ドミノ

@vivoco

No.1 五月蝿い

『うるさい、うるさい、うるさい』


私は寝ぼけ眼のまま、ハッキリとした憎悪に目が覚めた。

最近は30度越えの猛暑が続いている。

扇風機は一応つけておいたのだが、まぁ寝汗の一つや二つはかくだろう。

首元が少し汗ばんでベタベタしていた。


『うるさい』


朝から重い足取りでリビングに行く。

どうしてこう気怠さは私に付きまとうのだろうか。いつも処分しているつもりなのだが、『処分の仕方が間違っているのだろうか?

〝気怠さ〟は燃えないゴミなのか?

死ぬまでこの重みと過ごすのだろうか?』

そんな考えが私の体にさらに重石を乗せていく。

遺書には【火葬では処分できません。】

とでも書いておこう。


そうこう考えているうちに、リビングに着く。するといつもながらの常套句がキッチンから飛んでくる。

「はやくし—————。」母だ。

あぁ、もういい。分かってる。何回同じことを聞けばいいんだ。いいから話しかけないでくれ。というのも私の頭の中の常套句になっている。

簡単に支度を済ませ、朝食を取ろうとする。

皿に盛られているのは、千切りのキャベツ、黄身の破けた目玉焼きとウィンナー。

ご飯が盛られているお椀に手をつけようとしたら、ご飯粒がついていた。


『うるさい』


毎朝こんなことが続くのかと思うとうんざりする。私の知人が言うには、

「人生には抑揚が必要だ」らしい。だが、私の心電図には抑揚は必要ない。ただひっそりとしていればそれでいいのだ。なんならどこまでも続く水平線のようになりたい。

だけれどもそんな平穏な水面に石を投げる輩もいる。慌てて石を取ろうとするが、手が届かないか、タイミングが遅いかで取れた試しがない。実に歯がゆい。


朝食をとり終わり、支度を整える。

足を引きずる考えと、外界から遮断されるためにイヤホンをつける。特に好きな音楽はないが、聞かないで頭の中のメロディと一緒に過ごすよりはこうした方がまだマシだろう。

玄関のドアを開けて出ようとした時、後ろから母の声が聞こえた気がした…。

「そんな重要なものではないだろう。」

私の右足のつま先が言ってくる。

力が入る。

歩きはじめる。


『何もかもがうるさい』


こうやってイヤホンをつけて音楽を聴いている時は肩の力が抜けているような気がする。

自然と強張っているのが緩やかになって、体の軌道はキレイな曲線美を描いているだろう。誰にも捉えらえられない、私は魔球だ。

我が家から放たれた魔球は誰にも触れられず、目的のキャッチャーミットまでいって

空振り三振のゲームセットのはず。だった。

目の前にバットが——、

いや、人が倒れた。

さすが魔球と言ったところだろうか、華麗な身のこなしで当たる寸前で避けてしまった。

その瞬間鈍い音がした。水面に大きな石が落ちた。心電図が息を吹き返した。知人の言葉を借りれば、抑揚の揚だろうか。とにかく思いもよらない事に、私の平静は破られたという事だ。

『なんだあの音は、ある本での人が倒れた描写の音はバタンとかパタンだぞ。なんだよ

ドンって。嘘つきめ。』

はじめてのことで思考が追いつかず立ち尽くし、本の名前も覚えてない作者に悪態をつく。

『幸い血は出てないみたい。早く助けを呼ばなきゃ。』と遅いながらもの思考で行動をしようとした時に、急にイヤホンの音が消えた。何事かと思い戸惑っていると、自分の心電図は水平線の形を大きく逸脱していたようだ。他愛もないメロディ代わりにステージに喧騒が立ち込み始めた。

「熱中症かしらねぇ」

「あの子今避けなかった?可哀想に。」

「最近の奴は冷淡なやつだな。」

「早く救急車呼べよ!」

「おい誰か助けてやれよ!」

おい、おい、おい、おい、おい!!!

