#59:企図する/させる


 そんな、非生産的な生活も終わりを告げる時が来ていた。カネが尽きた。収入ゼロの俺には、毎月の養育費20万円を、送金することは既に不可能になっていた。


 それでも、持ち金の半分を送ることを課して、いや、自分への言い訳にして、決断を先延ばしにしていた。きっと心の奥底では恐れていた。そして助けの手が差し伸ばされることを待っていた。性懲りも無く。それも三か月が限界だった。


 最後の為に残しておいたしわくちゃの諭吉を大事にポケットにしまうと、俺はうだるような暑さの街へ出た。陽の光が眩しすぎて、ずっと地面を向いて歩いた。


 何軒か回った末、ようやく軽をレンタルできた俺は、最後の晩餐とばかりに食べたチェーン店のステーキ肉を、食べきれず残し、食べたものも全部、駐車場の植え込みに吐いてしまった。ほとんど何も食べていなかった胃が受け付けなかったのだろう。自販機で買った緑茶を流し込みながら、俺は何とかハンドルを握って目的地を目指した。


 行先はもちろん東名。大井松田。死ぬ場所ならそこしかないと、それだけは決めていた。さくらさんのこと、めぐみのことを思い出しながら、思いを馳せながら、俺はカーブの曲がり口でハンドルを切ることをやめて、アクセルを踏み込んだ。


 「第二の事故」では無かったな。自分の意思で……つまり自殺だ。それが、事の顛末だった。ようやく思い出した。思い出したくはなかったことだったが。


 瀕死の俺の脳の、何がどう作用したのかはまったくもって謎だ。


 目覚めた俺は、羊水のような温かな液体の中に浮遊していた。「内側」にいる、ということを直感で感じた。


 そして「外側」の俺は、25歳の一部の記憶を持った、別の人格を形成していた。


「俺」はと言うと、心というものがあるのなら、それがいくつかに分割されて、そうして出来た割れ目のようなところの、その奥の奥に逃げ込み、傍観者となったことを自覚した。


 そんな俺が「中」に潜んでいることも知らずに、「彼」は戸惑いながらも、真摯に「自分」と向き合おうとしてくれた。そんな「彼」が俺には眩しかった。


 そして、巡り合わせが。偶然この病院に勤めていたのか、意図されたものかは分からないが、とにかくめぐみは俺と「会う」ことを選んでくれた。


 めぐみ。20年振りくらいに再会した自分の娘は、自ら決意を持って、自分の父親を再び呼び戻す行動を起こそうとしてくれたわけだ。自ら買って出てくれたわけだ。


 そして彼女は、閉ざされてしまった記憶を無理に呼び覚ますのではなく、錯覚させてでもいいから、さくらさんとの輝いていた記憶に光を当てようとしてくれたんだ。それが、救済になると信じて。


 さくらさんの振りをして。「彼」に、そして一緒に「俺」にも語りかけていたんだ。おかげで俺は全てを思い出すことが出来た。さくらさんとの日々。その全てを。


 「彼」にも伝えたかった。唯一、自分の自由となったのは、においによって意識を失った「彼」の昏睡後、しばらく動かせる左手だったから、俺はそれで、自分の記した「日記」をなぞるように記述した。文言は何回も書いたのでほぼ体が覚えていた。「彼」に伝えたかった。共有したかった。


 そして「彼」を「予言」というかたちで導いて、自分もその記憶の追体験の中で、輝く記憶を取り戻していった。本当に、奇妙な体験だったとしか言いようがない。


 もちろん、記憶を取り戻すことに怯え、葛藤していた自分がいたことも確かだ。それがシンヤ。真なる俺、だったのかも知れない。さくらさんを死に追いやった過去だけを記憶の狭間に押しつぶして、新しい自分として甦ろうともしていた。俺は馬鹿だ。


 若き日に「彼」はそんな俺の良心であり、さくらさんを愛し、そしてさくらさんが愛した、本当の「柏木恵一」だ。


 だから、そこからねじ曲がってしまった今の俺は、そうだ。……俺こそが「ニセモノくん」じゃあないか。


 俺は、今に至った自分が正直、度し難い人間と自覚している。だが、そんな俺でも、「彼」の清々しさに触れたことで、少しは浄化されたんではないかとも思っているんだ。


「……」


 ふ、と長い回想から覚めた俺は、目の前で風に吹かれているめぐみの微笑んだ顔に、そこに生きる意味を感じ始めている。


 俺は再び生きていってもいいのだろうか。さくらさんから、その人生を、生命を奪ってしまったこの俺が。


 答えを求めて、すっかり高くなった空を見上げる。


 ……答えてはくれないだろうか、さくらさん。


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