玻璃の涙滴

安良巻祐介


 預言をするネズミ・ひげのサミュエルは王の跡を継ぐ約束地の指導者を捜し歩き、星の旗谷の一家を訪れ、最終的にはそこで羊を追い回していた末っ子を見出した。

 サミュエルはこの子どもを、なんだか羊に似た顔だなと思ったそうだが、どたばた走り回る羊に踏み殺されないように襤褸をまとった小さな体で右往左往するのにいっぱいいっぱいで、そんなことを口にする暇もなかった。


 王は、連れてこられた美しき羊飼いの少年の奏でる竪琴の音に耳を傾け、その音色に涙を流しながら、じっとこうべを垂れた。王は同時に知っていた。少年がやがておのが玉座を脅かすことを。愚かな王ではあったが、彼もまた冠を頂く超越者であることには変わりがない。空を覆い軋みながら動き始めた、果てしなく大きく白く重い歯車の群れに、彼もまた自らの短い命の中で組み上げた機構を全回転させて、抗おうとしたのである。


 翼と車の月、「かの地」の者たちが王の治める、神との約束地を攻撃してきた。憎悪の炎を胸の内に燃やしながら。

 彼らの英雄は世にも不思議の技術を以て生まれた半人造の青銅人間であって、六キュビト半もの体躯を鎧兜で固め、割れ鐘の鳴るような大音声で殺すぞと呼ばわった。それは、王を始めとするひとびとの心胆を凍えせしむるに十分な威力を持っていて、この怪物的な豪傑の行く先には、恐怖に凍えた青白い血の流れる、屍山の道しかないように思われた。

 しかし、小山のごとき彼の前に、純白の一布を体に巻いたばかりの紅顔の美少年が、微笑みとともに現れたとき、「かの地」のものたちは一様に自らの滅びを悟った。それは予覚というよりも、厳然たる事実であった。

 青銅の巨人のみが、事実という恐ろしい馘刃の光に、その畏怖的感覚に抗しえた。巨人は四肢を軋ませながら、その羊飼いの少年の前に進み出、いざ勝負と声をかけた。その時にはすでに、目の前の少年に降り注ぐ眩い黄金の光が、かれの青銅の眸を焼き始めていたが、それでもかれは、一族の無念と復讐心を青銅の心臓に燃やし続ける英雄は、おのが誇りにかけたこの戦いをやめようとはしなかった。


「かの地のものども」に勝利した後、かつて羊飼いの少年であった青年は、王の臣下となり王女の婿ともなったが、その瞳の輝きと不可思議なまでの美しさが王を狂乱させた。王はものに憑かれたように、火の粉を払うように、或いは眩しすぎる灯りを消そうとするかのように、やがて青年の命を奪おうとし始めた。三千もの軍勢が青年を攻めた。思案した青年はあえて王に近づき、気づかれぬままに服を切り取り、害する意思のないことを、その切れ端を示しながら、微笑み示した。王はいよいよ狂い果てた。



 度重なる王の憎悪と狂気の戈戟に、青年もとうとう彼から離れて荒涼たる「かの地」に身を投じるが、結局、其処でも寝返りを疑われ、やがて起きた王との戦いへの従軍は許されなかった。しかしこれも、神の組み込んだ歯車の通りであったろう。彼が約束地のひとびとと戦うようなことがあってはならぬからだ。

 結局、彼の親友──王の息子でありながら幾度となく青年を助けた王子──を始めとする係累もろとも、王は「かの地」との再度の戦いで討たれた。青年は王や王子の訃報を知らされて涙にくれ、王の剣、王子の弓を讃え、彼らを愛すべきものとして歌い上げたが、その涙と歌もまた、神の投げかける天からの光と同じ、透き通った硬質な、輝かしく冷たい色をしていたように、僕などには思われる。

 とはいえ、だからと言ってそこにヒューマニズムがなかったとも思わない。精巧な自動人形の眸に仕組まれた、玻璃製の涙滴の連なりも、時によって本当の涙と同じように見えることがある。見えることがある、ということは、本物と何ら変わりはないのだと僕は思う。そしてそれは作り物であるがゆえに、或いは本物よりも純粋で美しいかもしれないのだ。

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玻璃の涙滴 安良巻祐介 @aramaki88

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