第2話 また明日の約束 : 朝美
今日は、不思議な朝だった。目の検査に行った後、小児科の子供達といつものように遊んでいた私は、彼女に出会った。
「蒼色」と言うのだろう。それ程に、彼女の目は鮮やかだったのだ。吸い込まれそうな程の美しい目。色が見えなくなった私に差し込んだ、一筋の光とでも言えば良いのだろうか。
***
本日の授業が終わり、ホームルームと掃除も無事終了。もともと帰宅部なので部活もなく、他の生徒がキャッキャウフフしているのを見ながら校門を出る。
────お、分かりやすいとこに居るねぇ。
今朝、病院で出会った彼女が、学校のベンチに座って本を読んでいる。モノクロの背景に浮かぶ、静かな彼女の目。
「や、何読んでるの?」
「うぉっ!ビックリしたぁ────」
本に乗っかった私の影と声に、彼女は驚いた。相変わらずイヤホンを耳に付けたままでも私の声は聞こえているようだ。
「何読んでるかって───まぁ、ちょっと前に出た本だよ」
「ふぅん。何系の本なの?」
「───れ、恋愛系────です」
「もう照れちゃってぇ!ピュアか!へへっ」
口を隠す本から覗く頬の灰色が少し濃くなって、赤くなったんだな、と分かる。私の顔から目を逸らしている彼女は、やはり整った顔立ちをしている。当の本人は、そんなこと思っていないようだけど。
「待ってたってことは、アイスがそんな楽しみだった?」
「うん、まぁ────」
本を閉じて、彼女は私と顔を合わせる。
「そんなに楽しみだったんなら、うんと美味しいものをご馳走しないとね!」
「いやいや、ガリオレバーでいいから」
ガリオレバー。100円もしない昔ながらの超人気アイス。最近10円くらいの値上げで謝罪動画を出して話題になったっけ。
「遠慮しないのっ。美味しいアイス屋さん知ってるから行こ?」
「そ、そこまで言うなら────」
仕方ないなぁ。と困っているような口調なのに、顔にはニヤニヤな表情が浮かんどる。彼女は多分、嘘がつけないんだろうな。
「今さらだけどさ、こんな寒いのにアイス食べるのかい?」
「え、アイスは年中無休で旬でしょ?」
細い足で立ち上がった彼女からは、おとぼけとも思える答えが返ってきたのです。たまにだけど、彼女は言葉選びが独特と言うかなんと言うか。────会ってまだ1日も経ってないけどね。
「なーんか、今日初めて会った人と放課後一緒に過ごすって変な感じするぅ」
私は、自宅とは逆の方向に彼女を案内していくが、実は、いつも私が通る道である。
木々が並ぶ道から左の細い道へ移り、彼女と共に足を運んでいくと、水色のキッチンカーが置かれていた。
「さ、ここが私オススメのアイス屋さんだぞぉい」
「ちっさいね」
「ちっちゃいからってバカにはできないよぉ?」
「いや、バカにはしてないけど────」
ベラベラ話していると、見えない場所で作業をしていたおっちゃんが窓からひょこっと顔を出した。
「おっ、お嬢ちゃんかい」
「おっす~おっちゃん!今日はもう1人一緒だよ~」
何度も通っているので、おっちゃんとは既にもう顔馴染みなのですよ。
「じゃあ、私いつものスペシャルで!」
「あ、私も同じので────」
「はいよ!ちょい待ちな」
元気の良い返事をして作業に取りかかるおっちゃんを横目に、彼女の方をチラリとな。
「スペシャル食べれるの?」
「え?スペシャルってこれでしょ?」
そう言って彼女が指差したのは、置いてあったメニュー表。フルーツの盛られたアイスの写真が載っていた。これぐらい余裕、と言っているようなドヤ顔が私の目の前にあるのだが────
────相当アイス食べてるんだな、この人。
「私が言ったのは『いつもの』スペシャルだよ?」
「どゆこと?」
「ふっ、それはね、私にのみ許された最高級のスペシャルアイスなのだよ!」
「?」
首をかしげる彼女は、どうやら私の言葉をあまり理解できていないようでした。
「はいよ!1個目!」
「おはぁっ!きたきた!────あ、お先にどうぞ、間野宮さんっ」
