雪融けの季節

平中なごん

一 雪まつりでの出会い

「また、雪が降る頃になったら帰って来るよ……」


 三月も後半、この寒冷な地方にも雪融けの季節がやって来た頃、彼は最後にそう告げて、留学先の遠い北の国へと帰って行った――。




 わたしが彼と出会ったのは、地元で毎年行われている雪像フェスティバルの会場だった。


 札幌の雪まつりなどとは比べものにならないくらい小規模なものであるが、まあ、似たような感じのお祭りである。


 それでも、一応、プロやセミプロのアーティストの人達が作っているので、サイズは大人の等身大がせいぜい雪像のレベルはそれなりに高い。


 会場の公園にはそんな雪像が大小三十余りそこここに立ち並び、親子連れやカップル、学生のグループなどがわいわい騒ぎながら、思った以上に盛り上がりを見せていた。


 その喧騒に紛れ込み、先頃、グランドスラムを制して世界ランキング一位になった某女性テニスプレーヤーや、成果はともかくも歴史的会談を果たした某国家元首二人が握手する姿など、何かと話題性のあるモデルを模った雪像をぼんやりと眺めながら進んでゆく……。


 少し灰色がかった雪の塊をやや角ばった線で刻み込んだそれは、モデルとなっている本人に似ているようでもあり、でもよくよく見てみれば似ていないようである。


 白い雪で作られたそれは刻まれた陰影だけの表現なので、正直、似ているかどうかの判断は難しいところだ。


 だが、雪像の出来が良かろうが悪かろうが、わたしにとってはどうでもいいことだ。


 わたしの瞳に雪像は確かに映っていたが、それらの無機質な雪の塊に対して、わたしはなんら感慨も抱いてはいなかった。


 なぜなら、昨日、わたしは失恋をしていたからだ……。


 わたしをフったカレ……いや元カレは、同じ学校に通う金持ちのボンボンのバンドマンで、暑苦しいくらいにわたしへの愛を表現し、女の子の気持ちもよくわかっていて、いつもわたしを楽しませてくれる人だった。


 ……でも、それは裏を返せば女慣れしているということでもあり、無類の女好きでかなりの浮気性でもあったのだ。


 今さらながらにも、それに気づく時は突然に訪れた。


 運命の悪戯にも、昨日、彼がその浮気相手とデートしているところに偶然、出くわしてしまったのだ。


 だが、わたしが問い詰めると最初の内こそいろいろ言い訳をしてはいたものの、最後には開き直って潔いくらいにあっさりと浮気を認め、「嫌ならもうおまえとはつきあえない」と、むしろわたしの方がブラれてしまった……。


 結局、私は彼の遊び相手の一人に過ぎなかったのである。


 もちろん昨夜は一晩中、友達からのメールや電話も一切無視して、わたしは独り部屋でずっと泣いて過ごした。


 思いっきり泣くだけ泣いて疲れ果てるといつの間にやら寝落落ちしており、次に目を開けた時にはすっかり日も登っていた。


 今日が日曜日で学校がなかったのが幸いである。


 それでも、部屋に引きこもっていても気が沈むだけなので、ようやく外に出てみようかという心持ちになったわたしは、買い物に出た帰りに近所の公園でやっていたこのフェスティバルを見かけ、気分転換にでもなればと覗いてみたのだった。


 ……しかし、気分を変えようと雪像を眺めてみても、心に浮かぶのはカレ……元カレとの楽しいデートの思い出や些細な理由でケンカをしたこと、幾度となくリピートされる、フラれたあの日の衝撃的な光景など、とにかくカレにまつわることばかりである。


