一番星

陽月

一番星

 安藤あんどう志保しほが生徒会室の扉を開けると、既に他の役員が勢揃いしていた。とは言っても、安藤を含め生徒会役員は四名だけだ。会長の中井なかいりょう、副会長の鈴木すずきあん、書記の安藤と会計の山本やまもと一哉かずや、全員が高校二年生だ。

 長机を二つあわせた机の長辺に、パイプ椅子が二個ずつの四個という配置は余裕がありすぎる。そもそも、会長は一人だが他の職は二人ずつの定員のところ、立候補者がなく形だけの生徒会選挙を経て、最低限の人数だから、席に余裕が生まれていた。

 入り口から見て、左奥が会長、左手前が副会長、右奥が書記、右手前が会計の席になっている。奥にホワイトボードがある関係で、書記の席は奥側に配置されている。

 ゴールデンウィークが明け、暑くなり始めたこの季節、ホワイトボードの更に向こうにある窓は開け放たれていた。


 安藤の開けた扉に、鈴木と山本がそちらに視線を送るも、会長の中井はなにやらノートパソコンに向かって作業をしている。

「もしかして、今週、掃除当番なの私だけ?」

 クラス毎の掃除場所の割り当てを、クラス内でグループ分けをして掃除当番を回すシステムの中、おおよそ月に一度は割り当てのない週がある。確率だけなら、四人のうち掃除当番がある方が多数派なのだが、既に揃っているメンバーに安藤は焦りを感じていた。

「わたしは第一理科室だから、週一回でいいかということになってて」

「別に、四時に間に合ってるんだから、気にすることないでしょ。先生だって、まだだし」

 鈴木と山本がフォローを入れるものの、中井はひたすらノートパソコンに向かっている。


「よし、これで行くか」

 それまでノートパソコンに向かっていた中井が、唐突に口を開いたのと、安藤が席についたのはほぼ同時だった。三人の視線が中井に集まる。中井は、グルッと見回し、役員が揃っていることを確認し、言を進める。

「衣替えを廃止したいと思う」

 一瞬、生徒会室の空気が止まる。止まった空気を動かしたのは、山本だった。

「ちょっと待て。今日は体育祭についての集まりのはずだろ」

 安藤と鈴木が、そうだとばかりに二度首を縦に振った。

「それもやるが、俺の話を聞いて欲しい」


「俺は、きのう、失恋した」

 中井の突然の告白に対する驚き、しかしながらその情報と衣替えの廃止がどのように繋がるのか全く理解できない疑念、それらが混じった空気を無視して、中井は続ける。

「今日も暑いが、昨日も暑かった。だが、衣替えは六月、合服解禁までもあと一週間あるから、当然制服は冬服である学ランになる。正直暑いが、会長が校則を破るわけにはいかない」

 山本が大きく頷いて、同意を示す。

「そんな中、来月の体育祭の糧にしたく、俺は告白をしたが、振られた。しかもその理由が『なんか暑苦しいから』だ」

 中井の演説に、安藤が鈴木に目をやると、鈴木もちょうど安藤の方を見たところだった。目が合ったこともあり、二人に笑みが溢れる。

「つまり敗因は、暑い日に学ランを着ていたことにある。夏服だったら、爽やかで振られることなどなかったはずなのだ。そこで、衣替えを廃止し、気候にあわせて各自制服を選ぶことにしたい」

 無茶苦茶ではあるが、失恋から衣替え廃止が繋がった。


 ノックの音がして、扉が開く。四人の視線が集まる中、ワイシャツにノーネクタイの顧問、渡辺わたなべ敏夫としおが入ってきた。

「集まっているな、さっさと決めて終わるぞ」

 机からは少し離れた位置にパイプ椅子を広げ、そこに腰掛ける。いつになく、渡辺に注目が集まっていた。

「どうした? 始めないのか?」

 渡辺の言葉に、注目は中井に移動した。

「来月の体育祭についての会議を始めます」


 体育祭についての会議は、つつがなく進行した。基本的に、前年度の内容を踏襲し、それで行うということを決めるだけだ。

 生徒会選挙に候補者がなく、「このままでは体育祭が開催できない」と教師が生徒に立候補を促したりもしたが、特に生徒会で何かが変わるわけでもない。

「以上で、体育祭についての会議を終わります」

 中井の締めの言葉に、渡辺が立ち上がる。

「よし、決まったな。後は書類を提出しておくこと」

 言うだけ言って出て行こうとする渡辺を、中井が引き留めた。

「先生、校則を変えたいです」

「具体的には?」

「衣替えを廃止して、気温にあわせて制服を着たいです」

「それは、全員の意見と言うことか?」

 渡辺が一人ずつに視線を送る。口を開いたのは、鈴木だった。

「先生が来られる前に、少し話が出ただけですので、生徒会でも意見としてまとまってはいません。でも、わたし達は冬服なのに、先生のその格好はずるいと思います」

 他の三人も頷いた。


 渡辺は、先ほどまで座っていたパイプ椅子を、机の一番出口側の辺に持ってくると、そこに腰を下ろした。

「まずは、私個人の意見になるが、変えることはできるだろう」

 その言葉に、生徒会役員の目が輝いた。

「だが、単純に校則を変えたいです、ではダメだ。きちんとした根拠、変えることによるメリットやデメリット、デメリットがあるならそこをどうクリアするか、生徒の同意、そういうものを集める必要がある」