今朝覚えた名前を口に出し、先に出来上がったスペシャルアイスを彼女の方に渡してと促すと、彼女の顔と声が私の中に流れてきた。
「こ、これは──────」
「どう?どう?すごいでしょ?」
彼女が手に取ったアイスは、先程指差したメニュー表に載っているフルーツの量よりも、倍くらい乗っかっている。パフェにした方が良いくらいにたっぷりで、持って食べるには少し危なっかしい。──何せ、プロの私でも何個かフルーツを落としてしまうのだからね。
「はいよ!2個目!」
「ありがと!はい、これお代ね」
そう言って、私は2人分のお代である二千円をおっちゃんの掌に差し出した。正直に言って、このボリュームで1個千円は安いと思う私です。
「どよどよ?なかなかのボリュームでしょ?」
「ちょっ、近い近い!落ちるって」
「あ、ごめん」
妙にテンションが上がった私は、彼女に近づきすぎてしまったみたいだ。
────やっぱ、距離感忘れてるなぁ───。
実を言うと私、最近は同級生とかと話していないのです。原因は当然のこと、この色の映らない目────。
「ホントに見えないの?」
「これって何色だと思う?」
────笑いの混ざったその言葉達に、どれだけ苦しくなっただろう。仲が良かった子も、笑う子達に混ざり次第に離れていった。────それからずっと、私は1人で教室に座っている。
「食べないの?」
「わっ!───たたっ、食べるよ!」
覗き込んだ彼女に驚いたまま、手に持ったアイスに口を運んでいったから────
「ちょっ!スプーンで食べなって!顔にアイス───!」
「ぅわ」
小さく漏れた変な声。私の鼻や頬に付いてしまったものを、彼女は優しく拭き取るのだ。
「──ぷっ、ははっ!変な顔だなぁ」
中途半端に拭かれた私の顔を見て、彼女は声をあげて笑っていた。歯を見せて笑う彼女を見ると、胸の辺りが少し温かくなる。この感覚を、私は知っているはずなのに、どうにも思い出せない。
「もぉっ!ちゃんと拭いて~っ」
ホラっ、と言うように顔を彼女に突き出したら、彼女は笑顔のまま拭いてくれた。
「なんだい嬢ちゃん達!できてんのかい?」
突然のおっちゃんのその言葉をきっかけに、急に恥ずかしさが心の中に生まれました。彼女は人見知りなのか、私と同じくらい赤くなって、そっぽ向いてた。
「も、もうおっちゃぁん!変なこと言わないでよっ」
「あははっ。わりわり!」
「もぉ~っ。じゃ、ありがとね、おっちゃん」
「おう、また来いよ」
彼女の手を引きながら、アイスを持った手をおっちゃんに向ける。咄嗟とは言え、彼女の手を握ったのは初めてだった。────冷たい、彼女の手。
▲▼
「アイスありがとね」
「良いって良いってっ。気にしなさんな」
公園のベンチに座り、先程買ったアイスを2人並んで食べる。盛りに盛られているから移動中に食べきることは出来なかったのです。
「────あのさ、踏み入った質問になるかもしれないけど、聞いてもいい?」
まだ一息しかついてないのに、隣の彼女が話しかけてきた。踏み入った質問、まぁ目のことだろうと、大体の予想は可能だ。それに顔を見れば分かる。深刻とまでは言わないけど、暗い表情を浮かべて。
「結構グイグイ来るんだね。いいよ、答えるとこは答えるから」
「ん、ありがと」
そう言って彼女は、大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。いわゆる深呼吸というもの。───そんなに緊張しなくてもいいのになぁ。
「色が見えなくなったのはさ、何が原因かっていうのは分かってるの?」
「ん~、ストレス。お医者さんにそう言われたなぁ。────でさ、聞いた瞬間はやっぱりなぁ、って感じだったのを覚えてる」
思い当たることあるんだ、と私に聞こえる程度の小さな声で、彼女はそう言った。彼女は、雰囲気に任せて私に同情しているのだろうか。それとも本当に悲しんでいるのかな。
「うん、まぁね」
