#58:記述する/させる


 ……屋上での二人きりの時間は、俺にはごくごくゆっくりに流れているように感じていたが、過ぎゆくものは、やはり過ぎゆくわけで。少し陽が翳ってきたようだ。


 風は相変わらず吹き付けてくるものの、俺とめぐみを中心とした半径20メートルくらいの空間が、くるりと球体のかたちをした空気に囲われ、その中で静かな時間が流れている、そんな感覚。


 俺は今のこの場が、現実のことなのか、いつかの「予知夢」の中のことなのか、よく判別できなくなってきている。判別することに、意味が無いからなのかも知れないが。


「……そうだ」


 ようやく落ち着いたかに見えるめぐみが、ついと顔を上げた。腫れぼったくなってしまった上下のまぶたは、それでもそれを見つめている俺に愛しさを運んで来るかのようで。


「柏木さんに見せたいものがあったんです。来週またドライブ、行きません?」


 ……「見せたいもの」。何だろう。またしても悪戯っぽい目つきになっためぐみは、俺にどうせ断れないでしょ的な、完全なる把握目線(さくらさんの得意技だと思っていたが)を寄越してくる。まあ、俺に選択の余地はもとより無いわけだが。


 「ドライブ」。その言葉を耳で捉えて、俺はようやく、「第二の事故」に至るまでの事を思い出し始めていた。


 1984年の事故によって、ひとり取り残された俺は、それでも宮尾家(さくらさんの実家だ)との縁を切られたく無い一心で、おためごかしのような、めぐみの養育費という名目で、月に20万を送金し続けるという、独りよがりな贖罪を続けていた。


 さぞかし、惨めで無様に映ったことだろう。それでも、俺は必死だった。この世界から切り離されたくなかった。毎月振り込むその金額の列が通帳に並ぶのを見て、胸の奥に鈍い痛みと、奇妙な安心感のようなものを噛み締めていた。


 一方の自分の生活はギリギリといった感じの困窮具合いで、ろくな物も食べてはいなかったが、却ってそのきつさが、自分が受けるべき罰のような感じがして、心地よかった。自己陶酔。それに逃げ込むことでしか、当時の俺は生きられなかったのだろう。


 仕事の方は、執刀にのめり込むことで、そしてそれによって意図せず付いてきた数々の成果によって、皮肉にも順調に、自分の地位を押し上げていった。


 過去を忘れ、いちばん充実していた時期だったのかも知れない。


 立場が上に上がっても、俺は救命の一線に立ち続けた。「救命」……ともすれば後悔と自責で内側から崩壊しそうな自我を、生と死がミリ単位で交錯する、現場が持つ言いようのない力場のようなものが、何とか現世に繋ぎ留めていてくれたのかも知れない。


 とにかく、20何年という月日をひとりで走り抜いた。だが、その先にあったのは、線維筋痛症という、予告無しに襲ってくる、全身の筋肉の痛みだった。特に右腕がひどく、寝ている時も疼いて、のたうち回るということが連日続いた。


 慢性的な睡眠不足を抱え、メスを握る手さえ、震えるようになっていた。俺は現場から退くことを余儀なくされた。その数日後、俺は辞職した。


 ひとり自分の部屋に閉じこもるようになって、俺がやることと言ったら、ひたすら過去のさくらさんとの思い出を頭の底から引っ張り出して、それがあたかもその日に起きた出来事かのように、大学ノートに書き綴ることだけだった。


 <9が つ22にち はじめてさ くらさ んとあうぼ くにとっ てのはつ デート かなりき んちょうしたさく らさんはむ らかみは るきがすき だそう でぼくとおな じだう れしかった>


 まともに動かない利き手の代わりに、ままならない左手でペンを握って。


 楽しかった日々をつぎはぎして、充実した一年の記録に仕立て上げた。作り終わったらまた、次のノートに同じことを書き紡いでいった。毎日、毎日。


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