三 別れの季節
「――ハァ……やっぱり、今日が限界だったろうな……」
彼女と別れ、駅の方へ行くふりをしてから再び公園に帰って来た僕は、もう一度このベンチに座り、独りで空を見上げていた。
澄み渡る青空からは陽光が降り注ぎ、こうしてずっとひなたにいれば暑いくらいだ。
視界に映り込む頭上の梅の枝も、蕾が大きく膨らんで今にも花が開きそうである。
もうすぐそこまで春が来ているのは、誰の目にも明らかだろう。
このまま
ならば、思い出深いこのベンチで、僕は潔く最後の時を迎えたいと思う。
「また、彼女に嘘を吐いてしまったな……」
この世から消滅すること自体は別に怖くもなんともない。
それは生まれた時から宿命づけられていたことであるし、最初から覚悟はできている……いや、本当ならもっと早くに僕はこの世からいなくなっているはずだったのだ。
それよりも、僕が辛いのは彼女に嘘を吐いてしまったこと……そして、彼女との約束を守れないことだ。
彼女をこれ以上悲しませないためにあんな嘘を吐いてしまったが、僕はもう彼女に電話することも、メールすることもできない。
いや、嘘はそればかりではない。
僕が留学生だということも、ノルウェーに帰るということも、スマホを忘れてきたということも、貧乏だからスマホが買えず、電話番号やIDの交換ができないということも全部嘘なのだ。
確かに僕は日本のこの街で生まれたが、ここで育ったわけではないし、ここに家もなければ、日本人でもない。
だけど、僕は最後の最後まで、本当のことを告げることはできなかった……本当のことを知れば、きっと彼女はひどく悲しむ……いいや、それはただの言い訳だな。僕は本当のことを知られ、彼女に嫌われるのが怖かったのである。
あの日、彼女に見つめられたことからすべては始まった……。
彼女は僕を他の
それを見て、いけないこととはわかっていたがどうにも放ってはおけなくて、思わず僕は声をかけてしまったのである。
まさかそれが、こんな展開を生むだなんて……この僕が、
すべては、こんな奇跡を起こしてくれた神さまと、僕の創造主である先生に感謝だ。
僕は当代随一と謳われる先生によって、若かりし先生がノルウェーに留学していた頃の似姿として生み出された。
その技術があまりに素晴らしかったせいか、神さまは気まぐれに一つの奇跡を起こし、僕のこの仮初の体に魂を宿してくれたらしい。
そのおかげで僕は彼女と出会い、短い間でも幸せな時間を過ごすことができたのであるが、それは喜ばしい奇跡であるとともに残酷な仕打ちでもあった。
なぜなら、確実に悲しい別れがすぐ先に待っているのだから……。
電話もメールもしなかったら、やっぱり彼女は淋しく思うだろうか?
嫌われたくないと思う反面、彼女の幸せのことを考えれば、むしろ嫌われて、僕のことなんかすっかり忘れてしまえばいいようにも思う。
やはり、最後まで「好き」と口にしなかったことは正解だった。
心根の優しい彼女のことだ。もしも僕の思いを伝えていたならば、きっと来年の雪の季節まで、僕を信じて帰りを待っていたに違いない。
だが、どんなに待とうとも、僕が彼女のもとへ帰ることはもうできないのだ。
…………それでも。
それでも、もう一度だけ奇跡が起こるならば、来年また先生の手で似姿が作られ、僕は再びその体に宿って彼女に会いに行きたい。
もちろん、そんな都合の良いこと、かなわぬ夢であるとは重々理解しているのだが、それでも、そんな神さまの気まぐれが再び起こることに一縷の望み託し、僕はこの短い生涯を閉じることとしよう。
……暑い……全身から水滴が流れ落ちるのとともに、だんだんと意識も遠のいてきた……。
彼女と初めておしゃべりをした思い出のベンチの上、僕は静かに目を瞑ると、彼女との楽しい思い出を心に思い浮かべながら、ゆっくり永遠の眠りへとついた――。
その日の夕刻、オレンジ色に染められたベンチの上には、陽を浴びて融けた雪の塊が、ヒト一人分くらいの大きな水溜りを作っていた……。
(雪融けの季節 了)
雪融けの季節 平中なごん @HiranakaNagon
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