罪を逃れた者
八月二十九日、堅く閉ざされていた門が開き、一か月余り社会と断絶されてきた生徒達は用事のあるなしに関わらず、学園外へ出向いた。
久方ぶりの遊楽を求め有した生徒達と異なり、北里は遊楽を求め有している場合ではなかった。
保健室のベッドに横たわる摂のベッド傍で椅子に座り込んでいた。
北里が朝の生徒達が起き出すより少し前に、摂からの呼び出し状に示された時間に保健室を訪ねた時、摂はかろうじて命を保っていた。
二言三言北里と対話をすると、弟を頼むとだけ言い残し息を引き取った。
最後に看取るのが俺で良かったのか、と北里はもう口を利くことのない摂に幾度かになる疑問を投げかけた。
北里の手には執務机の上に摂が残した紙片が一枚と、希望書と題された紙片には、着衣したまま学園内に土葬して欲しい旨と、弟を友達として支えてやってほしい旨と、白衣のポケットに入ったUSBメモリのデータを軽井沢の神谷茂郎という人物に渡して欲しい旨が自筆されている。
心を痛ませながら摂の死を哲に告げ、泣き崩れる哲の傍らで他生徒と摂の死体を埋葬し終えると、摂の遺志であるUSBメモリを携え、北里は一人軽井沢を目指し学園を後にした。
摂の死から三か月が経とうとしていた、冬のつむじ風が地を撫でる十一月二十八日、日本の全国民が報道を知り憤慨もしくは戦慄した。
厚生労働省の役人の一人が、朝鮮民主主義人民共和国の何らかの組織と、密接な繋がりのあることが確認され、先日の風月学園ペストの事件で首謀者的な役割を担っていたことも判明した、という報道が国民の耳目に未だかつてない衝撃を与えたのだ。
翌日の十一月二十九日、北里は神谷と共にペスト感染の没者の墓地となった風月学園の旧グラウンドに、追悼の花束を抱えて訪れた。
木の銘板を埋め込んだ生徒達の墓の間を縫って、墓地の最奥部に摂の墓はあった。生徒達の墓と寸分変わりない造りだ。
「誰かいるぞ?」
摂の墓の前でまるで手入れのされていない長髪と薄汚れた白衣を着た男性が、黙然と佇んでいた。神谷は男性が誰かを判別しようと目を凝らす。
神谷の胴間声が聞こえたのか、墓の前の男性は怯えた顔を振り向ける。
「おおっ」
神谷は男性と目が合った途端、嬉し気な声を出した。
「梅野じゃないか、久しぶりだなぁ。大学以来か」
親しく声をかけてきた神谷に、白衣の男性梅野は畏縮して小さい会釈を返した。
「なんだ、元気ないな。何か後ろめたいことでもあるのか?」
「いえ、そういうわけでは」
心情をちっとも慮らず訊かれて、梅野はばつが悪く目を伏せる。
梅野に再会を喜ぶ気がないとわかり、神谷は笑ませていた顔を平素に戻す。
しばし沈黙が場を占めていると、ばつ悪そうに目を伏せたまま梅野は神谷の横を通り過ぎようとした。
「梅野さん」
今まで無言だった北里が、唐突に呼び留める。
三人が横一列に並ぶ位置で、梅野が立ち去る足を止めた、北里に肝を冷やしたようにギョッとして目を遣る。
北里は身体ごと梅野に向け、真剣な目で見返す。
「梅野さん。森下先生に何をしたんですか?」
「……言わないといけないかな?」
「先生から梅野さんに何をされたか、具体的に聞きました。梅野さんがなんでそんなことをしたんだ?」
「……人類の古来からの習性だよ。僕が彼女を欲したからだ。後代の人類が考え第出した倫理とか貞操とか、そういった外的抑制が狂るほどに彼女に惚れてしまった。それでもペスト菌は僕よりも先に彼女を手中に収めていた。僕はペスト菌に負けた」
「梅野は不問に付すって、先生死に際に僕に言いましたよ。それとペストの下で人の価値観や観念は変わるんだな、とも言ってました」
「僕は許されたのか?」
思いも寄らない赦免に、罪悪感を吐き出すように問うた。
北里は肩を竦める。
「どうでしょうね。先生は腫脹の出来た肌を見られたのが不服だ、ともボヤいてました」
「それは悪いことをした。僕は彼女を愛する資格を捨てた方が良さそうだ」
そう呟き歯噛みし、慚愧に悶えるような思いを抱えて、梅野は荒涼とした墓地のを出入り口へ進んでいった。
梅野の歩き去る背中を北里は侮蔑を孕んだ目で、墓地の外に消えるまで凝視した。強姦魔め、と心の内で罵った。
学園ペスト 青キング(Aoking) @112428
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