第1話 いつも聞いている声 : 奏
生まれつきなのか、幼い頃にそうなったのか、よく分からないけど、私は集まった音が嫌いだ。いや、嫌いと言うか駄目なんだ。
人1人と話すことなら何ともない。ただしそれは、周りに誰も居ないことが前提だけど。────吐き気、頭痛、腹痛、息苦しさ。音が集まると、私を襲うんだ。
***
よく晴れた日の朝。白い部屋に白い服。目の前はほとんど白い色が広がる。椅子に座って、目の前の女性と向き合うように私、
私は茶色く長い前髪を分けて、目の前にある顔の目に視線を向けた。
「耳の調子はどうですか?」
「まぁ、普通です。今までと変わらずです」
「そうですか」
私の目の前に座っている女性の医師は、メモを執ることなく私の話を聞くだけだ。机の上にあるボイスレコーダーで、私との会話の内容を記録しているらしい。
この部屋には私と女医さんだけの2人だけ。手伝いの看護師も居らず、物音を立てるような物さえ置いていない、とても殺風景な部屋。
「今日は様子を見るだけですので検査は無しです。お疲れ様でした」
「はい、ありがとうございました」
────なんだ、今日はこれだけか。
診察室を出る前に、イヤホンを耳に付けてスマホから音楽を流す。
その美しい歌声に、私は救われた。集まれば全てが雑音のこの世の中で、彼女の声だけは透き通って聴こえる。
────さて、どうしよう。思ったより時間が空いてしまった。
今日は平日で、普段通り学校があるので普通ならすぐに登校しないと行けない。しかし、2時限目の終わり頃に行くと担任に言ってしまっているので、時間が余っている。
─────雑音の多い外には出たくないから、病院をウロウロしようかな。
そう決めた私は、受付の横にある自動精算機で支払いを済ませ、乗ったことのないエスカレーターへ。どこの病棟に向かうのか全く知らず、適当な階で降りる。エスカレーターを降りてすぐ、私の足に何かが当たったのを感じた。
「ふぇ、ごめんなしゃい───」
当たったのは黒髪の小さな女の子だった。イヤホンから流れる音で上手くは聞き取れなかったけど、おそらくそう言ったのだろう。
イヤホンを耳から外し、その女の子に目線を会わせて
「ううん、こっちこそごめん。あ、そうだ、お詫びにこの飴あげる」
制服の上に着ているパーカーのポケットからオレンジ味の飴を1つ、私はその女の子に差し出した。
「やったぁ!ありがとう、お姉ちゃん!」
女の子の曇った顔が、一瞬にして晴れ渡る。
────ここって小児科病棟か。その割には子供少ないし声もしないけど────。
人が居ないなら居ないで私は動きやすいから別に良いけど、この病院の小児科ってひょっとして存続の危機?なんて考えたりした。
「ねぇ、こっち来て!」
「へ?」
急に先程の女の子に手を引かれた私は、手を離すタイミングを見失ってしまい、引かれるままに足を運んでいく。足を進めるに連れて、人がどんどん多くなってくる。そして、息も苦しくなって。なんとか我慢できる範囲の音の量だけど、それでも苦しい。
「ほらここ!お姉ちゃんも一緒に遊ぼ!」
手を離してくれた場所は、小児科に入院している子達のためにある遊び場だった。遊んでいる子供は大きな声を出すため、申し訳ないが我慢できない。大きな声量が集まりに集まって、私の胸を握り潰そうとしてくるから。
何か言い訳をして立ち去ろうとした時、その声は突然、私の耳に飛び込んできたのだ。
「月の、王子さ~まは~─────」
この歌だった。「月の王子とお姫さま」────この曲は誰もが知っている童謡の1つ。歌っていたのは同い年くらいの女の子。制服を見るに、私の通う学校に隣接する高校の生徒だろう。その人の声が私の耳に────。
────歌なのに、痛くない────。
