その後で同じ刀を使って首を切り落とされたものと思われます。刀は自室に飾ってあった彼自身のコレクションで、そのまま首なし死体の現場に残っていました。ご覧のように、権田原の衣服は、崎宮の返り血をまともに浴びています。もちろん、動機もあります。二人には、すぐにでも殺人に発展しかねない貸し金のトラブルがあったことがわかっているんです。状況としては、崎宮の首を持って逃げる途中で、後から何者かに襲われた、というところでしょうか」
雷坊刑事は一息ついた。
「とりあえず、今度は二階の首なし死体の現場にいってみましょう」
洋館の二階、崎宮兵衛門の個室は、たくさんの捜査員で騒然としていた。
崎宮の首なし死体は、部屋のちょうど真ん中に大の字に転がっている。その肩口の血溜りには、日本刀が一振り落ちていた。部屋中に鮮血が飛び散って、年季の入った刑事でも目を伏せるほど凄惨な殺人現場である。
部屋に入るとすぐに、そこにひとりだけ異質な青年が佇んでいるのを、入江は見逃さなかった。
「彼は?」
「首なし死体を最初に発見し、警察に通報した崎宮孝明君。被害者の息子です」
入江はその説明を最後まで聞く間もなく、彼につかつかと近づいていった。
「大変な事でした。言葉もありません」
「何か新しい進展があったんでしょうか」
青年は顔を悲痛にゆがめながらもしっかりとした口調で尋ねた。
「いや、この殺人に関して言えば、限りなく権田原が黒であろうということぐらいしか…」
「そうですか…」
青年は一言いうと、後はうなだれるばかりで言葉にならない。
その姿を冷ややかな目で観察すると、入江は雷坊の肩を掴んでその場を離れるように促した。青年はいつまでも顔を伏せ続けている。
と、入江がぼそりと呟いた
「それにしても、淡白すぎる。普通、親を殺した犯人を知ったら、もっと憎しみの感情を露わにするものだろう。犯人をこの手で同じ目にあわせたいとかね」
「…まさか、警部は庭で死んでいる権田原を殺した犯人は、孝明だとでも思っていらっしゃるのですか」
雷坊が口をはさんだ。入江は、彼の独り言に一々言葉を返す雷坊の律儀さを、煩わしいとは思っていない。
「断定は出来ないけどね」
「しかし、崎宮の死体を発見した後、彼はこの館から一歩も外へ出ていないのですよ。すぐ後で現場へ駆けつけた使用人らの証言もありますし、体が二つない限り屋外の殺人は不可能でしょう。なにしろ二つの殺人は、ほとんど同時に起きているのですから」
入江はその質問に答えようとはしない。
「世の中には、理解しがたい行動を突発的にとる人間の類型がある。例えば、クレッチマーによる体型と気質、あるいは、ルイ・コールマンによる面相と性格の分類など、あらゆる心理形態学を当てはめて判断すれば、彼のようなタイプには、どうしても一定の結論を出さざるを得なくなる。ある限度を超えると、自己を制御できなくなる爆発的ヒステリー気質だ」
雷坊はすでに言葉を失っている。入江はさらに続けた。
「いいかい、ここから一分間、崎宮孝明の横顔を観察して、呼吸数を計ってみたまえ。小鼻が膨らんで大きく息をしているのがわかるだろう。彼の表情には親がついさっき殺されたという興奮、悲しみ、息の乱れはもうない。あれは、それ以上に何かを成し終えたという安堵相だ」
「つまり、権田原に復讐をし終えたということですか」
しかし、入江には確証が見えない。ただ、声を荒げるようにしていった。
「問題は権田原のほうだ。なぜ、彼が崎宮を殺した後で、首を切って逃げる必要があったのか」
雷坊刑事は言い訳をするように小さな声で答えた。
「一般にバラバラ殺人は、死体隠匿のためか、身元を混乱させるためにするのではありませんか。それ以外で首を切るなんて、よほどの怨恨がある場合しか考えられません」
入江は忙しく動き回る捜査班の一群を背中に、苛立つようにして、窓際に向かった。そこは、洋館独特の豪華なカーテンを下げた広い出窓だった。
と、ふと外を覗いた彼の顔が、たちまち興奮したように赤くなった。
「なんてことだ。ここから、権田原正造が倒れているのが手にとるように見えるじゃないか!」
「日中なら、そうでしょうね。夜だとよくわからないかも…」
「部屋に駆け込んできた息子の孝明が、斬殺された父親の死体を発見し、なおかつ、この場所から逃走する犯人を見たとしたらどうだろう」
「その可能性はあります。きっと、すぐに犯人を追いかけていくでしょう」
「いや、そうじゃない」
入江は激しくかぶりを振ると、一気に捲くし立てた。
「そのヒステリー気質からすると、父親を殺された怒りで前後を失った孝明が銃でも持っていたら、きっとここから犯人を狙い撃ちしたことだろう。ところがこの部屋には、そんな武器は何一つ置いていない。例えば、石でもあればどうだ。きっと、闇雲に犯人に向かって投げつけたはずだ。が、これも、そんな適当な石が部屋に落ちているわけがない。ここにあるのは一振りの日本刀と…」
「警部…」
「ん?」
やはり雷坊は口を挟まざるを得ない。
「…ですが、権田原は手にそいつを掴んで死んでいたんですよ」
「倒れたときにたまたまそういう位置、格好になっただけのことだ。あくまでも偶然に過ぎないよ」
「いや、それにしても」
いいながら、雷坊の顔は紙のように血の気がない。崎宮の死体から首を切り落としたのが誰なのか、うすうす感づいている。
だが、さらに彼には一抹の疑問があった。
「この窓から投げて、そんなにうまく犯人の後頭部に命中するものでしょうか?」
「するさ」
入江は事もなげに言い放った。
「…そいつにはきっと、殺された崎宮の怨念がこもっているだろうからね…」
蔵出しショートショート集 野掘 @nobo0153
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蔵出しショートショート集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます