ニ 公園のデート

 それから、わたし達は一緒に楽しく、雪像を見てフェスティバルの会場を廻った。


 それまではただ瞳に映っているだけだった雪像オブジェ達が、彼と一緒に見始めるとようやくちゃんと見る・・対象へと変わり、わたし達は他の来場客と同じように、「これはモデルのあの人によく似ている」だの、「これはイマイチな出来だね」などと勝手な批評をしながら笑い合った。


「おい、先生の作品どうすんだよ? なくなったなんて知ったら怒られるだけじゃすまされないぞ!」


「仕方ない。こうなったら、俺達で代わりのやつ作るか……でも、技術的に無理があるな……そうだ! チーフを白いペンキで塗って、なんとかそれで誤魔化そう!」


「ええっ! お、おい、なんで俺なんだよ? ば、バカよせ! じょ、冗談だろ…うわっ! は、離せっ…」


 途中、有名な彫刻家の作品が壊されただか溶けてなくなっただかいうアクシデントがあったらしく、運営側のスタッフがバタバタと右往左往していたが、不謹慎ながらそんな騒動も傍から見ている分にはなんとも滑稽で、わたし達を盛り上げるための良いイベントとなった。


 わたし達は思いの外意気投合し、このわずか30分にも満たない時間があまりにも楽しかったので、別れ際にまた一緒に遊ぶ約束をした。


 そして、次に会った時にもまたとても楽しいひと時を過ごせたので、さらにまた会う約束をして、気づけばわたし達はデートを重ねる間柄になっていた。


 つまり、いわゆるなんというか……世間一般的に言えば〝つきあってる〟というような関係であるわけだ……たぶん。


 ま、別に「つきあってほしい」と告白されたわけではないし、わたしからも確認したわけではないので、そう言い切れるかどうかは微妙なんだけど……。


 毎回、デートの待ち合わせをするのは、最初に出会ったあの公園だった。


 すでに雪像はすっかり撤去され、フェスティバルの面影はまったく残ってはいないが、それでも白いものが所々残るその公園は、わたし達にとって記念すべき場所である。


 もちろん、電話番号や某SNSのID交換もしたかったが、それは残念ながらかなわなかった。


 いや、別に嫌だと拒否されたわけではない。ほんとにしたくてもできなかったのだ。


 話を聞くと、彼はノルウェーに留学しており、今は長期休養を利用して日本へ帰ってきているそうなのだが、なんともうっかりさんなことにもスマホを向うに忘れてきてしまったらしく、こっちで買うのも貧乏学生だからお金がないし、実家の家電にかけるというのもハードルが高いし……とにかくそんなこんなで、わたしの番号を伝えるだけの一方通行で妥協したわけだ。


 同じ貧乏学生という理由で、デートの行き先もウインドウショッピングとか、市営の無料で入れる動物園とか、はたまた近隣の景色の良い場所とか、そんなまったくお金のかからない所ばかりだった。


 わたしがお金出すからといっても、男のプライドなのかなんなのか、喫茶店でお茶するのですら「また今度、お金ある時に僕のおごりで…」と、頑なに拒む始末だ。


 ……でも、それでもわたしはよかった。


 彼と一緒に並んで歩き、一緒に同じ景色を見て、一緒に同じ空気を吸い、一緒に笑って、時に不満や毒を吐ければ、それだけでわたしは幸福な気持ちになることができた。


 いつの間にか、わたしは失恋のショックも忘れ、すっかり彼に恋をしてしまっていたらしい……。


 不器用で、愛情表現もヘタクソで、手も氷のように冷たいし、お金もジョークのユーモアもなくて……元カレとはまったく正反対の人だったけど、彼の真心はあのクズ男の十倍も百倍も千倍も…いや万倍も温かかった。


 それは春の日の暖かな陽光のように、失恋で凍てついたわたしの心を徐々に融かしていったのだった。


 でも、彼は遠い北の国の留学生……わたしの心と同じように、この街の景色から冷たい雪が融けて消える頃、同時に別れの季節もやって来た。


 長期休暇が終わり、留学先のノルウェーへ帰らなければいけなくなったのだ。


 すぐとなりの国ならばまだしも、北の果てにあるノルウェーでは、会いたくなったからといってちょっと会いに行くなんてことも難しいであろう。


「――しばらく、お別れだね……」


 最後のデートに選んだのも、やっぱりあの公園だった。


 思い出のベンチに座り、ごくわずかに白いものの残る、もうずいぶんと見慣れた景色を眺めながら、となりに座る彼にぽそりと言った。


「ああ、そうだね……淋しくなるよ……」


 彼もこちらを振り向くことはなく、芝生の上を駆け回る幼児の方へ視線を向けたまま、わたしのつぶやきに小さな声でそう答えた。


 二人とも、本当ならば触れたくはない話題なのだ。


「で、でも、今の時代、ネットあるし、お金かかるけどたまになら国際電話もできるし、ぜんぜん現実の距離なんて関係ないよ! フリーメールのアドレス教えるからさ、向うに行ったらメールしてよ! あと。顔見たくなったらテレビ電話とかもしようよ!」


 わたしは彼との繋がりをなんとか保とうと、今度は彼の方へ顔を向けると、自分に言い聞かせるようにして早口にそう告げる。


「ああ、そうだね……うん。必ずメールするよ……電話も……必ず……」


 すると、彼の方はやはりこっちを見ることなく、先程と同じ調子でぼそぼそと途切れ途切れにそう答える。


「それじゃ、飛行機の時間もあるし、僕、そろそろ行くよ……」


 そして、ベンチからおもむろに腰を上げ、背を向けたままそう切り出すのだったが……。


「あ、あのさ、僕、じつは……」


 不意にこちらを振り返ると真剣な眼差しでわたしの顔を真っすぐに見つめ、何か意を決したかのように改めて口を開いた。


「………………」


 わたしは黙って彼の顔を見つめ返したまま、じっと息を飲んでその後に続く言葉を待つ。


「……あ、や、やっぱりいいや。また今度にしよう」


 だが、これだけ気を持たせておいて、彼は臆病風にでも吹かれたのか、その先の肝心なところを言わずにやめてしまう。


「ええ~! なにそれ~!? ハァ…そこまで言ったんならちゃんと最後まで言ってよ~。気になるじゃん」


 わたしは思わず眉根を寄せて、あからさまに落胆した声でため息交じりに文句を口にする。


 このシチュエーション、どう考えたって愛の告白だろう……しばらくのお別れを告げるこのタイミング、告白するのにはまたとない機会である。


 それなのに……優柔不断といおうかなんといおうか、こういう所が彼はちょっと玉に瑕だ。


「ま、まあ、これが本当に最後のお別れってわけでもないんだし、続きは今度の楽しみってことで……また、雪が降る頃になったら帰って来るよ……」


 しかし、苛立つわたしの気持ちを知ってか知らずか、彼は慌てて言い訳を口にすると、普段と変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべてはっきりとそう告げる。


「うん。待ってる……」


 その、いつも癒してくれる笑顔に思わず絆されて、わたしも口元を緩めると、彼のハシバミ色の瞳を見つめながらそう返した――。

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