どちらでも構わない、と私は話を続けた。
「ストレスの原因はお母さんかな。ウチはさ、いわゆる高学歴一家みたいな感じでね。お兄ちゃんも5本の指に入るような大学に行って、私も音楽やりたいって気持ちがあったから今の高校に入った。まぁまぁ有名なとこだしね」
「そっか、音楽科があるんだっけ」
「うん。────でもね、頑張って勉強して入ったのは良いんだけど、その先の勉強はダメ、ギリギリを通り越してついていけないんだ」
私が笑った表情を浮かべても、彼女の顔は変わらなかった。相も変わらず、暗いまま。
この人は本当に悲しんでくれている。私の気持ちを考えてくれて、それで一緒に─────。
「お母さんには叱られたよ。どうしてこんなのも出来ないんだってね。試験も筆記だけじゃなくて実技もあって、すごく追い込まれた。何もかもが中途半端。私は頑張ってるのに結果も伴わなくて、ほぼ毎日おっきな声で叫ばれたよ」
「それが溜まって─────」
「そ。今朝話したでしょ?朝起きたらモノクロだった。親は呆れてて、学校の人達はどんどん離れていったなぁ」
医者以外の人に話したのは初めてだ。お母さんには話せてない。だって、本人が原因だって言ったらどうなるかは目に見えてるから。
ただ今朝一緒になっただけ。一緒に学校まで歩いただけ。ただ、同じ病院だっただけ。───1つ違うとすれば、彼女の目の色が見えること。それだけで、何でも話せてしまう気がする。
「もう、そんなに暗い顔するなら聞かなきゃ良かったのに────」
「なんか、気になっちゃってさ────」
落ち込んで下の方ばかり見ている彼女の頭が空いているのを確認して、私の手が動いた。
「間野宮さんて、優しいんだね」
「頭ポンポンって、少女漫画?」
「ははっ、たしかにね。────しかも、本当は私がポンポンされる側なのになぁ」
彼女の暗い顔が、少しだけ明るくなった。少しだけ困ったような笑みを浮かべて、私は少し気分が楽になる。
────あぁ、そっか。この感じ、前に友達と話してたときの気持ちだ。
長い間、学校では誰とも話なんてしない生活を送ってきたから、私はその感覚を忘れていたんだ。
「────ねぇ、いつまでポンポンするの?」
「へ?───あっ」
無意識に、ずっと頭をポンポンしていたようだ。指摘されて、私は慌てて彼女の頭から手を離す。
「────そうだ。そう言うそっちこそ、何か耳の原因みたいなのはないの?私ばっか説明したけど」
「分かんない。気付いたらこの耳だったから」
思ったよりざっくりとした答えが返ってきた。適当にはぐらかされたと思ったが、こんな空気で彼女は嘘をつけないということは感じ取っているわけで。
「人の多いとこは行きたいけど行きたくない。私が気を付けてれば起こることはないんだけど、大通りみたいなとこに長時間居たり、一瞬でも大きな声で叫ばれたりしたらヤバいかな」
「ヤバいって言うのは、どういう────」
「────下手したら、命に関わるんだって」
あまりにも普通すぎた。何がって────彼女の顔がだ。命に関わるんだって言葉、顔色を変えずに言えることが信じられなかった。そんな彼女を、私は見るだけ。
「なんか実感なくてさ。気持ち悪いから行かない、しないってのが理由だったから重いなんてこと考えもしなかった」
「────信じられないよ」
心から出た言葉だった。
たった2つの耳が原因で命を落とす?考えたこともない、聞いたこともない。気を付ければ大丈夫って、それをあと何十年も続けて生活していくの?───私には到底無理だ。
「私だって信じられなかったよ。────でも本当なんだ。特に、叫ばれる方が身体に悪い。ショック状態ってのに近い感じになるんだってさ。それがその後も身体に残り続けて────」
その先は聞かないようにした。聞きたくなかったんだ。こんな深い闇だったなんて知らなくて、それを思い知らされるのが怖くなったんだ。フィクションだと笑い飛ばせそうで、そうはできないリアルな話。
パンっ!