何ともなかった。他の子達の声に混じっていても、その声だけは私の耳に流れるように入ってくる。
この声って───────。
***
──10ヶ月前──
「思ったより授業早く終わったなぁ」
「まぁ、生徒は私1人ですし御寿司」
「まぁた古いギャグを」
こんな呑気な会話をしている私の相手は担任の
現代文の授業だったが、何せ生徒が私1人しか居ないものだからすぐ終わる。現代文の授業だけでなく、この先生はすべての授業、私に教えるのだ。考えてみれば凄い。
「音楽でもかけるか?」
「無理です」
「何でさ」
「音混ざってるじゃないですか。声とかベースとか色々」
「引き語りとかアカペラは?」
「あ、歌の抑揚とかも駄目なんですよ。あれって無理に声上げたりしてるじゃないですか。なので音楽関連は私にとって雑音でしかありません」
「すげぇ言い様だな」
とにかく、私は集まった音を受け付けない。そして自然じゃない声を受け付けない。
本当に、なんて迷惑な身体なのだろう────。
「まぁ聴いてみな。俺の推しだ」
そう言って先生はスマホを操作し始めた。駄目と言ったのに音楽を流そうとする先生を見て、目が点になる程にその目を開いた。そりゃあもう、リンゴの本体と
「えっちょっと、止めてくださいって先生。そんなこ──と────」
ここで私は、再び目を見開いた。驚きの意味で?───そう、驚いて目を見開いた。だってその歌は────
「500円」
「なんでだ!?」
ビックリするくらい下手だった。大抵の歌が上手く聴こえない私でも、圧倒的に下手にと感じる歌声。私は掌を先生の方に差し出し、呆れた顔でワンコインを要求する。
「曲流しておいて何ですか。流すならもちろん私に害のない曲にしてくださるのが当然でしょう。それが出来てないから500円です」
ワンコインです、お得でしょう?と言って、私はくれくれ、と差し出した手を揺らす。
「お、俺はただ自分の推しを紹介したいだけなのに────。ワンコインでもせめて5で割ってくれ」
「仕方ない先生です。どうせ居ないでしょうけど、流したいならどうぞ」
そう言うと少しショボくれた雰囲気で、先生は音楽をかける。
お金が増えるだけなのに────。
2曲目
「100円」
3曲目
「─100円」
4曲目
「──100円」
5曲目
「───100円」
少し飛んで
22曲目
「100円!」
いや先生の推しどれだけ居るのさ。居すぎて私さっきからあまり聴きもせず即答しちゃってる。───結局はどれも受け付けることができない曲だったけど。
「くっそぉ────っ。なら取って置きだっ!」
先生は椅子に座ったまま教卓に顎を乗せる。半泣き状態で先生がスマホの音楽再生ボタンを押すと、女性の声が流れてきた。今回はアカペラのようだ。
「はぁ、ひゃく─────」
100円、と言いかけて途中でやめた。私は椅子から立って、先生の手元にあるスマホをただ見つめるだけ。
「────痛くない」
「ん?」
先生は顔を上げて、私の方に視線を送ってきた。そして、またも目を大きく開いている私と目が合う。
おそらく、この時の私は小さく震えていたと思う。だって、こんな声に出会うなんて思ってもみなかったから。
「その歌、聴いても耳が痛くないんです、先生」
「────ほ、ホントか?」
先生も大変驚いた様子だった。推しを紹介したいと言っていたけど、半ば先生も諦めていたのだろう。
「そっ、その歌を歌ってる人の名前ってなんですか!?教えて下さい!」
「だぁっと、落ち着けって、奏。珍しく大きい声出すなよ」
「あ、すいません────」
私の耳に支障がない範囲の大きな声で、先生は私を止めた。先生はスマホの画面を2、3度タップして私に見せる。
「────
「その人の歌、無料ダウンロード出来るから、メッセにリンク貼っとくぞ」
