第3話 空から降ってきた
夜の街とは、どうしてこうも昼とは違った顔を見せるのだろうか。
人工の明かりがすべて消滅した住宅街の夜道で、俺は片手にスマホを掲げながら考える。普段から見慣れたはずの光景が、今はどうにも受け入れづらい。
あの後、ひとまず落ち着くまでのゆうに三十分ほどを自宅……と呼んでいいのかはわからないが、あの家で過ごした俺は、この世界から脱出するための行動を開始した。
『魔法使いのサバイバル』の
もしも、ここが本当に『魔法使いのサバイバル』の世界だとするのならば、あのゼリーモドキなスライムなどとは比べ物にならないほど危険な怪物だって出現するはずだ。
残念ながらそんな場所にいつまでも留まっていられるほど、俺の肝は太くない。なんなら、今も気を抜けば膝が震えてしまいそうだ。一刻も早く抜け出すべきだろう。
問題は、俺がこれ以上の情報を持ちえていないという、その一点である。
なにせ、俺がこちらに飛ばされたのは実際にゲームをプレイする前だったのだ。得られたのはアプリの紹介サイトに載っていた煽り文くらいである。
どんな悪魔が出てくるのだとか、どうして主人公は魔法使いなのかだとか、何故魔力を回収しなければならないのかだとか、それら一切が不明であった。
圧倒的に、情報が足りていない。
現状、唯一の手掛かりであるスマホは、レーダーのように光点の載った地図と、俺のものと思われるステータス画面を切り替えるくらいしかできていない。
絶望的なまでに不親切。ヘルプ機能くらいつけておけと、今日これほどまでに憤りを感じたことはないだろう。
そんな中、俺が移動のリスクを冒してまで向かっているのは、自宅から徒歩で三十分ほどの距離にある駅前の広場だ。
周囲に気を配りながら、俺は改めて地図に目を落とす。
落ち着いて調べてみてから気づいたのだが、スマホの地図に表示されている光点にはいくつかの種類があった。大小含めれば数百近くもあり、ほとんどは目にも鮮やかな赤色をしている。
それらの多くは、地図を縮小すれば消えてしまう程度の微小な光点ばかりだ。
しかし、中には範囲を最大まで広げてもはっきりとわかるほど、大きな光点も幾つかあった。
おそらくこの赤い光点は、あのスライムのような悪魔の位置を示しているのだろう。となると、点の大きさはそのまま悪魔の強さを示しているのか。
どちらにしろ、今のところはあまり大きな光点に近づきたくないものだ。
そして赤色の光点以外に見つけたのが、今から向かっている駅前広場にあった青色の光点である。
これが何なのかは予想がつかない……が、俺の地図で確認できる範囲には一つしかない事、先程から赤点のように移動していない事を踏まえて、悪魔とは別の何かを表しているのだろう。
「出来れば、現実に帰るための手掛かりになればいいんだが……」
ふと、このまま元の世界に帰れず、一生この世界に一人で取り残されてしまう未来を想像してしまい、慌てて頭を振って否定した。
「……ん?」
と、そこで俺はこのまま駅前に続く道先に、一つの小さな赤い光点がある事に気がついた。
危うく見逃してしまいそうになり、慌てて進路を変えようと踵を返しかける……が、直前で思い直す。このまま逃げ続けるだけでいいのかと。
光点の大きさは、俺が自宅で遭遇したスライムとさして変わりはない。動きもそれほど早くはなく、いざとなれば走って振り切れそうでもあった。
「こっそり様子を窺うだけなら、なんとかなる……か?」
今は何より情報が欲しい。少しの間、悩んだ俺はゆっくりと慎重に光点へと近づいていく。
そしておおよそ十メートルほどの距離を置き、建物の影から頭だけを覗かせる。
「あれは……」
そこにいたのは、小さな子供の人影であった。
……否、違う。
月明りの下に見えたのは、老人のように曲がった腰に枯れ枝のような細い手足。一方で腹はデンと突き出ている。
身に着けているのは腰に巻かれている布切れのみ。殆ど裸一丁と言ってもよく、気味の悪い薄緑色の肌を外気に晒している。
ヒョコヒョコと跳ねるように裸足でアスファルトの道を歩き、落ち着きなさげに首を回すそいつの禿頭には、
脳裏に真っ先に思い浮かんだのは『鬼』という文字。ただ一般に想像されるよりも、言っては悪いが随分と脆弱に見えた。
ピロリン♪ と都合三度目となるメロディがスマホから鳴る。おそらくこれは――
***************
名称 :ゴブリン
分類 :?