と大きな音が横で鳴った。
「さ、重たい話はここまでね」
彼女が掌を叩いた音だった。聞き覚えというか言った覚えがある言葉が彼女から出てきたことで、自然と笑いが漏れた。
「そんな暗い顔しなくても、私が気を付ければいいだけの話でね。イヤホンを忘れない。これに尽きるわけ」
「毎日私の歌聴くわけ?」
「ファンだからね」
「嬉しいこと言ってくれるねぇもうっ!」
いつの間にやら食べ終わったアイスに付いていた紙を手にして、彼女は嬉しそうに呟いた。
「────そっかぁ、友達ってこんな感じか」
優しい目、少しだけ上がった口角が柔らかい表情を作り出す。
「うん、友達っ」
「────へっ?口に出てた?」
なんと、無意識にその発言をしていたのか。そんなこと呟いたと初めて気付いた彼女の顔は、みるみる紅潮していった。
「ははっ。意外と表情に出るんだね」
「もうっ」
そんなこんな雑談しながら、あっという間に帰り道。
「時間的に大丈夫なの?親御さん厳しいんでしょ?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。テキトーに図書館で勉強してたって言えば」
「えぇ~────。ホントに大丈夫?」
おぉ、疑いの目だな、こりゃ。まぁこんな言い分は普通に考えれば通じはしないよね。
「私の親は勉強って言葉が大好きなんよ。勉強しろ、勉強しろ。毎日言われてたからね。逆に勉強したって言えば大喜びな訳よ、内心でね」
「単純過ぎじゃない?」
「そうそう。私の親は面倒くさいけど単純なのよ」
実際、そうだった。中学の、友達と遊んでばかりの頃は母さんに勉強しろって怒られてばっかだったけど、ある日に、勉強して遅くなったと言えば、怒号はなかった。────こんな単純なのかと、そう思ったのを覚えてる。
「ノート見せろって言われても、授業のノートを見せればいいんだよ」
「そんなだから成績落ちるんじゃないの?さっき言ってたじゃん」
「いやいや、1年の頃はガッツリ勉強してたよ?それでも付いていけなかったんだから諦めたりもする」
「あー、1年やったなら私もさすがに諦めるわ」
道端に転がる石を蹴りながら、彼女はそう言った。どうやら彼女も勉強が苦手な方で進んでやろうという気にはならないらしい。
「私は模試とかで一位とかとってる奴の気が知れないね。いやまぁ、一位とか言わずに勉強好きの奴ら」
さっきから蹴り続けていた石を、空振り。彼女は今の言葉だけでどれだけの人を敵に回したんだろ。
「ま、おかげで私は今や底辺クラスな訳なの。学校じゃ、そっちの方が気が楽で良いんだけどね」
でも、親の前では違う。と心の中で言い放った。
ふうっ、と白い息を空に放った。さっきまでアイス食べてたからいつもより冷えた息なのかなぁ、とか、ホントに南極だと息白くなんないのかなぁ、とか、どうでも良いことを考えた。
あ~あ、色が見えたらもっと楽しいこと考えたりしたんだろうなぁ。
「ねぇ、明日の朝も一緒に学校行こうよ」
唐突に彼女が言った言葉に、私は少し固まった。思いもしない提案だったんだもん。
「どーしたの~急に」
笑顔を浮かべながら、私は振り返った。彼女はただ私の目を見つめて、そのまっすぐな瞳を、私はただ見つめ返す。
「学校過ぎても同じ方向歩いてるってことは、通学路一緒でしょ?」
「───────っ」
彼女の頬の灰色が、少しずつ濃くなっていくのに私は気が付いた。そのせいで、私は話すことも忘れて、目を奪われた。
「────な、何か言ってよ。私、こんなに人と話したの初めてって言うか、とっ友達も初めてって言うか───。とにかく今超絶に恥ずかしいんだから」
彼女の目に、潤いを見た。蒼がゆらゆら動いて止まらない。────そうだ、彼女は純粋だったんだ。朝からそうだったじゃないか。
「うん、良いよ。一緒に行こ」
この時の私は心からの笑顔浮かべてたんだと思う。気持ちが良かったと言えばいいのか分からないけど、心がスッと軽くなった。
「ありがと」
目を閉じて、彼女の目から涙が一粒溢れた。こんなに透き通ったような彼女が私の友達だなんて、なんだか私には勿体ない気がする。でも、彼女が私を友達って呼んでくれるなら─────。
「さ、帰ろ帰ろ!風邪引いちゃう」
「アイス食べたじゃん、一緒に」
「かんけーねぇわ!あははっ」
──────────
「あのさぁ、私達いつまで一緒なの?」
さすがの彼女も私と同じことを思ったのか、少し驚きを表しながら呆れたような声を口にした。
住宅街を歩く方向が、これでもかと一緒なのだ。私も彼女も、一向に別れる気配がない。呆れた風に言われてもこっちも分かんないのさ。
「そう言う間野宮さんこそ、ウチはどこなのん?」