「————————————————!!!!」

「dか☆6+%¥968かわいそ#/uxxx€3^〜:なんだ&ust1856こわ#ptejpwujduwug1%89^52井#jtadAAA"w」


『うるさい、うるさい、うるさい!』


周りの喧騒が一気に熱を帯びていった。

ただただ圧倒されてしまい、何もできずに立ち尽くしてしまった。またそれを囃し立てる様に、私の水面にどんどん石を投げ入れてくる。やめてくれ。頼むから、少し考える時間をくれ。平静を保つ時間を。そしたら—。

私の軽いパニック症状について周りは気にもせず、まるで私が加害者であるかのように攻め立てる。


『なんなのだ?なぜ、なぜいつも自分の周りばかりうるさいのだ。ただ静かにしていたいだけなのに。どうして。なぜ。なぜ自分なんだ?

そうだ、周りの、他の人達でいいではないか。なんで自分だけ…。もういい、うるさい話しかけるな!どうして!お前らがやれよ!なんで…』


その時、周りがふっと暗くなりいつもの平静が降りてきた。周りを見渡すようにみていると、

「そんな重要なものではないだろう」

今度は左足のつま先が言ってきた。

そうだ、わたしが悪いわけじゃない。私は何もしていないのだから。

力が入る。

走り始める。バットが足を掠めた。


「え!?」「急にどうした?!」

「助けてあげないのかよ!」

「最低だな。それな。」

「どいてください!!」

「皆さん下がってください!!」

「ああいう奴がいるからダメなんだよ」

「どうかして——————。」

祭り騒ぎだった声がどんどん遠のいていく。

代わりに激しい鼓動と、怒りと羞恥が湧き上がってくる。

なんなのだ。私が何をしたというのだ。

誰に当たればいいのかわからず、暗い平静の中で走り続けてたが、ついに私は耐えきれなくなり荒々しい息で声にならないような叫び声で産声をあげた。


「ゔるさいっ!!!!」


走りながら思いっきり叫んだため、足がもつれて倒れた。鈍い音が硬いコンクリートに響き、膝に血が滲んだ。周りから見たらさぞ滑稽なものなのだろう。けれどそれすらも忘れるようなこの激情はこうして倒れることを望んだのだろう。この現状に落ち着きと、心地よさを感じた。暑いくらいのコンクリートで目を瞑り人の暖かさすらをも覚える。暗い。

暖かい。懐かしい。


考えてみれば、生まれた時からうるさかった気がする。暖かく愛情に満ちた暗い闇の中を光を求め、針を縫うように出ていったと思った途端に耳をつんざくような鳴き声が聞こえた。

『誰なんだ、私の誕生をこんな祝い方をするのは。』

と生まれながらに私は憤怒を覚え、泣きじゃくり、誰もが耳を抑えたくなるような声を出したのだろう。


「うるさい声やねぇ。元気な子やぁ。」


けれど同時に思い出すのは優しい笑顔と、

気の抜けるような甘い声だ。

たぶん母なのだろう。それが私と私の平静を形作ったものだった。今思えば、その平静が私を苦しめている一因なのかもしれない。

いつまでも温かさにしがみついて、何もできなくなってしまったのかもしれない。


そんな誰も救えない自己憐憫が終わるのと同時に、現実への意識も戻ってきた。

いつのまに集まったのか、不規則な音を立てる雑踏が私の周りにある。

同時に私の顔元にあったスマホから音楽が流れている。倒れた拍子にイヤホンが抜けてしまったのだろう。

けれどその音楽に耳をたてて聞いてみると思わず吹き出したしまった。

なぜかというと流れているのはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲だからだ。

私の現状にそぐわない曲調で、思わず自分にツッコミを入れそうになった。

いつまでも笑っているわたしを見て周りは怪訝な目で見てくる。それもそうだ。心配して見にいってみれば一人で笑っているのだから。「心配して損した」といった顔でみんな離れていく。なんならそう言った人もいるのだろう。けれどたまらなく面白いのだ。仕方ない。可笑しい、可笑しい。


曲が終わり、周りに誰もいなくなり静かになった。そろそろと立ち上がりいつもより軽い体に驚いて足元を見てみると、滲んだ膝の血が、

「いってらっしゃい。」

と言っている。ような気がした。

私はいつもより軽い足取りで綺麗な曲線美を描き、歩き始めた。

家を出て早々に帰路につく私を母はまた笑顔で迎えてくれるだろうか。

いや、今度は私が母を笑顔で迎えるのだ。
















読んでいただきありがとうございました。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドミノ @vivoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る