第3話 マクシミリアンじゃなかった
もう一限、数学の講義を終えてから、私はマクシミリアンと予備校近くのファストフード店に入った。彼氏は別の講義があるとかで一旦別れた。本来なら、マクシミリアンは予備校の自習室かどこかで待つつもりだったんだろうけど、こうなった以上は諦めてもらおう。空高からここまで電車で三十分以上かかる。部活を抜けて来たなら相当急いだんだろうし、休憩か息抜きってことで良いだろう。
「――で、最初の切っ掛けは……?」
「……春季講習もここの、取ってて。あっちも同じクラスで……で、あっちから」
下衆い芸能リポーターか、と思いながら、それでも私はワクワクするのを抑えられずに切り出した。水滴を纏った紙コップを指先で撫でながら、マクシミリアンは小さな、でも嬉しそうな声で答えてくれる。固有名詞を使わない指示語の多さが恥じらいを伝えているようで、可愛いというか微笑ましいというか。歌劇部の子には内緒の関係だというなら、もしかしたら
「なるほどなるほど。で、彼ってどこ高?」
敬語を使うべきなのか、タメ語でも良いのか。分からないまま、私は沈黙が怖くて質問を重ねた。彼のことなんて別に知りたくもないのに。
だってマクシミリアンと
そう思うと心臓はドキドキしっぱなしだし、少し気を逸らしておかないと変な声が出てしまいそうだった。それか、やっぱり恥ずかしくなって逃げちゃうとか。ただでさえ最悪な第一印象だろうに、さらにマイナスに振れさせたくはなかった。
「えっと、
マクシミリアンがなぜか疑問符付きで教えてくれたのは、結構な偏差値を誇る男子校だった。すごいはすごいけど、まあ私にとっては他人事だった。マクシミリアンの彼氏ならハイスペックで当然、って気がするからかもしれない。
それよりも、そんなことよりも。私は
ワイングラスとかウィスキーのロックグラスは――まあ、未成年だしファストフード店だしあり得ないんだけど。コーヒーに砂糖を入れずに飲んでそうなイメージが勝手に覆されてしまって、驚いたというか。決して、がっかりしたなんて言えないんだけど。そう、だからやっぱりマクシミリアンも女の子で、私と同じような女子高生なんだ、ということなんだろう。
そんな、ある意味ではとても失礼かもしれないことを考えながら、私は恋バナに夢中になってるフリを続けた。
「頭、良いんだねえ。じゃ、一緒の大学目指すの? 音楽学校、だっけ? 歌劇団の……そっちは、考えてないんだ?」
「いや、あれはほんとすごい人たちしか入れないし……っていうか高校からじゃ遅いよ。中卒で入る人もいるから」
「そうなんだ……」
またひとつ、知らなかった知識が増えた。マクシミリアンも「ほんとすごい人」に十分入るんじゃないかと私なんかは思うけど、歌もダンスも演技も素人だから迂闊なことは言いづらい。ハードな世界だということ、主役を演じられるのは一握りだというのは何となく分かるし。野球部やサッカー部が皆プロを目指す訳じゃないように歌劇部も、ってことなんだろう。だからこれも、マクシミリアンが特別じゃないことのひとつ。高校時代は部活に打ち込んでも、別にライフワークにする訳じゃない。他の、沢山の子たちと同じだ。
「歌劇部あるとあんまり会えないでしょ。大変だね」
「んー……でも、
マクシミリアンは――
「あと、文化祭は見に来てくれるかもって」
「え、歌劇部的には大丈夫なの?」
「客席で見るだけで、話せないけど。見たいんだって」
「すごいびっくりされそう。あ、良い意味で。歌劇部ほんとすごいから!」
文化祭の当日、彼氏氏は私とは逆の衝撃を味わうことになるんだろう。可愛い自慢の彼女が、凛々しい男役として全校生徒から黄色い悲鳴を浴びるんだから。男子はああいうのを見てどう思うんだろう。まあ、武村さんも画像くらい見せてるかもしれないけど。歌って踊っての迫力はまた別だからなあ。
文化祭公演が終わった直後は、部員だけでの打ち上げだろう。彼氏の感想を聞けるとしたら、武村さんが帰宅してから、かな。彼氏さんはお疲れ様、とか格好良かった、とかのメッセージを送ってて、それを見た武村さんは微笑んで返信を考えるんだろう。ああ、甘酸っぱくて羨ましい。
「良いなあ……」
思わず漏れた溜息は、
そもそも私は、どんなつもりでマクシミリアン――というか武村さんを誘ったんだっけ。憧れの美形を前にして、もう少しだけお話したくなった、のかなあ。口止めを理由にプライベートな話を聞き出そうとするなんて、そんな勇気というか大胆さというか図々しさを、よく絞り出せたものだと思う。相手は、歌劇部のスターで全校生徒が知ってる有名人だ。こんなことでもなければ遠くから眺めてるだけ、話すチャンスなんて二度と巡ってこないと咄嗟に思ったから、だろうか。
でも、今の感じはほんのりと期待していたのとは、違う。私が話しているのはマクシミリアンじゃない。当たり前のことなんだけど、それは舞台の上だけの存在なんだ。私の目の前にいえるのは、同じ学校に通ってる子、私と同い年の子、普通の女子高生だ。すらっとしててものすごく綺麗で可愛いけど。こんなの、見ているだけじゃ分からなかった。
相手がいることの羨ましさに加えて、目から鱗が落ちた思いで呆然としていると、武村さんは軽く首を傾げた。剥き出しの首が細くて白くて、なぜかどきりとしてしまう。
「えっと、これで足りた……? あの、口止め料」
「あっはい! それはもう十分過ぎるくらいに!」
「そう……ありがとう」
ああ、なんでお礼を言ってくれるんだろう。私が非常識な誘い方をしたっていうのに。黙っていると信じてくれたのかな。それとも、惚気話に付き合ってくれたとでも思ってるのかな。
「あの……話しかけちゃってごめんね。戻ったら? 講義終わる頃には行ってた方が良くない?」
「うん。じゃ、行くね。……最初、私、言い方きつかったでしょ。ごめんね……」
「ううん、私こそごめん! 変なこと言っちゃって!」
「や、しょうがないよね。学校なら何でもなかったんだけど、ね」
会話をしている。一方的なインタビューじゃなくて、ちゃんと会話になっている。武村さんが私の言葉を聞いて、受け答えしてくれる。
信じられないシチュエーションにぼうっとしている私を置いて、武村さんは席を立ちながらふんわりと笑う。記憶にあるマクシミリアンの、眉を顰めた悩ましげな表情とはまるで違う女の子らしい笑顔。でも、この顔もすごく良い。格好良いでも可愛いでも、どっちでも良いしどっちでもある。変な意味じゃなく、私はこの子が大好きみたいだ。
ばいばい、と手を振ってあっさりと去っていく彼女の姿を、私はずっと目で追っていた。
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