「ウチ?もうすぐだよ。この道をもう少しまっすぐ行くとウチ」
「一丁目なの?私んち三丁目だよ。二丁目にギリ入ってないくらいのとこ!」
なんと、ほぼご近所さんではないか。これはホントに一緒に行くべきと神様のお告げなのでは。とか心の中でふざけた。
「じゃあ間野宮さんち教えてよっ!明日の朝私が迎えに行ったげる!」
「え?えぇ~、いやぁ、まぁでも、その方が道的には良いのかな」
彼女は心の中で喋るということがたまに出来なくなるようで。思ってることが全て口から漏れ出している。────天然だなぁ、多分。
「はぁい!じゃあ決定ねっ」
「ここだよ」
浮かれポンチになってる内に、早くも着いてしまったようだ。早い、早すぎる。
彼女が指差す方へ顔を向けると、白い壁のアパートが建っていた。
「え、一軒家かと思ってた」
「一人暮らしで一軒家は無理だよ」
「あ、そっか」
そう言えば病院で一人暮らしって言ってたっけなぁ。思いっきり忘れてた。今朝はまさかこんな風になるなんて思ってもみなかったし、仕方がないね。
「いつも何時くらいに家出てんの?」
「ん、私?そうだなぁ、大体7時半くらいにに出てんねぇ」
「明日から7時起きか」
明日から────明日だけでなく、毎日一緒に登校。なんだか本当に友達のようで、私の心は下から沸き上がるように熱くなる。この年になって、私は子供みたいに興奮してるらしい。ただ一緒に歩いていくということに。
「まぁ10分ありゃ着くね。────っと、そろそろ帰んなきゃ」
この時期は、あっという間に暗くなる。夏とかならまだ出てる時間だけど、暗い中を歩くと何も見えなくなるから、それは避けたい。
「ん、じゃあまた明日ね」
「照れんなよ~っ、じゃね!」
彼女のそれはまるで、言ってみたかった言葉のように感じた。いや、恐らくそうだったんだろうけど。
新しく楽しみを持ったのは、いつ以来だろ。とりあえず半年間は何もなかったしなぁ。───そうだ、子供達と遊ぶ約束をした時以来だ。毎週、検査の後に遊ぶ約束はとても楽しみだった、今もそうだけど。
歩きながら、私は今日のことを思い出す。人と出会った日。蒼色を見た日。一緒に歩いた日。一緒にアイスを食べた日。────いつもより盛り沢山だ。
これが夢だなんてオチはないだろうか。それだけは、どうか止めてほしいなぁ。こんな幸せな1日、物語みたいな1日、どれだけ嬉しかったことか。灰色の毎日が、1色だけど彩られた。この毎日はいつまで続くんだろうか────。
「ただいま」
そんなことを考えていると、もう家に着いてしまった。この後に来る言葉を、私はもう分かっている。
「朝美!こんな時間までどこほっつき歩いてたの!」
帰ってすぐにこの怒号だ。別に夜遅くに帰っている訳じゃない。門限を決められている訳でもない。今日、何か特別な用事がある訳ですらない。
「アンタ勉強しないといけないんだから!分かってる!?成績もガタガタ────」
「勉強なら学校の図書室でやってきた────」
小さな声で、私はそう言った。この親が望んでいるであろう言葉を口にした。
「あ、あらそうなの?なら良いけど」
────気分が悪い─────。
思わず、口をキュッと締める。この態度の変わりようだ。お前は勉強さえしているなら、それで良いと言われているみたいで────。
溜め息を漏らしながら、私は階段を登り私の部屋へ向かう。部屋に入り、私は一番に向かうのはいつも決まってベッドの上。
────分かってる。これがどうしようもなく私の身勝手な考え方ってことは。勉強しない私が悪い。勝手に諦めた私が悪い。仕方ないじゃないかと、自分に言い訳する私が悪い。
「私は、音楽がやりたい────」
たまに呟くこの言葉。本心だ。
音楽の勉強がしたい。数学とか、地学とか、公民とか、どうでもいい。───あぁ、でも国語の勉強はしないと。語彙力がなくなってしまう。
一般的に言うなら、私は不出来な子供なんだろうなぁ。自分の好きなものだけ勉強して、それ以外はテキトー。課題なんかも答え見て写して。ある程度は解けるようにテスト前に一夜漬け。成績もそりゃ下がる一方。
「でも、その好きなもんも今は作れないけどね」
心の中で、誰かが言った。いつもいつも、思い悩むと出てくるソイツはこの言葉しか言わない。語彙力がないのか。───それでも、私の心に向かってグサリと音を立てる言葉だった。
でも、今日は少しばかり言い返してみようか────。言われっぱなしも癪だ。
「それでも、あの子は私の歌が好きって言ってくれたもん」
────それっきり、心の誰かは声をあげなかった。
デンファレ @tonbo-shiki
★で称える
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