2020/10/20(火)
ここのところ漠然と考えているのは、「純文学が現実世界のあるある集でなければなんだというのか」ということである。ここではとりあえず、自然主義リアリズム的な方法で書かれた小説全体を純文学と呼ぶことにしている。
純文学は基本的に現実にありえることを書く。そこに出てくる人物や、人物の間に生まれる関係や、起きる事件が我々の住む現実世界でもありえるからこそ、我々は小説を読んで共感し、感情移入することができるのである。
しかしそれでは、そうした事柄をフィクションとして書く意味はなんなのだろうか。我々が感情移入するのに必要なのが単に現実世界のあるある集に過ぎないのならば、わざわざ小説を書かなくても日常生活に即したエッセイを書けばいい。自分の経験をまとめるだけだから、エッセイの方が小説よりは基本的に書きやすいはずだ。
それでも我々は、エッセイと小説を明確に区別し、それぞれに別の文学的意義を見出している。私の中では明確な結論が出ていないが、やはり小説の「筋が一本通ったストーリー」みたいなものに秘密があるのだろうという気はしている。それぞれの場面を切り取っただけでは現実世界のあるある集にすぎないものを、ストーリーを構成するように並べていくことで、小説全体が立ち上がってくる。そのストーリー全体の持つ力こそが、純文学を支えているのではないか。
去年の終わりごろ、冒頭のような疑問が頭に浮かんでから、小説を書くことができなくなってしまっていたが、こうしてある程度考えがまとまった今、もう一度小説と向き合ってみようという気持ちが少し湧いてきている。今日は『プレリュード/リゴドン』の続きを書くことをこれから試みる。
小説をめぐる日々の雑感 僕凸 @bokutotsu
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