「それってその人公認ですか?」
「おう」
先生はそう言って、すぐに私にメッセージを送ってきた。
それからの私は、その人の歌を聴かない日はなかった。前までは耳栓をするか、我慢するかしていた道を、彼女の声と共に歩いた。
────私が彼女の曲を聴き始めてから1ヶ月くらい経った頃だろうか。彼女は、毎週のようにサイトに投稿していた歌を、更新することはなくなった。
***
────彼女の声だ。
青いリボンを携えたセーラー服を着ている彼女の声は、私がのめり込んだあの声だった。
「お姉ちゃん、ただいまっ」
「あ、おかえり~。1人でトイレできた?」
「うんっ!」
歌を歌い終わると同時に、私をここに連れてきた女の子は彼女に駆け寄る。その子はどうやら、トイレからの帰りだったらしい。
「このお姉ちゃんも一緒に遊ぶの!」
彼女を目の当たりにした驚きの中を泳ぐ私には、そんな言葉さえ聞こえてこない。ただ、聞いたことのある声の持ち主の、その光に反射する金髪を見るだけだ。
「え?連れてきたの?」
そう言いながら振り返る彼女と、目が合った。気のせいではなくて、確かに目が合ったんだ。
「あっ────」
私が出せたのはその短い声だけで、でも、合った目を離せない。
────彼女は何も言わなかった。そして、私と同じく、何故か目を見開いた。ここから無言の時間が始まるとも思えたがそんなことはなく、子供達が私の元に集まってきた。
「おねえちゃんもお歌を歌うのー?」
「僕と遊ぼうよ!」
「だめ!ワタシと遊ぶの!」
ハッと現実に戻された私の耳に、いつの間にか集まった幼い子供達の声がこれでもかと言う程やって来た。次第にその声は増えていって、身体の中にあのいつもの違和感が現れてくる。
「ごっ、ごめん!用事があるからっ」
振り絞った声でそう言って、急ぐように私はその場を離れた。人気のない場所に一目散に。走って逃げる最中に聞こえた「待って」という彼女の声。私はそれさえも無視した。
▲▼
「はぁっ、はぁ───はぁ────」
誰も居ない静かな場所を見つけ、私はその場に腰を落としていた。激しい動悸に苦しい息切れ、頭痛。今回は腹痛がないだけマシだ。
胸に手を置く私は、苦しくて顔を天井に向ける。変な汗が顔から滴るのを目で見ずに感じ、手で拭った。
────あそこに居たのって
そう考えるしかなかった。あの歌声を聴き間違えるはずがない。ほぼ毎日のように、私の耳に流れてくる声を、誰が間違えるだろうか。ましてや、私の耳なら────。
変な奴と思われただろうか。女の子に連れてこられて、来たと思えば早々に逃げるようにしてその場を立ち去った私は、変な奴以外の何者でもないかもしれない。────あの女の子も、泣いてないだろうか。悪いことをしてしまったという思いは、勿論のこと私にだってある。あの子は一緒に遊べると喜んでいたのに、私は─────。
「なんてバカなんだろ」
呆れる他、ない。こんな自分には呆れてばかりだ。一度だって、自分で良かったなんて思ったことはない。そんな場面も思いつくわけがない。17年という歳月を生きてきて、私は未だにこの身体との付き合い方を知らないのだ。
そう思いながら顔を膝にうずめようとしたとき、目の横が人影をとらえた。
「いた!」
息を切らしながら私の目の前に現れたのは、彼女だった。青いリボンがゆらゆらと揺れる。
私は彼女の栗色の目をじっと見つめ、彼女は私の目を見る。彼女は私を見つめたまま正面にしゃがんで。そして私は彼女の目を見つめたままで。
「あなたの目の色って、青色で合ってる?」
「麻崎、永実─────」
私たちの言葉は、重なった。そして────
「「えっ」」
2人とも同じ反応をした。
私は目の色を言われたことに、彼女はハンドルネームを言われたことに驚いたのだろう。
