抱き合って眠る

物音がする。眠りに落ちかけていた意識の片隅で、私は気配を感じ取った。

もちろん、泥棒や不審者ではないのはわかっている。一緒に暮らしている朱里だ。金曜日の夜は、いつも仕事から帰るのが遅くなる。なるべく音を立てないように、そろそろと歩いているのだろう。さつきが気付いたのは、玄関を閉めた時のがちゃりという音だけで、そのあとは音は聞こえない。


眠い目をこすりながら寝室から出ると、案の定ゆっくりと歩いていた朱里と鉢合わせた。

「ごめん、なるべく音を立てないように気を付けたんだけど」

「いいよ。一週間お疲れさま、お互いね」

私は謝る朱里のスーツの裾を引っ張り、寝室へと引き込んだ。


朱里はスーツの上着をハンガーにかけ、ツリー状のコートハンガーへとかける。スーツのズボンもぱぱっとズボン用ハンガーにかけて、Yシャツ一枚でベットへ潜り込む。

「寝かしつけて」

これは我が家の恒例行事で、朱里いわく、金曜の夜なら明日が休みだから朝シャワーを浴びれば良い、一週間の疲れを早く癒やして欲しい、と布団に直行してくる。私は、出来れば清潔になってから布団に入って来て欲しいとは思っているけれど、朱里に「早くさつき成分をチャージしたい」と真顔で言われ、ほだされてしまった。

首元に顔を埋め、腕を背中に回す。その腕を巻きつけるようにして抱きしめ、私も朱里成分をチャージした。

私のパジャマと朱里のYシャツが擦れる。朱里が外から持ち帰った熱気と、私の体温で暖まった布団のぬくもりが混ざっていく。汗の香りと石けんの香り。


私たちは身体を合わせない。私はその欲求自体を持ったことがない。朱里は、恋愛と行為は必ずしもセットではない、とやはり真顔で言っていた。朱里は大事なことを伝えるときに、真剣というよりも真顔としか言えない表情になる。

そんな私たちの間柄は、人から見たら恋人と定義されないのかもしれない。けれど、友達とはこんな熱量で抱き合うこともないだろう。

少し呼吸が苦しくなるほどの力強さでお互いぎゅうと抱きしめあったあと、ふっと力を緩める。すると、身体の中心にあったしこりが、するーっとほどけていくのがわかる。

そのまま腕の中で、背中を一定のリズムでトントンとし続けていてると、朱里はすーすーと寝息を立てはじめた。本当に、眠りに落ちるのが早い。これも、いつものことだった。

無垢な顔をして眠る朱里を見ていると、大きな子どもを抱いているようで、とても健やかな気持ちになり、心が満たされていくのを感じる。

一日仕事を頑張ってきた彼女の汗の香りが、首元に顔を埋め息を吸い込むと鼻を抜け、頭の中に充満する。性欲がもし自分にあったら、こういう時に欲情するのだろうか。ただただ、彼女の香りに扇情されるでもなく、安心している自分がいた。

よく頑張ったね、もう今日はすべて投げ出して、風呂もご飯も後回しで、私の腕の中で眠ってほしい。そう思いながら意識はゆっくりと薄まっていき、夜の闇に溶けるように眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百合短編集 甘め 詩乃 @ma96n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る