ランク:?
特性 :?
***************
画面には予想通り、あの鬼――もとい、ゴブリンの情報が更新されていた。
「どうする? スライムならともかく、あれに直接殴りかかるのはな……」
根拠のない勘ではあるが、恐らく能力値はスライムよりゴブリンの方が上だろう。見た目はひ弱そうだが、『魔法使いのサバイバル』の設定を信じるならあれも悪魔の一種である。
もしかすると、外見を裏切る怪力の持ち主だったりするかもしれない。
遠回りにはなるが、この道を使わなければ駅前に出られないわけではない。
やはりここは迂回が正解か――と考えたところで、俺はまだ試していないことがあることを思い出す。
これまで俺は、ここが『魔法使いのサバイバル』の世界の中であるという前提のもとに行動してきた。
実際、これまでスマホに表示されてきたステータスなどには、ゲーム内の用語が使われている。
ならば、俺にも使えるのではないだろうか――あの、ゲームの主人公のような魔法を。
魔法、魔法、魔法……と考える。
一番最初に思い浮かんだのは炎だった。炎を生み出して、それを球にしてぶつける。単純なだけに想像もしやすい。なにより派手だ。
だが、いくら頭の中で強く念じてみても、その通りに炎が現れたりはしない。特別、身体が熱くなったりなどの妙な感覚もなかった。
「……ふぁいやーぼーる」
改めて周囲を見渡して自分以外の人間が存在しない事を確認してから、小声でこっそりと唱えてみても無理だった。現実でやれば痛い子確定である。
ダメだったか、と納得半分、落胆半分にため息をつく。
しかし、とそこで思い直す。そう言えば、俺のステータス情報には属性なるものが記載されていなかったか。
スマホで確認してみると、位階やら根源やら特性などの欄に交じって、確かに属性《夜》と設定されている。
「属性《夜》って……」
意味がわからない。いや、正確には想像ができない、だろうか。
これが《火》や《水》、あるいは《土》や《風》などであれば簡単だった。これらを題材とした魔法というのは、それこそアニメや漫画、ラノベにゲームなどで溢れている。想像は容易だっただろう。
しかし、《夜》と言う概念は酷く曖昧だ。それこそ人によって思い浮かべるものは違ってくるだろう。
思わず俺は空を見上げた。星の一つも見当たらない、大きな銀月だけが主役を張っている黒に染まった天蓋。不自然ではあるが、これもまた一つの夜の形だ。
「《夜》、よる、ヨル……いや、ここは一度似たような言葉に置き換えるべきか」
しばらく悩んでから、俺は直接的に《夜》を想像することを諦める。
代わりに考えるのは、《夜》という単語から連想する『近しいけど別』の言葉。それらを思いつく限りありったけ並べていく。
「空、月、満月、三ケ月、半月、星、星座、恒星、時間、睡眠、夢、黄昏、夕闇、日暮れ、宵、日没、白夜、黒夜、――黒」
うん、そうだ。黒だ。黒が良い。
すべてを覆い隠すような暗闇。すべてを塗りつぶすような暗黒。
それこそこの世界の空のような、子供が絵の具を塗りたくったように一切合切を染め上げた漆黒。それもまた、人が《夜》に抱く共通概念の一つのはずだ。
だから、次はそれを想像する。たった一つの思考で脳内を侵略する。
思い浮かべる。思い出す。思い重ねる。思い満たす。
あれは何だ。ゴブリンだ。いいや違う。塗りつぶせ。否定しろ。拒絶しろ。踏みつぶせ。踏み躙れ。蹂躙しろ。破壊しろ。駆逐しろ。黒を浮かべろ。黒を重ねろ。視界を黒で満たせ。黒だ。排除。削除。黒。黒。黒黒黒黒黒黒――っ!