「わ、私のこと、知ってるんですか?」
「う、うん。毎日聴いてる」
「そうなんだ、ちょっと恥ずかしいなぁ」
小さな声で照れる彼女。どうして照れる。
以前調べたところ、やはり彼女にはファンが多いようだ。アップロードされている歌の感想の欄だって当然、誉め言葉の羅列がある。誉められるのは慣れてるんじゃ、と思う自分が居るのは内緒だ。
「でもよく分かりましたね。私、顔なんて出したことないのに」
ニコッと笑みを作り、彼女はその整った顔を指差す。
「まぁ、ちょっと訳有りなもんで」
「訳有り?」
彼女は疑問を顔に表した。確かに、訳有りという一言で全てを把握されたらプライバシーも何も無い。
私が黙っていたからか、彼女が先に口を開いた。
「ここで会ったのも何かの縁でしょうから、その訳っていうの教えて下さいよっ」
敬語を使ってるから彼女は大人しい性格だと思っていたが、完全に大人しい訳ではないようだ。
「そんな強引な。─────引かないでよ?」
「病院に居る人は大抵が訳有りなんですから気にしませんよ」
それもそうだ。と1人、心の中で勝手に感心する。
「私の耳、普通じゃないの」
そう言って私は彼女の顔を見るが、彼女はキョトンとした顔で私を見ていた。───え、私かなり勇気振り絞ったんだけど。
「────あなた、言葉足らずって言われません?」
「なっ!?」
なんと失礼な女なのだろうか。初対面の私に対してズバズバと言葉を刺してくる。しかしながら、先生にもよく言われるから否定をできない自分。
「あっ、すっすいません。どう耳が変なのか分からなくて────」
まぁ、確かに。───すぐに謝ってくるあたり、完全に失礼な人ではないようだ。天然なのか?
「うん、まぁ私も色々足りなかったから────。えっと、私の耳が変っていうのは、簡単に言うと音を受け付けないんだ」
「ん~もう少し詳しく」
「1人の声とかなら大丈夫なんだけど、いくつかの音が集まったり、声が集まったりすると気分悪くなって」
「それって、普通の生活できないんじゃ」
彼女は、心配するような目で私を見つめる。さっきからコロコロと表情が変わる彼女は、やっぱり天然みたいだ。
「普通の生活なんて、私には遠いものだよ。テレビも見れないし音楽もろくに聴けない。友達は最初からいないけど、そうやって遊ぶのもダメ。一人暮らしでやっとだよ」
「え、でもさっきは私の曲聴いてるって」
この時、私はどんな顔で彼女を見たのだろう。彼女は少し驚いた顔をしていた。
「麻崎さんの声だけだよ、私の耳を傷つけないのは。その声だけ、私は聞き取れる」
「え~なんか照れる」
さっき照れたばかりじゃないか。ていうか、そんなに照れられたら私が恥ずかしいよ。
「────で?麻崎さんのさっきの発言は?どういうこと?」
「さっきと言うと?」
「とぼけないで。私の目の色、聞いてきたでしょ?」
さっき、私達の声が被ったときに彼女は「あなたの目は青色?」と私に聞いてきた。見ればわかることを聞いてくるなんて変だ。
「私のことは聞いといて、自分のことは話さないなんてナシだからね」
彼女は、お手上げです。といった顔をして話を始めた。
「あなたって何歳ですか?」
「え?17だけど────」
「あ、良かった。同い年だ」
突然何を言うかと思えば私の年齢?ツッコみたい気持ちはあるけど、面倒なことになりそうだから聞かずにおこう。
「本題に戻るね。────実を言うと、私の目には色がない。つまり、色が見えないの」
「─────やっぱり。そうなんだ」
予想はしていたけど少し驚いた。そういう人が実際に居るなんて思ってもみなかったから。
わざわざ分かることを聞いてくるってことは、本人にはそれか分からないってことだ。