 どんなに気を紛らわそうとしても、所詮、本心を欺くことなどできないのだ……。


「…あ、あのう……」


 そうして、心ここにあらずという感じで目の前の雪像を眺めていた時のこと、突然、その雪像が声を発したのだった。


「え……?」


 はじめ、わたしは失恋のショックのあまり幻聴でも聞こえたのだろうと思い、驚くというよりもそれを確認するために、改めてまじまじとその雪像を見つめてみた。


 それは誰をモデルにしたものか知らないが、背の高い細身の体にシュっとしたロングコートを纏い、愛嬌のある丸顔に丸眼鏡をかけた青年の立像だ。


「あ、あのう……僕に何か?」


 だが、目を細めてわたしが凝視する前で、その雪像は再び声を発する。


 しかも、今度はちゃんと唇が動くのも目撃してしまった。


「え、ええええぇぇ~っ!?」


 さすがに今度はびっくりして、人目も憚らずに大声を上げてしまう。


「うわっ! ど、どうしたんですか? いきなり……」


 すると、雪像の方もわたしの叫び声に驚いた様子で、丸眼鏡の奥の目をいっぱいに見開いて動揺している。


「…………あれ?」


 いや、よくよく見てみれば、それは雪像ではない。


 銀に近いアッシュの髪にスラブ系のように真っ白い肌をしていたのでそう思い込んでしまっていたが、それは白いロングコートを着込んだ生身の青年である。


「に、人間……?」


 どうやら気もそぞろに雪像を見て回っていたわたしは、てっきり彼を雪像だと勘違いして、失礼にもガン見してしまっていたらしい。


「…あ! ご、ごめんなさい! わたし、てっきり雪像だと……って、す、すみません……」


「アハハ……確かに僕、全身真っ白ですからね。その上、青っちろい顔してるし」


 慌てて謝るも重ねて失礼なことを思わず言ってしまうわたしに、彼は色素の薄いハシバミ色の瞳を針のように細め、自虐的な台詞を口に照れ笑いをしてみせる。


 それが、わたしと彼の最初の出会いだった。


 出会い方としては最悪だ。なんとも失礼でガサツな女だと嫌われても仕方がない……。


 でも、彼は怒るでも侮蔑するような視線を向けてくるでもなく、その丸顔に優しげな微笑みを浮かべてわたしを見つめ返している。


 そして、不意に心配そうな顔になると、こう、わたしに尋ねるのだった。


「どうかなさいました?」


「え……?」


 わたしはなんのことだかわからず、キョトンと小首を傾げて尋ね返す。


「いや、なんだかとても悲しそうな顔をしているので……」


 すると、そう答えた彼の言葉に、わたしは初めて、自分が悲しげな表情をずっと浮かべていたことに気づいた。


 そうか、わたしは悲しいんだ……。


 そのことを認識すると、不意に〝悲しい〟という感情がリアルに込み上げてきて、自然と熱いものが頬を伝わって零れ落ちてゆく。


「あああっ! え、えっとなんだ……と、とりあえず、そこら辺のベンチにでも座ってまずは落ち着きましょう!」


 そんなわたしを見た彼はおもしろいくらいに慌てふためき、バタバタと腕を振り回しながら、わたしを近くのベンチへと誘った。




「――そう……でしたか……」


 むしろわたしより、あまりに動揺している彼を落ち着かせるためもあったのだが、なんだか誰かに聞いてもらいたいような気もしてきて、わたしは失恋したことを素直に話して聞かせた。


 そういえば、親しい友達も含めて失恋の話をするのは彼が初めてだ。


 なぜだろう? 初対面のはずなのに、こんな重たい話題でも彼にはとても話しやすいように感じる。


 そう……こう言っちゃ悪いが、例えるならペットの犬や猫、あるいは人形やぬいぐるみに愚痴を聞いてもらうような……この人懐っこそうな丸顔のせいだろうか?


「こういう時、なんて声かければいのかわからないですけど……げ、元気出してください! せっかくのお祭りなのに、そんな悲しい顔をされていたら僕も悲しいです!」


 わたしの話を聞き終わった後、彼はいかにも不器用そうに、だが、ものすごく真剣にわたしを励まそうとする。


 どうしてわたしが悲しいと彼まで悲しくなるのか? 言ってることも支離滅裂だ。


「い、いや、そんなこと言われても、急に元気なんか出ないですよね……すみません、勝手なこと言ってしまって……で、でも、とにかく今このひと時だけでも悲しみを忘れて、あなたにはハッピーになってほしいんです!」


「…クス……ありがとうございます……」


 そのあまりの真剣さを見ていたら、なんだか急におかしくなってきて、申し訳ないが思わずわたしは噴き出してしまった。


 元カレだったらもっとカッコイイこと言って、スマートにわたしを慰めてくれていたことだろう……。


 そんな元カレに比べれば、女性の扱い方やしゃべりのテクニックは月とスッポンであるが、わたしを心配してくれているその思いは、むしろ元カレ以上にぐっと深く心の奥底に伝わってきた。


「ハァ~ぁ……それじゃ、今だけでもお祭りを楽しむとしますか………せっかくだし、一緒に見て廻りませんか?」


 なんだかいつまでもクズ男との恋を引きずっている自分がバカらしくなってきて、わたしは両手を組んで思いっきり背を伸ばすと、とりあえずは〝今〟を楽しむことにした。


「はい! 僕なんかでよかったら、よろこんで」


 なんとなく流れで誘ったわたしの言葉に、彼は再び優しげな微笑みをその丸顔に浮かべて、どこかうれしそうにそう答えた――。


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