『傲慢』に自己主張し、思想を『統治』し、不都合な常識を『排斥』する。
ドロドロとしたもので目の前が真っ黒になる。幻覚? いや、それは確かにそこに存在している。
温かい何かが心から抜け落ちていくような感覚。同時にズンと身体が重くなるが、それに意識を割くよりも先にピロリン♪ とスマホが鳴った。
“
「Gya!? Gya、GyaGgggggggッ!」
ゴブリンの慌てる声に我に返る。クラリと一瞬頭が揺れたが、何とか持ち直してそちらを確認すれば、そこではゴブリンが『黒』に喰われていた。
黒。まるで立体感のない、文字通りの漆黒の塊が宙に浮かんでいる。大きさは一抱えほどだろう。
音もなく腕に取りついたそれを、ゴブリンは必死になって振りほどこうとしているが、むしろ徐々にズルズルと引きずり込まれているようだ。
続いて聞こえてきたのは、ミシグチャメキョボキブキョッ――と耳を塞ぎたくなるようなおぞましい音。
血の色は見えない。けれど確かにそれは、ゴブリンが黒の塊に貪られている光景だった。
やがて魔法は肩を伝い、胴体を呑み込み、頭部を食らい、下半身を貪ったところで綺麗さっぱりと消滅した。最初から、そこには何もなかったかのように。血の一滴、毛の一本、爪の先一つ残らない。
“『ゴブリン』の討伐に成功しました
『15』の魔力を獲得しました”
ドッと由来不明な疲労がのしかかる腕に鞭打ってスマホを確認すれば、スライムの時と同じような一文が表示されていた。
ただし、今回は【独裁者】なる特性は発動していないようだ。
「そう言えば、これは結局何だったんだ?」
俺は懐から一枚のカードを取り出す。スライムが消滅した際、机の上に取り残されていたものだ。
大きさはトランプ程だろう。表にはスライムが鼠に覆いかぶさるような絵が描かれている。
「
敵を倒したら出て来たので、おそらくはネトゲにおけるドロップアイテムの類だろう。ただし使い方はわからない。
そもそも、まだ特性という概念自体を把握しきれていないのだが。これに関しては多分、一般的なゲームにおける
「切実にヘルプ機能の実装を希望、もしくはチュートリアルでも可。ここから帰れたら運営にクレーム送ってやるからな」
俺をこのような状況に巻き込んだ存在へと愚痴を吐き出し、半ば意図して暗い闘志を燃やすことで気力を確保する。
疲労感を背負いつつも、代わりに幾らかの情報は手に入った。デメリット付きだが自衛の手段も見つけられたし、何もかもに絶望するのはまだ早い。
「……よしっ、行くか」
いつまでもここで立ち止まってはいられない。休みたい気持ちもあるが、それよりもこの世界から脱出したいという思いの方が強かった。
腹の底に力を込めて、俺は駅前にある光点へ向けて移動を再開する。
――その、直後だった。
突然、どこからともなく真っ赤な火の玉が空から降ってきた。
それは丁度、先程の俺が魔法と言われて最初に思い浮かべたような、赫々と燃え盛る炎の塊である。
「――は?」
わけがわからない。口から無意味な疑問が零れ出る。
一歩踏み出した爪先、そのすぐ目の前に落ちた火球。アスファルトに触れた途端にブワリと内側から膨れ上がるのがやけにゆっくりと認識できた。
マズイ、と。背筋があわ立ち、キュッと氷を差し込まれたように冷たくなる。
硬直した脳が事態を認識した時には、既に手遅れだった。否、最初から何もかもが遅かった。
突発的な危機に、思考ばかりがギュンギュンと加速して空回りする。一方の肉体はそれについて来れず、まるで時が止まったかのように重たい。空気が鉛にでも変容したかのようだ。
待って、いや待って。オイコラちょっと待てってふざけんな、こんなのおかしいってクソどうなってるの早く逃げなきゃどこから湧いて来たヤバい危険だ間に合わない走れヤバい逃げろヤバ――
――俺の目の前で、轟音と共に爆発が起こった。
魔法使いのサバイバル! ~どうやら俺には魔王の才能があるようで~ 無糖メグル @mutou-meguru
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