 中井以外の三人が考え込む中、中井だけは既に準備をすませていた。ノートパソコンの画面が、渡辺に見える様に向きを変える。

「例えば、これは気象庁のアメダスの観測データなんですけど、五月でも最高気温が二五度以上の夏日がある一方で、六月の梅雨の時期だと二〇度程度までしか上がらない日もあります。それなのに五月が冬服で、六月が夏服というのは気温的におかしいのではないかと、そういうような事でいいんでしょうか」

「ああ、そういう事で構わない」

 それならばと、山本が続ける。

「先生方の服装をチェックして、気候にあわせれば服装はこうなるという様なのは?」

「まあ、いいだろう。先生も生徒にあわせて冬仕様を着ろと言い出すより、何倍も良い。先生だけずるいも、言われなくなるしな」

 安藤が思いついたことを続ける。

「熱中症の搬送者数を調べて、暑くなりかけの五月も多ければ」

「テレビで、暑さに慣れていない時期が危険だって、言ってたし」

 鈴木が続けて、渡辺がコメントを返す。

「いいだろうな。生徒の安全に繋がるというメリットも提示できる」


 話し合っていれば、色々な意見が出てくる。そんな中、安藤が希望を追加した。

「どうせなら、男女の差もなくしたいな。冬にスカートって寒いし、男子は学ランの下に着込めていいなって思ってるもん。あと、制服のスカートって、自転車に乗ってるとまくれ上がりやすいから、片手で押さえなきゃいけなかったりで、嫌なんだよね」

「わかる、冬は寒い!」

 鈴木が同意した。

「夏はスカートの方が涼しいだろ? 女子だけそれだとずるいような」

 中井の意見に、安藤が反論する。

「男女差無しなんだから、男子もスカートをはけば、いいじゃない」

「いや、男がスカートというのは……」

 口ごもる中井に、山本が助け船にならない助け船を出す。

「イギリスで男子生徒がスカートで登校した、ってニュース見た気がするし、男がスカート駄目だというのは認識の問題では」

「イギリスはそもそも、キルトという伝統衣装があるからで」

「いや、日本だって袴はズボンだけど、着物ならどちらかと言うと、スカートの仲間では?」

 いつの間にか男子二人の男とスカートの話になっていたのを、それまで議論の行く末を見守っていた渡辺が止めた。

「まあ、男のスカートは置いておいて、制服の男女差を無くすのも通らなくはないと思う。だが、より難しくなるだろうな。今の二人の様子から、男子生徒の反対が多くなることが、想像できる」

 一同が静まりかえる。

「一度に多くのことを変えようとして、どこか一つで失敗して全てが無に帰すよりは、まずは最も確実なところを行って、実績を作った方が良いだろうと思う」

「つまり、衣替えの廃止だけに注力した方がいいということですね」

 中井の確認に、渡辺が頷いた。

「まずは、それだけでやってみなさい。それでも一年仕事になるだろうが、生徒会で校則を変えられるという実績を作れば、なり手も増えるかもしれないからね」

 中井、鈴木、安藤が「はい」と頷く中、山本が空気を破壊した。

「むしろ、より面倒そうで避けられるかもしれませんけどね」



 以降、生徒会は衣替えの廃止について動き出した。

 全校生徒に対して意見を募集した際は、賛成意見よりも反対意見の方が多く集まり、驚いた。しかし、この様な場合は賛成の者は意見を出しにくく、反対の者が意見を出しやすいのだと、顧問の渡辺が諭した。

 ただし、反対意見は校則を変えた場合のデメリットに繋がるものなので、対策を考えるようにと。

 多かったのは、服装の乱れに繋がるのではないかという意見や、決まっていないとどういう服装にしたら良いのか迷うし浮きたくないというものだった。


 前者に対しては、あくまで、制服の組み合わせの自由度を上げるだけであることを、強調した。教室内の服装が揃っていないからといって、乱れているわけではないと。

 後者に対しては、廃止ではなく、移行期間を長くする方向にした。基本的に六月と十月の衣替えは残しつつ、前後一ヶ月ずつのどちらの服装でも良い移行期間を設けることにした。


 後期には一年生から新たに役員二名を迎え入れ、教師やPTAとの協議を進め、少しずつだが、確実に進めていった。

 いつしか、生徒会役員には、成功させなければならないという、意識が芽生えていた。失敗すれば、大人の決めたことの中でやっていくしかないという意識を、生徒に埋め込むことになる。諦めに繋がってしまう。

 自分達の手で、校則を、決まりを変えていけるんだという実績を作るため、流れを作るために、成功させなければならなかった。


 そして三月、臨時の全校集会が開かれる。持ち物は生徒手帳、校長先生からの大事な話だと。

「もう、皆さんは何の話か分かっているでしょう。生徒会の働きにより、校則が変更されることが決まりました。生徒手帳の校則の服装規定のページを開いてください。夏服冬服の移行期間を五月一日から六月三〇日と、九月一日から十月三一日とし、その期間は制服であれば組み合わせを自由とします。各自、書き換えておいてください」

 集会の校長先生の話は長いのが常だったが、この時はこれだけで終わり、せっかく集まったものもすぐに解散となった。けれど、これは大きな一歩となった。



 その後、毎年、生徒会が何らかの校則を変えるのが伝統となる。

 数年後、前期の役員が決まり、最初の役員会議で、顧問が尋ねる。

「今年は、どの校則を変えますか?」


 相変わらず、役員のなり手は少なかったが、立候補を促す教師のセリフが変わった。

「生徒会がないと、校則が変えられないぞ」


 ただし未だ、制服の男女差無しは達成されていない。

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一番星 陽月 @luceri

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