2020/07/25(土)

 芸術作品を創作する人で、「ネタ切れ」という言葉を使ってしまう人は、きっと一流ではないのだと思う。なぜならば、継続して創作できる人だけが一流なのであり、「ネタ切れ」していては継続して創作することなどできないからだ。そもそも、ネタの豊富さという目線で芸術を考えること自体が本質的でないような気もする。

 思うに、一流の作家の創作活動というのは、コーヒーを淹れることに似ている。コーヒー豆というのは、生の状態では硬くて味もしないらしい。それを焙煎し、細かく挽いて、フィルターに通して淹れることで、風味豊かなコーヒーが出来上がる。創作活動というのも、現実世界のものごとを作家が自分なりに噛み砕いて、自分なりのフィルターに通す、ということによって作品として出力されるのだとすれば、それはコーヒーを淹れるのによく似ている。

 結局のところ、「ネタ」という目線では作品の面白さの全体を考えることができない。大事なことは、現実世界のものごとを噛み砕く自分の仕方、芸術作品を出力する自分のフィルターの質をよく見極めて、レベルを高めていくことなのではないだろうか。

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