「今年の3月頃かな。朝起きたら色が見えなくなってた。私の好きだった物も家族の顔も全部がモノクロ。今は少し慣れたけど、はじめは怖かった」
「今年の3月って、曲を更新しなくなったのと関係あったりする?」
少し悲しげな表情を浮かべて、彼女は静かに頷いた。
「前はね、曲を作るときは綺麗な景色とか観てインスピレーションが出てきたのをそのまま曲にしてたんだ」
そこまでの言葉で、大体の察しはついた。色が見えなくなったことで、どうやって曲を作ればいいのか分からなくなったんだ。
「昔観た景色を思い出そうともしたんだよ?でもダメ。頭の中までもモノクロで色が見えない」
「それで、曲を作らなくなったんだ────」
「うん。────でも、そこであなた」
いつの間にか彼女は笑顔に戻っていた。私の顔を指差して、私の目を見る。
「あなたの目の色、見えるの」
「──────え」
鉄球に頭を突かれたような衝撃。彼女の声を見つけたときと同じような感覚が、私に訪れた。
「ビックリしたよ。さっき子供達と遊んでるとさ、あなたの目だけ色があるんだもん。で、あなたを追いかけてきたって訳なんだ」
思い出までもがモノクロに染まっている彼女は、色がどんなものなのかすら分からなくなったのだろう。思い出そうにも、いつも思い浮かべるものには色がないのだから────。
そして、相変わらず彼女の声は綺麗だった。すんなりと私の耳に流れてくる。歌だけでなく、話し声までも。その声で、彼女は私に呼び掛けてきた。
「さ、重た~い話はここまでにして、行きましょ?」
「え、行くってどこに────?」
そう聞いても彼女が答えることはなく、私の手を引っ張って歩き始めた。
彼女が進む道には見覚えがある。
「待ってよ。行くとこってまさか────」
「子供達のところ。さっきの子、泣いてはなかったけど落ち込んでたよ?謝らなきゃね」
やっぱり落ち込んでるんだ、あの子。ホントに悪いことしちゃったな。
「ごめん、イヤホンだけ付けさせて」
「あ、そっか。どうぞ」
手を離してもらい、音楽プレーヤーから伸びるイヤホンを耳に付ける。一時停止をしていなかったため、垂れ流しの状態だった。
彼女の曲を本人の前で聴く。なんだかそう考えただけで嫌じゃないけど変な気持ちになる。
「皆~ただいまぁ」
彼女の声に広場で遊んでいた子供達の顔が一斉にこちらに集まった。彼女を心待にしていた子供達は、わぁっと彼女に駆け寄ってくる。
「おかえり、お姉ちゃん!」
「うん、ただいま」
彼女を囲む子達の中に、あの女の子が居ることに私は気づいた。遊び場に置いてある熊のぬいぐるみを抱えて、私の方をじっと見つめている。音楽の音量を少し下げて、その子に近づいて───
「さっきはごめんね。お姉ちゃん、ちょっとビックリしたんだ」
「びっくり?」
「うん。────でさ、お姉ちゃんはお歌は歌えないけど、一緒に遊んでもいいかな?」
「うん!一緒に遊びたい!」
パアッと女の子の顔に光が灯る。無理矢理にでも、彼女に連れてきてもらって良かった。なんて、本人の前では恥ずかしくて言えないなぁ。
女の子とは積み木で遊んだ。お城を作りたいと、何度も崩したけど意外と楽しい。
「お姉ちゃん、その耳の糸なーに?」
「ん、これ?イヤホン」
「それでなにするの?」
「お歌を聴いてるんだよ」
「おうた────!」
聴きたい。と目を輝かせて言う女の子を私の膝の上に乗せて、片方のイヤホンを耳に添える。────周りの音は聞こえるが、片耳だけだから対して影響はない程度の音だった。
「あのお姉ちゃんの声がするよ?」
女の子は、例の彼女の方を指差して言った。上目遣いがなんとも可愛らしい。
「そうだよ。あのお姉ちゃんのお歌を聴いてるの。他にもいっぱいあるよ、聴く?」
「ききたーい!」
