十一.僕は許可しない


 おかしな話ではあるが、死なせたくないと思った。


 森を汚す毒の煙も、吐き気を催させる血の臭気も、不快さの点では白夜にとって違いはない。

 地中に潜む存在モノが容赦なく騎士の命を狩りとり、標的を若い傭兵へと向けるのを苛だたしく思いながらも、何もできない自分が歯痒かった。


『それ以上殺すな』


 彼は自分と近しき存在モノだ。制止の声は届いているはずなのに、返るこたえは沈黙のみ。

 視線を転じて傭兵を見れば、こちらはこちらでやる気になっている。

 若さとは――時に理解不能だ。


 無為な殺し合いは愚かな行為ではないのか。それとも自分が眠っている間に、正邪の尺は基準を変じてしまったのか。

 記憶がまばらな白夜には、どうとも判断がつかない。


『殺すより先にすべきことがあるだろう』


 傷を負った娘の意識は今も途切れたままだ。

 毒消しと治癒は、大地を操る力を持つ彼になら簡単なことではないのか。殺すより生かすことを優先すべきなのは、時の移ろいに関わりなくあたりまえのりつではないのか。


 カナイはアイツに任せた、と答えが返る。その言葉によって白夜は、すぐ側まで来ていたユーキの気配に気がついた。

 揺れの治まった地面を這ってカナイの側まで行くと、慎重な足取りで近づいて来たユーキが白夜に気づき、表情を変える。


「ひどい傷だ、翼が折れてるじゃないか」


 あぁ、彼はまともだ。と内心で安堵して、白夜はゆるゆると頭を持ちあげた。


『私は無事だ。それよりカナイを、早く』


 確かに痛みはするが、命に関わるほどではない。

 ユーキもそれは見てわかったのだろう。頷いてカナイの隣にしゃがみ込み、手を添えながら、腹に突きたった矢を引き抜いた。


 くぅと息の漏れるような声がして、少女の表情が苦しげに歪む。

 矢を抜いたために開いた傷から血があふれ、衣服に染みを広げていくが、ユーキはすぐには止血せず、傷口の周りの衣服を慎重に切り裂いていった。


「良かった、貫通はしてないみたいだ」


 カナイの持つクロスボウの矢は、長さも短くやじりも細い。非力な少女が使うのだから威力の弱さは仕方ないが、今回はそれが幸いしたのだろう。

 傭兵の彼が手加減したかどうかまでは、白夜の知るところではないが。


 ユーキが荷物から水筒を取り出し、口の中で精霊語を唱えて魔法を発動させた。瞬時に酒へ変じた中身で布を濡らし、傷口と周りを丁寧に拭いてゆく。

 苦しげな呼吸と共に上下する少女の薄い腹も、白い肌を裂いた赤い傷口も、何もかもが痛々しくて、白夜はいたたまれない気分でユーキを見た。


『深いのか』


「浅くはないけど、大丈夫。今、魔法で毒を中和して傷をふさぐよ。でも所詮、魔法は表面的な効果しかないから、良くなるまでは絶対安静だね」


 医者のような口調で語るユーキの様子はひどく悲しげだ。

 彼の想いが自分と近いことに気づき、白夜はどうしたものかと考える。


『オマエはカナイを治癒していてくれ、ユーキ。私は二人を止めに行く』

「ダメだ」


 即答だった。意外すぎる反応に二の句が継げず、返答を探している間に、ユーキの方が言葉を加える。


「カナイの手当てが終わったら、すぐに君の翼の応急処置をする。だからシロ君はそこにいなさい」


 優しげな口調は変わらないのに有無を言わせぬ強さが含められていて、白夜の心中に疑問と困惑をかき立てた。


『なぜだ? 私の傷は命には関わらぬものを』


 魔法でふさいだ傷口に薬を塗りこみ、布を当てて包帯を巻いてゆくユーキの手際はよどみがない。

 眼鏡の奥の真剣な瞳は少女に向けたままで、彼は白夜にきっぱりと答えた。


「僕はカナイにもシロ君にも、痛みや後遺症に苦しむことなく元気になって欲しい。それには、きちんとした応急処置が絶対必要なんだ。それが今、僕がすべき第一優先で、だから君が無理することを僕は許可しない」


 そう言い切るユーキの胸中でどれだけ複雑な感情が渦巻いているかがわかってしまうだけに、白夜はそれ以上何も言えず、黙って地に頭を着ける。


 天秤に掛けて誰の命を選び取るか決めるのは自分自身ではなく、他者だれかなのかも知れぬ、と思った。

 カナイが、自分の命を惜しんだように。

 自分が、カナイの命を惜しんだように。

 ユーキもまた、価値ある命だと自分を認めてくれているのかもしれない。


 ずきりと記憶のどこかがうずいた。


 貴方を、永久に失ってしまうのは嫌、――と。

 悲しげに囁いたのは、いったい誰だったか。



 

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