五.白蛇の懸念


 白き夜、という名には、二重の意味があるのだという。だがそれを誰に語られたのか、どういう意味があるのかを、どうしても思い出すことができない。

 こんな状態の自分にそれを名乗る資格はなさそうだ、と白蛇は思っていた。


 自分を助けた鳥人族の少女が呼んだ『シロ』という名は、記憶も魔力も空っぽな今の自分に妙に似合っている気がして、それでいいかと最終結論。

 自分のことながら、つくづく適当な気質だと自覚はしている。


 彼は、遠い昔に光の神に仕えた眷属・ケツァルコアトルと呼ばれた神獣らしい。らしいというのは彼自身にその時代の記憶がなく、知識として憶えてはいても実感がないからだ。

 それでも一応、自分の名前くらいは憶えていた。

 白き夜を表す『白夜びゃくや』が彼の本当の名前だから、少女が呼んだ名も案外かけ離れているわけではない。


(せめて記憶が正面まともであれば、此処ここの守護程度可能なのだが)


 降魔矢こうまやの呪力による麻痺と魔法封じが解けた直後、真っ先に流れ込んできたのは、ひどく濃い孤独感。今までこれほど間近に人と接する機会がなかった気がするため、はじめは出どころを特定できなかった。

 自分を治療したユーキという名の若者からは特に感じなかったから、きっと少女のほうだろうと思った。意識を開いてみればやはりそうで、言葉を交わしてみれば、彼女は自分にここにいて欲しいという。


(難しい事を言う)


 少女に返した答えと同じ呟きを心中に落とし、彼――白夜はするりと身体を滑らせて、ベッドから床へと降りる。

 広い屋敷でありながら、カナイが出かけた今はどこにも住人の気配を感じない。

 少女は本当に一人で、ここに住んでいるのだろう。


 白夜自身に住みかの好き嫌いはそれほどない。

 さすがに砂漠だとか海のど真ん中だとか、普通に生きにくい場所は住みたいと思えないが、山でも湿地でも森でも人家でも構わなかった。


 だから、気が進まないのはそういう理由ではない。


 ここに来る前、自分は長い時間を眠っていたらしかった。

 やはり曖昧なその記憶の中で、明瞭に憶えているのは森を焼く炎の舌。そして自分に矢を射た人間たち。


 とかいう者たちに追われ森伝いに逃げたが、じわじわと浸蝕する降魔矢の呪力にとうとう動けなくなった。殺されるのか、と思ったところを少女に――カナイに拾い上げられ、そしてここへ連れて来られたのだ。

 だからつまり今この世界には、自分の存在を認識した上で殺そうと企てる意志が確実に存在しているということになる。


 その現実が自分を助けて匿っているカナイや彼女に近しい者たちにどう作用するか、白夜は予測しきれない。

 すぐに答えを出せない理由は、その気掛かりが一番だった。


 元々、争うのは好きでない。もちろん、傷つけられたり殺されるのを望んではいないが、他者を巻き込んでまですがりつきたい命でもない、と思う。

 ましてまだ幼く、小鳥みたいに綺麗な声で笑う少女の、その笑顔を失わせたくなかった。

 けれど自分が去るならば、彼女の孤独はまた深さを増すのだろう。その理由までは白夜に知る術もないけれど、そうだろうというのはわかる。


(私が力を取り戻せば良いのか)


 どうやって、の方法も知らぬまま、白夜はそんな結論を弾きだす。そのために必要なのは消失している記憶だが、どうやって失ったか憶えていないため、自力でどうにかするのも難しそうだ。

 折れた翼を傷めないよう慎重に床へ下りた白夜は、わずかに開けられていた扉の隙間から廊下に出て階段を探した。

 目指すは屋根裏部屋、独特のかびた匂いが古い書物の存在を主張しているから、そこに行けば何か手掛かりがあるかもしれない。


 翼が無事なら飛んで行きたいところだが、なんとか動きはするものの完治には程遠い。落下してまたも骨折なんて事態になったら情けない上、治療してくれたユーキに申しわけないので、しばらく飛行は自制した方が賢明そうだ。

 階段の段差を腹這いで登るのは傷に障る気がしたので、白夜は手すりによじ登り、そこを伝って上まで登ることにした。

 元々飛べるのだから高い所に難はない。


 ――と。


 不意に意識をかすった気配に、白夜は思わず動きを止め感覚を研ぎ澄ます。

 微かなざわめきは、断片だらけの記憶の中でも真新しいものと酷似していた。


 パチパチ、パチパチ、と。

 独特の、空気が熱され爆ぜる音が、聴覚を震わせる。


 今はまだ本当に小さな舌だけれど、周囲を喰らい成長し、やがては森すら呑み尽くす凶暴な事象。炎の音、だ。

 山火事か、人為作用か、音のみでは判断つかないが、白夜は迷わず上を目指した。まだ屋敷内に煙の匂いは届いていないから、屋根の上に出れば周囲を確認できるに違いない。


 カナイが留守中で良かった、と思う。


 自分に関わる誰かを奪われるのは、もう沢山だ、と。過去を憶えているわけではないけれど、そう思った。




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