私達が盛り上がっているからか、彼女が声をかけてきた。────いや、恥ずかしがっているのだ。
「ちょっとぉ、聴かさないでよぉ」
「いいでしょ?見ず知らずの人に沢山配信してるんだから」
「目の前で聴かれるのはまた別なのよ」
────まぁ、分かるところはある。顔が見えないから出来ることもあるというのは、私自身、経験あるし。
「はい、プレーヤー没収」
「あっ!ちょっと────」
「ん?」
プレーヤーの小さな画面をじっと見つめ、彼女は少し驚いたような顔をした。
「あちゃあ、こんな時間かぁ。そろそろ行かなきゃ」
「え、今何時なの?」
「10時過ぎ。行かなきゃ3時限目に間に合わないや、体育なんだよね」
「そっか、じゃ私もだ」
そう言った時、袖をクイッと引っ張られた。振り返るとそこには
「もう帰っちゃうの?」
私を上目遣いで見てきて、キラキラな視線を送ってくる女の子が。その反則級の可愛さ、ズルいよ。
しかし、ここは─────
「ごめんね、また来週遊ぼ?絶対来るから」
「ん。────約束だよ?」
「うん、約束」
***
病院を出て、交通量の多い道路横にある歩道を私と彼女、2人並んで歩く。通勤ラッシュ時程ではないけどそれなりに車は多い。
しかし、今日初めて会った人と登校するって変な感じだ。しかも相手は私がいつも聴いている歌の声の持ち主。
「思ったんだけどさ」
「ん、何?」
歩いていると、不意に彼女が話しかけてきた。相も変わらず、日に照らされたその整った顔を私に向けてくる。
「イヤホンしてるのに人の声って聞こえるものなの?」
「うん。まぁ完全シャットアウトしてる訳じゃないからね。ホントはそれが1番良いんだけど、音楽でそれやったら私の耳がどうなるか────ははっ」
「ん~、耳栓とかは?」
「前までやってたけど、あれはなんか、曇った声が耳に響いてるみたいで気持ち悪かった」
「デリケートだなぁ」
全くの同感だ。私の耳に防音シャッターがあれば良いのに、と何度心の中で思ったことか────。
「私の声が他の音と混ざって気持ち悪くならないの?」
「ならないねぇ。麻崎さんの声ってすんなり入ってくるんだ。だから他の声はあまり気にならないっていうか」
「う~、恥ずかし~照れるぅ」
また照れてしまった彼女。どんな顔でもそこには彼女の可愛らしさというものがって、なんだか羨ましくなってしまう。病院のあの子とか彼女とか────。
「はぁ、顔面偏差値が高いわぁ」
「え、顔面偏差値?何それ」
彼女にとって聞きなれない言葉だったのか、首をかしげた。
「顔が整ってるってこと。さっき遊んでた子とか、麻崎さんだって高いし」
「え~、それだったらホラっ」
そう言うと、彼女は突然私の前髪をあげて、私の額をあらわにした。前髪の見えない風景の中に居る彼女はやっぱり綺麗だった。そして、彼女の口から出た言葉は
「あなたも綺麗な顔してるよ?」
顔の温度が、上がっていく。心拍もどんどん速くなっていって、彼女の顔から目が離せない。
「あれ?照れてる?」
目を細めて笑う彼女を見て限界を越えそうな程温度が跳ね上がった。漫画で例えるならボッ、という音が出そうな感じ。
「てっ、照れてないし!」
私は前髪をあげる彼女の手を
「耳まで真っ赤なのに~」
「耳は髪で隠れてるっ!」
「ふふ~んっ、見えてなくても見えるのだ~」
得意気になっている彼女の言っている言葉の意味が分からない。いやまぁ、考えれば分かるのだけれど分かりたくないのだ。────図星というものは、どうしてこうも認めたくないものなのだろうか。
────普通に会話をしているけど、この子は色見えないんだよね。そんなことを感じさせない彼女の心の内は、一体何色なんだろう。
「名前ってなんてゆうの?」
「え?」
気がつけば、私は彼女の名前を尋ねていた。
「いやさ、麻崎 永美ってハンドルネームみたいなものでしょ?本名教えてよ」
「えへ~ぇ?まずは自分が先に名乗るのではなくてぇ?」
漫画や小説のテンプレートみたいな会話。彼女は何かこう、掴み所がないと言えば良いのか。翻弄されてる感じが、身体に染み付いて離れない。
「────はいよ、私は間野宮奏。あなたの通う学校のお隣さんです」
「あ!ガリさん高校ね」
聞いたこともない高校名に、何それ。と彼女に返す私を彼女はキョトンとした視線を送ってくる。
「あれ、知らない?そっかぁ。────あれだよ、名前が
「それ絶対麻崎さんしか呼んでないでしょ」
「あり、バレた?」
────当たり前だよ。聞いことないし。
初対面の私にも隔てなく接してくれる彼女は、悪い人ではないのかもしれない。いや、病院であんなことをしたんだ、彼女は好い人だ。
「それで、麻崎さんの名前は?」
「あ、そうだったね。私は
まぁ、ハンドルネームなんて大体そういうものだろう。
「今となったら嫌な名前だよ」
──────彼女の口から出たのは、思いもよらない言葉だった。なぜかは分からないけど、彼女にぴったりの名前だと思ってたから。
「朝が美しいなんて、なんだか嫌味みたいでしょ?色が見えない私にとってはさ」
そんなことを言われたら、何も言えなくて。俯いた彼女の暗い顔、そこに浮かぶ悲しげな笑顔。
「────って、間野宮さんまで暗い顔しないでよっ。ごめんごめん」
彼女につられて、私も暗い顔をしていたようだ。こんなに誰かに、感情を向けることなんて普段はないのにな────。
「うん─────」
返事をするも、やはり元気がない声だった。
「んもう仕方ないなぁ。帰りに私の生歌を披露してあげるからっ。ね?」
彼女はまるで恋人であるかのように私の腕にしがみつき、甘える子供みたく顔をスリスリしてきた。
「アイスが良いな」
「げんきーん!」
「ははっ」
「あははっ。やっと笑った!」
▲─────────▼
「─────ってことがありました」
「ま、マジか、奏────」
相も変わらず、本日最後の授業も時間が余ってしまった。余談に次ぐ余談で話すネタも尽きたため、何か話そうとして口が滑った。
先生は自分の教え子と推しが出会ったことを未だに信じられないのか、ブツブツ独り言を言っては唸り声をあげ、私を見るという傍から見ると変人のような行動を繰り返す。
「今日もこの授業が終わったら、アイスを奢ってもらいます」
「お、俺も────」
「いやダメでしょ」
知能の低い会話だな、と頭の偉そうな人に言われそうな会話が、一番楽なのだ。頭の良いやつは頭の良いやつと会話しとけ、ってのが私の考えなわけです。
そんなこんなで授業終了のチャイムが鳴り、掃除を済ませて教室を出る。ホームルームは余った時間に済ませたようなものだから、私1人がガラガラに空いた校門までの道を歩いている。
────これは早すぎたな。
彼女が来るまでの時間、音楽を聴きながら本を読む。丁度、校門付近に腰をかけられるベンチがあるのだ。
目の前を過ぎていくいくつかの生徒達は、私を見ない。私に気付いてはいるが、気付いてない。今の私は、ただの風景だ。
「────この気持ちを人は何と呼ぶのでしょう」
私がふと読み上げた言葉に、それは恋だ。と、本の中の主人公が答えを返す。
恋なんて、私には縁遠いものだ。いや、恋だけじゃない。そこら辺に散らばっている普通が、か。
─────だから私は本を読む。音もなく、ただ文字だけで紡がれた物語を。本を通じて、私は普通をかき集めていく。出来ないことを、本が代行してくれるから──────。
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